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2018/5/24 15:37 《現在地》
タンパケトンネルと繋がっていたタンパケ覆道北口を振り返って撮影。
トンネルと同じデザインの扁額が設置されているだけでなく、坑門左下の壁にも小さめの扁額と、銘板が設置されていた。
チェンジ後の画像がそれだが、銘板によると昭和56(1981)年11月完成、全長84.2mとあって、道路開通当初からの構造物であったことが分かる。
当初は短かったが、やがてタンパケトンネル北口まで200m以上延伸し、ひと繋がりの構造物となったのだった。
タンパケ覆道北口の緩やかなカーブから、ガードレール越しの海を眺めると、いくつかの岩礁が浮かんでいる。
これらは地形図にも描かれているが、地形図には岩礁と共に「雄冬岬」という地名の注記がなされている。
正直、この場所はあまり“岬感”がなく、すぐ隣にあるタンパケトンネルが潜る岬や、この先の(その名も)雄冬岬トンネルが潜っている岬の方がよほどそれっぽい地形だが、地形図を根拠とするなら、雄冬岬はここである。
それにしても、チェンジ後の画像で拡大した岩のシルエット、チェスのナイトの駒にとんでもなく似てるな。馬の上半身の後ろ姿に見える。耳もたてがみも完璧。ナイト石だ。
15:39
ひとしきり逆光の海を眺めてから、前進再開。
タンパケトンネルを出たところから唐突に、道路の両側に歩道が現われた。
歩道の海側にはオシャレな感じの手摺りもあり、北海道の中でもそれなりに著名である雄冬岬のネームバリューや、間違いなく美しいと思える風景は、ちゃんとロードサイドの観光地として取り扱われていたことを感じる。
だが悲しいかな、この道路の廃止と共に、雄冬岬は今や気軽に訪れることの難しい場所になってしまった。
こっ これはッ!!!
これこそは、雄冬岬旧道へ到達したら、ぜひこの目で見たいと思っていた――
“敵前上陸”の突堤跡ッ!!!
突然の“敵前上陸”というワードに、何のことかと思われるかも知れないが、これを読んで欲しい。(↓)

一般国道231号浜益村タンパケ改良工事 ― 断崖に挑んで敵前上陸第一歩の海岸擁壁 ― 雄冬岬トンネル南側より望む(1979年)
探索前に読んだ『北海道道路史』にある、このインパクト抜群の写真とキャプションが、忘れられなかった。
この写真の撮影地がまさにこの場所であり、写真は建設初期の工事風景である。
「自然に挑む」みたいな表現は私もするが、ここまで明確に、自然を打倒すべき「敵」だと表現した行政史を初めて見た。
当初いかに歯の立ちがたき難工事であったかということが、伝わってくるようである。
そして、私がここで出会った、海上に突き出したコンクリート構造物の正体は、
千代志別〜雄冬間工事は、昭和48(1973)年度より、千代志別、雄冬の両側からはじまった。昭和49年には事業の進捗をはかるため、中間のタンパケに突堤を築き、資材を海上輸送し、昭和50年から本格的に、ここからも工事をすすめ、昭和56年11月10日に開通した。
昭和49年に、国道工事の資材運搬目的で設置された突堤であった!
陸から辿り着く道のない海岸への工事資材輸送のための突入を、“敵前上陸”と表現していたわけである。
なんとも言い得て妙ではないか!
工事用突堤跡と雄冬岬を振り返って撮影。
現存しているか不明であった、当道路建設の記念碑ともいうべき遺構の存在を確認できた!!
これは今回探索の大きな成果である!
私が、ここは海から攻略したいと普段以上に強く思った理由が、この上陸作戦のエピソードであったから、嬉しかった。
ほんと、ここに記念碑があってもいいくらいだよ…、タンパケ上陸作戦記念碑が……。
15:40 《現在地》
少し海上に意識を引っ張られ続けていたが、間髪入れず今度は山側に、出現!
ここはかつての雄冬岬パーキング跡であり、その背後の山には小さなトンネルが口を開けている!
この場所は、雄冬岬旧道の中ではもっとも開けた、地形が優しい場所である。
とはいえ、この場所に山を越えて陸路で到達することが出来るかと言われれば……、少なくとも、そういう前例を耳にしたことはない。
私は地図を見ただけですぐに諦め、早々にカヤックの導入へ舵を切ったが、背後に聳える古道が通じる尾根から約300mの落差がある。しかも尾根の下は屏風のような岩崖になっているのが見える。
乗用車なら20台くらいは駐められそうパーキングエリアだ。
特に建物や観光案内板のようなものは見当らないが、特に後者はあってもおかしくない感じがする。
ここから眺める景色が、観光ガイドが紹介する雄冬岬であっただろう。
特に夕陽を愛でるには最高の立地だ。
安全と引き換えに、現代人が手放した価値ある景色はとても多いが、ここもその一つだ。
案内板は見当らないが、非常電話ボックスが設置されていた痕跡があった。
トンネル内のは放置なのに、屋外のは回収したんだな。
非常電話が外にあるのも珍しいが。
背後の壁には、「マムシ注意」の黄色いステッカーが貼ってある。残されたモノが、微妙に抜け殻感ある。
15:41
パーキングの山側で、先ほどから強烈な存在感を発揮している坑口の正体は、現道である浜益トンネルの横坑である。
現在は浜益トンネルの一部になっている全長1555mの新雄冬岬トンネルを建設するために準備された横坑であるから、廃止された一連の旧道より明確に新しい世代のものだ。
だから見た目も明らかに新しい。
このトンネルの工事が始まってからは、横坑前の駐車場も工事用スペースとして利用されたであろうから、もはや観光客を受け入れることは出来なかったと思われる。
その時点で一足早く観光地としての役割は終わったといえるかもしれない。
そして当然、工事中であれば、この横坑の入口には、警備員が目を光らせていたと思うが……。
ひゃっはー! フリーパスだぜ〜〜!!
って、 おいこれ珍しい物あるぞ!
↑これ、“化粧木”って言うんだけど、
昔から日本で伝統的に工事中のトンネルや坑道の入口に設置する、その名の通り飾りの一種であって、
(Google画像検索リンク:化粧木)
トンネル工事には付き物だから、これまで設置された総数は膨大であろうが、
工事終了後もそのままになっているのは、激レアだ!!
こういうのが残ってしまってるというのも、なんというか、トンネル工事の終了と同時にこの場所が一般の目から完全に遠ざけられ、関係者しか立ち入れない領域になったことの裏返しなんだろうなって思う。
本来一般の目に止まる場所であれば、こういう工事用の仮設構造物なんかは工事終了後に塞ぐとか何か処理をするんだろうけど、化粧木さえ外されないまま放置されているとは……。最後の工事関係者が撤収した日のママなんだろうなぁって…。
それじゃあ、遠慮なく……。
旧道上のトンネルよりは明らかに小さな断面だが、それでも1台ずつ大型ダンプが通れるような広さがある。
内壁は素掘りにコンクリート吹付けのままで、格子状にNATMのボルトが露出している。綺麗な本坑とは違う、いかにも工事用の舞台裏って感じだ。
奥行きは短く、最初から突き当たりに見えている銀色の扉まで50mくらいだ。
地図を見てもそのように描かれているが、浜益トンネルの側面はどこも海岸線からそう離れていないのである。
あの扉の向こう側が現トンネルだと思うが、今は静かだ。