2021/1/21 12:23 《現在地》
前回最後に見ていただいた突入シーンは、正真正銘の初突入だった。
数秒間の尻セードの後、私の両足は無事洞底に達し、そこに起立することが出来た。
ヘッドライトが照らす洞奥に出口の光は見えないが、閉塞の壁もまた見えなかった。
水蒸気のようなものでカメラの画像は少し曇っているが、おそらく私の吐いた息だ。
風の存在は感じられなかったが、異臭もなく、それほど不快な感じは受けなかった。
入口の状況を見るに、この奥の状況次第では、ここはもう幾十年もの間、
地上との交渉を断っていた空間という可能性があった。
少し大袈裟に言えば、魑魅魍魎跋扈する地底空間を想像しうる状況だったが、
そこにあったのは、いつもの奴らがいる、見慣れた素掘りの隧道だった。
洞床に降り立った私を最初に出迎えたのは、いつもの奴ら、コウモリだった。
写真のように、天井にかなりの数が鈴なりになっていた。
私は彼らの普段と変わらぬ姿に、少なからず安堵した。
まず、彼らは動物であるから、極端に酸欠の場所には生息しない。
そしてもう一つ、彼らの存在から期待されるのが、出口の開口である。
いま私が入ってきた入口は、私によって拡張される前から拳ひとつぶんだけ開いていたが、あんな小さな穴からこんなたくさんのコウモリが出入りしているとは思えない。別に大きな出口が開いているのではなかろうか。
コウモリたちの存在は、こうした2つの意味で私に期待を持たせた。
コウモリと共に、私の目を惹いたのが、たくさんのペットボトルだ。
普通にその辺のコンビニに並んでいそうな銘柄のペットボトルを中心に、空き缶やらいろいろな容器が散乱していた。
このことは動画の中でも言及していたが、咄嗟に感じたのは、洞内に利根川の水が流入したということだった。
確かにこの隧道の立地は利根川の川べりと言っていいだろうが、現在ある堤防よりも低い場所ではないし、普段から容易く浸水する場所に隧道を掘ったとも考えにくいから、洪水時の痕跡だろうか。
とりあえず、これら大量のゴミが流入するだけの大きな開口部の存在が、ますます期待できる状況になった。
先へ進む前に、入口に残してきたリュックとウエストバッグを回収しに戻った。
斜面に横たわった状態で頑張って手を伸ばし、両方とも回収した。
願わくは、もう一度ここを通過しなくて済みますように……。
さて、ここでひとつ重大な事実を述べよう。
この写真を含め、洞内で撮影した全ての写真から見て取れることだし、読者諸兄も第一印象として強く感じられたことかも知れない。
この隧道、とても狭いんです!
具体的な断面サイズは、2メートル四方程度だと思う。
よく目にする林鉄の隧道なんかよりは遙かに狭いし、いわゆる人道隧道とか、特小車両(例えば耕運機なんか)だけが通れるサイズ感である。
そういう隧道は各地にあるが、軍用道路って、こんなに狭くていいの?
一言で軍用道路と言っても、用途は色々考えられるだけに、その求められる規模も一言では言い表せないだろう。
軍事施設内の移動のための通路と、基地や拠点間を結ぶ兵站輸送路とでは、同じ軍用道路でも想定される輸送量はまるで違うだろうし、今回探索しているものは「陸軍の地下工場への軍用道路」ということだったが、その地下工場とやらの目的が(探索の時点では)不明だったので、どのサイズの断面が必要なのかは断じがたかった。
とは言っても、起点から終点までは結構な輸送距離があるし、小川島で目にした壮大な直線道路に続く隧道が、こんな辛うじて荷車が通れるような断面で「完成した」とは、正直思えなかった。
この隧道、未成隧道ではなかったか?!
戦時中に軍事目的から建設されるも、終戦により完成しなかった隧道を、これまでいくつか探索している。
たとえば、『廃道レガシイ』で探索した戸倉峠の未成隧道や、鉄道用だが、ここと同じ群馬県内でこういうのもあった。
上記は何れも、洞内に未成を証明するような特別な断面部分を有していたが、この隧道にもああいった異常な光景が眠っているのだろうか……。
……これは、未成道大好きオブローダーとして非常に楽しみな展開になった!
それでは、前進開始!
うおっ! 出口だ!
