道路レポート 旧県道満島飯田線 “竜東線探索” (田本〜門島 区間) 第1回

所在地 長野県泰阜村
探索日 2023.04.11
公開日 2024.01.20

※このレポートは、“竜東線探索シリーズ”の一部です。竜東線全体のプロフィール紹介は、扉ページをご覧下さい。

《周辺地図(マピオン)》

明治33(1900)年に、天竜川の大峡谷を切り開いて開通した、飯田〜平岡を結ぶ枢要里道竜東線
大正12(1923)年には早々と県道へ昇格し、府縣道満島飯田線となった(図の赤線の位置)。

開通当時は多数の通行人で賑わったが、昭和7年から11年にかけて並行する三信鉄道(昭和18年に国有化されて飯田線となる)が開業したことで交通量は激減。鉄道隣接のため拡幅が困難であったことや、下流区間が平岡ダムに水没したことから次第に廃道化していった。そのため昭和25(1950)年に長野県は府縣道満島飯田線のルートを図の赤線の位置から緑線の位置へ変更。昭和41(1966)年には路線名も変更され、現行の県道飯田富山佐久間線(の一部)となった。

本編は、明治期に竜東線として整備され、後に廃道化した、飯田市竜丘(時又)から天龍村平岡(満島)までの約25kmにも及ぶ道路のうち、泰阜(やすおか)村内のJR飯田線田本(たもと)駅から門島(かどしま)駅までの一駅間を表題としているが、まずは田本駅から約700m北にある大恵曽(おおえぞ)集落までの短区間で一区切りとする予定だ。(今後もこうして小分けに紹介していく予定)



まずは、この区間の起点となる田本駅wiki)について言及したい。

ここは有名な秘境駅で、2023年度版の秘境駅ランキングでは第5位に認定されている。飯田線内では大和田駅に次ぐ高順位だ。
秘境駅のオーソリティである牛山氏は、「これはもう、崖の途中に無理やりホームを貼り付けたようなものであり、あり得ないほどスリリングな駅であった」と、ご自身のサイトで表現されている。

図はこの駅の周辺の地理院地図だが、確かに駅は崖の真っただ中にある。駅の前後はトンネルであり、前面は取り付く島も無さそうな天竜川へ落ち込む。残る背面も、高度差200mの急斜面で最寄りの田本集落と画されている。急斜面を縫って駅へと通じる道が数本あるが、いずれも駅の傍では「徒歩道」の表現をされている。事実ここは自動車が横付けの出来ない駅である。

日平均利用者数も一桁代前半であり、既に鉄道駅として地域交通に寄与するところは極めて薄いと言わざるを得ないが、強烈な秘境駅であることに価値を見出す人も少なからずいて、それ用の観光列車が運行されていたりする。したがって当サイトの読者に限って言えば、意外と訪問経験者は多いかも知れないと思ったりする、そんな駅だ。

地理院地図に話を戻して、図中赤く着色した部分の「徒歩道」は、現在では残り僅かな、竜東線の生き残り(廃道ではない区間)である。そのことは現在の村道としての路線名にも現れていて、泰阜村道134-4号竜東線という。

しかし逆に言えば、この図の範囲内ではここにしか竜東線の名残は描かれていないのである。本来は、線路沿い、あるいは天竜川沿い、そのどちらも正しいが、とにかく図の南北を貫通するように竜東線が通じていたのだ。



@
地理院地図(現在)
A
昭和41(1966)年
B
昭和26(1951)年
C
明治44(1911)年

かつて存在した竜東線の姿を確認するために、4世代の地形図を準備した。
@の地理院地図から時代を遡りながら変化を見よう。

Aは昭和41(1966)年版で、@とあまり大きな違いはない。田本駅や大恵曽集落へ行く道が描かれておらず真に孤立しているが、これは縮尺の都合もあったろう。
私が赤く着色した道路が、当時の県道満島飯田線だった。

