秩父湖一周ハイキングコース 第1回

公開日 2013.02.23
探索日 2012.10.12

今回は、関東人にはお馴染みとなった行楽エリアの秩父(ちちぶ)にある、ハイキングコースを紹介しよう。

その名も、秩父湖一周ハイキングコース。

ハイキングコースとしては王道とも言える、湖畔系のハイキングコースである。




いまさら、ハイキングなんて興味はないぜ… というアナタ。




廃キング な ら ば、 どうかね?



ここはガチのリスクあり。

くれぐれも、廃キングは侮るなかれ。




巨大なつり橋の先に待ち受けていた、廃道


2012/10/12 9:05 【周辺図(マピオン)】

この探索に事前情報はなく、偶然の遭遇から始まった。
きっかけは、秩父湖畔を通る国道140号旧道で出会った1本の大きな吊り橋だった(→)。

橋は地形図にもちゃんと描かれており、湖に架かる目立つ吊橋は観光スポットであった。
もっとも、あまり流行っていない感じはしたが、決して廃吊橋ではない。

これだけのことならば、別の探索の途中でもあったし、素通りしていたかも知れない。
だが、ここには私を強く引き留める、“ある掲示物”があったのだ。




この先つり橋を渡った地点
 より
落石路肩崩壊のため通行を
 禁止します。
      犬滝村役場建設課

最後の「犬滝村」という記名にはご丁寧に「ケンタッキー」というルビが振ってあるが、もちろんこれは悪戯書きで、本来は「大滝村」である。
それは別に良いのだが(よくないか)、問題はオブローダーに対する挑戦状になっている部分(本来はそんな部分はない)である。

この橋を渡った先に通行禁止の道があると言われれば、それはどういう道なのか、気になってしまうではないか。
ましてや「落石路肩崩壊」と言われれば、私が好きな廃道の定石である。
ただ単に通行止めと言われても、道が付け替えられたからとか、私有地だからとか、色々考え得るが、これは爽快なほど直球…。



ということで、まずは対岸偵察のため、近くに車を止めて戻って来た。
なにはともあれ、このつり橋を渡らねば始まらない。

一目でそれが長大な人道つり橋であることは分かったが、主塔に銘板が見あたらず、肝心の橋の名前が分からない。
だが、主塔の一角に取り付けられていた汚れきったラミネ加工紙が、とりあえずの疑問には答えてくれた。

橋の名前はこれまた直球な「秩父湖橋」というもので、加えて平成2年に踏板の更新を行っている事が分かった。
それ以来一度も修復していないと仮定すれば、既に22年を経過しており、木製踏板としてはそろそろ…という感じもしたが、現状で橋への立入は禁止されていないようだ。




―秩父湖橋―

昭和37年竣功、橋長200m。

『JSCE橋梁史年表』より

踏板は幅1mほどで、手摺りは大人の胸くらいまである。
セオリー通りのしっかりとしたつり橋で、揺れ方も至って平穏だった。
自転車でも問題無く走り抜けられると思うが、今回は歩いて渡った。




眼下はもちろん秩父湖…であるが、渇水が世を賑わしたこの秋の水位は低く、かなり遠くまで湖底が露出していた。
さらにその土色をした湖底には幾台ものショベルカーが入り込み、盛んに砂利の採取をしていた。
彼らの出す大きな駆動音と、砂利同士が烈しく擦れ合う高い音は絶え間なく谷に響き渡り、私の意識が山河へ溶け込んでいくことを阻害した。

朝らしからぬ強い日射しが、今日も湖を干上がらせる準備を始めていた。
そして、光が未だ届かぬ右岸と、明るい左岸との好対照を見せていた。
また好対照といえば、地形の緩急も両岸の間で大きな開きがあった。
街道が通じ、いくつもの集落が点在する左岸と、おおよそ人の活動した気配が見あたらない、右岸。

あの険しい湖岸に沿って「落石路肩崩壊」の道があるとしたら、それは心する必要があるかもしれない。

…そんな感想を持った。




200mの橋を渡りきると、右岸に着地する。

日影になっているせいか、右岸周辺はじめじめしていて、踏板も良く水を吸って「ぬめり」が出ている。
そのせいかどうかは知らないが、1枚の踏板が破損し、半分くらい失われていた。
自然に踏み抜けたのか、誰かが故意に破壊したのか。
いずれにせよ、踏板の厚みが想像していたよりもだいぶ薄いことを知った。

今後もこの橋を渡って行く事が出来る唯一の道が通行止めという事態が続くならば、いよいよ橋の更新も疎かにされ、橋を含めて通行止めとなる日も、そう遠くないかも知れない。
まあ、「水力発電施設周辺地域交付金」があり続ける限り、橋だけは安泰という可能性もあるが。




右岸に上陸してみると、1本の道が下流方向へ続いていたが、早速にして踏み跡が薄い。
風景目当てで橋の上に立つ人はいても、敢えて「通行止め」を予告された右岸まで渡りきる人は少ないのだろう。

「路肩注意」の看板が立つ小径を歩くこと、おおよそ30…。




9:11 

歩道にしては随分仰々しい「全面通行止」が、出現!

