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2024/2/27 16:49 海抜600m
古道の時代には茶店があったという枝畝の尾根で、180度切り返した直後の旧道風景。
ここで初めて「3.4km先の旧大森トンネルの通行不能」が看板で予告されたが、今のところ封鎖はなく、路面も古ぼけてはいるが荒れてはいない。
勾配もそこまで急ではないので自転車も走りやすいが、この辺で時間を費やしていられない私は、疲れることを承知で、普段の倍以上の力走を試みた。
いそげいそげいそげ〜!
17:00 《現在地》 海抜650m
10分後、枝畝切り返しから早くも1km前進し、旧道としては東端の尾根を回り込むヘアピンカーブへ。
この尾根の前後の道は、地形図だと物凄い急斜面に、長い崖記号の法面を従えるように描かれている。
実際の地形も急傾斜ではあるが、崖という感じはなく、スギ植林地の長いトラバースであった。
尾根を回り込んだところで西日は完全に地形に遮られ、スギの鬱蒼とした森の深さもあって、一足早く夜の暗さになったので、余計に焦らされた。
私にとって夕暮れ直前の探索は珍しくないが(←悪癖です)、残りの行程の長さがはっきり見通せない状況なのは少し珍しい。旧旧道がどのくらい大変なのか、見当が付かないのである。
だからこそ、いまは精一杯、いそげいそげ!
まるで、鋪装してあるだけの林道のような道だ。
全体的に狭く、待避所も必要最小限しかなく、カーブミラーのないブラインドカーブが続く。
旧道となり、通り抜けが出来ないと予告されている現状の交通量なら問題もないのだろうが、昭和53年までは押しも押されもしない旧本川村の入口だったわけで、しかもいろいろ選べる中での“近いけど悪い道”というのでもなく、これが最も整備されたメインルートだったのだろうから、なるほど秘境というに相応しかった。
進んでいくと、旧道になったばかりの時期に設置された災害復旧工事の銘板があった。
おかげで3.4mという道幅が分かった。
工事の施工者は「高知県土木部」とあり、旧道になってからも県が管理者であった時期があるようだ。
17:05
進むにつれ峠の坂道としては一層と緩やかになり、ほとんど等高線に沿ったトラバースとなった。
地図を見ると、既に越えるべき旧大森トンネルと近い高さまで達していて、敢えてこれ以上登る必要がなくなっていた。
おかげで良いペースで進めるが、沿道の地形は穏やかなものではない。
ガードレールや駒止のような転落防止柵がほとんどない幅3.4mの狭路が、ウネウネと、崖に沿って、どこまでも伸びていく。初心運転者には悪夢のような道だろう。
17:07 《現在地》 海抜680m
枝畝切り返しから約1.5km地点。
ギザギザとした山肌の小さな尾根を回り込むと、その先の路傍に、ログハウス風のさほど古く見えない家屋が現われた。
地図に描かれていない建物で、ポツンと一軒だけある。集落から外れたこんなところに。
古い建物には見えないと書いたが、玄関口を含む周囲の刈払いはされておらず、無住らしい。
……とまあ、この建物は別に良いのである。
それよりも、私が今これを撮影するために立っているカーブに、良からぬものがあった。
うっかり、見つけてしまった。
14tの重量制限標識と、壊れたカーブミラー。
標識柱にカーブミラーが取り付けられているのが珍しいし、14t制限の対象が不明である(向き的に私が来た方向に規制の対象があった?)ことなど、気になる部分が少なからずある発見だったのだが、そのことへの思考を深化させる以前に、標識柱の根本部分の地面にあるものに気付いた瞬間に驚いてしまって(!!!)、標識のことは一瞬で脳から追い出されてしまった。
お分かりいただけただろうか?
人間の足ががががが!!!
マネキンだって気付くまでの1秒未満、この活動を続ける限り、いつか出会って仕舞いかねないと思っていたものが、遂に出たのかと思ったよ。
靴を履かせてあるのが、マネキンだって気付くのをコンマ秒の世界で遅延させたし、理解した後も、気持ちの悪さを3000倍にしていた。
立地的には昔の峠道によくあった(それもまた怖いが…)“警察官人形”っぽかったので、下半身だけでは些か任務に差し支えもあるかと思いはしたが、見つけてしまったよしみで彼(彼女?)を本来の立哨に復帰させてあげることにした。
なお本人曰く、上半身はまだ見つかっていないそうです。
17:09
こんなものに、かかずらっている暇はないんだよ!
