国道148号旧道 外沢地区 第5回

公開日 2010.12.10
探索日 2010. 5.18

外沢地区の旧道は非常に状況が悪く、今回の探索ではおおよそ400mの未踏破区間を残してしまった。
しかし一応の目的であった旧外沢隧道の現状を確認することが出来たのは、大きな成果であった。

今回はここを後にして、次なる旧道へ向かう。
左の地図は現在の地形図だが、これを見ると、外沢トンネルの南には平倉トンネルがあり、一気に姫川支流の中谷川へ出る。

対して右の旧地形図(昭和28年版)では、姫川沿いの明かり区間を通るように描かれている。
より詳細に比較すると、現地形図には姫川第三ダムがあり、その脇にもトンネルが描かれているが、これが旧国道のものなのか、それとも別の道なのかは、地形図だけで判断できず、今回現地で確かめたいと思っていた。




脇道:スノーシェッド内の分岐と九十九折り


2010/5/18 16:44 《現在地》

「番外編」を挟んでいるので混乱を招きそうだが、時系列的には「番外編」よりも前、「第5回」の直後からはじまる。

写真は、外沢旧道の南口に戻ってきた場面だ。
自転車をスノーシェッドの中に置き去りにしていたので、一旦は中に戻らねばならない。
実は、次に向かう平倉の旧道へはシェッドの外壁に沿って、草むらを歩いていっても辿り着けそうなのだが、これは仕方ない。

なお、来るときには気にしなかったが、改めて見るとこのスノーシェッドはなんか“変わった形”をしている。
奥にも、別の道がある?




モゾモゾとシェッド内に戻った私は、改めてシェッドの構造を確かめてみた。

すると、私が出入りした場所の少しだけ南寄りに、こんな珍しい、シェッド内の九十九折りみたいな道が発見された。
まあ発見と言うほどではなく、普通に車で走っていても視界に入るはずだ。




これが分岐地点。
左の道が現国道で、ビュンビュン車が走っている。
そして右が問題の脇道。
特に分岐の段階では行き先案内も無ければ、立入禁止などの表示もない。




山中の道路風景とは思えない、乾いた道路風景。
国道から鋭角に分岐したこの道は、すぐにヘアピンカーブで進路を反転させて、50mほど先の出口へ向かっている。
この一連の流れが全て、国道と一体化したスノーシェッドに覆われている。

地形図を見るとこの脇道は行き止まりで、通行量を考えれば過剰投資にも思えるが、斜面から落ちてくる雪崩をかわすというスノーシェッドの機能を国道上で果たすためには、この部分にも屋根が必要だという判断なのだろう。

珍しい構造物にはワケがある。
そのいい例だ。




変態的(褒め言葉)スノーシェッドの出口。
九十九折りを描いているだけあって、既に国道とは意外な高低差だ。
また、左には姫川の谷を挟んで、セメント工場や外沢の旧道のラインが見える
国道からは決して望めぬ、なかなか爽快な眺めだ。

なお、ここからシェッドの屋根を歩いて旧道に行けそうだが、未確認だ。
行けるなら、隙間潜りは必要なくなるが…。




もう少し先まで行ってみたい衝動に駆られたが(地形図を見ると2kmほどで外沢集落に着くみたいだ)、時間がないので今回はここでUターン。
現道へ戻った。

写真は最後に、これから向かう平倉方向を見下ろして撮影。
スノーシェッドのカーブが美しい。





平倉の旧道


 16:54 《現在地》

ここまでは先にも一度来ている。
外へ出られる場所を探して。

平倉トンネルの北口だ。
(平成8年完成、全長706m、歩道有り)

哀しいことに、この平倉の旧道もまた、現道から隔離されてしまっている。
憎らしいスノーシェッドの壁で。

その姿を確かめるために、道路を渡って壁に寄ってみよう。





い、いた!

旧道発見!