封鎖地点は浅い掘割りになっていて、封鎖に気付かず先へ進んでしまう事が起きないように工夫されている。

だが、私のような人間に掘割りを見せてしまったのは、明らかに封鎖する側の失策である。

なぜなら、私のような人間は廃道を好むだけでなく、特に“工作物の豊富な廃道”を好むのである。
現に今も封鎖の状況を見て「探索するか」を決めるつもりで来ていた(だから「偵察」)のであって、
淡々と歩道が続いている感じで封鎖地点に「グッ」と来るものが無ければ、これで終りにしていた。

しかし、この掘割りは…私にイケナイものを期待させてしまった!




「偵察」を終えて引き返す直前に、封鎖の向こう側をチェックすることも抜かりはなかった。

そこはご覧の通り、幅1.5m程度の平場(道)の形跡を色濃く留める斜面になっていて、ムードは抜群。
林鉄跡だと言われれば疑いなく信じてしまいそうだ。

ぶっちゃけ、廃“歩”道には絶対飛びつくほどの魅力を感じない私であるので、そこをヤルかやらないかの分かれ目は、ムードと構造物の有無にかかっている。この段階で構造物はまだ見ていない(掘割りは工作物ではあるが構造物とは呼びがたい)が、ムードは良さそうだ。

ちなみにムードの良し悪しは、景色の良さもさることながら、「踏破して楽しそうかどうか」という事も大きい。幾ら美しい湖畔に廃遊歩道を見つけたとしても、そこが漫然とした地形で踏破に冒険性が伴わなければ、私にとっての魅力は半減である。この点で「場所を問わず探索したい」未成道などよりも、廃歩道は軽んじられていると言える。



探索を決定したものの、そのまま廃道へ雪崩れ込むことはせず、再び橋を渡ってスタート地点へ戻ってきた。

なぜならば、今回の廃道を探索する上で、その成否はともかくとして、所要時間を勘案する為に、とても重要な“要素”があったからだ。

その“要素”を事前に確かめることが、計画的かつ効率的に探索を行なうためには必要不可欠であった。

“要素”とは、何か?



ここで地形図を確認する。

私がこれから探索しようとしている道は、秩父湖の南岸(右岸)に沿って描かれている、全長約1.7kmの破線の道(徒歩道)である。

この破線道の西端が秩父湖橋であるが、東端にもそれと同じような長大橋が描かれている。
この橋がちゃんと架かっていないと、探索には往復分の時間を見なければならない。“要素”というのはこの東の橋の有無だ。

東の橋がちゃんと使えるならば、「現在地」に車をデポしたまま自転車を回り込ませることで、徒歩探索の時間を最大限減らす事が可能である。(廃道区間は、自転車を持ち込める雰囲気ではなかったが、それを知る事も「偵察」の目的だった。ところでこうした本題以外の時間計算などは、多くの読者さまにとって興味の外かも知れない。しかしリアルな探索の現場では常に考えていることである)




車から自転車を降ろし、それに跨って湖畔の旧国道を下流へと向かう。

1kmほど走ると湖側に茂っていた遮っていた林が途絶えたので、路肩に寄って来た方向を振り返る。
すると左右非対称形の谷の奥に、秩父湖橋が小さく見えた。

物語(特に子供向けアニメ)に出てくるつり橋は、どんなに長くても基本的に中央が下に膨らんだ形をしているものだが、現実にある巨大なつり橋の多くは上に向かって撓んでいる。
後者のほうが橋床がピンと張った状態に近いから、揺れにくい。
アニメの主人公達は不幸にも揺れやすいつり橋にばかり遭遇(しかもなぜか途中まで行くと左右の主索が同時に切れる事が大半)しているが、オブローダー的にはああいうシーンを見ると微笑ましくなる(笑)。




ただでさえ渇水なのに、その最大の流入河川の河原で盛大に砂利採取をされれば、澄んだ湖になれと言うのが無理というもの。
残念ながら今日の秩父湖は、白黒写真の方が夢を持って臨めそうだ。

問題はそこではなく(万が一墜落した場合の湖の色など、考えたくもない)、対岸の斜面のあからさまな険しさと、そこにこれと言った道らしきものが見えないという事態である。
所詮は歩道であり、これだけ緑が深ければ道が見えないのはおかしくないかも知れないが、不気味ではある。

そして、この同じ立ち位置でさらに視界を左へ向けると、そこには…。



瓜二つ!