Bは昭和26(1951)年版で、赤く着色した位置に線路と並行する形で1本の「町村道」が描かれている。この前年の昭和25年までは府縣道満島飯田線だった元の竜東線である。 竜東線という道が、いかに川と山と線路に挟撃された狭いところにあったかが分かるだろう。この特徴は、以前紹介した上流の金野駅〜千代駅間を含めて竜東線の全区間に共通する。
そしてこの地図で、田本駅周辺の竜東線が常に線路よりも低い川側に描かれていることは、今回の探索の重要なヒントとなった。

最後のCは明治44(1911)年版で、鉄道の建設以前、川沿いに竜東線だけがあった時代を描いている。Bとほとんど同じ位置に、赤く着色した枢要里道竜東線が存在している。
これを見る限りは、鉄道の建設が竜東線のルートを変化させた様子はない。

ところで、AとBでは駅や線路の位置がずれているが、線路や駅の移転などは起きていない。図中の三角点の位置を合わせた結果こうなったので、単純に地図表記の精度の問題だと思う。



旧版地形図を使った探索の予習は以上だ。
竜東線捜索のポイントは、田本駅のホームより下側に、かつての竜東線の跡が廃道となって残っている可能性が高いという点である。
これまで多くの秘境駅ファンが訪れながら、未だ報告されたことが(おそらくない)竜東線の実在を現地で明らかにし、田本駅がかつては県道隣接の駅であったことを実証することが、この小区間(田本〜大恵曽)での第一目標である。

いざ、田本“駅ちか”よりレポート開始!



 秘境駅ランキング2023 第5位 田本駅


2023/4/11 8:03 《現在地》

田本駅からではなく、その250m手前の「村道134-4号竜東線」上からレポートを始める。
現在、田本駅に鉄道を使わずに訪れる道は2つあるが、そのうち多く利用されていると思われるのが、天竜川対岸の阿南町北條の川田地区から竜田橋を渡ってくるこの道だ。竜田橋手前まで車が入る(舗装路だが駐車場はなく道も狭い)のと、駅までの高低差が比較的に小さいので、後述するもう1本の道よりは事前情報なしでも(地図さえあれば)訪れやすい。竜田橋から駅までの500mは、この写真のように狭い山道だが、擬木コンクリートの手摺りや案内板が整備されているので、ちょっとしたハイキング感覚で歩けるだろう。

前述の通り、この道こそが明治由来の竜東線の数少ない生き残り区間なのだが、一見して分かるとおり、自動車による交通は一度も受け入れたことのない道幅だ。しかしこれでも昭和25年までは府縣道満島飯田線と呼ばれる重要な道であった。(この地点より温田駅側は、竜田橋を含めて別のレポートでいずれ紹介予定)



ちなみに私が田本駅を訪れるのは今回が初めてで(電車で通過したことはあるが)。
少し前に駅まで250mの看板を過ぎているので、そろそろ駅が現れても良い頃合いだと思うが、この写真の通り、まったく、駅どころか平らな場所も無さそうな景色を歩いている。
左は天竜川の青い水面に落ちる高さ40mくらいの崖で、樹木こそ密に生えているが入り込む余地は全くない。
反対の右側も同様の急斜面が空へ突き上げている。
景色中に人煙を全く見ない。

なるほど、これが“全国5位”のパワーかと、これより上位の尾盛駅(第2位)と小和田駅(第3位)の訪問経験者である私は思った。(同日中に第6位の金野駅にも行く)
マジで、こんなとこに駅があんのかよ? って、スゴいワクワクした気持ちになってきてる。



8:06 《現在地》

おっと! 何やら一気に賑やかに!

