2018/4/27 9:23 《現在地》
突入から約30分間、アスレチックステージを地で行くような様々な障害物に出会ったが、足を止めることなく前進を続けた結果、GPS画面上の「現在地」は、全長596mある須築トンネル中央より僅かに須築集落側へ傾いた。
最初に【遠望】からこの道のとっかかりを得た時点では、目的地についてもいろいろな可能性が考えられたのだったが、ここに至ってこれが須築集落を目指す“旧道”だろうということに関しては、ほとんど疑いを感じなくなっていた。
爆裂する潮の騒ぎを背に、第3の隧道へ、突入する!
第3隧道は、前の2本の隧道を足し合わせたよりも長そうだ。
目測だが、40mを少し越える長さがあると思う。
そして、全く問題なく貫通してくれていた。崩落の気配がまるでない。
これまでの隧道もそうだったが、亀裂がない一枚岩(火砕岩)の岩盤を貫通しており、その安定感はさながら、発泡スチロールに錐で開けた小孔のようだった。
地上に露出している道が波や風や雪崩に晒されて常に風化していくのに対し、隧道は素掘りながら極めて堅牢で、千年後も残っていそう。
だが、そんな隧道でも常に平穏というわけではないらしい。
入口から15mくらいも入ったところに、明らかにコンクリートの破片と分かる大きな塊が一つ転がっていた。
おそらく、入口で見たコンクリート製の路肩擁壁が高波で破壊されて、そのまま隧道内まで押し流されたのだろう。
それほどパワーのある波がここまで入り込んだことを示唆している。恐ろしいというよりない。
この道には、決して人の存在を許容しない日があったのだ。
そういう日は、絶対にこの道を通ってはいけない。
交通法規ではない、命を守るためのもっとも原始的な道のルールが、ここにはあったと思われる。
隧道内部が完全な安全地帯ではないとしても、やはり今日の状況において、最も気の休まる場であることは確かであった。
出口に近づくにつれ、眩(まばゆ)さの中に輪郭を見せ始めた外の景色――未知の領域――が、
寸陰の油断も許さぬ気配を鮮明にするにつれ、この洞内の平穏に縋りたい気分も盛り上がった。
隧道は貫通していても、外へ道が通じていなければアウトなんだが、ちょっとヤバい気配がする。
飛び出し厳禁だ!!
ここまで来た人なら、そんな不注意は演じないだろうが、
常識では考えられないレベルで、トンネル出口が飛び出し厳禁だった。
ここからだと「下」がどうなっているのかは見えないが、見なくても分かる。不穏な音圧と風圧で…。
というか、
外へ出られますかね、これ……?
9:30 《現在地》
(この景色に負けないような感嘆のコメントがうるさくなったので、略)
とりあえず皆様には、この写真を見てから、ここを歩くご自身の姿を想像してほしい。
そうしたら、私の興奮の度合いが伝わるはず。私は、うひょーうhyぽうひょp@!!(壊れかける)
でもやっぱり冷静に観察すると、ここにもコンクリートが見つかって、それも2箇所…、
やっと、この道の“原型”(←ずっと気になってた)が、見えてきたような気がした!
が、その話もとりあえず後にして、まずはここを越えられるかどうかに専念したい。 難所だぞここも、間違いなく!
隧道から外に出られるかどうかは、すべてこの一歩にかかっている。
ぶっちゃけ、ここはかなり怖い。波飛沫で濡れた岩場を横断していくのだが、何かの嫌がらせかと思うくらいに狭くて傾いている。
この嫌がらせじみて狭い部分だが、コンクリートが微妙に残っていた。
しかし、ほとんど削ぎ落とされたみたいになっていて、原形はよく分からない。
とにかく、コンクリートによる補強なり拡幅なり、何かの工作が行われていたことは確かだが、現状ではあまり役立っていない。というか、濡れたこの状況では、コンクリは岩より滑りやすいので、ちょっと邪魔だった(苦笑)。
隧道北口を振り返る。
飛び出し厳禁すぎるというのが、よく分かるでしょう?
こうして見ると、コンクリートの工作は、それなりに大規模だったようだ。
左に見える塊の部分は、海へ落ち込むクレバス的な割れ目を塞ぐよう充填されていたのだった。表面が削られて原形を失っているが、鉄筋が露出している様子はない。単純な場所打ちコンクリートでは、施工の年代を特定できる要素は薄かった。とはいえ、ここまで練りかけのコンクリートを持ち込んで施工するのは、大変な作業だっただろう。機械施工が通用しそうな現場ではない。多くの人手が必要とされた工事の背景にあったのは、個人か、公共事業なのか、そういうことにも検討の余地があるだろう。
また、坑口前にもコンクリート製の手摺りというか、転落防止用の高欄が設置されていたようだ。同じ工作の跡が南口にもあった。
これらには、飛び出し厳禁を伝える役割があったと思われる。
この一連の道は、現状は極めて危険な、あからさまに人の命を刈り取るような姿をしているが、こうしたコンクリート工作物が全体に完備された状況だったら、印象が違っていたと思う。もしかしたら、観光地の遊歩道のような気軽な道だったかもしれない。波のない晴天の日限定ではあるが。
これまで歩いてきた部分にも、道が途切れたような場所は多くあったが、現役時代はその全てにコンクリートの補強があった可能性がある。
天然の岩盤に比べて、コンクリートは風化に脆い。そのために、現状のようなトンネルばかりよく残る風景になったことも考えられる。
はし!!!
ぶっこんできた〜!!
トンネル3発の後に、突然の橋!!