両開きの鉄扉は重く閉ざされ、やはり往来は難しい。
例によって隙間を這い蹲って抜けることは出来るものの…。




このままでは隙間が狭くて自転車を通すことが出来ないので…

自転車を解体して通した!(笑)

自分でも変なことをしている自覚はあったし、ここまでして自転車を通しても、実は少しも行かずに行き止まりかも知れなかったが、勢いで行った。
輪行や修理以外の踏破という目的でまで解体されるとは、可愛いそうなやつだ。






 17:00

このように多少の苦労はあったが、再び私は旧道の人となる。

しかし今度の旧道は、おそらく外沢のような目にあうことはないだろう。
外沢は昭和49年以来の廃道だったが、今度のはだいぶ新しくて、平成8年までは国道だったのだから。


え、死亡フラグとかそういうのじゃないよ(笑)。




平倉旧道の南口は、姫川の河床より40mほど高いところにある。
これから500mほどの行程で、かなり河床の近くまで下っていくのだが、何気なく撮影した右の写真には、今回の一連のレポートで、唯一この写真にのみ姿を見せている、“ある道”が写っている。

まどろっこしい言い方はヤメにしよう。
対岸の水面ギリギリのところに注目して欲しい。
黒っぽい岩場が続いているが、よく見ると、そこに幅2〜3mほどの平場が続いているのが分かるだろう。

探索より後に「小谷村誌」を見ていてはじめて知ったのだが、

実はこの平場…




明治19年に、長野県の七道開鑿事業のひとつとして開通した第五路線、糸魚川街道の跡だという。

巨額の費用と数年の年月、何より人々の多大な奉仕により一度は完成し、明治44年の稗田山災害までは車馬の往来まことに盛んであった、明治の新道。

極端に河床に近いところにあり、前後は水没しているのか不明瞭だが、本来の河床は今よりも遙かに低かったようだ。
川砂利に満たされた河床の様子は、確かに凄まじい堆積を感じさせはする。

このことに気付いていれば、あの場所に立つことを考えただろうが、残念ながら探索当時は知らなかった。

以上、明治道との“すれちがい”の一節は終わりだ。




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良い眺めと、良い遺構。
オブローディングには、これだけあればとりあえず足りるというウワサもある。

立派な赤いスノーシェッドが現れた。
また右のひらけた視界には、「番外編」で紹介した工事用道路に通じる村道(道幅は旧国道以上)と姫川が並び、奥には姫川第三ダムが見える。

なぜか現在の地形図では、この平倉の旧道の一部は消されている。
外沢の旧道でさえ描かれているのに、どうしてかは分からない。
ご覧の通り、平倉旧道は廃止されてからの時間も浅く、必要な防災設備を備えていたこともあり、まだまだ健在である。
廃道には見えない。




スノーシェッドには銘板が取り付けられていた。

外沢スノーシェッド。
1985年…昭和60年竣功で、全長50m、幅5.5m、高さ4.7mというスペック。
幅はやや狭いが、まあ普通のスノーシェッドである。

でも、坑門の左側に目立たず取り付けられている「高さ制限標識」は、3.9mを規制していた。
この差の意味を知るのは、50m先だった。




スノーシェッドの内部は、例によって、出番を待つ除雪車たちの休息地になっていた。

微妙に形の異なる重機たちが整然と並ぶ様は、何となく微笑ましい。
雪を防ぐ者同士、シェッドと除雪車の関係は良好そうだ。

道はこの間もずっと下り坂で、姫川河床への接近を怠らない。

そして、シェッドの終わりが近付いていたのだが…。





矢継ぎ早に繰り出される、警戒&規制標識のラッシュ!

私が個人的に愛して止まない風景だ。

再び現れた3.5m高さ規制と、スリップと左カーブの警告は、

どんな風景に結びつくのか?




スノーシェッドが終わると同時に、旧道は別の“箱入り道路”にぶつかっていた。
先ほどから下に見えていた村道である。

この接合部分は除雪車などは通れない狭さで、いかにも通用口といった感じだ。
しかしこれはあくまでも後補のものであり、先の標識群が示す風景ではない。

通用口を通って、村道内に入ると…。




 17:03 《現在地》

隧道を発見!

どうやらこれが、旧平倉隧道だな。

繰り返された高さ制限の理由も分かった。このトンネルはいかにも旧式だ。




この景色、なんか好き。

旧平倉隧道は明らかに旧国道の産物だが、
今は四角い延長部分によって、村道のほうを向くように強制されている。

切り離されてしまった旧国道は、地図からも消されてしまい、なんとも空虚だ。

まあ、こうして通用口が開けられているのは、いろいろな意味で救われるが。




次回はこの旧平倉隧道をくぐり、中土駅までの行程をお伝えする。

このレポートは次回で完結だ。