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2024/2/27 17:56 海抜740m
発見! 初代大森トンネル、東口。
気象台発表の日没時刻4分前の到達であった。
ギリギリだったが、ひとまず明るいうちに辿り着けてホッとした。頑張って飛ばした甲斐があった。
そしてすぐさまGPSで確認した現在地は、峠の尾根から約110m下の谷のどん詰り、海抜740mの地点だった。2代目トンネルがあるのと同じ谷だが、40mほど高い位置だ。
峠との比高である110mという数字だけを見れば、大した低下ではないと思うかも知れないが、その等高線は非常に密で、容易に踏み越せる尾根ではない。
そんな険しい部分を通らず峠を越せるこのトンネルこそ、本来の峠名(程ヶ峠)以上に知られた“辞職峠”のあだ名を過去へ追いやり、同時に本川村を“四国のチベット”という(ホンモノのチベットに失礼な)二つ名から救い出した、外界から本川村内へ辿り着いた記念すべき最初の車道であった。
しかし、探索の時点で私が把握していたこの初代トンネルの情報は、とても少なかった。
冒頭で紹介した『土佐の峠風土記』にあった「昭和十年に初代のトンネルが抜け」という一文と、隧道の在処を探すために入手した昭和32(1957)年版の旧地形図(↑チェンジ後の画像)くらいだったと思う。(ネット上に先行する探索記録があったが、敢えて封印していた)
だから、整備に至った経緯や経過、あるいは廃止された事情も分かっていなかったし、『道路トンネル大鑑』の発行時点で既に2代目トンネルに道を譲って廃止されていたため、長さなどの諸元も明らかではなかった。
ただし長さについては、これが描かれている昭和32年版や昭和43年版地形図の表記から、おおよそ250〜300m程度と推測されていた。
仮に250mとしても、昭和初期に掘られた道路トンネルとしては決して短いものではない。
果たしてこの短くはない地下の闇を、完成から89年、廃止からでも60年(昭和39年廃止と仮定)を経過した廃隧道で貫通することが出来るのか。
これより、内部探索を開始する!
まずは坑口前の全景であるが、
第一印象は、小さい だ!
大量の崩土が坑口前を埋めており、そのせいで開口部が小さくなっているのは確かなのだが、そうでなくても小さな隧道だと思った。
(後にここを路線バスが通っていたと聞いて驚いた)
いかにも頼りなさげな印象の遠目には人道用と見紛うように小さな坑口だ。これと比べれば2代目は本当に大きくなっていた。
それでいて250m以上の長さがありそうだということに、シンプルに不安を憶えた。
貫通を保っているのかどうかという不安だ。
接近。
坑門が盛大に壊れているなぁ……
坑門工は、既に地山を抑える壁としての役割は保ちがたくなっている。一部は倒壊し、残りにも大きな亀裂が走っていた。
そんな壊れかけている上半分と、既に地中に没して姿を見ることさえ出来ない下半分、それらを合体させた本来の全体像を想像してみたが、2代目同様のシンプルな場所打ちコンクリートの坑門だ。やはり装飾的要素が少ない。
これが建設された昭和初年代といえば、全国の農村部を中心に激しい不況(昭和農業恐慌)が起きており、村の新たな玄関となる記念すべきトンネルの顔であっても格式張った飾り付けをする状況ではなかったのかもしれない。時期的に時局匡救土木事業との関わりも想定しうる。林道用のトンネルみたいな質素さを感じた。
そんな質素な坑門には、2世代目にはあった扁額さえなかったのだけれども、よく見ると……
扁額はないが、扁額の取付け想定位置に直接隧道名が陰刻されていた!!
