2020/12/23 12:43 《現在地》
橋の上から見ていたのでは分からないことが、やはりたくさんあった。
谷底の小隧道で踵を返し、入渓地点である剣橋直下へ戻ってきたが、この地点にも旧々道の石垣がしっかり残っていたのである。
引き続いて、もう少しだけ旧々道への寄り道を続ける。
道を見つけた以上、この先の下流側の行方が気になるのは当然である。
旧々道は既に満水位スレスレの位置にあり、今日の湖面はまだ見ていないが、遠からず現われるだろうから、そうすればひとたまりもなく水面下へ没すると思うので、それを見届けたい。
まずは、剣橋、そして新剣橋を潜っていく。
これらの橋を下から眺める貴重な機会である。特に前者は古橋であり興味深い。
剣橋という名前がまず格好いいが、橋台も橋脚も格好いいなぁ……。
昭和5(1930)年竣功(親柱)ないし7年竣功(神石高原町資料)の橋だが、緻密に組まれた黒っぽい石造橋台が特に印象的である。
石材が布積みで組まれていて、こうした型式の橋台としてはかなりの高さを持つ。
なお、橋台前面に三角形の標識板のようなものが取り付けられていたが、おそらくこれは湖面利用者に向けられた航路標識のようなものだろう。
やはり満水時には橋下まで湖になるのである。
橋の真下にも石垣があったが、崩れすぎていて残骸と呼んだ方が良さそうだ。
水から出たり入ったりする立地は石垣の保存環境としては最悪で、荒廃が進んでいる。
土砂の堆積も進んでいて、路肩の石垣はあっても、その上に路面であったはずの平場は見当たらない。
先行きが大いに不安な状況になってきたが、とりあえず剣橋下は通過!
間髪いれず次は新剣橋(平成6年完成、現県道)を潜るが、ここで前方に湖面が見え始めた。今日の水位は満水位マイナス5m程度のようで、特別な低水位というわけではなさそうだ。
そしてこの新剣橋直下には、石垣さえ残っていなかった。
全て崩れてしまったらしい。
だが、垂直に近い一枚岩の下に一人分の幅の歩けるスペースがあり、ここが旧々道の名残であろう。
……こういう具合に、僅かな時間で新剣橋の下までは進めたのであるが……
12:47 《現在地》
道が行方不明!
平場なり路肩の石垣なりがあれば、それらを最後まで辿ろうと思っていたが、どちらもない。
急激にテンションが下がるのを感じた。
直前の状況を考えれば、まだ道は水面下へ入っていないと考えられるものの、なんの痕跡もないとなると、先へ進む意欲は萎える。道を辿りたい。
わざわざ歩きにくい谷底を進まなくても、これから頭上の県道を下流へ向かうのであるから、そこから観察すれば早そうである。もちろん、何か見つけたら下りて確かめるつもりだ。
というわけで、新剣橋の直下で行方知れずになってしまった
旧々道がどこへ行ったのか? は、
この先の探索のサブテーマとなります。忘れないようにね。
とりあえずここから見る限り、200mほど下流にある本日のバッククオーター付近に、
“なんとなく気になる影”がある岩場とか、もしかしたら平場っぽい草地が見えるので、
これらの正体については、上の県道から俯瞰しながら検討してみよう。
おおよそ15分ぶりに旧県道に残していた自転車の元へ復帰。
本筋である旧県道の探索を再開する。
12:50 《現在地》
内部写真もなく簡単にスルーしちゃってゴメンネの二号隧道を振り返る。橋―隧道―橋の見事な串団子道であった。
全長21mと短い二号隧道の内部は素掘りにコンクリート吹き付けで、西口にはコンクリート坑門があったものの、いま見えている東口は坑門工を有していなかった。
二号隧道を出るとすぐに現道と合流する。
合流地点に案内標識などはないが、旧道の通行を妨げるものもない。
ここで合流し、スコラ高原入口の丁字路から約1km続いた3区間目の旧道も終わった。
160m先にある4区間目の旧道入口まで再び現道と旧道が一つになる。
そしてこの辺りは高光川対岸の眺めが特に素晴らしい。
釣鐘状の石灰塔がいくつもそそり立っていて、雲など配せば山水画の景色となろう。
おそらく景勝地帝釈峡のうち、高光川沿いの最高潮はこの辺りにあるのではないかと思える。
トンネルまたトンネルの快走路になった現県道の車窓では、ほとんど一瞬で終わってしまうのが勿体ないと思える風景だが、さらに車上の人間からは決して見えないのが、これからご覧いただく谷底の風景であった。
驚くほど道路下の擁壁が高く切り立っていて、道路とダム湖が完全に隔絶してしまったが、
その切り離された湖底に取り残される形となった旧々道の行方が、とにかく気になって仕方がない。
既に1本の旧々隧道を発見している以上、同じような地形があれば2本目3本目と重ねても不思議はない。
そう考えるからこそ、旧々道を追いかける目は、いつも以上に熱を帯びた。
本日の湖面スレスレに見えるような見えないような、とても微妙な高さにある
“影”がさっきから気になっている!