「え、もう?」
苦労して突入しただけに、それが率直な感想だったが、貫通しているのは喜ぶべきこと。
しかし、地図上から想定していた以上に短い隧道だ。
全長は50mにやや足りないくらい……いや、もしかしたら40m未満かも知れない。そんな感じがする。
そして、洞内には大きな崩壊箇所がないことも分かった。
ちゃんと貫通しているのだ。
ここで安心した私は、一旦入口の近くまで引き返した。そして――
動画を撮影しながら入口から出口まで通しで歩いてみた。
それがこの映像だが、ただ歩いていても頭をぶつけそうな天井の高さと、それと同じくらいしかない幅の狭さが分かるだろう。
また、洞内に「車道らしからぬ」微妙な蛇行があることも分かる。
一方で、この隧道には過去に見た未成隧道のような特殊形状の断面部分はなく、未成を証明する形状的要素はないのだが、こんなに狭い隧道の輸送力の限界を考えれば、現存部分は導坑だったのだと私は考えている。
おそらくは底設導坑であり、これから天井の切り上げを行う段階だったのではないか。トンネルの掘削方式として当時メジャーだった日本式工法というヤツだ。
そしてもしこれが当っていれば、トンネル工事全体の進捗度合いを考えるとき、導坑貫通のみが終わった段階ということで、50%未満なのだと思う。
この現存する隧道から、本来の完成形を予測するのは、長さの面以外は難しいといえそうだ。
湿った川砂に覆われた洞床を進むと、呆気なく出口が目前となった。
最後まで天井の高さは変わらなかったが、ここだけ妙に幅が広い。
位置的に待避坑とも思われないので、この広さの理由は不明だ。
拡幅を前提とした導坑ならば、この程度の雑な断面は十分あり得ることだろう。
チェンジ後の画像は、この広い部分を振り返って撮影したもの。
微妙な蛇行のため、短いが全体を見通すことは出来ない。
道路トンネルというよりも、人道トンネルや水路トンネルと言われた方がしっくり来る、線形の悪い小断面隧道だ。
しかし、見たところ岩石は硬質なので、ここまで掘削するだけでもたいへんな労力だったろう。
壁面に削岩機のロッドが突き刺さった痕らしき小孔があったので、最低限の機械施工は行われた様だが。
12:36 (入洞13分後)
突入に苦労したし、その後も荷物回収などで時間を要したが、
実際に隧道内を移動していた時間は1〜2分だけで、もう脱出だ。
出られはするだろうが、こちら側もかなり埋れてしまっていた。
天井より上まで土砂が堆積していて、這い出る形になる。
そして、ここからは利根川の川岸に出ると思うが、どんな景色か、
ちょっと予想出来ない。 楽しみだ。
うおっ! 怖っ!
イヤーなところに、今にも動き出しそうに見える大岩が……。
まあ、見た目ほど簡単に動き出しはしないだろうが、
万が一転がりだしても当らなそうな位置を上ることにする。ドキドキ。
うおっ!
敢えて国道17号の真下に出るのか?!
すっごい橋の眺めだ……!
12:37 《現在地不明、GPS測位完了をお待ちください》
ぬおー!!
頭から全身まで、未知の地上へ出んとする。
この瞬間の気持ちよさ、好奇心の昂ぶりは、何度味わっても色褪せることがない。
啓蟄の虫がおそらく生涯一度だけ味わえる快感を、こうして繰り返し味わえるのは、
なんと恵まれた私の生涯だろうかと思う。
しかも今回、なんとも想像を超える衝撃的な“空”のもとへ私は生え出した。
ここがどこなのかという座標はまだ分からないが、ある構造物との位置関係だけは明確だった。
今日通行したという方が必ず読者の中にもいるだろう、国道17号月夜野大橋の直下に私は出た!
Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA
右も左も分からない地上にポンと出た私がまずしたキョロキョロを、
この全天球画像をグリングリンすることで、追体験して欲しい。
四方に見えるいくつかをこれからピックアップして紹介するが、
まずはこの驚くべき橋と隧の位置関係を、みてくれッ!!!
そうこうしているうちに、お腰に着けたGPSが仕事をして、小さな画面に現在地を示した。
現在地は、月夜野大橋直下の利根川右岸の岩壁中腹という、平面の地図上に示すには無理のある地点だ。
地図の上では重なり合う橋と隧道だが、頭上の巨大な橋は昭和57年の開通であり、昭和19年から20年にかけて建設が進められたという軍用道路とは40年近い時間の開きがあった。
また物理的にも、両者は十分に高さが離れているため、直接的な干渉関係にはなかったようだ。
それでも、微に入り細を穿つ国道の設計や測量の時点で、この穴の存在も把握されていたと考えるのが自然だろう。>
そもそも、橋の直下の川岸という位置は、通常であれば橋台や橋脚が置かれやすいところであるが、本橋の場合はどちらもここに置かれなかったために、隧道は失われなかったし、隧道周辺の地形にも特段手が加えられた形跡がみられなかった。
少なくとも外形的な面において、両者の間には全く交渉がないように見えた。
こちらは国道側からの眺め……と言いたいところだが、この日は結局撮影の機会を得られなかったので、路上のストリートビューで勘弁。
現在地から橋上へ撮りに行こうとしても無理な落差と急さがあって、後で撮ろうと思っていたら忘れてしまった。
また、月夜野大橋なんてこれまで車でも自転車でも走ったことがあったが、わざわざ橋の真下にカメラを向けてみようなんて考えたこともなかった。
それに、歩道から身を乗り出したりしても、この隧道が見えるかは不明である。
これが、いま這い出してきたばかりの東口開口部だ。
西口よりはだいぶマシだが、断面の8割以上が埋れていて、次の土砂崩れで消滅しかねない危険な状況だ。
前回の公開後、読者様から寄せられたコメントに、この隧道の一昔前の姿についての興味深い証言があったので紹介したい。
「地元民です。15年位前に丁度その場所でサバゲーをしていた時は田んぼ側の坑口は屈めば通れる位には開いていて川側の坑口から出られました。やっぱり徐々に埋まっていってしまうんですね。」
…ということで、隧道の埋没傾向が近年も着実に進行していることが窺える証言だ。
そしてやはり地元には、この隧道のことをご存知の方は少なからずおられるようだ。
追加の情報もぜひお待ちしております!
