今回は、この平成7(1995)年に発行された道路地図帳に描かれた1本の道路計画線をきっかけにして行った探索だった。
現地には、おおよそ400mの長さを持つ行き止まりの未成道が半ば廃道状態で放置されていることが確認されたほか、古老からの聞き取りによって、従来の計画ルートは土砂崩れの危険性から中断され、現在は別ルートのループ橋を含む計画が進められていることを知った。
帰宅後に机上調査を行い、この地で繰り広げられている遠大な国道バイパス計画の変遷を追った。以下にその成果を述べる。
まずはいつも通り?歴代の地図の変遷を見ようと思うが、今回は地形図ではなく、昭文社のスーパーマップルデジタルシリーズを3世代分切り出して、バイパス計画の変化を見てみたい。
日本有数の歴史を誇るこのデジタル地図帳のシリーズは、既に初版から20年以上の更新を重ねており、古い版はそろそろ考古的趣味の世界を照らし始めているのである。(↓)
@ 令和5(2023)年 | |
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A 平成22(2010)年 | |
B 平成12(2000)年 |
@は今年(令和5年)に発行された最新のVer.24の画像だ。
藤原に行き止まりの国道(未成道部分)が描かれていることが興味を惹くが、これは本編でも再三使用した版であり、とりたてて新しく述べることはない。
Aは、平成22(2010)年に発行されたVer.11の地図画像だ。
あまり変化はないが、現地レポの最後に紹介した別所地区の八雲トンネルはこの頃まだ工事中であり、計画線として表現されている。
Bそして注目すべきは、シリーズ最古の平成12(2000)年発行のVer.1である。
このバージョンまで遡ると、平成7(1995)年の大阪人文社県別広域道路地図に描かれていたものとおそらく同じ旧計画ルートが計画線として現れる!
しかも、幻となった2本のトンネル付きで!
このトンネルが描かれているのは、想像を掻き立てられるなぁ。
実際に建設されることがなかった、2本のトンネル……。
その雄姿を、敢えて最新の地形図上に再現してみたのが、次の図だ。(↓)
この図に青線で描いたのが、これまでで最もリアルさをもって再現された旧計画ルートだ。
もちろん、今回探索した藤原地区の未成道(終点の先で発見した“飛び地”部分も含めて)は、この計画ルート上にあるし、最後に訪れた別所の【八雲トンネル前のカーブ】は、やはり計画変更の跡地であったのだ。
旧計画ルートは、あのカーブを直進してそのまま上っていき、おおよそ400mで長さ200mほどの1本目のトンネルへ入る。これを抜けると僅かな明り区間を挟んで、すぐに2本目のトンネル(約400m)を迎える。その先も険しい傾斜地におそらくいくつかの橋を架けながら前進を続け、入口(八雲トンネル前)から約1.6kmで今回探索した“飛び地”の端に到達する。そこから400〜500mで藤原集落の未成道入口に辿り着くので、この一連の計画ルートは2km強の長さであったと思う。
無駄のない直線的で理想的な新道のように思われるが、うち400〜500mの工事が行われたところで、工事中断となってしまった。
次に、平成初期の航空写真を見較べてみたところ、今回探索した未成道が藤原地区に誕生した時期をだいぶ絞ることが出来た。
平成8(1996)年の航空写真には、既に現在利用されているのと同じ国道のルート(図上のA→B→C→D→Eの経路)が登場しており、B地点で分岐する未成道も、今回探索した全ての部分が見えている。
一方、平成元(1989)年版だと、図外の駒返トンネルからA地点までの工事が行われている最中で、D地点のループ構造や、BからCに至る国道もまだない。この時点では単純にA→D→Eと道が繋がっているように見えるが、工事が進むと前述のA→B→C→D→Eの経路になるのである。
おそらくこのB→Cの道路整備は工事の中断と関係しておらず、新国道と藤原集落を繋ぐサービス道路として規定のものだったのだろう。
ただ、これを含むB→C→D→Eという冗長なループの経路が、今日まで長期にわたって国道423号の現道として扱われることとなったのは、工事中断(未成道化)の影響と思われる。
以上の航空写真調査によって、藤原地区に未成道が作られた時期は、平成元年〜8年の間であることが分かった。
すなわち、工事中断の決断がなされたのも、この期間のどこかだ。
平成30年度第4回島根県公共事業再評価委員会議事録より
次に、島根県公式サイト内でこの道路の事業名である「東岩坂バイパス」をキーワードに検索したところ、長期化した公共事業を5年毎に評価して継続の有無を決定する事業再評価委員会の平成30年度の会議録に、本事業が辿った経過を知りうる貴重な発言を見つけることが出来た。
読みやすいよう少し内容を調整して紹介する。原文はこちらをご覧いただきたい。
この東岩坂バイパス、昭和54年度から事業に着手していますが、藤原地区から着手しています。同時期に市境を挟んだ反対側の広瀬町側でも同様に広瀬バイパスという別の工区を立ち上げて、同様に事業を行っています。
事業の着手は、昭和54(1979)年であったことが初めて分かった。
昭和54年といえば、国道432号が指定される(昭和57年)以前であり、この道路は県道で主要地方道松江広瀬線と呼ばれていた。
事業主体は島根県であり、それは今も変わっていない。工事は八雲村(現在の松江市八雲町)の藤原地区からスタートし、広瀬町(現在の安来市広瀬町)側の工区と呼応し、まずは峠を越える駒返トンネルの整備から始めた。
このように昭和に始まった事業が未だ完成していないのは、やはりルート変更の影響が大きかったのだろうが、その原因はズバリこの後に明かされる。
この藤原地区は非常に当時難航し、一つには地すべり地帯などに当たったところで、その対策工事などに事業費と工期も非常にかかりました。何とか平成6年度までにトンネルから左側の部分について1.6kmを供用したというところであり、引き続き、未改良区間に進むに当たっては、やはり同じように地すべり等も推測されたため、一旦こちら側を置いといて、バイパスの松江市側から整備していくという、当時の工区の進め方についてはそのようにやっていったと考えます。
核心キター!