扁額を省くという、質素さに輪をかけるこの手法、簡単にありそうに見えて実際は随分レアなパターンだ。
そもそも、どうやって施工したんだろう。
周りの壁と一緒に実板(さねいた)の横縞模様があるから、実板の一部に文字を陽刻して、型押しをしたんだろうか。ずいぶん綺麗な筆文字が出ているが…。
あと、2代目の扁額と同じく文字が左書きなのも地味に気になる。
戦前の扁額は大体右書きだが(絶対ではない)、これは珍しい。
今のところ根拠はこの文字方向だけだが、実は戦後に改めて作られた坑門という可能性を疑わせる要素だ…。開通当初の写真が見たいものだ。
坑門の観察を終了。
ヘッドライトを点灯させ、屈まないと頭をつかえる開口部より、初めて内部へと視線を向けた。
17:57
ムワっ!
!…… これは、良くないです……。
狭い開口部を潜った瞬間、頬にもわっとした昼間の熱気の残りを感じた。
そして、一瞬でカメラのレンズが白く曇った。
坑口に、風の流れを感じなかった。
そして当然のように出口の光は見えない。
洞内がカーブしている可能性はあるし、或いは既に出口が暗いせいなのかもしれないが、これは不安すぎる立ち上がりだ……。
嫌な予感しか、しなかった。
土の山を滑るように下って、本来の洞床近くへ……。
振り返る、坑口。
ここに堆積しているものは、上部斜面からの落石だろう。
残る開口部は、高さにして1.5mほど。あるべき断面の3分の2が埋れている。
よほどの規模の崩壊でない限り、次で完全埋没とはならないだろうが、いずれは…。
17:58 (入洞1分後)
うぐッ!
水没かぁ……。
空気のもわっに、出口の見えず、そして……これ。
入ったそばから、良くない要素しかないなぁ…。
坑口に土砂が高く積もっていて、排水もされている様子がないことから、覚悟しなければならないとは内心思っていたが、入ってすぐに水没か……。
ここから見通せる25mくらい先までは、すべて水没している。
その奥は闇で分からないが、ちょうどその辺りでコンクリートの巻き立てが終わっているっぽい。奥は素掘りの可能性大。
問題は、この水の深さが、奥へ進むにつれてどう変化するかだ。
峠越えのトンネルとしては最も普通の“拝み勾配”であれば、一番深いのは坑口で、進むほどに浅くなることが期待できる。
だが、この大森隧道の2世代目は、東口から西口への一方的な下り片勾配になっていた。
この場合、いまいる東口から進むほどに水深は増す一方だ。250m以上の長さがあるとすると、間違いなく背丈より深くなってしまうだろう…。
足を濡らして入洞しても、通り抜けられる保証はないのである。
17:59 (入洞2分後)
しかし今さら、当サイトの熟練読者も、私も、「水没しているから引き返します」が、簡単には許されない。
泳がなければならないほど深いだとか、死の底なし泥沼であるとか、そんなことでもなければ、水没を見ただけで引き返すのは難しいところに来ている。私自身が作ってしまった「セオリー」に応え続けなければならない、そんな喜びと苦しみがある。
だが今回は、さすがの私も、考えなしに突入しない。
いつもなら靴が濡れることはお構いなしに入るが(本当は嫌なんだよ)、今回は、構う。
今回の四国遠征は、自己最長である連続7日間の探索計画で、しかもこの日はまだ2日目だ。メインの靴を濡らすと、残りの日程中に乾かすことは難しい。替えの靴はあるものの、雨や不慮のミスで濡らす可能性があるので、水没隧道なんて場所ではみすみす濡らしたくなかった。
……四の五の言って、ゴメンネ……。
作戦開始!
まずは履いている靴と靴下を脱いで、リュックへ収納。
代わりに取り出した、ウォーターシューズを着用した!
この用途のためにネオプレンの靴下も持ってきたはずだったが、なぜか入っていなかったので(…)、やむを得ず裸足履きのウォーターシューズだ。
これで靴の乾きを温存しつつ、水場を突破出来るはず!
いざ、入水!
冷めてぇぇぇぇ!!!
ヤベえ冷たさだ。
2月の標高700mの地下水の冷たさたるや、入った瞬間両スネがピリピリ痛み、爪先がジンジンとなり出した。
ふわっ ふわっ ふふふふふわっさささ さむい!!!
裸足は馬鹿すぎた。痛寒いぃぃぃ!!!
