15:15 《現在地》
さて、戻ってきましたトンネルに。
こちら側から見ると、いかにトンネル前の線形に無理があるか分かると思う。
本来なら、カーブミラーが立っている辺りが道路のまん中と思われるが、トンネルの先にトンネルに見合ったような道はない。
そこにあるのは未舗装の林道じみた「並木散策路」であった。
あらためて並木トンネルの東口をまじまじ。
これが「並木トンネル」だということは、案内板を見ていないと分からない。
だって、銘板のような物がないんですもの。
こういう胸壁を持たない突出型の坑門だと、確かに扁額を取り付ける場所には苦慮すると思うのだが、それにしても殺風景過ぎる。
ここがちゃんと本来の道路として供用された暁には、別途トンネル名を書いた標識が脇に据え付けられたのだろうが、遊歩道ではそれも望めないか。
再び入洞。
今度こそ、この闇の奥を極める。
これ、天井なんだけど。
どう見ても綺麗すぎる。照明とか配線とか、現役のトンネルに当然ありそうな物がない。
右にある凹みも配線のためにあるんだろうけれど、全く何の役にも立っていない。
青色のブルドーザーの背後には、大量の園芸用土が袋積みになっていた。
公園の整備にでも使うのだろうが、トンネルが実用上無用の広さを持て余していることが窺い知れる、“物置き”っぷりだ。
そもそも、ブルがトンネル内に駐車している時点でおかしい。
自動車学校で習わなかったのか。トンネル内は駐車禁止だと。
それともここはもう廃道だとか、公道ではないとでもいうのだろうか。
それに、実はこのトンネルには灯りがあったのである。
車道用の本式の照明ではないが、いかにも歩行者用といわんばかりの低い位置に、等間隔にそれこそもの凄い数が取り付けられていた。
それなのに、敢えて一本も点灯させていないのである。
全部点灯させろとは言わないが、数本置きくらいに付けてくれてもイイと思う。
或いは予算をけちって部分的に点灯させる装置が付いていないのかと勘ぐりたくなる。
異様である。
どことは言わないが、かつて開通前のトンネルに忍び込んだ時を思い出させる光景である。
土の匂いさえしない地底の闇である。
我々が普段自動車で通行しているトンネルとは、こんなにも大きかったのかと改めて気付かされる。
それにセンターラインが無いだけで、こんなに異様な風景になってしまうとは。
なお、私は今回自転車で通行しているが、歩きだったら身の回りの闇の広がりに、もっと不安を憶えたに違いない。
照明を持っていない場合、入口から届く光が辛うじて壁の在処を知らせる程度で、相当に暗い。
しかもまだ出口が見えないのであるから、心細いに違いない。
敢えて今回は照明を点けずに走っている。
そのほうがこのトンネルを“味わえる”と思ったからだが、そろそろ点けないと足元が危ないと思い始めた頃、ようやく出口の間接光を目視することが出来た。
相当に緩やかではあるがトンネルは全体が右にカーブしており、そのせいで最初から見通せなかったのである。
しかしまだ出口はかなり遠い。
管理側も足元が暗いことを知ってか、特に障害物になりそうなものは置かれていないが、それにしてもこの暗さは日常ではない。
日常の中の非日常とは、こういう事を言うのだろうと思った。
あと、このトンネルがちょっと構造的に珍しいのは、路肩の処理である。
普通は一段高くなっていて歩道なり側溝なりがあるのだが、このトンネルの場合は側溝の外側に幅1m弱の砂利敷きの部分がある(両側とも)。
歩道にしてはいささか狭いし、そもそも砂利というのが解せない。
遊歩道として利用するにあたって改造したのだとしたら、大いに余計なサービスだが、そうも思われない。
こういうトンネルを見たことある人が居たら教えて欲しい。
←
半分くらい来たかなというところで、振り返ってみた。
→
しかし実際にはまだ1/3くらいしか来てないようだった。
トンネルなんだからある程度仕方ないが、景色が単調すぎるので距離感が変になる。
実はトンネル内はずっと登り坂であった。
苦労するというほどではないが、確実に出口が遠く思える理由にはなっている。
軽く思考停止するくらい単調だったトンネルも、ようやく終わりが間近になった。
…この時点でもう分かったよ。
こちら側も、立派なのはトンネルだけだってオチだろ。 どうせ。
だって、カーブミラーの立っている位置がおかしいもの。既に。
はて。 私はどこへ出てきのだ?
事前に案内板を見ていたお陰で、自分が今いる場所はもといた片品川ではなく、その支流の笠科川であることは分かっていた。
しかしそれでも初めて来る私にとっては、「どこここ?」だ。
全然辺りは公園っぽくないし、「コマクサ散策路」というのは目の前にある舗装路のことなのか?
