道路レポート 多々石林道 第4回

公開日 2020.4.11
探索日 2015.6.02
所在地 福島県南会津町

戸板名物“まな板ロード”の苦闘


2015/6/2 9:01 

今しがた峠を越えた。あとは下りだ。
3時間かけて手にした位置エネルギーのめくるめく解放が待っている。
ペダルの仕事はほぼ終わり、ハンドルとブレーキがここからの主役となる。
峠の鞍部を出ると同時に、道の右手にささやかな小川が産声を上げた。
これが戸板川の源流で、これからの林道は最後までこの川の成長と共にある。

林道の状況は相変わらずのシングルトラックだが、峠を越えていくらか悪くなった。
雪で倒された枯れススキが、ほとんど路面を覆い隠しているが、古町側にはここまで藪っぽい場所はなかった。
この状況から想像される夏場の路面は、文字通りの草の海だ。




振り返り、美しい峠を見納めた。

ところで、それと分かるような看板類は現地にないが、実は峠を境に林道名が変わっている。
峠の古町側は、レポートのタイトルでもある「多々石林道」で間違いないが、この針生側は「林道多々石線」という。

……と書いても、その違いが分かる人は限られているだろう。
これは、林道の命名規則に関わることなのだが、古町側は国有林林道、針生側は民有林林道という風に、建設に関わった林道事業の種類が違っている。



出発から3分後、

峠での休憩が足りなかったらしく、私は地面に転がった。

……

嘘です。転びました。(>_<)

恥を忍んで書くが、道が勢いよく下りはじめたところでテンションが上がり、露出しているシングルトラックに前のめりで入っていったら、途端にタイヤよりも太い浮き石に前輪をとられて、あっという間もなくすっころんだ。

へへへ……




9:06 《現在地》

峠から約300m、オートバイより大きな岩が道の真ん中にいくつも鎮座している現場があった。
路面は緑化が進行しているのに、脆そうな法面は、ますます緑の斜面に茶色の傷口を広げているようだ。

この先しばらく、このような脆い法面を伴った道が続いているようで、元より林道開削の場として不利な条件があったのかも知れない。
林道が荒廃に帰した敗因が、風景の中に隠れていそうだった。




ひでえ路面だ!

空撮で見たら、ここはちゃんとした砂利道に見えるかもしれないが、実際は河原のような大きな岩塊だらけで、とても車道として使える状況ではない。
大雨の度に、路面が川になっているのが目に見えるようだ。

モトクロッサーはこういう所も果敢に乗りこなすのだろうし、おそらくそれが楽しみで来るのだろうが、ここまで凹凸が激しいと、自転車には爽快ではなく苦痛である。
直前の何でもないようなところで転んだわけで、ここは慎重に、頻繁に足を地面に付けながらユルユルと乗り進んだ。上りだったら、全部押しになっただろうな。




きつい。

走りたくて“うずうず”するという人もいるだろうが、
道が水の流れを呼び、“まな板”みたいな凸凹岩盤が露出してしまっている。
この状態まで来ると、走行感覚は“道”ではなく、ただの“不整地”である。

戸板峠名物と謳われるこの“まな板ロード”。やがて舗装道路にリプレースされる計画はあるのだが、
今のところ工事関係者の足跡を感じない。先遣隊さえ入っていないのではないかと思えるほど、手入れの気配なし。
旧緑資源幹線林道の気配もなかったが、あの国道級の林道は、この辺りもまだ峠のトンネルにいる計画だった。




戸板川との高低差がつき始め、その谷も直線的であるために、
進行方向に遙かな下界を見通すことが出来るようになってきた。

この針生側には古町側のような展望台的パノラマはなく、細い眺望ではあったが、
相当彼方まで私より高い山がないので、並み居る山々を頭越しに遠望する優越感があった。



9:12 《現在地》

峠から約600m、海抜1270m付近で、道は左岸の小谷を巻くようにM字型に迂回する。写真はM字カーブの一つ目の頂点だが、なんとここの日陰に残雪があった。もう6月なのに。

また、これは後の調査で分かったことで、現地にはそれと分かるようなものはなかったが、緑資源幹線林道時代に計画されていた戸板峠越えのトンネルは、この辺りに北口が設けられる計画だったようだ。

南口はおそらく【ここ】(海抜1250m)であり、推定されるトンネルの全長は約900mもある。
高原的な地形のせいで、たった60mほど最高地点を下げるだけなのに、ずいぶん長かった。



写真は、約1分前に振り返って撮影した峠の眺めだが、ここを抜くのに900mものトンネルを掘るのは、一見して費用対効果に難がありそう。
それでも古町側の急傾斜地帯をある程度回避できるメリットや、当時は冬期も除雪して利用することが考えられていたようだから、雪害回避のメリットがあっただろう。さらに環境保全上のメリットもあったはずだ。