しかも、想像を超えるヘドロの深さだった。
最初の一歩目でズブズブと底に足が埋れていき、底づきしたのはスネが完全に水に浸かった深さであった。つまり、おおよそ50cmの水深があった。
何十年分とも分からないヘドロがかき混ぜられて、猛烈なヘドロ臭を発散する。申し訳程度にヒザまで捲っていたズボンは、あっという間にヘドロ水塗れに。
靴だけは守れているが、ズボンは終わったぞこれ……。
18:02 (入洞5分後)
この冷たさ、慣れるなんてことはないが、突入したからにはトコトンまで、前進開始!
私がかき混ぜるまでは透き通った地下水が、50cmほどの深さで洞床を沈めていた。
後は進んでいってこれが浅くなるか、深くなるか、変わらないか、身をもって確かめる。
とりあえず今のところは変化を感じないが、さっそく内壁の巻き立ての終わりが近づいてきた。やはり奥は素掘りらしい。
チェンジ後の画像は、向かって右側の壁の様子だ。
よく見て欲しいのだが、ちょうど私の頭頂部くらいの高さを境に、壁面の様子が違っている。
その高さより下側にだけ、沢山の乾いたゴミ(枯葉の残骸など)が付着しているのである。
この状況は間違いなく、かつてこの高さまで水位が上がったことを示していた。
それがいつの出来事かは不明だが、大量のゴミを含む水が私の背丈より高く溜まったことがあったのだ。
そこから比べれば、これでもいまは随分な低水位といえるのか……。
……ありがたがるべきなのか、これを……
18:03 (入洞6分後)
入口から30mほどの地点で、内壁が完全な素掘りへ。
巻き立ての分だけ、空洞の断面が大きくなったのが感じられる。
幅3.5m、高さ4.5mくらいだろうか。洞床は相変わらず50cm程度水没しているが。
一番気がかりな水深は、今のところ深くも浅くもなっていない感じがする。
泥は最初ほど深くはない。
とにかく冷たい。早く陸に上がりたいが、このまま最後まで水没だったらキツいな…。
17:05 (入洞8分後)
マジか……。
大落盤してます…。
おいおい。
水没に落盤に、マジでコンプリートするつもりか?! 廃隧道にありがちな障害ってもんを…。
入洞直後に感じた空気の温さ、風のなさ、光の見えなさ、全部をひっくるめて、落盤閉塞という結末は一番ありそうなものであったが、しかしこれ……
たぶん“天井裏”から突破出来るな。
落盤による巨大な瓦礫の山は、本来の天井の高さ近くまで盛り上がっていたが、落盤の際天井に開いた大穴が、通行のための空間になっている。
行くしかない!!
18:06 (入洞9分後)
というわけで、崩土の山に上陸。
厳寒の湖から浮上することが出来たが、濡れた足はもはや、空気の中でも痛覚の塊みたいになってしまっていた。
もうこれは仕方がない。はやく隧道を突破して、拭こう。拭くしか救いの道はない。
ゴリゴリよじ登って、もとの天井の高さにある崩土の山の天辺へ。
(チェンジ後の画像は、落盤地点からの振り返り。ここまで入口から目測60mくらい)
いよっしゃ!
落盤地点の奥に坑道継続を確認!
しかも怪我の功名か、水が引いているぞ!!
18:07 (入洞10分後) 《現在地》
再度の洞床へ。
しかし、期待した出口の光は、なお進行方向に見通せなかった。
また、再びコンクリート巻き立て領域が現われている。
大きな落盤を目の当たりにしているのではっきり分かるが、この隧道は地質には恵まれなかったようだ。
ここまで入口から70mくらい進んだとは思うが、全長に対しては半分も来ていないというのが現実だ。
そして崩壊地を越えたことで、(チェンジ後の画像)振り返っても外は見えなくなった。
心細さが一段と加わってくる状況。
初代大森隧道の攻略は、やはり一筋縄では行かないらしい。
しかしここまで来たら、もうトコトンまで行く覚悟だ!