前方、巨大なコンクリート構造物が出現。
同時に、分岐も現れた。
石垣で形づくられた分岐の傍らに白い大きな標柱があり、「鉄道防備林」と書かれている。
駅に先駆けて、駅があるなら当然あるべき線路が山肌を破って現れたのだ。
コンクリート構造物の正体は、トンネルの坑門の上部工である。

先に分岐を見ておこう。
実は私もさしたる予習はしていなかったので、探索後に仕入れた知識も踏まえて書くが、この分岐を右へ折れると、駅名の由来となった田本集落へ通じている。



前述した、田本駅に通じる2本の道の残り1本が、この道だ。
こちらも村道であり、その名も泰阜村道33号田本停車場線という。
まるで県道にありそうな路線名だが、名前の通り、田本駅と最寄りの田本集落を結ぶためにある道だ。

見ての通り、一応は(ボロボロの)舗装をされているのだが、道幅は1.5m程度しかなく、勾配も階段同然の部分があるので、やはり車道ではない。田本集落まで800mほどだが、この間で150m近くも上る。上った先は直接県道1号のここに出る。県道側には小さな「田本駅」の案内板がある。
この村道は新旧の竜東線(昭和25年に県道が切り替えられる前後の道)を繋ぐ役割も果たしているが、なぜか歴代の地形図には一度も描かれたことがない。



これは最新の地理院地図だが、ここにピンク色の破線で描き足した道が村道田本停車場線だ。
道の存在さえ知っていれば田本駅へのアクセスに使えるが、竜田橋から来るよりも距離と高低差があるうえ、そもそも地形図に描かれていないために、ネット上で事前知識などを得ていないと使いにくい。

一方でこの地理院地図には、ピンク色でハイライトした位置に、駅と田本地区を結ぶとんでもなく急坂そうな徒歩道が描かれている。
しかし、この道は現存しないと私は思う。これが地図の単純な誤記なのか昔はあった道なのかは分からないが、もしこちらの道を経由して田本駅を訪れたという人がいたら教えて欲しい。
ともかく、これらの地形図の問題から、田本駅は田本集落には繋がっていないと信じられていた時期もあったようだ。


田本駅への2本の貧弱なアクセスルートの紹介を終えた後は、いよいよ本題である、竜東線の続きに存在する田本駅を紹介する。
駅そのものについては既に様々な媒体で紹介されているはずだから、私としては竜東線探しに焦点を当てるが……
前述のどちらの道から来た場合も、最初に飛び込んでくる駅の眺めは共通だ。これである!↓



これは確かに、「崖の途中に無理やりホームを貼り付けたようなもの」だな。

トンネルとトンネルの間の短い明り区間のカーブ上にえらく狭い片面だけのプラットホームがある。
ホームはあるが、駅舎はない。改札もない。
周囲には、ただ一軒の人家も、一欠片の車道も、見えない。
狭いホームの背後には、ホーム幅の10倍は高いほぼ垂直の法面があり、その圧迫感たるやちょっとしたダムのようだ。
反対の川側にも平らな場所は全く見えず、本当にただ、崖の途中に片面1線のホームがある駅だった。

なぜこんな場所にわざわざ駅を置いたのかと思うような立地だが、三信鉄道がこの区間を開業した当時からある。
昭和10(1935)年の開業当時は旅客のみを扱う停留所(三信鉄道は昇降所と呼んだ)だったが、昭和18年の国有化と同時に駅(停車場)に昇格して今日に至る。なお、当初より無人だった。

当駅が開設された経緯について、『泰阜村誌』に以下のような記述がある。

村内駅の会社側の設置計画は2駅1昇降所(門島、温田、西唐笠)であった。村は地域の地勢上この3ヶ所のほかに金野、田本、我科への昇降所設置を陳情した。{中略}田本昇降所設置に当たっては土地の無償提供のほか、奥地や対岸大下条村方面の協力を得てそれぞれ設置がきまった。

よって一種の請願駅のような形で、泰阜村側の三信鉄道に対する働きかけによって設置された駅だったことが分かる。その際に村は用地を無償で提供したとあるから、通常の土地利用が難しい急傾斜地を提供した可能性がある。また、対岸の村からも協力を得たとのことで、竜田橋との位置関係も重視しただろう。とはいえ、全体的にどこもかしこも険しいうえトンネルが多いので、あまり選択の幅はなかったと思う。



この強烈に狭いホームへ向かって、険しい地形と鉄道構造物の隙間を縫うように通路が延びている。
急な青空階段でトンネルの脇を下りていく。道と駅の途中に、駐車場とか駐輪場なんてものはもちろんない。車で来る前提がないのだ。