トンネルひとつで突然深い山の中に放り出されたような…、個人的にはトンネルの中にいたときよりもはっきり不安を感じる眺めだった。
そして、このトンネルを出て、
真っ先に振り返った私はガックリ来た。
なんか、出口の壁が黄色いのは気になっていたんだけど…。
ログハウス風坑門…。
オシャレなのかな〜。個人的には残念だけど。
坑門なんて使ってれば必ず汚れちゃうんだから、その汚れも含めて愛せるデザインがベストだと思う。
この坑門はまだ新しいはずなのに、既に汚れが単なる汚れになってしまってる感じがする。
苔生すワビサビを最初から否定しているのは、感心しないなり…。
最近流行の自然系レリーフも付いてるよ。
こういうのって、何でしたがるんだろう。
「ニッコウキスゲ」が駄目だとはいわないが、扁額にそれを飾り付ける意味が分からない。
トンネルのデザインというのは、そこにありもしないモチーフを取って付けて、トンネルが元来持っている暗部を無理に誤魔化そうとするような物でなく、もっと機能と一体化したような幾何学的でシンメトリーな、トンネルを誇らしく演出するようなものであって欲しいなぁ。
あまり個人の好みを押しつけても何なんで、別の物に注目しよう。そうしよう。
大切なのは、こちらの坑門には扁額に加え、これがあったことだ。
トンネルの緒元を記した工事銘板。
この発見により、トンネルが確かに「並木トンネル」であることや、竣功年1997年2月(平成9年)、長さ194.0m、幅7m、高さ4.7mが判明した。
もの凄く新しく見えていたが、実は完成から10年以上経っていたことになる。
この10年のあいだに、1本のトンネルを巡る環境にどんな変化があったのだろう。
明らかに国道本線級のトンネルが、名ばかりの遊歩道にあてがわれて眠っている。
山を貫く偉大な体躯を、ここに持て余しているのだ。
何が、あった?
実際には200m足らずしかなかった闇は、通行している最中はその倍もあるように感じたし、こうして覗き込んでみても地の底を透かしたように深く見えた。
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15:22 《現在地》
並木トンネル西口。
こちら側だけ執拗に飾り付けられている理由が知りたい。むしろ公園の入口としては裏口だが…。
そしてこのカーブミラーの存在が教えている、坑口前の急カーブ。
直角カーブと言っても良いくらいのカーブだ。
道幅もカーブの前後で(厳密には坑門を出た瞬間から急速に)狭まっており、カーブの手前は完全に1車線しかない。
トンネルを高スピードで走ってくると大変に危ない“魔のカーブ”だが、特に警戒する標識などがないのは、部外者なんて来ないことのあらわれだろう。
ここから先は「コマクサ散策路」と案内板にあった道である。
コマクサはどこに生えているのか。
仮にはえていたとしても、アスファルトとガードレールの道を歩くことが散策なのかと、もうね。
あ、
不愉快じゃないんだよ。
むしろ、ワクワクしてる。
何もかもが、取って付けたような公園なんですもの。
せっかく整備した人には少し失礼な物言いかとも思うけど、実際に運動公園が利用されているところを見ているので、情を掛ける必要を感じぬ。
1車線の舗装路ははじめユルユルと山ひだを縫っていたが、まもなく「何か使命を思い出した」かのように急速に下り始めた。
下りゆく先には、またしても大規模な盛り土の台地が。
案内板を思い出すと、あそこにあるのはきっとサッカー場だな。
ここもまだ並木運動公園の公園内ということなのだろう。
各施設を結ぶ道路として並木トンネルは使われているようだ。
散策路というよりは。
そもそも、野球場とサッカー場とテニス場を相互に行き来するという動線が、あまり思い浮かばないが。
15:24 《現在地》
トンネル出発からわずか2分後。
私はコマクサ散策路の終点である交差点に辿り着いた。
十二ノ森公園を出てからここまで散策路の案内板は全くなかったが、そんなもんだろう。
こちら側には特に車止めなどもないので、並木トンネルは車で通り抜けられることになる。
この日の夜に実際に車で通ってみた。
進行方向は今回の探索と一緒です。
→【自動車での通行動画】
トンネルを喜ばせたくて、そこだけ少しスピード出しました。
これで一連の“謎の道”探索は終了。
あとは丁字路を左折すれば、出発地点の戸倉にすぐ戻ることが出来る。
全部下りなので、超ラクラクだった。
結局、このトンネルは何だったのか?
帰ってきてから、ちゃんと調べてみた。
ずばりこれは
国道401号線の新道になるはずだった道。
あの高規格である。
まあ、それくらいしかないだろうなと思った人も多いだろう。
しかし、あの立地ではちょっと納得しづらいとも思う。
だって、現国道が通っている戸倉集落より200mも高い山中にあるのだ。
向きだっておかしい。
国道は片品川沿いにあるのに、トンネルは笠科川に沿っている。
いったいどんなバイパスを作ろうとしていたの?
