主要地方道31号 浪江国見線 霊山不通区 第4回

公開日 2006.05.03
探索日 2006.05.04

誤算の連続 その先にあったもの

県道のあかし

06/04/24
14:34

 主要地方道浪江国見線にて、もはや私の苦戦は決定的な状況となっていた。
事前には想像していなかったほどの、猛烈な急坂が続く。
そして、最大の誤算は、山チャリストにとって最大の必需品である飲料水の不足。
 ここがかつて車道であったことは路面に微かに残る轍により明白であるが、非力だった昔の車がどうやって登っていたのか、私には想像できない。
いち早くこの道をWEBへ紹介した『sunnypanda's ROADweb』独自の調査に因れば、この車道はかつて霊山へアンテナ基地を建造したときの資材運搬路に端を発するのだという。
普通の峠越えのような発想で生まれた道ではなかったようだ。



 過酷な上り坂は、あっという間に私を阿武隈高地の多くの山々の標高よりも高いところへと押し上げていた。
霊山閣で約400mであった海抜は、そこから0.7kmほど進んだ辺りで、もう500mに達する。
霊山山域の最高峰は800mをやや超えるが、このペースで進めばやがて山頂にも到達しそうな勢いである。
上るにつれ、道の左右は急な斜面を持つ雑木林として落ちこみはじめる。
気が付くと、私は稜線上にあった。
南側の視界が開け、そこには霊山独特の岩峰の連なりが、目線とそう離れない高さに見えた。



 見上げるような急坂は、断続的に、何度も何度も出現した。
そして、そのいくつめかの坂は、うんざりした眼差しを路面に導かれるようにして上へ向けた私に、新鮮な驚きと、その先には何かがあるのではないかという漠然とした期待とをもたらした。
 掘り割りとなったその急坂の上には、幹と太い枝だけを残し骸骨のようになった巨木が立ち尽くしていた。
かつて在りし日には、その木陰は登山客の汗を冷やし、さらに昔は旅人の目印になっていたかもしれない、大きな大きな木である。



 巨木の先は小さな広場となっていた。
そこには、「一の鳥居跡」と書かれた案内板が立っている。
この登山道が中世にはそのまま、東日本最大規模の山岳寺院の、その参道であったことを思い出させられた。
だが、如何に荘厳な鳥居がそこにあったといえ、今日残るものといえば、この立て看板と、あとは先の巨大な枯れ木だけである。

 また、この案内板によれば、この地点は出発地の霊山閣から780m地点。そして登山道上の次の地点である「日枝神社」まで900mの地点である。



 よく見ると、傍には別の案内板。
おそらくは現在の案内板が立てられる前に使われていただろうもの。
色褪せ、錆び付き、辛うじて「霊山閣」の文字と、矢印が読み取れる。
白地に青文字で書かれていたのか、どことなく道路標識にも似た配色に見える。




 あれ、落ち葉のあいだから、なにか黄色いキノコが出てる。


あ?



キノコじゃねー!

これは「44」kmポストだ!!

県道現役の紛れ無きあかしだ!!



 この発見には興奮した。
なにせ、私は数時間前に、不通区間を挟んだ反対側、紅彩館の傍でこれと同じ形のキロポストを見ているのだ。
そこには、「40」の文字がペイントされていた。
このキロポストの出現には、とても意義深いものがある。
ひとつは、ここが現役の県道であるというもっとも確実な証しであると事。
そして、辿るべき残りの不通区間が、4kmを切ったという事実である。
残念ながら、後者の達成は殆ど絶望的なのであるが……。
 



分岐を特定せよ!

   さて、登山道をこのまま走っていってよいものではない。
地形図上では、登山道も、県道も、ある地点から共に点線となって描かれているのだが、この点線に変わった道のうち、一方は登山道で、一方が県道ということになる。
この分かれ道については、現在まで明確な情報が無く、行き当たりばったりで特定せねばならない。
今回の探索の中で、もっとも私が気を遣った部分である。
そもそも、この情報無き分岐地点の特定に手こずることを考えた上で、不通区間の入口が判明していると思われた南側から、当初アプローチしたのであった。
だが、その作戦に失敗した今、この西側からの入口特定を果たせなければ、完全に命脈は絶たれることになる。

 私の焦りと緊張は想像を超えるものがあり、余計に喉が渇くのであった。



   「一の鳥居跡」を過ぎた県道は、序盤の猛烈な登りは一旦息を潜め、なんとか自転車を漕いで進めるような常識的な上り坂となった。
よくぞこのような場所に道を作ったと思わせるような、稜線上の狭い平地を選んで道は続いている。
この日は日曜日であったが、はじめに遇ったオヤジのほか、誰に出会うこともなく、静かな落ち葉の道をじっくりと、出来るだけゆっくりと、汗をかかないように、水分を失わないように進んだ。



