秩父湖一周ハイキングコース 第2回

公開日 2013.02.28
探索日 2012.10.12


大洞川つり橋から入山… 廃キング開始! 


二瀬ダム堤体を通過し、秩父湖南岸の県道278号をひとしきり走る。
この道はやがて三峰神社がある三峰山の山頂近くまで上り詰める山岳路線だが、今回私が走った区間内にはさほどの勾配もなく、ほとんど湖面との比高を一定に保っている。

そして堤体から800mほど走った所にある埼玉大学山荘前が、今回のターゲットである「秩父湖一周ハイキングコース」の入口である。
その近くの路傍に、ハイキングコース健在の時代に作られたらしい案内板が残っていた。




「三峰秩父湖周辺案内図」と銘打たれた、オシャレさのかけらもない案内板には、国道が太い実線で、それ以外の車道が中くらいの太さの線で、歩道が細い赤い線で示されていた。
そして「秩父湖一周遊歩道」という文字の大きさは、「三峰観光道路」(昭和42年に有料道路として開通、現在は無料化され県道278号の一部になっている)と同じ大きさで地図中最大であり、「林道雲取線」などよりも遙かに大きい。
これは看板が設置された当初において、遊歩道がかなり重要視されていた事を感じさせる。
また、遊歩道の前後には「荒川吊り橋」「大洞川吊り橋」という文字も見て取れた。



2012/10/12 10:01 《現在地》 

埼玉大学山荘の脇に道しるべが立っており、そこからダム湖の方へ下って行く歩道がある。
私はここに自転車を残し、ここからはいよいよ徒歩で進むことにした。

なお、私はうっかり、道しるべのうち進行方向側の羽根に書かれている文字を読み忘れてしまったが、なんて書いてあったのだろう。
確か無地ではなかったと思う。

私がこのようなミスをしたのは、すぐ先に立っていた別の看板に意識を奪われたからかも知れない。



遊歩道を進もうとする者に向けられた2枚の看板があった。
1枚は完全に錆びきっていて、何を言わんとしているのか全く分からない。
そしてもう1枚には、見覚えがある。
この探索の発端となった秩父湖橋(荒川つり橋)の袂にあったものとほぼ同じである。
(違いは、「大滝村役場建設課」が「秩父市」に修正されていた事だけ)

そしてこの時点で、二つの事が判明した。

一つは、こちらの橋も大丈夫(通れる)ということ。

そしてもう一つは、橋の先に待ち受ける秩父湖南岸(荒川と大洞川に挟まれた陸地)の区間は全て、通行止めになっているということだ。
通行止め区間の長さは、約1.8kmと推定される。
これは長すぎず、短すぎずといったところだろうか。




県道からつり橋までの距離が、約200mある。
前回のつり橋は旧国道の路傍にあったが、こちらはわずかとはいえ隔たりがあるので、訪れる人は一層少ないかもしれない。
遊歩道の路面にはうっすらとシングルトラックがある程度で、真新しい「落石注意」や「路肩注意」の看板が妙に目立ちすぎていた。

だが、緑のトンネルを抜けてつり橋へ近付いていく感じは、とても清々しい。
2本の橋のそのものの規模は同程度だが、私はこちらの方が断然好きだ。
直下で作業する重機がいないだけでも、ぜんぜん印象が違っている。

下り坂に急かされることもなく、味わい味わいしつつゆっくり進む。
このあとに待ち受けていた試練を、このときはまだいくぶん過小評価していた。

それは侮りではなく ――知らなかったからだ。




つり橋に到着した。

下手くそな写真の言い訳がましいが、この橋は反対側から見た方が遙かに写真写りがよいと思う。

それはそうと、この橋の名前も二つある。
一は現地案内板がこぞって挙げる、「大洞川つり橋」というもの。
橋の下は秩父湖だが、その水面に隠された地形が大洞(おおぼら)川であることからの命名だろう。
大洞川とは中部地方にありがちな命名だが、都県境の雲取山周辺から流れ出す極めて清らかな渓谷である。

