2023/4/11 8:28
この地図は、全国地価マップで見ることが出来る大縮尺の地図(住宅地図ベース)に、現在地の書き込みや着色を行なったものだ。
濃い赤線の部分は、元の地図には存在しない道であるが、私はいまそこにいる。
足元には小さな石垣の残骸(石垣C)があり、この先の進路上にはさらに石垣BとAがあるとの予想を抱きつつ、一連の道の踏破を目指しているところだ。
しかし、このような非情な険しさが早速行く手を阻んでいる。
奥にコンクリートの落石防護擁壁が設置された平場があるが、あそこが竜東線の路面の名残なのだろう。
他に平らな場所がないので、消去法的にそうならざるを得ない。
だが、そこまでの僅かな距離の間に、道形が明瞭に杜絶している部分があり、そこは切り立った岩場を掴んで移動する必要があった。
こちらは同じ位置から撮影した全天球画像。
ややのっぴきならない道の様子が、分かりやすいと思う。
ここは越えられても、なんとも先が思いやられる感じだ……。けれども、同時に凄くワクワクしている私もいる。有名な秘境駅の知られざる裏側を覗くような感覚だ。俯瞰だとほとんど【このアングル】でしか観察されてこなかった田本駅の新たな景色を発掘できるかも。(さっき、駅の下の斜面を下りた時も同じことを感じていた)
8:30
辿り着いた。
落石防護擁壁が置かれた平場へ。
もともと広くはなかった道幅の大半を、台形断面の巨大な擁壁が占拠しており、これを建設した時点で既に竜東線という道の維持が全く考慮されていなかったことが分かる。建設の具体的な時期は定かではないが、少なくとも三信鉄道の開業当初は竜東線が維持されていた記録があり、構造物の外観的特徴から見ても、おそらく昭和40年代以降ではないかと思う。
いま来た道を振り返る。
一見、駅のホームに通じる1本道の通路に見えた部分に、実は明治以来の旧道が隠されていたという展開は、とっても私好みだ。
事前に竜東線という道の存在を意識して探さなければ、なかなか気付けるものではなかっただろう。手前味噌で恐縮だが。
とはいえ、最近ここを私しか歩いていないかと言われればたぶんそんなことはない。いま越えてきた斜面全体に、最近行われた刈払いの痕跡があったから。お陰でこのように見通しが良い。
いきなりだが、これは無理だ。進めない。
遠目に見てもそんな予感はしていたが、擁壁の外側は、あまりにも足元が狭すぎて、突入は自殺行為だ。
足元が綺麗ならまだ検討の余地くらいあったかも知れないが、灌木や落葉が盛大に邪魔をしている。それで万が一バランスを崩した時に掴める凹凸が全くない壁沿いを歩くのは、無謀だ。
10mほど先にはホームに通じる梯子が見えるが、まずあそこまで行く気がしない。
無理。
となるともはや、ここしかない。
この隙間。
普段、道路を道路として利用している限りにおいては決して入り込むことのないこの位置のスペースは、全ての落石防護擁壁に存在する。
そこは地山と擁壁の隙間であり、受け止めた落石をポケットするためのスペースだ。つまり擁壁にとって必要な空間だ。
ただ、繰り返しになるが、そこは本来通行されることを想定したスペースではないので、どんな段差があるかは分からない。通れる保証はないのである。
が、この場面においては、この隙間の通行可能性に賭けるしかなかった。
すっご!www
なんか通れるわwww
高さ4mはある高い壁と、もっと高い切り立った岩場の間に、平均幅70cmほどの通路が、秘やかに貫通していた。
意外に落石は少なく、代わりに大量の落葉が足元を膝まで埋める。幅が狭いところは、身体がどちらかの壁に擦られたが、通ることはできた。
そしてこんな異相の空間ではあるが、かつてはここが道だったのだ。大勢の人や牛馬が日々行き交う、大切な県道だった。
並行する鉄道が整備され、やがて廃道となった道の跡地を活用して、駅ホームと線路と落石から守るこの巨大で長大な擁壁が建造された。
まるでオブローダーによって発見されることを待っていたかのような“壁裏の隠し通路”だが、途中に曲折があり、全体を見通すことは出来ない。
何度狭いところで身をよじらせながら進んでいくと、やがて終わりが見えて来た。全長は100mくらいだったろうか。結構な長さだった。
そして結果を見れば、この壁の存在は、探索を進めるうえで大いに助けとなった。転落の危険や恐怖を回避しつつ前進できたのである。
まもなく出口というところには目印のピンクテープがぶら下げられていた。
こんな空間にまで鉄道施設の一部として管理者の目が届いていることに、改めて日本の鉄道に対する安全意識の高さを思った。
8:33 《現在地》
壁から解放されると、眼下の景色が一気に開け、自分がどんな場所にいるかということを再確認できる。
足元によくよく注意しながら、岩の上から覗き込んでみると……(↓)
うおーーー!! 田本駅の新たな俯瞰だ!