↓↓ はい、こんなバイパスです! ↓↓
国道401号 土出戸倉バイパス
(戸倉工区) 全長:8890m
計10本のトンネルと、ループ橋を含む多数の橋により、戸倉と大清水を結ぶ計画だった。
事業主体群馬県。
平成5年度事業化。
平成7年度用地着手。
平成8年度工事着手。
南側の土出工区(2.3km)と北側の戸倉工区(8.9km)の合計11.2km。
全体事業費39億円、計画交通量6100台/日を想定。
平成17年度に土出工区完成。
平成18年度事業再評価にて、戸倉工区の工事中止を決定。
尾瀬の玄関口として相応しいのかそうでないのか、賛否の分かれそうななんとも壮大なバイパス計画である。
しかし“酷道”好きならばご存じの通り、国道401号はこのバイパス終点の1km先、大清水で途切れている。
その先は尾瀬沼付近を越えて福島県に通じることになっているが、未開通である。
確かに尾瀬沼に歩いて行く人はこの国道を通るが、戸倉工区の計画交通量6100台/日というのは行き止まりであることを考慮しているんだろうかという疑問が涌く。
まさか尾瀬をトンネルで抜くことを真剣に考えてる??? 夢は大きく! むしろそうでなきゃおかしい気もするが。
ドキドキが止まらないんだが、とりあえず戸倉付近の地図を拡大してみよう…。
「道作りとは、
こうやるのだよ!」
福島から三島通庸が飛んできて関係者に乗りうつって工事させたかのような、山河を屁とも思わぬ一大道路絵巻(スペクタクル)が展開する予定だった!
長さ197m、平成9年完成の「並木トンネル」は、この戸倉工区の3号トンネルであった。
そして戸倉工区では、この3号トンネル以外は着工さえされなかった。
このトンネルだけが整備を急がれた理由は分からないが、おそらく周辺を公園整備する計画が当初から有り、それと一体的に整備したと云うところだろう。
右の景色を覚えているだろう。
「前編」で通った「十二ノ森公園」の入口だ。
あくまでもこれは私の想像でしかないが、もしこのバイパスが完成していれば、↓のような景色になっていたはず。
素人の想像図なので、変だとか言わないでね。一応いま流行のヤジロベエ工法で架けてみんたよ!
これはこれで見てみたかったかも!!
しかしまあ、本題はここではない。
本題は、
どうして“行き止まりの尾瀬”に向かってこんな豪壮なバイパスが計画され、
一部とはいえ着工されてしまったのかということである。
↓↓ その答えは単純、これである。 ↓↓
戸倉集落の約1.8km上流の片品川に予定されていた、戸倉ダム建設予定地。
水資源開発公団(←この名は前に出てました)が昭和57年に計画し、完成すれば重力式コンクリートダムとしては福島県の奥只見ダムを抜いて日本一になるはずだった、戸倉ダム(堤高158m)。
いろいろあって、平成17年に計画が中止されているのだが、この中止によって国道の水没が回避されたので、付け替え国道の必要なくなってしまったというのが、戸倉工区事業中止の理由である。
この辺りの事情は、再評価結果(PDF)が分かり易いです。
同じ群馬県にある八ッ場ダムと比較されたりして、一時戸倉ダム中止のニュースもそれなりに報道されていたが、実際に付け替え道路の工事をしていたとは思ってなかった。
戸倉ダムについては、【こちら】を参考にさせていただきました。
八ッ場ダムとの関係については、【こちら】が面白かったです。
本編の最後に、今回の探索の“名脇役”を演じきった「公園」について。
「八ッ場あしたの会」サイトに転載されている、「2008年11月14日 読売新聞群馬版」の記事。
内容は中止後の戸倉ダム予定地のその後を追ったものなのだが、これがとても興味深かったので、ここにも一部を転載させて貰いたい。(強調は筆者)
◆施設充実、維持に課題 野球場、つり橋…
片品村の戸倉ダム事業が、2003年12月に中止が決まってから5年。ダム関連の地元振興事業は今年度で終了し、村は20日に有識者らからなる委員会を設け、事後評価に乗り出す。地元振興事業は、地域に何を残したのか――。戸倉地区を歩いた。(田島大志)
11月上旬、アーチを描いた巨大な吊り橋がかかる片品川は紅葉に染まっていた。その奥にはアスファルトで整備された公園が広がり、「尾瀬ぷらり館」の看板がかかるコンクリートの真新しい建物が存在感を放つ。2年半ぶりに訪ねた戸倉地区は、見違えるように変わっていた。
「地元の人が望んでいたものが、ほぼそろった。期待以上だ」。中止決定時、地元住民によるダム対策委員長として難局を経験した萩原一志さん(52)の表情は思いの外、明るかった。
中止決定後、第三者委員会での検討を経て「地元補償」の意味合いから国や下流都県が負担する形で、約20億円の地域振興事業実施が決定。情報発信・交流拠点となる施設「ぷらり館」を始め、有料駐車場、野球場、サッカー場、テニスコート、公園、遊歩道、つり橋、下水道などの整備が進められた。(以下略)
探索中、私の耳に届いてきた若者たちの楽しそうな声は、村が望んだ光景そのものだった。
結果的に、ダム無しで地元振興策だけを手に入れた片品村は、別のどこかよりはラッキーだったかも知れない。
ともかくそうしたゴタゴタの末に、一本のトンネルはほとんど無駄になった。
その風景は、紛れもなく空虚だった。
しかし、廃虚ではなかった。
私も忘れないだろう。
振り回されて、振り回されて、それでも人の役に立とうとするトンネルの、哀しいほどに誇らしい姿を。