ここでまた現県道の道路レポートを一旦放棄し、“影”の正体を探る観察に注力したい。
これが対岸路上から見下ろした、“影”の部分の望遠写真だ。
満水時には湖底となる河床近くの崖に著しくオーバーハングした部分があり、それが“影”に見えていた。
そして、オブローダー的には、水没(&泥没)した2本目の旧々道隧道の坑口を疑ってしまう。
さらに視線を下流へ向けると、
なんと3〜40m下流にも、
同じように穴に見える部分が見つかった。
マジデスカ?
色めき立つというのは、まさにこういうことをいうのだろうと思った。
順を追って紹介すべき本筋の旧県道が目の前にあったが、無視して湖底の“穴”の行方を追ってしまった。
だが、いよいよこれが2本目の旧々隧道となった場合の次の展開を想像すると、
喜びの先には沈痛な敗退が待っていることを確信できるような立地でもあった。
咄嗟に私は、穴の正体が隧道であって欲しいのか違って欲しいのか、決めかねたが――
正体は、自然洞穴。
最大ズーム&明度補正で覗いてみると、ほとんど奥行きがないので、自然洞穴と考えられた。
また、内部に水が溜まっているが通水しているわけではない。
川は手前側の広い河床をゆっくりと流れているから、貫通穴ではない。
正直、違っていてくれて安堵した、疑・隧道案件であった。
冷静に考えれば、此岸の川べりがそれなりに広いのに、
わざわざ対岸の崖を隧道で抜く必要もなさそうな場所ではあるのだが。
オブローダー的にはこれで終わりの話だが、地学研究者的には多分興味深い、
遠い遠い将来の立派な天然橋、“雄橋”や“雌橋”のタマゴなんだと思う。
現に雌橋は湖面スレスレにあって、貫通していればこことそっくりである。
12:50 《現在地》
結果的に無関係だったものに思わせぶりなデカ写真を連発してスマンカッタ。
全て忘れて貰って、改めて旧県道の続きを順序立てて紹介したい。
さっきから旧々道の隧道を見つけてしまったせいで、旧道に心ここにあらずになっていること、まこと申し訳なし。早く水面下に消えてしまったと断言できる状況になれば、それ以上気にならなくなると思うのだが…。
気を取り直し、第4の旧道区間の入口へ。
直進する現県道は、本路線中の最長である神龍湖トンネル(全長533m)へ向かうが、旧道は湖畔に沿って進む。両者が再び出会うのは神龍湖トンネル東口であり、そこまで旧道経由で約700mである。
今度の旧道もまた、入口から途中までは別の県道に認定されている。青看にもある左折先の県道259号帝釈峡井関線がそれで、ここは同県道の起点にもなっている。
また、帝釈峡の観光拠点の一つである犬瀬(いぬぜ)地区も旧道沿いにあるので、「帝釈峡」の案内標識も旧道へ向く。
旧県道(県道259号線の現道だが)の入口より進行方向を望む。
平成3年まで主要地方道だったわけで、悪い道ではない。
ないが、奥の青看の標識柱がおもちゃに見えるほど高い落石防止ネットがずっと続いている様は、見るからに不穏である。恐ろしく地形の険しい道であった。
来た道は、こんなに険しいところをすり抜けている。
そしてここでついに、谷底の河床全体が水面に埋め尽くされた。
これでもう、谷底へ消えていった旧々道のことは忘れられるね。
なんか湖畔に古びた空積みの石垣が……
まさかとは思うが、旧々道関係…?