藤原の古老が語った内容を、より正確に表現したのが、この議事録の言葉だと思う。
すなわち、最初に藤原から駒返トンネルまでの区間を建設してみたら、これが地すべり地帯にあたっていて、その対策工事などで想定外に事業費も工期もかかってしまった。どうにか平成6年度にこの区間を完成はさせたが、藤原から下の松江側の工事も同様の悪条件であることが推測されたため、一旦この区間を中断して(ルートや工法を改めて検討することとして)、問題のない松江市側から整備を進めることにした……ということだ。
この中断のために、未成道が生まれたのである。
なお、この時点ではまだルート変更が決まっていなかったようだが、それについては次の発言で判明する。
トンネル計画からループ橋に変えているという説明をしました。トンネルとループ橋を比較した資料2ですが、これは平成15年に国に提出した資料をそのまま付けています。 若干説明しますと、第1案、トンネル案ですが、トンネルの前後の地すべり対策で大規模な費用がかかると推測されました。この3つの案を比較したときに、概算事業費を見ていただきますと、工事費が非常に膨らんで、工期もかかるそのようなことから経済性等で劣ると、ここでは評価をしております。2案、3案は、いずれも今の未改良部分についてループ橋を採用していますが、ちょっと違いがあります。2案はループ橋に至るまでの松江市側部分が、主にバイパスであるか、それとも今の現道を拡幅するのを主でやるかというところの違いであり、この2つについては、少しでも完成したところから供用開始を図り、早期の効果の発現ができるというところで、第3案の現道拡幅案が有利と整理しています。その後、16年度以降のところでは、この比較表に基づき整備を進め今に至っています。
この発言により、旧来のトンネルルートを破棄して、現行のループ橋の計画へ変更したのは、平成15年であることが分かった。
会議の席上では、このときに比較検討された3ルートやその工費がまとめられた資料が配付されたようだが、残念ながら未発見だ。
しかしともかく、工事中断から9年後の平成15年にようやく新たなルートが決定し、16年度からは新ルートに則った整備が進められることとなって現在に至っているのである。
国道432号東岩坂バイパス事業説明資料(平成30年度) より
この図は、平成30年度に島根県が公表した「国道432号東岩坂バイパス事業説明資料」から引用した事業概要図である。
現在も事業継続中である東岩坂バイパスは、全長8.6kmで、これまでに7.3kmが供用を開始している。
供用中の各区間の供用年度が図中に細かく記されているが、先ほどの会議録の内容を裏付けるものになっていると思う。
残る未供用区間は、図に赤い破線で描かれている1.3kmである。
これを見ると、市平橋のすぐ先にループ橋が描かれているので、私が現地で【想像で描いた完成写真】は、案外いい線を行ってそうだ。
そして赤破線の1.3km区間には、おそらくだが、今回探索した未成道区間が、包含されていると思う。
図の縮尺的に断定は出来ないが、地形的にもコスト的にも、おそらくあの未成道を最大限活用して、新たなループ橋へ繋ぐのではないかと思う。そうでなければ、手痛い二重投資となって、ルートを変更してまでコストを抑えた意義が薄れてしまう。
いずれ開通した暁には、未成道がどうなったか再度検証したいと思うが、たぶん【ここ】も復活できるはず……。かわいそうだから、そうであってくれ。
最近の事業進捗度の変化 | |||
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事業再評価年度 | 平成25年度 | 平成30年度 | 令和5年度 |
未供用延長 | 1.9km | 1.3km | 1.3km |
事業費 | 約162億円 | 163億円 | 約190億円 |
費用対効果 | 1.39 | 1.14 | 1.00 |
完了予定年度 | 平成34(2022)年度 | 平成38(2026)年度 | 令和15(2033)年度 |
平成25年度から5年刻みで行われている直近3回分の事業再評価(案)が公表されていたので、そこから事業の現状と今後の見通しの変化をまとめたのがこの図だ。
ぶっちゃけ、きびしさが伝わってきています……。涙
平成28年度に市平橋を含む0.6kmが供用されて残り1.3kmとなって以来、新規開通がない。残りはループ橋だけなのだが、これが大きな事業費を要するものであるために、なかなか着工できないように見える。
そのため完了予定年度(=開通の見通し)は繰り延べをくり返しており、最新の令和5年度の事業再評価案では、開通まであと10年近く要するということに……。
だが、そうしているうちに(理由は書かれていないが)事業費は拡大し続けており、そのせいで費用対効果も悪化を続けており、令和5年度版ではついに事業継続判断のギリギリ下限値である1.00に払底してしまった。
このままだと、次の令和10年度の事業再評価時には……ぅぅ……怖い…。
なお、令和5年度版は、残事業の進捗について次のように書いている。
現在、残る別所地区(1.3q)を測量設計中であり、早期工事着工に向け、事業を進めている。
この文言も、前回の平成30年度版と全く同じなんだよなぁ……。
不安だ。
――というわけで、最後にちょっと怖くなってしまったが、信じて待つことにしよう。島根県の頑張りを!
ぜひ皆さまのこの道に対するご意見ご感想を、下のコメント欄にご投稿下さい。お待ちしております。