秩父湖橋と本当にそっくりな姿をしたつり橋が、左側の谷の奥にも架かっていた。

この橋こそ、今回私が対岸廃道への進入路にしようとしている橋である。
だが、それが無事渡れるものであるかどうかは、ここからではまだ何とも言えない。
廃道へ続くものである以上、楽観視は出来ないのだ。

…それにしても、中々豪快な立地条件である。
件の廃道は、いずれ劣らぬ規模を誇る2本のつり橋でしか、アクセス出来ないのだ。
仮にこれらの橋が両方とも撤去されたら、廃道は“幻の道”という類い稀なる逸材に進化してしまいそうだ。




9:42 《現在地》

出発地点の秩父湖橋から1.5kmほど走ると、いよいよ秩父湖の父である二瀬ダムが姿を現わした。

荒川総合開発事業の基幹施設(多目的ダム)として昭和36年に完成した、堤高95m、堤長285mの、当時としては大規模なアーチ式コンクリートダムである。
ちなみに秩父湖という名前は、秩父宮妃殿下によって命名されたものだそうだ。(角川日本地名辞典)

このダムを目にするのは2度目だが、水位の低さがダムの威容を際立たせていた。




近くに「大滝村観光協会」の記名がある大きな観光案内板が設置されていた。
そしてこれが今回のターゲットの正体を確に教えてくれた。

秩父湖一周ハイキングコース。

他のハイキングコースと同じ赤い塗料で描かれていた線は、既にほどんど消えて見えなくなっていたが、路線名の注記だけは残っていた。

滝沢ダムやそこを通る国道140号のバイパス(現道)が描かれていない(もちろん山梨県へ通じる雁坂トンネルも描かれていない)案内板には、「昭和60年3月書替」の注記があった。
少なくともその頃まで「秩父湖一周ハイキングコース」は廃道ではなかったのだろう。




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“魔窟” 駒ヶ滝隧道  ver.2012


さて、「秩父湖一周ハイキングコース」の起点(ないしは終点)であるもう一つのつり橋へ行くためには、ここから二瀬ダムの堤上路を通って、対岸の県道278号へ進まねばならない。
だがそのためには、自動車・自転車・歩行者のいずれの場合であっても“魔窟”を通る必要がある。
高さと幅を規定する物々しい虎柄ゲートと、最大待ち時間5分を刻む信号機によって、厳重な交互通行措置を施された“魔窟”。

山行が読者には既にお馴染みかもしれない駒ヶ滝隧道、その穴である。

なお私が前に駒ヶ滝隧道をレポートした平成19年当時は、今回のように上流側から来た場合、駒ヶ滝隧道へ入る必要がなかった。
この隧道西口の分岐を右へゆく事で、直接堤上路へアクセスが出来たのである。
それが今回は、封鎖されていた。



この件は本編テーマの廃道とは関係しないが、駒ヶ滝隧道の現状については興味がある読者もいると思うので少し説明しよう。
右の図を見ていただきたい。

従来、ここには3本の道があった。
一つは洞内分岐を有する駒ヶ滝隧道(幅員3.2m)であり、これは自動車専用だった(二瀬ダム堤上路側の坑口にのみ標識が現示されていた)。
そしてその迂回路として歩行者専用道路(緑)があった。この歩行者専用道路は堤上路にはアクセス出来ない。
さらに駒ヶ滝隧道の西口と堤上路を結ぶ道(青)があった。この道は歩行者も通行する事が出来る。

少し複雑だが、これらを組み合わせれば、歩行者は東西どちらから来ても駒ヶ滝隧道へ入らずに堤上路へ行けた。

それが今回、駒ヶ滝隧道を置き換える新たな道路(ピンク)を建設する工事が進んでおり、その影響で「青」の道が封鎖されてしまった。
その結果どういうことが起きたかと言えば、東西どちら側からであっても、また歩行者・自動車の別なく、堤上路へ行くためには必ず駒ヶ滝隧道を経由する必要が生じている。
そればかりか、西口から堤上路へ向かうためには、一旦東口へ抜けてからUターンしなければならない事態になっている(トンネル内分岐を西側から右折する事が禁止されているため)。

