道路レポート 多々石林道 第3回

公開日 2020.4.09
探索日 2015.6.02
所在地 福島県南会津町

遅れて来た「荒れた林道」


2015/6/2 8:21 《現在地》

これより旧緑資源幹線林道飯豊檜枝岐線を離れ、国有林林道である多々石林道から、戸板峠絶頂を目指す。




この写真は、いまから2時間以上前、出発直後に古町の村はずれから撮影した戸板峠の遠望だ。
地図で見るよりも、この写真の方が現在地をイメージしやすいだろう。
そして、緑資源幹線林道という未完の大工事が、いかに人里から遠いところで進められていたかということも、実感できるはずだ。




これは戸板峠周辺の立体地図だ。

この峠、かつて自動車が普及する以前は、古町を中心とする旧伊南村の人々が、旧田島町の郡役所や会津田島駅への近道として利用していた生活の道らしいが、古町からの高低差が700mもある、高くて遠い峠だった。

その峠付近の地形には、特徴がある。
それは、峠の前後で地形が対称的でなく、大まかに言えば古町側は高原的、針生側は渓谷的であることだ。
しかし、標高1200m近くまで開墾地が広がっていた穏やかな古町側も、この先の峠直下には迂回不可能な急傾斜帯域(図中の茶色の部分)が広がっていて、例外的に険しい。

古くから、この急傾斜は峠の最後にして最大の難関だったとみられ、冒頭で紹介した江戸時代の紀行書『東遊雑記』にも「大難所の坂あり」と書かれていたし、それは現代の道路造りにも影を落としたように見えるのだった。

見て欲しい。
あの豪勢だった旧緑資源幹線林道を先細らせ、追い詰めて、ついに行き止まらせたのは、この急斜面だ。
この件は単純に地形に負けたというよりも、政治とその背後の国民に負けた部分が大きかったかも知れないが、ともかく、この大きな峠の最終防衛線のように見える急傾斜帯を、昭和47年開通のいぶし銀である多々石林道の力で、いまから攻略する。

行くぞ! ラスト登り1.5km!



これが、オフロードを愛するバイカー達に長年愛されてきた“荒れた林道”、多々石林道の姿なのか?
その割には、綺麗過ぎるような……?
今までの舗装路と較べれば確かにワイルドだが、オフロード愛好者が喜ぶほどとは見えない。

どうもこれは再整備が行なわれているせいだと、すぐに気付いた。
法面の様子がおかしいからだ。
林道開設当初からの【古い石垣】も所々に見えるが、それとは比べものにならない広範囲に、金属製の真新しい落石防止工が施工されている。
今まさに工事中の雰囲気だ。

今もこの先で工事が行なわれているのではないかと思えるほどの生々しい気配があったが、入口の路面に見られた深い洗掘や、一帯を包む静寂が、その可能性の低いことを物語っていた。
工事のために進めないという心配は、まだしなくても良さそうだ。



入口から150mほど進んだが、相変わらず工事中の道特有の中途半端な景色が続いている。
ここでは法面の緑化工事が進められていて、完全に建設中の林道みたいだが、道自体は間違いなく旧来の多々石林道をなぞっている。

多々石林道を改良する工事が進められているのは間違いない。
しかし、峠を目指す【行き止まりの新道】がありながら、その旧道である林道でも、改良工事が行なわれているというのか……。ちぐはぐだ。

もしかして……、
旧緑資源幹線林道を取り巻く様々なゴタゴタの末に、お金の掛る新道整備を断念し、代わりに旧来の林道を改修して開通させることにに、整備計画を変更したというのだろうか。だとしたら、あの新道は本当に浮かばれないことになるが…。

この読みが正解だったことは、帰宅後の調査で判明した。



2015/6/2 8:25 《現在地》

入口から約200m地点。

真新しい工事区間は、突然終わった。

「呆気ない」。 またしても、あっけなさ過ぎる幕切れ。

「呆気ない」という言葉を、今日この道でなんど使ったか分からないが、
本当に、あらゆる工事が中途半端で、収拾が付かない感じだ。


そして、この一つの終焉と引き換えに……



キター!!!

これだろ! これが多々石林道の本来の風景だったんだろ?!

世界中のモトクロッサーが大喜びしそうな路面に、ついに出会ったぞ!!