しかし、私にとってはたいへん困ったことに、この狭い土地を占拠している駅のせいで、私をここまで連れてきた竜東線の行方が、すっかり不明となってしまった。

冒頭に述べたとおり、旧地形図では明らかに線路よりも下に竜東線の道が描かれていたが、すんなりとそこへ行ける道がない。
ここで道の繋がりが断たれてしまっている可能性が大だった。
とりあえず旧地形図を信じて、線路下の斜面を調べる必要があるだろう。



とりあえず、一度は田本駅のホームまで下りてみよう。
ホームへ行く通路は一本道で、迷うところはない。
まずは、このトンネル坑門裏の狭い隙間を通ってから(こんなところを通らされるのが既に変だけど、笑)、直ちに直角左折して急な下り階段へ……。



階段を下ったところで振り返った。
右に見えるトンネルは、田本第2トンネル。
物々しい鉄柵が通路と線路空間を隔てているが、これは落石の飛び込みを防止する目的が大だろう。衝撃時には列車に自動で警報が発令される落石防備装置が柵全体に張り巡らされていた。どうせならこの柵で駅の利用者も一緒に守って欲しい気もする(苦笑)。



うおーっ! タイミング?!

ホームに降り立った直後、ちょうど背後のトンネルから列車が近づいてくる音がした。普通列車なので田本駅にも停車する。が、乗るつもりのない私はちょっとドキマギ。ホームに突っ立っていたら早く乗れと思われそうで、一旦階段まで待避して身を隠しつつ発車を見守った。当然のように乗降者数は0だった。
その一部始終を撮ったのが、この動画だ。

ここは全国屈指の秘境駅ではあるが、探索当時のダイヤだと上り下り合わせて日に17本の列車が停まるから、そこまで乗り降りがしづらい駅ではない。問題は、乗る前と、降りた後だ。



ホーム中央付近で撮影した全天球画像。
“黄色い線”より外側が半分以上を占める、恐ろしく狭いホーム。
背中を圧迫してくる、異常に高い法面。
見渡す山並みに、人家も道路も全く見えない。
そんな中に、駅がある。
ここは、天竜大峡谷の小さな駅だ。



8:12 《現在地》

カーブのせいで、最初に駅を見下ろした場所からはほとんど見えない、小さな待合室。
ホームの飯田側の端にだいぶ近いところにある。
これを設置するために、ちょっとだけ山側に擁壁が凹んでいるのが芸コマだった。地形を上手く利用していた。

なんか、大自然の真っただ中にいるのに、手の届く場所にはコンクリートしかない感じは、青ヶ島青宝港に通じる印象。現代人類が極限的な地形を克服しようとすると、最後は必ずこういうコンクリートの棺桶(これを私は「土木の石棺」と呼んでいる)に行き着くようだ。



扉のない屋根の下にベンチだけがある待合所だが、秘境駅名物の駅ノートが常備されている。
かなりよく利用されている様子だったので、記念に気になった1ページをパチリ。
「リアじゅう」をページ一杯に概算135回書いた彼?のリアルがいまどのくらい充実しているのかは、あまり気にならないところだろう。(うん)



もう一つ、私の中の地味な秘境駅名物である、緊急時避難指定場所の表示もあった。
これはJRの大抵の駅にあるが、秘境駅の場合、なかなか強烈な避難路がガイドされていることがあって面白い…………んだが、今回もやってますね。
指定避難場所の泰阜中学校グラウンドまで、約2kmで徒歩30分となっているが、ココにガイドされている道は(前述の通り)一部実在しない(と私は判断している)もので、この通りにはたぶん歩けないぞ。
そもそも、中学校のグラウンドまでは駅からだと200mも上るので、30分で行けるのは相当の健脚だけだろう。

万が一、この駅にいる時に大きな災害に遭ったら、おそらく電車は当分来なくなるだろうし、周囲の歩道も簡単に寸断されてしまいそうだから、本編が紹介する竜東線を知っている人間だけが脱出に成功するようなシチュエーションがあるかも知れないが、現実的には安全が確認できるまで下手に動かない方が良いだろう。



8:24

それから、線路の下の斜面に入り込んでみたんだが……。



やっべーほど切り立っていて、とてもじゃないが、道など皆無!