もう一つの名前は、これがおそらく本称なのであろうが、JSCE橋梁史年表にある「大洞橋」というものだ。
それが曰わく緒元は「秩父湖橋」とそっくりで、開通昭和37年(同じ)、橋長170m(-30m)、幅1.5m(同じ)である。
さらに言えば、主塔の形状も同じだし、欄干の高さや構造、橋板のそれ、さらに塗色に至るまでが一致している。

まさに“兄弟”あるいは“姉妹”橋と呼ぶに相応しいが、これらの長大つり橋2本をもって初めて成立しうる「秩父湖一周ハイキングコース」は、そんじょそこらの遊歩道とは気合いの入り方が違っていると見るべきである…のに封鎖されているという…



さて、大洞橋である。

特に渡橋上の問題点とはならないが、細かなところを見ると、やはり老朽化は進んでいる。

この橋も直近では平成2年に踏板の交換をしているのだが、やはり一部に欠けが発生していた。
こういう欠けた部分から、踏板が実は薄っぺらであることを知ってしまうと、大して揺れはしないものの怖さは倍増する事になる。

そんな部分も含めて、良いつり橋である。




秩父湖の大洞川“腕”から見晴るかす、荒川本流“腕”の広い水面。

今日は水位がとても低いけれど、このダム湖には特に集落は沈んでいない。
元もと狭隘な谷間を堰き止めて作られたダムであり、この地域の集落は元より高い位置にあったのだ。

だが、「秩父木材」という会社が運用していた民間の森林軌道と、その終点である二瀬貯木場が沈んでいるはずである。
秩父木材軌道は上流の川又という場所で(廃線・廃道ファンには有名な)東京大学秩父演習林軌道と接続していたのであるが、ダム湖の工事に伴って全線が廃止されている。
廃線跡の上半分は現在の旧国道であり、下半分は廃道化し湖畔に痕跡を留めるか、湖底に沈んでいるのだ。



10:12 《現在地》

爽快な空中歩行を楽しんだあとは、いよいよ「通行止め」が予告されている南岸エリアに飛び込むが、その始まりに、私が持参した地形図には記載されていない分岐地点があった。

指導標も立っており、左は「山道行き止り」、右は「吊り橋を経て秩父湖バス停 栃本川又方面」とあった。

帰宅後に少し古い地形図を確かめると、左の道もちゃんと描かれていて、それはここから南西2km強の地点にある標高1369mの三角点がある峰の頂上に達していた。
いわゆる廃登山道になっているのだろうが、この山上にも他からは完全に途絶したような森林軌道があるという話を聞いたことがある。
そこへはどうやらここから行くようである。(いずれのお楽しみだ)



渡橋制限 一度に五人以上渡らないで下さい。 秩父市」

こういうことは、

こちら岸ではなく、

橋を渡る前に目に付くようにした方が、

良い気がするわけだが…

(苦笑)。



で、右の道を行くと、

橋がまだ視界から消えないくらいの距離で、予告されていた光景が現れた。

全面通行止

ハイキングが、廃キングへと脱皮するときが、来たようだ。




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柵の向こう側へ入っても、直ちに路盤がどうにかなるようなことは無かった。

おそらくこの辺りはまだ、オブローダーを自負しない人々(敢えて「一般人」などと言えば上からの物言いに聞こえそうだからしないが、まあそういうことである)の“好奇心”の及ぶ範囲であり、なにがしか具体的な崩壊や危険な場面が現れるまでは、劇的に廃道化することは無さそうだと予感した。

だが、最終的にはすっかり廃道状態になり果てることは、既に“出口側”を確認しているので、分かっている。
問題はその変化が、1.7〜8kmのうちのどこでどのような形で表面化するのかであった。
さらに言えば、私を含めてほとんど誰も通り抜けできないような決定的な崩壊が、あるかどうか。
今回は徒歩で通り抜けをする前提で行動しているので、引き返すことになると、かなり面倒だなーとか思っていた。

(予めゴール地点に車をデポするなどお膳立てを整えた探索になるほど、それを無駄にしたくないという心理が働くことで、進退判断の硬直性が高まるというリスクがある。準備を整えるほど安全度が下がるという、これは一種の矛盾である。)



注意 落石や足もとに注意して下さい 大滝村

ハイキングコースが生きていた時代の注意書きが現れた。

「大滝村」の記名が、秩父市に書替えられた形跡が見られない。
このことから、封鎖(廃止?)は平成17年より前に行なわれたと想像できる。

橋を渡ってから、道は緩やかに上りながらも大筋ではトラバースを続けていた。
敢えて路肩に近付くこともしなかったのだが、この看板に触発されて、湖面を初めて覗き込んでみたところ…。




高っけーな!