2024/2/27 18:08 (入洞11分後)
天井の高さまで積み上がった落盤土砂の壁を乗り越えると、その奥には恐ろしく静謐な空間が隠されていた。
入口から常に洞床を沈めていた水が完全に引いており、代わりにコンクリート鋪装らしい平らな路面が露出している。
路面には濡れた泥が浅く堆積しているから、比較的最近も水没していたようだ。隧道内の水位には、かなり大きくかつ早い変動があるらしい。
洞床だけでなく、内壁もコンクリートで巻き立てられており、これが思いのほか綺麗な状態を保っていた。
ひび割れや地下水の漏出もなく、まるで現役のトンネルのよう。
90年近くも前に誕生し、60年も前に廃止されたトンネルとしては、奇跡的な保存状態のように見えた。
……もっとも、落盤を越えた直後にこれを見ているのであるから、洞内の状況に強烈なギャップがあるという事実を知っただけで、保存状態に恵まれたトンネルなどとは思わない。
願わくは、この平穏が最後まで続きますように……。
18:09 (入洞12分後)
むむむ。
この先、再び素掘りに戻るようだ。
坑口附近だけ覆工されていて、洞央は素掘りというのは、古いトンネルでよく見る施工パターンだが、このように洞央部で素掘りと覆工が交互に現われるのは珍しい。
これが開通当初から姿であったのか、後年の改良によるものか、どちらだろう。
残念ながら確定させる材料はないが、巻き立てが随分綺麗なので後者っぽい感じがする。
いずれにしても、選択的に覆工されている部分は、前後より地質が悪い落盤の危険箇所と認識されていたはずだ。
なお、白い壁の所々に見える黒い点はコウモリである。
少数が棲息していたが、グアノの山もなく、この隧道はあまり好みではないようだ。
推定30〜40mの覆工区間が終わり、再び素掘りへ。おそらく入口から100mくらいは進んでいる。
前にも後にも外の光が見えないので、進んだ距離はあくまでも感覚的な推測だが。
引続き水は引いているので、足を拭いて靴を履き直そうかとも思ったが、外へ出るまでは油断すまいと、そのままで進んでいる。おかげで足が痛い。
素掘りになると、沢山の瓦礫が洞床に散らばっていた。
覆工が効果を発揮していたことがよく分かるが、この先のチェンジ後の画像に点線で囲んだ部分は、最初こそ素掘りだと思ったものの、近づいてよく見ると――
――ここもまた、コンクリートによる覆工が行われた区間であった。
だが、今度の覆工は、先ほどの覆工と比較して、同じ隧道内とは思えないほどボロボロに傷んでいた。
施工技術や立地条件に優劣がないと仮定すれば、明らかに今度の覆工は古く見えた。
最初の画像は天井部分から進行方向左側の壁の様子で、チェンジ後の画像は進行方向右側の壁、側壁の部分だ。
コンクリート内に埋め殺されていた木板が露出しているのも、表面が大規模に破損した結果である。
坑口附近では、氷柱のせいでこのように酷く破壊された覆工を見ることが結構あるが、洞央では珍しい。
やはり、洞内の覆工は場所によって施工時期が大きく異なる気がした。
この画像は、ボロボロになっている覆工部分を振り返って撮影した。
点線の部分にコンクリートの巻き立てがある。
天井に巻き立てがない部分があるが、剥がれて落ちたのかもしれない。洞床に小さなコンクリート片が大量に散らばっていた。
18:11 (入洞14分後) 《推定現在地》
再び洞床が水没状態になった!