それにしても、隧道1本でガラリと周りの景色が変わった。
西口は広々とした田んぼが近くにあったが、この東口は一転して、
険しい崖の中腹に取り残された気分を味わえる場面だった。
国道の真下でありながら、孤立無援の雰囲気があった。
そんな崖下には、崖の険しさとは不釣り合いな広く平らな氾濫原が広がっている。
現状では崖下と開口部の比高が10m以上あると思うが、隧道内に残されていた大量の
ペットボトルなどの漂流物を見る限り、この落差を乗り越える洪水が近年発生したようだ。
再び古い航空写真に現在地を表示してみる。
軍用道路が建設されようとしていた当時は、広い河道内における利根川の流れ方はいまとは違っていて、隧道のある尾根が水勢の衝にあたっていたことが分かる。
現在の航空写真にあるような鬱蒼とした氾濫原もなく、河道全体が度々水没していたようだ。洪水調節を行うダムが上流に存在しなかったためだろう。
まさに当時の隧道付近には、「竜ヶ渕」と名付けたくなるような流れが存在していたのであり、その状況にあって、道路を氾濫原へ迂回させることは難しく、難事である隧道による尾根突破が企てられたのだと思う。
といったところで、今回の探索における最大の調査対象だった“隧道”については終了だ。成果は上々。
だが、探索はまだ終わらない。
航空写真にもくっきり写っている川べりの未成道を、痕跡の末端まで踏破したい。
地形的にも、隧道を潜ってくる以外にここを訪れる方法が、今のところ思いつかないので、この機会に一気に探索してしまいたい。
というわけで、このまま探索は孤独なる 後半戦 へ突入する!
12:40 《現在地》
坑口を埋没させている土砂の山から見下ろすと、確かな道形が川下方向へ延びているのが見えた。
しかし、見るからに廃道状態だ。地図に一度も描かれなかった未成道だから当然だろう。
そして航空写真を見る限り、300mくらい先で、崖地帯を突破することなく、行き止まりになっていると思われる。
この目で末端を確かめてやろう。戦時中の未成道の末端なんて、これは私でなくても気になるだろう?
歴史の if に翻弄された、小さな隧道を振り返る。
貫通はしたものの、道としても隧道としても全く未完成であり、十全に活用されることは無理だった。
if 着工があと1年早かったら、終戦が1年遅かったら、開通していたのだろうか。
if 開通していたら、平時においても活用され得る道だったろうか。
!!!
これが軍用道路跡!
道幅が思いのほか広い!
これこそは、隧道内で私が盛んに意識した、隧道未完成説を裏付ける道幅だった。
隧道内は幅2m程度だったのだが、そこを抜けて辿り着いた川べりの道は、倍の幅があった。
しかも周囲の地形はとても険しく、この4mの道幅を生み出すために、大規模な開削が行われていた。
小川島の耕地を貫く豪快な直線道路の延長に似つかわしい、高規格な車道として計画されていたことを感じる。
さすがに道の状況は良くない。
全く訪れる人がいないようで、広い道幅のどこにも踏み跡やピンクテープやゴミがない。
代わりに、すっかり根を張った樹木と灌木、崖上からの落石やら倒木やら倒竹といった障害物が、密に道を埋めていた。
広い道幅に反して、足の踏み場が乏しい所が多く、自ずから進行はゆっくりになった。
写真の場面は、隧道から50mほど進んだ辺りで、安息角を持つ古びた崩土の斜面に行く手を遮られたところだ。
突破は容易だが、放置された時間の長さを感じさせる風景だ。
救いは、川側がゆったりした氾濫原であるため、いざとなったら道から降りて迂回するという選択肢が残っているところだろう。逃げ場があるのは、精神的に楽だ。
12:57 《現在地》
隧道出発から15分ほど経過して、進んだ距離は僅かにこれだけ。
よく見える橋の姿が、振り返る度に、隧道からの距離を教えてくれた。
非常にゆっくり進んでいるが、これは難所過ぎてペースが遅いというよりも、私が大好きな道を噛みしめながら歩いていたという側面が強い。
確かに道は荒廃していたが、75年前の航空写真に鮮明であった未成の新道は、人の接近を阻む大河と、視線を阻む鬱蒼たる氾濫原に守られるように、今なお明瞭すぎる新道の跡を留めていた。
このシチュエーションが、堪らなく楽しかった。
そして、このひそやかな喜びに満ちた前進は、もう一度だけ衝撃をもたらすことになった。
前出の隧道(それは予期された存在だった)を越える大きな衝撃を…!
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