……いや、さすがに考えすぎだよな。
旧々道はもうたぶん湖底だろう。
気にしない気にしない。
もう気にない。
旧県道の行く手には、かなり大きな切通しがあるようだ。
蛇行する湖畔を少しショートカットすべく、尾根を抜いている。
12:52 《現在地》
入口から160m地点にある切通しである。
ここを抜ければ、大きな神龍湖における唯一の湖畔集落といえる犬瀬が間近だ。
なんてことのない、ありふれた切通しのように見えるが、ここで私は引っかかった。
切通しそのものではなく、その左の矢印の部分に、なんとなく気になるものが。
あなたには、
これがなにに
見えますか?
……私には、坑門に見えるのですが。
2020/12/23 12:52 《現在地》
私の前から見えなくなった旧々道。
見えないが存在を感じるなどというのは、亡霊に取り憑かれているようだった。
ほんの少し前、湖底の崖に偶然穿たれた洞穴状のものに隧道を幻視し、盛大に空振ったばかりなのに、またこれだ。
旧県道の切通しの袂にある、駐車スペースか待避スペースか分からない、小さな広場。
その北側端部に、写真のような寸法の“謎のコンクリート擁壁”があった。
何が謎かといえば、どうにも旧道の法面を抑える擁壁としては合理性を感じない大きさであり、位置であり、形状だった。
特にこの、特徴的な形状が、引っかかる…。
これを見て素通りしなかった人がどのくらいいるか分からないが、とても気になる。
連続空振りを恐れずに告白するが、
これは旧々道の隧道の痕跡ではないか?
↓ 私が言いたいのはこういうことだ ↓
ね、そう見えるよね?
この“謎の擁壁”って、坑門の上部によくある笠石にそっくりなのである。
もちろん、形状だけでなく、切通しがある尾根に正対するその向きと位置も。
さらには、旧県道より低い位置にあったに違いない旧々道だからこそ、
旧県道の路面にほとんど埋没するように存在していることの合理性があった。
間近に寄ってじっくり観察。端から見れば立ちションでもして
いるように見えただろうが、放ったのは小便ではなく鋭い視線である。
次に地面に跪き、徒手空拳で壁際の積もった落葉を退かし始めた。
しかし、あっという間に無力を思い知る。落葉の下には突き固められた砂利があった。
ここは曲がりなりにも旧県道の路面の一部であり、穴ポコが許されるはずはなく。
この容疑物の疑いを晴らすためには、どうすればいいか。
地面の下を確かめられない以上、“反対側”に全てを賭けるよりあるまい!
切通しに進入。
かなりカーブの強い、長さ50mほどの切通しなのだが、直前の気づきがなかったら、特別足を止めることはなかったと思う。
切通しという場面にあっては、そこがかつては隧道で、開削されたのが現状かも知れないという疑いを持つのが、探索のセオリーである。
そして、この切通しの側壁は、なんとなく開削された隧道の側壁を疑わせるような質感のコンクリートウォールだが、よく見れば隧道側壁としては角度が変だし、そもそも隧道を疑うほど湖側の法面に比高がない。旧県道は始めから隧道ではなかったと思う。
切通しを抜けたところが、勝負のときだ。
私が疑うような隧道が実在したなら、この切通し出口にも何かしら痕跡があっていいだろう。
12:54 《現在地》
切通しの北口へやってきたが、南口で見たような“謎の擁壁”はない。
それに……
思いのほか湖岸の斜面が険しかった。
何か残っている余地が、あるかこれ………
う〜〜ん…。
いや待て! 諦めるには早い。
昔の隧道って、だいたいが直線ではないか?
だから、ここにあった隧道も直線だったならば――
北口はもっと右の方にズレて存在したのでは……?
ひとつ前の写真に写っているガードレールと電信柱の隙間から、路外へ逸脱した。
しかし、案の定、急な斜面が湖へ直に落ち込んで行っていた。
隧道の存在は無論、これより下に道があるような印象はちょっと……。
とりあえず、もう少しだけ奥の方も見てみるか。
う?!
平場っぽい部分が…、ある?
行ってみよう!
あ!
12:56 《現在地》
アタタタタァー!!!
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