再度の水没は辛い現実であったが、これにより隧道内の勾配のカタチが判明してきた。
おそらくこの隧道、典型的な拝み勾配になっている。洞央に標高のピーク(サミット)があって、両坑口へ向かって下っていくものを拝み勾配という。
一旦は引いていた水面が再び現われたのは、私が洞央のサミットを越えて、出口への下り坂へ入ったことを示唆していた。
サミットが全長の中央にある確証はないが、そう仮定すれば、残りは120〜150m程度であろう。相変わらず出口が見えないが…。
そして、この状況の大きな不安として、残りの勾配如何によって、出口へ辿り着く前に水位が歩けない深さにまで拡大する危険があった。
……もうこればかりは祈るしかないが……。
18:12 (入洞15分後)
幸いにして、水位の上昇は緩やかであった。
このペースであれば、先に出口が来そうな気がするが、未だ全く出口の光が見えない(もう夜になってしまったから?)のが、とても不安だ。
ジャブジャブジャブジャブと賑やかな音が洞内に反響しているが、果たしてこの音は出口から放出されているのだろうか……。
(チェンジ後の画像)やがて3度目となる巻き立てが現われた。(あのボロボロの部分も入れれば4度目)
巻き立ての存在が、なんとも頼もしい。
早く外の光を見て安心したい気持ちと、足の冷たさから逃れたい気持ちから、さらにペースを早めてバシャバシャした。
18:13 (入洞16分後)
ここで初めて動画を撮影。
整然と巻き立てられた区間を盛大にバシャバシャしつつ、貫通に対する不安や期待を口にしている。
この加速した歩行でも距離をだいぶ伸ばし、おそらく入洞から200mを越えて……。
18:14 (入洞17分後)
うっ…
…………黒い壁が……
まるで石炭の塊か地下の闇を凝集したような黒いものが、坑道の行く手を塞いでいるのが見えた。
道理で外が見えなかったわけである……。
これは、「観念」か………。
なんとも皮肉なことに、隧道の内壁を守る覆工があるせいで、落盤がより絶望的な閉塞に結びついている。
前の落盤現場は素掘りだったので、すんなり“天井裏の空間”から、反対側へ行けたのだが…。
覆工がある隧道は、それを突き破る落盤が起きてしまうと、素掘りの場合以上に通り抜けづらくなることが多いという、たぶんオブローダーしか知らないような経験則が存在する。
いよいよ水深も深くなってきていて、出口が近いような気がしたのだが、ここまでか……。
……
………… ん?
風は抜けている。
一見すると隙間のなさそうな“黒い土砂の壁”だったが、壁に近づくにつれ、頬を撫でる風があった。
あそこだな……。
矢印の位置に、風の抜ける隙間があるようだ。
完全に閉塞はしていないようである。
崩土の山へ“上陸”し、ガラガラ崩れやすい壁を隙間までよじ登る。
18:15 (入洞18分後) 《推定現在地》
「めっちゃここを風が抜けている!」
「貫通自体はしてるんだ!」
「だが狭すぎて通れない! 残念!」
18:16 (入洞19分後)
天井すれすれに風が強く吹き抜ける隙間があり、その奥に空洞が続いている気配があった。
おそらく出口が近いはず。
だが、それは人間が通り抜けられる隙間ではなかった。
まず単純に狭いし、もの凄い地下水が流れ出ているし、すぐ隣は破れたコンクリートの天井で、大量の瓦礫を不安定に積み重ねてあるし。
誰が、こんないつ崩壊して圧死するかも分からん天井に、進んで挟まろうと思うだろうか。
「残念!」と吐き捨てるように言ったのも、自分を納得させるための発破にするつもりであった。
18:18 (入洞21分後)
だが私は、
納得に失敗してしまった!
悪い癖が出たとも言えるし、歴戦の経験が私に可能性を見させたとも言えた。
結果、四つん這いで頭頂部から尻の穴まで大量の水柱に貫かれながら両手を動かし、隙間を狭めていた瓦礫の粒を選んで空洞の奥へ放ったり、手前へ落したりして、即席の人間貫通通路の作成に勤しんでしまった。
瓦礫を動かすことは致命的落盤の引き金を引く可能性が僅かながらあったが、経験上、頭上にあるコンクリートの壁は固い。そこに数分間、命を預ける決断をした。
そうして約2分後に、この写真のような最低限の人間貫通通路が出来あがった。
すべての乾きを捧げるときだ。
いまから30秒間だけ通路よ保ってくれ。
人間突入!