野生動植物の移動経路の確保を重視する“緑の回廊(コリドー)”と呼ばれる環境保全の手法があるが、戸板峠は林野庁の定める“会津山地緑の回廊”を跨ぐ位置にある。
そのため、峠に車道を上がらせないことを目的としたトンネルだった可能性がある。

もっとも、林野庁による緑の回廊の取り組みは平成12(2000)年度に制度化されたもので、大規模林道と呼ばれていた計画初期は存在せず、緑資源幹線林道になってからの話である。しかし、コリドー確保のためにトンネルが新設されたり長くなったりという計画変更は、平成に入ってから各地で見られた現象だ。そのためコストが増大して計画延期や中止になったケースもあった。



M字カーブの終わりとと共に、気を遣う“まな板路面”を抜け出して、緑濃いシングルトラックへ。
相変わらず浮き石が多いことに注意を要するが、小石を弾かせながら、豪快なダウンヒルを楽しんだ。前進ペースも一気に増大。

それにしても、明らかに針生側の方が、林業トラックが通らなくなってからの時間が長そうだ。
国有林林道と民有林林道では維持管理の仕組みも費用負担者も違うので、それらを1本の道としてを維持することには難しさがある。
大規模林道や緑資源幹線林道といったものは、そうした縦割りの弊害を除去して、より森林の公益性を発揮しやすい林道を整備しようとする、すばらしい理想があった。




9:21 《現在地》

シングルトラックを爽快にかっ飛ばすこと数分で、草原じみたヘアピンカーブが現われた。
地形図上でも大きな存在感を見せるこのカーブは、峠から約1.5km、海抜1220mの位置にある。

チェンジ後の画像は、食べ頃のワラビです。
沢山生えてました、このカーブの路上にね。
あと、食べ頃のウドも沢山生えていました。



切り返して250mで、再びヘアピンカーブ。
これでまた進路が下流方向へ。
着実に下界へ近づいているが、依然として路上には頼りないシングルトラックがあるだけで、廃道同然の状況が続いている。

昭和47年に開通した林道が、いつ頃からこんな状況になっているのか。
林道ライダー御用達のサイト「林道への案内板」の多々石林道のページに掲載された平成12(2000)年7月当時のレポートによると、平成11(1999)年に、現在の【まな板地帯】辺りで起きた落石をきっかけとして四輪車の通り抜けが不可能になり、そのまま復旧されず今日に至っている可能性が高いことが分かった。




路上の洗掘による溝が酷くなってきたと思った矢先、真新しい刈り払いの跡が現われた。
同時に、赤ペンキが塗られた石や杭がたくさん現われ出したのを見て、私は理解した。

昔ながらの多々石林道は、荒れた林道は、もうこれで終わりだと。
古町側の道が峠の1.5km手前まで舗装されていたように、この針生側でも麓から徐々に舗装工事が進みつつあるのだ。



9:28 《現在地》

峠から約2km下ったこの標高1200m地点が、2015年6月2日時点における工事終点だった。

なお、現地ではただの林道改良事業による舗装工事かと思ったが、実際は緑資源幹線道路計画の亡き後、福島県が引き継いで進めている山のみち地域づくり交付金事業「林道田島舘岩I線」の工事終点だった。

これを書くにあたって、私の探索から4年後の2019年の現状を紹介しているサイトを見たが、工事終点は峠方向に100mくらいしか伸びていなかった。
チェンジ後の画像は、2015年の工事終点から振り返り見った峠の鞍部で、そう離れているようには見えないのだが、この工事ペースだと、峠に辿り着けるのはいつになるのか…。2040年頃には辿り着けるだろうか……。



工事現場が現われることと、作業員に叱られたり、頭を下げて通して貰うことはワンセットだが、今回は幸いにも休業中にあたったようで、全く人気が感じられなかった。
さらに進むと道を完全に通せんぼするように重機が停まっていたりもしたが、無人なのでスイスイ通り抜け。

ちなみに、今日はここまでただの一度も、「通行止め」や「立入禁止」を告知されていないし、破っていない。
それで、ただ荒れた林道を走ってきただけなのに、反対側でこうやって我が物顔に重機で道を塞がれている状況が、なんともおかしかった。
反対から抜けてくる人がいるという前提が忘れられるくらい、荒廃状態が長く続いているのだろう。

重機をすり抜け、ホコリっぽい工事中の林道を下ることさらに600m――




9:33 《現在地》

唐突なグレードアップ!


……察しの良い方はもうお気づきでしょうが……

平成20(2008)年の緑資源機構廃止時点までに、

緑資源幹線林道として建設されていた工事終点が、ここだった。

“燃えかす”みたいな「山のみち」とは、やはり次元が違う……。