しかも今さらに、私は重大な事に気付いたよ。

万が一、万が一の場合の滑落を想定したとき、
ダムの水位が高い方が安全なんだと気付いた。

今の水位だと、湖面に到達するまでに「ざくろ」になってしまいそうだ。
何となく “水<陸” という陸生生物の本能からか、水位が低い方が安全なイメージがあったけど…。



「落石や足もとに注意」の看板を口切りとして、突如路盤の荒廃が始まった。

巨大な倒木を含む大量の瓦礫が道を埋め尽くし、斜めの平らな斜面に変えてしまっている。
その傾斜は比較的緩やかであり、突破することは難しくないが、

“好奇心”の来訪者の一部は、ここで引き返すことだろう。
誰の目にも「廃道の始まり」が明らかとなる地点だった。



10:23 《現在地》

大洞橋から350m歩くと、道中で一箇所しかない進行方向の大きく変化する地点に辿りついた。

ここは荒川と大洞川の分水嶺である和名倉山の尾根が秩父湖に落ち込む地点であって、これまでは大洞川沿いに北進していた進路は、ここで90度折れ、以後は荒川沿いに西進する形となる。

そしてこの場所、見た目にもなかなかインパクトがあった。
誰かが木を伐ってそうしたわけではないと思うが、カーブの向こうに一際大きく“緑の窓”が開けていて、そこから燦々と日を浴びる対岸の寺井集落が見通せたのである。
これまた爽快な眺めであった。
心が躍った。

そしてさらに、カーブに差し掛かった私を喜ばせるものがあった!




橋、キター!!



踏板が無いッ!

こんな「ねこをかぶった」手摺りがあるのに、肝心の踏板がないとはっ!!

なんたる「ねこかぶり」橋梁!




侮りガタイ、この高さ!

踏板がない(撤去されたのか、自然に朽ち果てたのかは不明)ために、2本の桁材に直接足を乗せて渡るより無い。
その桁材も幅が狭く、靴底を横に置くことは出来ない。
桁の形式はH鋼であり、橋としては極限まで単純な形式である。

もしも手摺りが無ければ完全な“平均台プレー”を余儀なくされたであろうが、本橋では片手を手摺りに預けることでバランスを整える事が可能である。

もちろん、手摺りに体重を預けるような真似は、厳に謹むべきだ。
湖側の手摺りの一部は基部が朽ち、支えを失って橋から落ちそうになっていた。
(手摺りに頼るべきでないことをここで意識しながらも、私は後にミスを犯すことになった)



こうして見ると、この橋も実は二つの吊り橋に負けないくらい、重要な役割を担っている。
本橋が墜落した場合、おそらく私のような徒手空拳では、ここを突破出来ないだろう。

橋の長さは一般型ガードフェンス4スパン分、すなわち3.0m×4=12mくらいだろうか。
意外に大きな橋である。

また個人的な好みから言えば、歩道用の橋というのはいささか勿体なく、これがもし林鉄橋であったら一層大きな歓喜の叫びを上げていた。
が、あくまでこれは私の好みであって、より多くの人に親しまれたのは、この名も無き遊歩橋であろう。
現役当時の写真を撮っている人がいたら、ぜひ拝見したいものである。

どうやら、この廃キングコースは私を楽しませてくれそうだ。

楽しい楽しい廃キングが、もう始まっている!!




楽しい、楽しい…。




楽しい?





いや、ヤバイかも知れん。

嫌な匂いが漂ってきた…。