そう判断せざるを得なかった。

旧版地形図だと、明らかに線路よりも下に竜東線は描かれていたが、それは間違っている可能性が高いという現実を受け入れざるを得ない。

あるいは、線路よりも下ではなく、今の線路と同じ高さに竜東線があったという可能性も考えた。
しかしその場合、駅の前後のトンネル部分には、トンネルを迂回する竜東線の跡が、線路と同じ高さにあると思うが、そういう痕跡も見つけられなかったのだ。
探したけど見つからなかったという約10分間の過程を、逐一紹介しても冗長なので省略して、この結論だけを述べた。


なら、竜東線はどこに行ったの?



ホーム下から、竜東線の痕跡を探してキョロキョロ。
線路より下にも、同じ高さにもないなら、残るは上ということになるが……。
う〜〜〜ん………… 

んっ!

ある。

いま気付いた、駅の背後の斜面、ちょうど待合室のすぐ後辺りにある、石垣の存在に。
石垣だけなら、駅を守るための治山的なものかとも思うが、それは斜面を斜めに横断していて、いかにも坂道っぽい。
仮にこれを、「石垣A」と名付ける。

この発見に勢いを得た私は、そのままホーム背後の斜面の各所を、線路下のポジションから遠見に観察したところ……



別の石垣も発見!

こちらは仮に「石垣B」と名付ける。

先に見つけた「石垣A」よりも明らかに高い位置にあり、線路から見て20m近くも高いと思う。
もしあれが竜東線だとしたら、旧版地形図の表記よりだいぶ高いと思うが、当時の地形図の正確性を考えれば、あり得ないことではない感じがする。

ただし……、あそこは簡単に見に行けるような地形ではないかも……。
駅の背後の斜面は、ダムみたいな巨大なコンクリート擁壁に支配されている部分があり、とにかく険しいのである。



いま見つけた2つの石垣を結ぶように道があるとしたら、こんな感じか?(→チェンジ後の画像)

ホームからは「石垣A」の方が「B」よりも遙かに手近で行きやすかったが、この時の私はなんとなく次の目的地を「石垣B」に定めていた。
そこに行ければ、自然と「A」にも行けると思ったし、これまでの下流→上流という探索の流れに固執したというところも、少しあった。


「石垣B」へ行けそうな場所があるとしたら、あそこだよな……(↓)



最初に降りてきた階段のところ……

もしあそこを降りずに、そのままトラバースして進む道があったとしたら……


あ!



ある!石垣!

見えてきたぞ〜〜。

田本駅に隣接する竜東線の本当のルート!!

行ってみよう!

まずは階段を駆け上って……



ここを直進する道があったのか!

なるほど、竜田橋からここまで緩やかに上ってきた道の延長としては、階段を降りるよりも遙かに自然だ。
階段は、田本駅を作った時に、通路として新設したものか。
いまの階段は、そんな古いものには見えないが…。

しかしここ、直進する道が上手くカムフラージュされている。
JRのテクニックだな。
手摺りや自然石の配置だけでなく、その先にこんもりと置かれた伐木の山が、道形と背後の空間を上手に隠してやがった。
もちろんこれは、通常の利用者にとっては、親切なのだが……。

手摺りを乗り越えて直進すると……



…………うーーん。

廃道のベテラン(笑)だけが感じ取れる、仄かな道の気配が、ある!

直前に見つけた石垣も、その一部だったと分かる配置だ。相当崩れてはいるが…。


しかしこれって…、 この先って……




ここを行くんか?!

嫌だぞ〜。秘境駅のホームに謎の転落死体が転がってるのが見つかったなんてニュースになるのは……。
知られざる?竜東線の存在が報道されるきっかけにはなるかも知れないが、これは命を賭すようなことじゃない。

くれぐれも慎重に、いこうね。






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