16:54 《現在地》
ここまでは先にも一度来ている。
外へ出られる場所を探して。
平倉トンネルの北口だ。
(平成8年完成、全長706m、歩道有り)
哀しいことに、この平倉の旧道もまた、現道から隔離されてしまっている。
憎らしいスノーシェッドの壁で。
その姿を確かめるために、道路を渡って壁に寄ってみよう。
い、いた!
旧道発見!
両開きの鉄扉は重く閉ざされ、やはり往来は難しい。
例によって隙間を這い蹲って抜けることは出来るものの…。
このままでは隙間が狭くて自転車を通すことが出来ないので…
自転車を解体して通した!(笑)
自分でも変なことをしている自覚はあったし、ここまでして自転車を通しても、実は少しも行かずに行き止まりかも知れなかったが、勢いで行った。
輪行や修理以外の踏破という目的でまで解体されるとは、可愛いそうなやつだ。
17:00
このように多少の苦労はあったが、再び私は旧道の人となる。
しかし今度の旧道は、おそらく外沢のような目にあうことはないだろう。
外沢は昭和49年以来の廃道だったが、今度のはだいぶ新しくて、平成8年までは国道だったのだから。
え、死亡フラグとかそういうのじゃないよ(笑)。
平倉旧道の南口は、姫川の河床より40mほど高いところにある。
これから500mほどの行程で、かなり河床の近くまで下っていくのだが、何気なく撮影した右の写真には、今回の一連のレポートで、唯一この写真にのみ姿を見せている、“ある道”が写っている。
まどろっこしい言い方はヤメにしよう。
対岸の水面ギリギリのところに注目して欲しい。
黒っぽい岩場が続いているが、よく見ると、そこに幅2〜3mほどの平場が続いているのが分かるだろう。
探索より後に「小谷村誌」を見ていてはじめて知ったのだが、
実はこの平場…
明治19年に、長野県の七道開鑿事業のひとつとして開通した第五路線、糸魚川街道の跡だという。
巨額の費用と数年の年月、何より人々の多大な奉仕により一度は完成し、明治44年の稗田山災害までは車馬の往来まことに盛んであった、明治の新道。
極端に河床に近いところにあり、前後は水没しているのか不明瞭だが、本来の河床は今よりも遙かに低かったようだ。
川砂利に満たされた河床の様子は、確かに凄まじい堆積を感じさせはする。
このことに気付いていれば、あの場所に立つことを考えただろうが、残念ながら探索当時は知らなかった。
以上、明治道との“すれちがい”の一節は終わりだ。
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良い眺めと、良い遺構。
オブローディングには、これだけあればとりあえず足りるというウワサもある。
立派な赤いスノーシェッドが現れた。
また右のひらけた視界には、「番外編」で紹介した工事用道路に通じる村道(道幅は旧国道以上)と姫川が並び、奥には姫川第三ダムが見える。
なぜか現在の地形図では、この平倉の旧道の一部は消されている。
外沢の旧道でさえ描かれているのに、どうしてかは分からない。
ご覧の通り、平倉旧道は廃止されてからの時間も浅く、必要な防災設備を備えていたこともあり、まだまだ健在である。
廃道には見えない。
スノーシェッドには銘板が取り付けられていた。
外沢スノーシェッド。
1985年…昭和60年竣功で、全長50m、幅5.5m、高さ4.7mというスペック。
幅はやや狭いが、まあ普通のスノーシェッドである。
でも、坑門の左側に目立たず取り付けられている「高さ制限標識」は、3.9mを規制していた。
この差の意味を知るのは、50m先だった。
スノーシェッドの内部は、例によって、出番を待つ除雪車たちの休息地になっていた。
微妙に形の異なる重機たちが整然と並ぶ様は、何となく微笑ましい。
雪を防ぐ者同士、シェッドと除雪車の関係は良好そうだ。
道はこの間もずっと下り坂で、姫川河床への接近を怠らない。
そして、シェッドの終わりが近付いていたのだが…。
矢継ぎ早に繰り出される、警戒&規制標識のラッシュ!
私が個人的に愛して止まない風景だ。
再び現れた3.5m高さ規制と、スリップと左カーブの警告は、
どんな風景に結びつくのか?
スノーシェッドが終わると同時に、旧道は別の“箱入り道路”にぶつかっていた。
先ほどから下に見えていた村道である。
この接合部分は除雪車などは通れない狭さで、いかにも通用口といった感じだ。
しかしこれはあくまでも後補のものであり、先の標識群が示す風景ではない。
通用口を通って、村道内に入ると…。
17:03 《現在地》
隧道を発見!
どうやらこれが、旧平倉隧道だな。
繰り返された高さ制限の理由も分かった。このトンネルはいかにも旧式だ。
この景色、なんか好き。
旧平倉隧道は明らかに旧国道の産物だが、
今は四角い延長部分によって、村道のほうを向くように強制されている。
切り離されてしまった旧国道は、地図からも消されてしまい、なんとも空虚だ。
まあ、こうして通用口が開けられているのは、いろいろな意味で救われるが。
次回はこの旧平倉隧道をくぐり、中土駅までの行程をお伝えする。
このレポートは次回で完結だ。