道路と関係のないものに驚かされるのも、道路探索の常であるが、速やかに自我を取り戻し、無人家屋前から旧道探索を再開。
家屋との関係は不明だが、隣接した沿道の敷地一帯には大量の廃材や廃家電などが山積にされており、先ほどのマネキンも、ここから脱走したのかもしれない。
17:10
廃屋は一軒だけで、産廃置き場も一ヶ所だけ。
過ぎるとあらまほしき旧道の景色がすぐに戻った。
道路状況にもこれと言った変化は見られない。
(チェンジ後の画像)旧道に入ってから、何回もこの看板を見ている。
これも全国の(古い)道路でよく見るアイテムで、旧電信電話公社が設置していた地中電話線破損防止の看板だ。
何パターンかあるよく見るデザインがあるが、これはその一つだ。
先ほどからこの道が旧本川村の入口だったという話を何度もしているが、それは狭義の交通に留まらず、通信を含む広義の意味で大事に利用されていたのであろう。
17:12
今度は唐突に伐採地が現われた。
旧道沿いに即席の土場が造られており、山手へ入っていく地図にない作業道が分れている。
いまは無人だが、最近も稼働していた様子がある。
峠のトンネルが封鎖されている旧道の現状における最大の利用者は、林業関係者だろう。
17:13 《現在地》 海抜700m
旧道が踏み込んだ伐採地は思いのほか広く、木もガードレールも全くないから、視界が開けた。
進行方向に立ちはだかる灰色の壁のような山がある。
越えるべき鞍部の位置が明瞭ではないギザギザとしたあの山並みを、古道の程ヶ峠は越えていた。
対して、最初から頂を目指していない旧道(ここでは最初の車道である旧旧道も含む)は、その土手っ腹に標的を合わせている。
(チェンジ後の画像)目指す旧大森トンネルの姿は見えなかったが、ここにあるに違いない! ……そう思える地形があるだろう?
大体ここと同じ高さ、きっとみんなも「ここかな」と思った場所が、まさに旧トンネルの在処だった。
しかしその一方で、旧旧トンネルの在処は、ピンとこなかった。
旧トンネルより短いから、より上方なのは間違いないだろうが。
あわよくば、旧旧道の道形が見えればと思ったが、そこまで甘くはなかった。
だが目指すべきゴールは着実に近づいている。
帰るべき場所(車)は、あの山の向こう側。もうたいして離れてはいない。山を穿てばすぐそこだ。
二つある穴、そのどちらかが通れれば、GOAL!
うぉ?!
前方に意識を集中していたところ、いまいる道のすぐ上の急斜面に軽トラを見つけて驚いた。
先ほど分れた作業道の続きにいるのだろうが、一台の白い軽トラが絹雲の夕暮れ空を背負っていたのである。
人気はなく、目を瞠るような急坂に停まっていた。
17:16
豪快に皆伐された裸身の斜面に、裸身の道が続いている。
対向車が来たら、すれ違える場所はほとんどない。
こんな道路の行き交いを日常の一コマにしていた昔のドライバーは、自然と皆ベテランであったと思う。
なまじ廃道的に荒れていないだけに、往時の道の厳しさがより直感できる感じがあった。
17:17
おおっ!
ここまで来て初めて“崩壊”に遭遇した。
大きな岩塊が路上に転げ落ちていて、道幅の山側半分を塞いでいた。残り幅は2m未満である。
自転車は余裕で隙間を通れるが、驚いたことに、車も脇をすり抜けて通った轍が残っていた。
往時のベテランドライバーならともかく、タイヤを踏み外しそうで絶対に良い気持ちはしないだろう。
(後で他人事でなくなることに…)
路肩の切り立つ崖の向こうには、さっき走った道がある。
異常な急斜面に停まっている軽トラも。
舗装路ならともかく、砂利道でよく登れたものだ。
そして良くあそこに停めようと思ったな。何もそこじゃなくても(笑)。
険しさに逃げ場のない道だが、アップダウンという意味での勾配は少ないので、順調なペースを維持してゴールへの距離をどんどん詰めていく。
また見つけた、埋設電話線注意の看板。これも全国でよく見るデザインだ。
電話機のキャラクターがボロボロ泣いているのが印象的なんだけど(というか個人的に苦手な表情)、大抵どれも色褪せてネガポジ反転みたいになっている。これもそうだ。
これはさっきも見たデザインの看板だが、左の地面に四角い標石が見える。
写真を撮り忘れたが、表面に電信電話公社の社紋が刻まれており、この前年10月に北海道の北見峠“囚人道路”で見た標石と同じものだった。
……そんなこんなを足早に観察しつつ、枝畝の切り返しから2.7km地点にて……
前方の道に顕著な違和感あり!
急に未舗装?!
いよいよ背後の山稜が押し迫ってきているが……。
17:26 《現在地》 海抜710m
分岐地点だ!
一見して不自然さがある分岐地点。
まず不自然なのは、鋪装されている旧道の続き(右の道)が、ここから下り坂になっていることだ。
峠のトンネルを目前にして下り坂が始まるというのは普通じゃないが、確かに地理院地図に描かれている旧道は、最後にトンネルへ向かって下り坂になっている。ちょうどこの場所が標高710mの最高地点であり、地図の表現と実際の道路状況が合致している。だから右の道が旧道だ。
未舗装の左の道は、道路状況的には先ほどもあった作業路にそっくりだが、ここまでの旧道の緩やかな上り勾配と線形を、そのまま引き継いでいる点に違和感がある。
皆まで言うな。
私は察した。
きっとこれが、地形図からは消えて久しい昭和10年生まれの初代大森隧道への旧旧道!
【昭和43年版地形図】だと、確かにこの辺りに旧道と旧旧道の分岐があるのを私は見た!
なんとも期待以上のラッキーで、
旧旧道が、作業道として、(少なくとも入口は)生き残ってくれている!
自転車でこのまま旧旧道を走破出来る可能性もある! ……のかも?