多々石林道は「荒れた林道」だという情報だけで飛びついて、敢えてよく調べず来たせいもあるが、
麓から延々10kmも「いい道」を走った末に、ようやく思い描いていたような道が登場した。
探索中の想定外は基本歓迎だが、今回は想定外のオンパレードで、本当に退屈しなかったな。
しかしそれもここまでだ。ここからは、イメージ通りの多々石林道を楽しませて貰おうじゃないか!




楽しい!

最初は典型的な荒れ路面である河原みたいなゴロ石地帯だったが、そこをMTBの細かなハンドリングと繊細なペダルワークで突破すると、今度は一転走りやすい砂利道だった。
しかもここは、ガードレール越しに眺める景色が解放的ですばらしい。1時間ほど前にいた穂積開拓地辺りがよく見えた。

これぞMTB冥利!

純粋なハードさと言う意味では、自転車に乗ったまま走破できるとか生ぬるいという人もいるだろうし、これは廃道じゃないでしょとか、いろいろな意見もあるだろうが、それはそれ。
廃道でも荒道でも、楽しみ方はいろいろだ。
私はMTBでこういう道を走破する楽しみ(山チャリ)から、道路趣味に目覚めたクチなので、自分の原点であるこんな道は大好きだ。
心ゆくまで、楽しませて貰うぜ!



8:33 《現在地》

分岐から約600m、地図上でも存在感を見せていた、切り返しの大カーブが現われた。

ここで切り返せば、あとは峠まで急斜面のトラバースで進むのみだ。




切り返しからのー、巨大切り通し!

ここだけ見れば、もう峠の頂上に着いたかと思えるような、深く巨大な切り通し。
それも凄く荒々しい!
ちょうど狭いところを大きな落石が通せんぼしていて、四輪車の通行を難しくしていた。さながら峠道を2輪車限定の走りの楽園にする門だった。




切り通しを抜けても、道を取り巻く山腹の傾斜は非常にきつく、そこを横断する林道の法面は、目立って高いものになった。
屏風のような法面が連なっているが、その一部の際立って高い部分は、もとから露出していた巌山のようだった。
先ほど行き止まりの舗装路から【見えた法面】も、この辺りだ。

路肩に目を向けても、落石と風雪とでヘロヘロになったガードレールの下は高い垂直の擁壁で、とにかく難所と難工事を絵に描いたような峠前の道路風景だ。熱い!



そもそも東北地方では、大抵どこの山であっても、風を遮るものがない山頂付近の西側斜面は、冬の厳しい季節風(猛吹雪)が直撃するので、特に厳しい環境になる。戸板峠の場合、まさにこの辺りだ。
法面にそそり立つ岩面のいかにも風雪に磨かれた荒々しさを見ていると、そう思う。

険しい環境の中で、いぶし銀の林道は、この道を愛する数少ない往来に支えられて、幅1.5mほどの荒い路面を見せていた。
草むらと化した部分も合わせれば、本来の道幅は3.5m程度だろう。




向こうからこの岩場が見えたわけだから、当然こちら側からも、あの行き止まりの舗装路がよく見えた。

探索中はこれを見て、「良い景色だな」、「いずれはあの先が造られるんだろうな」、そんな風に希望的に見ていたが……

これは帰宅後の調査で分かったことだが、あの舗装路の整備は、結局中止らしい。
中止となった緑資源幹線林道整備事業を引き継いで、福島県が「山のみち地域づくり交付金事業」で整備しようとしているのは、旧来の道であるこの林道の方だという。
だから、あそこまで造った向こうの道は、もう実質的に廃道の運命らしい。

もっとも、この多々石林道を舗装して整備する工事も、いつ完成するものか……。




この辺りは、砂利がほとんど流出して、下地の岩が露出している場面が多い。
いわゆる“洗濯板”と呼ばれる路面状況である。こういうのは下りの方が危ないんだよな。
とまれ、道自体はしっかりしているし、自転車より巨体のバイクが通り抜けているわけで、
多少押したり持ったりはあるものの、自転車なら安心して走行可能。とても楽しい。


そうこうしているうちに、とうとう……




8:50 《現在地》

戸板峠頂上へ!

