国道148号旧道 下寺地区 中編

公開日 2010. 7.25
探索日 2010. 5.18

下寺洞門の謎


2010/5/18 14:31 

島から次は下寺へというところで、一本の洞門が現れた。

塞がれた洞門だが、脇は甘い。
砂利道が付けられていて、容易に迂回出来る。

地形と道路構造物が、いまひとつ合致していない違和感。




この場所を最新の地形図で見ると、一層違和感がある。

北側から続いてきた旧道が、ここで唐突に消えている。
実際にはこの道の表記が消えている所に洞門の入口があった。

地図上から消滅したこの洞門は、どこへ続いていたのだろう。
そして、なぜ塞がれねばならなかったのか。




さて、塞がれているとなれば当然その内部が気になるわけであるが、どうやら物置として使われているらしい。
透明なナミ板の向こうを除くも、特に崩壊している様子はないし、何か色々なものが置かれているのだった。

よく見ると、入口の封鎖も単純に塞いでいるわけではなく、片開きの一枚扉であった。 やはり出入りがあるのである。




現国道(築堤)と旧国道(洞門)に挟まれた、幅10mほどの空き地の一部に砂利が敷かれ、そこに轍が付いている。
正式に道と認められているものかは知らないが、ともかく”道”であろう。

そして、入口をわざわざ塞いでいたのであるから当然なのだが、洞門は側面もちゃんと出入りが出来ないようにナミ板で塞いであった。
この洞門の内部を確かめることは、残念ながら絶望か。




いや、入れるぞ。

入口から50mほどで洞門は継ぎ接ぎされていたのだが、そこに人が出入りできる隙間が空いていた。
向こう側は手前に較べ、見るからに古びている。

…ちなみに自転車も入れた。

さてさて、内部の様子は?




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まずは新しい側の洞門の内部。

そこには「小谷村」のエンブレムを付けた除雪車輌が3台、来るべき冬に備えて身を休めていた。

車庫というのは廃洞門の活用法としては理に適ったものだと思うが、この洞門は廃止されるには少々新し過ぎるように見える。
現道への付け替えは、或いは廃止直前まで既定路線ではなかったのかも知れない。





今度は、明らかに見劣りする南側の洞門。

こちらは廃道になっていても、なんら不思議な感じはしない。


そして、この古い方の洞門には、「下寺洞門」ではない別の名前が掲げられていた。




下寺スノーセット


「スノーセット」である(笑)。

「シェッド」かせめて「シェード」と言って欲しいところだが、
英語の発音のつたなさに時代を感じるというのは言い過ぎだろうか。

あと、「扁額」のサイズと「銘板」の大きさが微妙に違うのも味わい深い。




「セット」に突っ込みを入れるものこのくらいにして、もう一つ私の目を引いたのが、この歩道と思しきパートである。

集落間の道なので、現役当時には通学する子供たちの行き来も多かったのであろう。
大型車がようやくすれ違える程度の幅しかない洞門から、歩行者を分離させたかった理念はよく分かるが、いささか付け焼き刃の感は否めない。
いざ雪崩が起きたとき、この程度の構造物でガードできるのだろうか。

そして廃止された現状では、この部分だけが陽光を浴び、一足早く自然に還りつつあった。
手前のほうはさほどでもないが、奥はまさにイタドリのジャングルである。
真夏などはさらに凄まじい光景が現出していそうである。

…求む挑戦者と煽ってみる。

私はおとなしく車道上を駆け抜けてみた。




「セット」部分は意外に長く、まだ終わりは見えない。
そして、相変わらず物置として利用されている。
学校の備品らしき机であるとか、「塩の道」と書かれた標柱であるとか、タイヤであるとか、標識であるとか、棚であるとか、雑多である。

なお、こうして少し離れてみると、歩道部分がいかにも付け足しであることがよく分かると思う。





カーブを抜けると終わりが見えてきた。

出口付近に物置が置かれ、幅が狭まっている。
おかげで車は通れないが、北側のように塞がれてはいない。


外の様子がなんかおかしい。






特に崩壊しているようなこともなく、物置として確実に存在している下寺洞門。
しかし、その姿は地形図上から完全に消えていた(左図)。
地形図上での現在地は、何もない原野のように描かれている。

そして右の写真がその実際の風景。
確かに“何もない原野”のようでもあるが…。

よく見ると、随所に人工的な地形(矢印)が見て取れる。






下寺洞門の南口をふりかえって撮影。

なぜか洞門の外に路盤は無く、平坦な草地や広場になっていた。
廃道敷きを再利用するため、更地に戻したのだろうか。
確かにここは集落からも近く、土地の利用価値は有りそう。

とはいえ、そのためにわざわざ洞門を撤去したとしたら、大層な事である。

この距離では分かりにくいかも知れないが、そこに見えるコンクリートの長い擁壁は、明らかに洞門の一部だったものだ。


言い知れぬ違和感のなか、さらに進んだ私の前に異様な光景が。






左に現国道、右に旧国道。

その位置関係は、最初から変わっていない。

一旦は消滅してしまったかに思われた旧国道が、



想定外の姿で復活した。




↓ 見てくれこれを ↓




土の中から洞門が、
にょきにょきしてる。







下寺洞門に、なにがあった?