これは国道の現道としては酷い不便さであるが、既に国道140号としての通過交通の大半は滝沢ダム経由の新ルートへ切り替わっており、秩父湖経由の旧ルートは交通量が大幅に減っているため、「工事完成までちょっと我慢してね!」と言うことなのだろう。
そもそもの地形的な余裕の無さがあり、ここに新道を作ろうとすれば何かを犠牲にせざる得ない。




駒ヶ滝隧道外の山腹を横断する歩行者専用道路から、その川側に建設が進む新道を見る。
この写真からだと高度感が湧かないかも知れないが、そこは本来“空中”である場所で、5年前にはこのような橋の影も形もなかった。

そして、ここに新道を作るために犠牲になったのは、前述の道だけではなかった。

もう一つあった。




二瀬ダム管理事務所が、取り壊され中!

この光景には、少なからず衝撃を受けた。

道路族と電気族(そんなものあるのか?)の長きにわたる戦いは、道路族の勝利に終った。
そんなイメージが脳裏に浮かんだ。

国道の新道を建設するために、(従来の国道を建設する契機ともなった)二瀬ダムの頭脳である管理事務所を破壊するとは。
もちろん実際にはそんなにたいそうなことではなく、管理事務所は別の平穏な場所に移転すれば足りるだけなのだろうが、現役の湛水したダムの管理所だけが取り壊されている光景には、頭部を失った生き物が生存しているような不気味さを感じたのであった。



歩行者専用道路上に設置されていた、先ほど目にしたものよりもだいぶ新しそうな案内板「秩父湖周辺概要図」。

このかなりデフォルメされた地図には、秩父湖に架かる2本のつり橋が描かれており、それぞれ荒川吊橋、大洞川吊橋と注記されていた。
前者は「JSCE橋梁史年表」において「秩父湖橋」とされているものに他ならず、建設当初から橋の名前を変更したとも思えないので、荒川吊橋は愛称だろう。
確かに秩父湖によく似た姿のつり橋が2本架かっている以上、秩父湖橋という名前は不案内であり、荒川に通じる湖上に荒川吊橋、大洞川に通じる湖上に大洞川吊橋というのは分かり易い。

注目すべきは、この2本のつり橋を結ぶ「秩父湖一周ハイキングコース」は描かれていないという事だ(消されたようでもない)。
この案内図の設置時期は、「大峰トンネル」(平成9年開通)と「ロープウェイ」(平成19年廃止)が共に描かれているので、この期間内と見られる。
したがって、ハイキングコースはこの探索の少なくとも5年前には廃止されていたことになる。




自転車の私はトンネル内分岐を西口から二瀬ダム堤上路へ抜ける事が出来ない(禁止されている)ので、通行量のめっきり減った(平日のせいか信号待ちの車もほとんどいなかった)駒ヶ滝隧道を、トンネル信号機の現示に従って東口から進入。

懐かしいトンネル内分岐地点(→)には、特に変化は見られなかった。

しかし数年後に新道が開通したら、この珍しい隧道はどうなるのだろう。
さすがに埋め戻されはしないだろうが、封鎖は免れないか?
最悪、今日が最後の通過になる可能性もある。




かつては信号もある丁字路だった、堤上路側の坑口。
ここは(林道を除けば)三峰神社へ至る唯一の車道でもある。

だが前述したとおり、ここはいま改良工事に伴う破壊の真っ最中であり、すでに無人の廃屋となった頑丈な管理事務所が最期の姿をさらしていたし、右折する道も完全に封鎖されていた。

新道が開通すれば、ここに新たな三峰神社の入口が誕生することになる。




5年の間で、この景色に数え切れないくらい沢山の変化が生じている。
だが、次の5年の変化はさらにドラスティックなものになることだろう。

(堤上路の歩道部分の色まで変わっているのには地味に驚いた。)




堤上路を渡り終えて右岸から左岸を見ると、先ほど「そこは本来“空中”である場所」と評した新道の破天荒ともいえる位置が分かる。

まるで林鉄の十八番である木製桟橋を、鋼鉄を使って何倍もの規模にして作っているかのようである。
近くにあるダムと比較すればさほど大きく見えないかも知れないが、ダムの高さが約100mであることを忘れてはならない。




さあて、次回からが本題だ。

はたして鬼が出るか蛇が出るか。