厳密には、ここは頂上ちょい手前だ。

写真奥のカラマツ林がV字に切れた所が、峠の頂上である。

不思議と今回はここまで一度も封鎖を跨ぐことなく、大手を振って、到達している。

この峠の周囲は高原状の緩やかな地形だが、地峡のような鞍部は細長く、直線に400mも続く。

海抜1330mといわれる峠道の最高地点は、この長い鞍部の中央なので、あと少しだけ登る。



古町を出発して約3時間、林道10kmの走破で、約800mの大きな高度を獲得し、峠に着いた。
戸板峠は、広大な山国である会津地方の中にあっても、おそらくトップ10に入る高い峠だろう。
東北地方全体で見ても、車道の峠としてはなかなか上位ではあるまいか。

いまはこの峠の鞍部を、地形をさほど弄った感じもなく、まっすぐ林道が通り抜けているが、その位置は、近世以前から昭和47年まで使われた、峠の古道と同じ位置であるはずだ。
幕府の巡検使一行に交じって古川古松軒が、「朴、柿、楓など二抱えもある大樹数多くあり、これらは上方には絶えてなき大木なり」なんて驚いたのもこの辺りだろうし、生活に根付いた歴史深い峠らしいが、そういうことを物語る……例えば石仏だとかは、見当たらない。

戦後でこそ、かなり峠に近い位置まで穂積や入谷といった開墾地が切り開かれたが、もとは人里より2里も離れた山奥であり、難路であって、石仏を運び込むことが難しかったかも知れないし、単純に、林道開通の前後で埋没して忘れられただけかも知れない。
少なくとも、今日のこの峠の彩りは、歴史の峠というよりも、冒険の峠である。

高所の峠と繰り返しに書いたが、見ての通り、峠の周囲は森閑とした森に覆われていて、高さを見せつけるような眺めはない。
鳥の声、蝉の声、そういう音はあっても、派手なものは何もない、静かな冒険の峠なのである。
数年前まで、緑資源幹線林道はこの下を立派なトンネルで抜くつもりだったというから、静けさも続くはずだったが、計画は立ち消えになって、いまのプランだと、やがてこの林道が幅5mの舗装道路に生まれ変わる。




峠の頂上は、分岐地点になっていた。
多々石林道はこのまま直進だが、左折して北へ登っていく別の林道があった。

現地に林道標柱など、名前を知る手掛かりはなかったが、後日調べたところ、これも多々石林道と同じ国有林林道で、その名も戸板林道という。
地形図では多々石林道と同じように徒歩道として描かれているが、元はれっきとした車道で、全長2kmほどのピストン林道であるらしい。
唯一の入口がこの道なので、きっと荒れているんだろうな。




戸板林道の入口に立って振り返った、峠の風景。
向かって右が古町側、左が針生側だが、ほとんど起伏が感じられないくらい、峠付近の地勢は緩やかだ。

林床は一面に密生した笹藪で、疎らな高木は林道開通当時に植林されたカラマツらしい。
古松軒が書いたような珍しい様々な大樹の姿は、伐採されてしまったのか、見当たらない。
林道から離れれば、この地方の奥山らしく天然ブナ林もありそうだが、なんのための林道だったのかを考えれば、この辺りの森が貧相になっているのはやむを得まい。



戸板林道の分岐を後に、いよいよ峠の向こう側へ。
地形的にはどこがピークかよく分からないが、この峠が平成18(2006)年まで、南会津郡伊南村と同郡田島町の境界だった。

ここから古町側へ落ちた雨は伊南川から只見川へ、針生側へ落ちた雨は大川(阿賀川)へ流れ、両者ははるばる70km以上も下った会津盆地のただ中で、再び阿賀川として一つになる。
平成の町村合併では峠を越えた多くの集合が見られたが、南会津町はこの二つの流域に完全に分かれていて、相互の移動には必ず高い峠を越えなければならない。
旧伊南村と旧田島町を繋いでいた唯一の車道が、戸板峠だった。




路傍の笹藪に、看板の支柱だけが残っているのを見つけた。
良く山歩きをする人ならば、この形の看板に見覚えがあるのではないだろうか。

チェンジ後の画像は、平成18(2006)年に出版された『新版 会津の峠 下』に掲載の戸板峠頂上写真。
ここに在りし日の看板が、道と一緒に写っている。

看板は、かつて一帯の山林を管轄していた前橋営林局山口営林署が設置した国有林の案内板で、山火事注意などの国有林利用上の注意書きだった。
写真をよく見ると、メインの看板の下に「戸板峠」と書かれた小さな看板も見える。



9:00 《現在地》

頂上の長い掘割の針生側は、広々とした広場になっていた。
車でも停まっていそうな雰囲気だが、誰もいない。後から思えば、いるはずがなかった。

こちら側も峠の見晴らしは全く効かないが、ここから戸板川の谷に沿って、
国道289号までは約5km、落差400mの長い下り坂が待ち受けている。
その下馬評は引き続いて、「荒れた林道」というものである。