突然出てきた橋の姿が、あんまりだったので、これまた笑ってしまった。
うっかり躓いたら、死ぬ。
波飛沫で濡れていて滑るから(いなくても)、マジで慎重に歩く必要がある。
肩を擦るほど近くにある法面は、いやらしいことに軽くオーバーハングしていて、縋り付ける余地がないどころか、非情にも突き落とそうとしてくる。
これで路面が凍結なんかしていたら、歩行者10人中の1人も生還できなそうだが、それでいいのかこの道は。
なお、現われた橋は、超珍しい三角形の断面をしていた。
構造的には、三角形の力学的な強さを利用した橋ということで、トラス橋か?(笑)
三角形断面のコンクリート桁橋なんて“変態橋”は、初めて目にする。
長さは2mもないが、それでも橋がなければ絶望するしかなかっただろう。
あるいは、決死の覚悟でジャンプをしたかな…? いや…、さすがにこんな助走もできない濡れ場でのジャンプは自殺行為だ。
隧道に続いて、橋にも助けられて、先へ進む。
なんでこの幅で作ったんだよ。
そんなツッコミは、野暮か?
部材を節約したかったのか、何か理由があっただろうが、せめて橋くらいは、もう少し余裕を持たせて…、せめて隧道と同じくらいの幅で作ることはできなかったものかと思う。
見ての通り、2歩くらいで渡り終えてしまえる長さなのだが、幅が50cmくらいしかなく、コンクリートがつるつるで、マジ危険。
しかしこれで、この道が紛れもなく徒歩道だったことが、確定した。
ここまでは、コンクリートの補強が波で流されて道が狭くなった可能性とかも考えられたが、コンクリート橋の幅は、本来のこの道の幅に違いない。だから、この道の利用方法は、徒歩以外にあり得ない。
郵便バイクとかも、これは無理。自転車もほぼ無理。一流のクロカンプレイヤー以外は死ぬ。私は死ぬ。
摺りあし差しあし、渡り終えて振り返ると、まだ地下にいるのかと錯覚するほど薄暗い、岩岩づくしの景色だった。生命感無し。
頭上に開けた青空はあまりにも狭い。この辺りは全体に“コの字型”の片洞門になっているせいだ。
脚下を見れば、相も変わらず怒濤渦巻く決死の海況が、わずか1mの橋の必要性を絶対にしていた。
この橋の小さ過ぎる“勇姿”には、日本の数十年前まで使われていた生活道路の一極致として、語り継がれるべき迫真がある。
ここで海へ近づいていくのか? 大丈夫かオイ?!
返事を貰えるはずのないそんな問いかけが、道に向かって放たれる。
“コの字”の片洞門は、次第に下降して、海面へ近づくそぶりを見せていた。
そして、次のカーブを曲がると――
今までで最も良く原型を止めるコンクリート構造物!
岩場の凹凸を埋めるようにしつらえられた、長さ2mほどのコンクリートの擁壁があり、
普段ならば路肩の擁壁と思うくらいの幅のものが、この道の全容であった。
かつてはこのような構造物が、もっと随所にあったのだろうか。
そして、このコンクリート部分を越えた瞬間、なんとなく、最難関を脱した感があった。
だから、振り返った。
これが、須築旧道だ!
おそらくは、かつての二級国道229号小樽江差線。
そして、“陸の孤島”へ通じた唯一の道。
ここに道を作ろうと考え、それを実行した関係者全員に、惜しみない拍手を送りたい。
もしできるならば記憶を消して、今度はこっち側から探索してみたかった。
この景色は、日本の道の究極のものの一つだ。
This scenery is one of the ultimate in Japanese roads.
中央に隧道が見える。それがどんな位置を潜り抜けたかが、よく見える。
ここに道を通せると最初に考え、計画を建て、工具を振るったのは、誰なのだろう?
私はいま、幻を見てはいない。しかしこの道は、私の中で「あるはずのない」ものだった。
思い出して欲しい。冒頭で紹介した、明治35年に須築の住人が記した文章の一節を。
「いかに巨萬の費を投じて開鑿するも到底車馬の通行は無想だも視るあたわず
」――だ。
この言葉の通り、須築の住人は自らを取り囲むあまりの悪地形に戦意を消失し、早々に自力での道路開削を断念し、
昭和44年に国力を傾けて作られた現在の国道が到達するまでは、陳情だけをしていたのだと勝手に思っていた。
だが、そうではなかったのではないか。
古地形図に描かれた山越えの小径に満足せず、車馬は通れぬまでも最小の上り下りで踏破できるこの海沿いの道を、
なぜか地形図に一度も描かれることがなかったこの道を、自らの力で、作り上げていたのではないか。
私はここに、何者かの勇気と労力の結晶したものを、確かに見た。
9:34 《現在地》
難関は終わった。
久々に長閑さを憶える、波蝕棚とタイドプールの風景が。
緊張の糸を解かれた道は、たちまち地形に溶け込んで不鮮明となったが、この波打ち際が道なのだろう。
そして、
須築が見えた!
地の果てのような景色を進んで来たが、その先に集落がある。
より正確には、須築集落に附属して存在する須築漁港の長い防波突堤が見えていた。
彼我の距離は約1.5km。この間にはまだいくつもの鋸刃のような小岬があり、崎嶇の道のりを想像させるが、
現国道が須築トンネルから脱出して私を迎えてくれるまでは、もう少しであるはず。頑張り抜いて、須築へ辿り着こう!
(小一時間前にマイカーで平然と須築を通過したことなど忘れたように、冒険者のヒロイックな気分に浸っていた)
次回、最終話。
「豹変」
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