脚下20mの鉄路と、さらにその30m下を流れる天竜川。
それらを全て抱き込んで、北彼方より南彼方へ世界を切り裂く大峡谷。
最高に、カッチョイイ眺めだ!!
……これもまた、竜東線を旅した昔人たちが眺めた景色なのだろう……。
再びまみえることが出来て……嬉しい。
駅を見下ろす展望台のような突角を過ぎると、道は直ちに樹木の茂る薄暗い斜面へ入っていく。
そしてここではっきりと、私が辿ってきた平場の正体が、かつての道の跡であることを確認できる。
第1回の冒頭で紹介した、現在も村道竜東線として使われている【部分】と同程度の幅を有する明瞭な道形がここにあるのだから。
そしてすぐに路肩を守る石垣を発見した。
これは、線路の傍から遠目に発見済み【石垣B】に他ならなかった。
やはりあの石垣は、道の位置を示すヒントだったのである!
これで、下から見つけた石垣の残りは「石垣A」だけだが……
8:34 《現在地》
見つけた! 石垣A!
なんと! 石積みの長い石階段だ!!
道はここで二手に分れていて、このままトラバースしていく直進路と、左へ降りていく階段があった。
そして石垣Aは階段を形作るものであった。
竜東線としての本線は、きっと直進する道であろう。
それでは階段の正体はッッ?!?!
田本駅の旧出入通路であろう!
幅2mほどの石段は、駅のホームがある方へ一目散に降りていっている!
これが田本駅のかつての出入通路であったとすれば、なかなか貴重で重要な発見だと思う。
秘境駅としての高い知名度を誇る田本駅の訪問記において、当駅のバリアな孤立性を印象付ける存在としてしばしば紹介される【現在の階段通路】は、実は駅開業当初からのものではなかったということになるのだ。
昭和10年の開業当初は、この長い石階段こそが、田本駅と竜東線を繋ぐ唯一の通路だったのではないか。
開業当初の道路名は府縣道満島飯田線。駅と県道がこの階段で結ばれていた。
現在の通路へ切り替わった時期は不明であるが、竜東線の廃止から落石防護擁壁の設置にかけて、途中のどこかの段階でこの通路は使えなくなったはずだ。
もし読者様の中で、この階段を利用した心当たりがある人がいたら、ぜひ利用時期を添えてお知らせいただきたい。
あるいは、古い駅訪問記などで、この階段を利用したと思われるものをご存知の方も、ご一報下さい。
階段を下りきると道はそこで消えてしまうが、そこからホームまでは簡単に降りられる緩やかな草むらの斜面だ。
さらに斜面とホームとの間に落石防護柵が立ちはだかっているものの、その一部は、まるで旧通路が存在した名残りでもあるかのように、通り抜けられる配置になっている。
その隙間も現在は簡単な鉄柵で塞がれているが、構造的に通り抜けられるように造られていることは見逃せない。
もっとも、これらの防護柵は、ホーム上にある待合室とともに、それほど古いものには見えない。したがって、通路の位置が変更されてからのものかもしれない。
田本駅の開業当時の構内写真でもあれば良かったが、残念ながら未発見であるため、このへんの時系列は正直分からない。
だとしても、発見された石階段が、かつて駅への出入りに使われていたことは、ほぼ間違いないと思える立地だった。
ホームにいる時は、この旧通路を全く認識していなかったので、適切な写真を撮れていなかったが、待合所の脇からこの矢印のように進むと、石階段が待ち受けている。
かつて田本駅の利用者は、このような動線で出入りしていたものと考えている。
土地に深く根付いた色を見せる、苔色の階段。
かつて田本駅に降り立った人々は、この景色から各々の旅路へ分れていったのだろう。
ここは根っからの秘境駅ゆえ、昔から利用者は多くなかったろうが、それでも長い年月に歩き刻まれた記憶は数多であろう。
少なくとも、三信鉄道として晴れの開業を迎えた日を、この石段は生まれたての姿で見守っていたと思う。
この景色を見ていると、小さな駅の失われた記憶に触れるような心持ちがした。
本階段の発見は、今回のレポート範囲において、私が最も声を大にして報告したい“成果”であった。
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