   やせた尾根から再び斜面に取り付いての急坂が始まった。


 ……またか。



   そして、行く手にはまるでボブスレーのコースのような掘り割りが続いている。

 ちなみに、現在は徒歩以外通行禁止のこの道だが、数年前まではバイクやジムニーのような軽四駆車が進入していたと考えられている。
確かに、彼らにとってはまたとない実戦的で、エキサイティングな現役県道であったことだろう。



 そして、地図にも描かれている小刻みな九十九折りが出現。
カーブの先端部がもっとも勾配が厳しいという、九十九折りとしてはもっとも出来の悪い線形である。
洗削された内側の凹みには深く落ち葉が堆積し、道の中央部には巨石が頭を出している。
言うに及ばぬのは見ての通りの殺人的な勾配。
現在では、如何なる4輪車も通行できないだろう。



   振り返って撮影。

 ちなみに、道の端にある白い壁はこの道独特の法面施工で、単純に組み合わされた金属の板と鉄パイプで崖の崩壊を抑えている。



 いま超えた九十九折りは、重要な現在地の特定材料となる。
私は、このカーブを起点にして、登山道と県道との分岐地点を特定しようと考えていた。
よって、この先の私は今まで以上に慎重に、小径ひとつ見失わないよう心がけた。

 そして、進むにつれ私の緊張感は高まっていった。
もし、ここでも分岐を特定できなければ、今回の私の霊山探索はこれで終わりとなる。
一定の成果は上げたが、それは過去にsunnypanda氏によって調査・公開された内容の再現でしかない。
なんとしても、点線となった県道を、特定し、その現状を確認したかった。



   時刻は午後3時をまわった。
木々のあいだから射し込む光は、まえより明るさを増しているように見える反面、肌に感じられる温かさは一時のものでは無くなりつつあった。
冬から見れば格段に日は長くなっていたが、そこに近付いている夕暮れ、そして夜を、意識せざるを得ない時間になっていた。
そして、リュックの中にはペットボトル半分以下の「おーい!お茶」と、遂に飲み干してしまった「カムカムフルーツ」の空きボトル。

 最近の、よく制御された山チャリではあまりなかったイレギュラーが、幾つも発生していた。
 そうだ。
思えば最近の山チャリは、そう遠くない場所に置いた車を起点に行われることが多かったから、大きなイレギュラーの発生は少なかったのだ。
家から直接何百キロも離れた土地で、ベースキャンプを持たずに探索していた一年前からは考えられないほど、車の入手は自身の探索環境を充実させていたことを理解した。

 そして、久々にこのとき、その恩恵から遠い場所に自身がいることを知ったのである。
臆病になってしまったのか、私はそこにいい知れぬ不安を感じていた。



   ピンと来るものがあった。

 ここだ。

 ここが、求め探していた分岐に、違いない。


 時間的にも、もはやミスは許されない分岐地点の特定。
私は、その先を少しも確認することなく、この写真の分岐地点を、目指す県道の入口であると、特定した。


 この決断の正否が、即、この探索の価値を決めた。



   分岐地点は、ご覧のカーブの突端である。
写真は、県道の入口を背にして、左側がいま来た道、右は霊山山頂へ続く登山道である。
地図ではこの地点を境にして、県道も、登山道も点線として描かれるが、登山道の側へはまだなお、轍の痕跡が続いているようだった。



   これが、真の不通区間の、入口。

 おそらく、いまだかつて一度も車が通り抜けたことのない道。
もしかしたら、あらゆる車輪の付いた乗り物は通り抜けたことが無いかもしれない。

 私は、大きな不安を抱えたまま、その第一歩を踏み出すのだった。
さしあたっては、飲料の少なさが一番の不安材料であった。
実際に山歩きをする人にはよく分かると思うが、山歩きで水分が不足することは、本当に命に関わる。
霊山閣のすぐ手前にあった水場以来、ここまで一度も流れる水を見ることはなかった。稜線上の道では無理のないことでもあった。
そして、この先にも、水場がある保証は全くない。
それでも進んでみようと思える唯一の拠り所は、ここまでの道が大変な上り坂ばかりで、いざ引き返すとなれば比較的容易に水場へと辿り着けるだろうという打算だけであった。



 いざ、チャリで踏み込んでみると、その道は思いのほか、快適な、もしかしたらもしかするような幻想?を抱かせるに、十分な道であった。

 だが、自分で言うのも何だが、それなりに多くの廃道を体験してきた私は、そこまで楽天家ではない。
なんと言っても、この不通区間の辿り着く先を先に見ているのだ。
そして、そこに道など無いと言うことも、この体で確かめてしまっている。

 これは、に違いないのだ。
奥まで誘い込んで、そして、終わるという、最悪の罠……。

 ただ、残念なことに私には、それが罠と知りながらも、それを避けつつ確かめる術がなかったのである。


            (いよいよ、始まる)