道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 平成流し坂トンネル旧道 後編

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.04
公開日 2023.05.15

 働く車は美しい! 激闘のトンネル


2016/3/4 15:21 《現在地》

青ヶ島村には現在2本のトンネルがあるが、既に開削によって消滅したものを含めると歴代3本のトンネルが存在したようだ。その中で最も新しいのが、この「平成流し坂トンネル」である。
私はこのトンネルが整備される以前の旧道を登ってきたために、下の坑口を通り越して先に上の坑口との遭遇となった。しかも、坑口へ正面から近づくのではなく背撃する形になったので、写真もいきなり近景からだ。全体像はこの後紹介する。

平成流し坂トンネル
1992年 3月
東京都建設局
延長237.0m 巾4.0m 高3.5m
施工 五洋・広江建設共同企業体

青宝トンネルに取り付けられていたものと同一形状、同一フォーマットの銘板があった。
表記されたスペック的には、幅と高さは同一で、長さは半分程度こちらが短い。
だが、青宝トンネルがそうであったように、このトンネルも銘板のスペックだけでは計り知れない強烈な個性がある。
それが白日に晒される内部探索は、後ほど。



うわっ!

思わず、そんな喫驚の呟きが漏れた、奇抜過ぎる坑口全体像。

いや、坑門自体はどこにでもある平凡で無個性なデザインなんだけど、何に驚いたかって、直前の道との取り付け方が強引すぎやしませんか?!

なんというか、もともとあった道路に対する、新道としてのこのトンネルの継ぎ接ぎ感が半端ない。
「通れれば良いでしょ!通れれば!」っていうツンデレ?(デレてないかも?)な声が道路から聞こえてくるようだ。

まあ実際正直なところ、こんなに無理矢理な線形だとしても、このトンネルがとても助かる存在なのは間違いない。それがなかった時代の旧道を見て欲しい。もう最初の切り返しカーブがすぐそこに迫っているが、ちょうどいま背後から現れてトンネルに突入しようとしている青ヶ島運送の青いトラックも、このサイズだと旧道はまず通行不可能だったと思う。このトンネルのおかげで島を闊歩できるようになったはず。



現道に入った直後も、旧道のそれを引き継ぐような急な上り坂が続く。
拡幅はされているだろうが、線形は旧道時代から変わってないようだ。
坑口前が複雑なS字カーブになっているために、トンネルの奥や出口は見通せない構造だ。

そしてトンネルは幅4mとやや狭く、乗用車同士ならすれ違えるが、大型車が絡むと厳しいので、坑口前が2車線になっていて、車が待機できるようになっている。
え? 見通せないトンネル内に先行する対向車が居るかどうかをどうやって知るかって?
それはもちろん、窓を開けて音を聞けばいい。それで事足りるはず。なぜなら、このトンネルを静かに上ってくる自動車は、いないはずだから。

トンネル内部の探索は後にして、まずはタイムリミット(たぶん17時?)がある青ヶ島村役場での手続きを優先すべく、疲れた足に再び鞭をして上り坂を再開する。
ここまで来れば、一連の外輪山越えの登りは8割方終わっており、残り300mで30m弱登高すればゴールである。




路肩を覗き込めば、直前まで必死に行き来していた旧道の九十九折りをまとめて3段分、一気に見下ろすことが出来た。
そして遙か眼下には池之沢の丸いジャングルが広がっている。

小さな島の中に造られた、さらに一回り小さな閉じた世界であるカルデラを見下ろしていると、この地が精巧に作られた巨大なジオラマであって、自分がその一員であるような不思議な感覚を覚えた。島には多かれ少なかれそれがあると感じるが、青ヶ島は本当に箱庭感が半端ない。




なんでもない路傍に、高速道路とかの非常電話を思わせるような露天の電話ボックスが設置されていた。
緑色の配色も非常電話っぽいが、「村内電話」の表示があるほか、小さな文字で、「ハンドルを→の方向に廻す PUSHを押す」という箱の開け方をレクチャーする文章や、「村外及び携帯電話は通話できません」の注意書きがあることで、非常時だけでなく常時利用可能な公衆電話だということが分かる。

この後も村内各地の路傍でこの電話機を見たが、道路マニア的には非常電話然とした外見に気圧されて触る勇気が出なかった(苦笑)。
現在でこそ主要キャリアの携帯電波が島内の主要な部分をカバーしているが、以前に村独自の通信インフラとして整備されたものらしい。特に料金の設定がなさそうだったが、無料なのかな? 行政サービスで電話が無料の村というのは初耳。



15:28 《現在地》

よーし、辿り着いた!
外輪山を乗り越える、海抜280mの切通しへ。
この峠そのものに名前が付いているかは分からないが、流し坂の頂上というべき場所。

ちょうど切通しは分岐地点にもなっていて、村落へ通じる都道はこのまま直進だが、右折して外輪山の稜線沿いに東へ進む道の行先は、この翌日に命がけのアタックに血道を上げることになる魔の港、大千代港である。

また、切通しには流れ坂登り口以来となる都道のヘキサが立っているほか、島内では(私は)ここ1箇所でしか見なかったと思う最高速度30kmの規制標識がある。
驚くべきことに、この規制標識の補助標識には「島内全域」と書いてあり、このたった1枚の標識で島の全ての公道に30km規制がかかっていることに驚いた。この島には法定速度で走らせることができる公道が存在しない!

(なお、青ヶ島は道路標識自体がとても少なく、案内標識は「ヘキサ」が数本あるだけで、規制標識はここにある「最高速度」と、村落内で見た「止まれ」しかないんじゃないだろうか)




大千代港へ通じる村道側から、都道の切通しを見下ろして撮影した。

俯瞰で眺めるカルデラ側面の傾斜の凄まじさは、アルプスもかくやと思わせるほど。
流れ坂はとても険しい道だったが、それでもこれほど険しい外輪山の壁に
自動車が通れる突破口を開いたのだから、島にとって大きな発明であったと思う。

チェンジ後の画像は、同じ場所から見下ろしたカルデラ池之沢の全景だ。
たった2日間の青ヶ島滞在だったが、ここから眺めたカルデラが一番美しかったかも。



そしてこの外輪山の峠に達したことで、一連の探索としては残所越以来の海を見た。
これは上陸して初めて見る北方の海だ。本土や八丈島がある私にとっては帰りの海。
“絶海の孤島”と言葉にするのは容易いが、本当に茫洋として果てしない海が広がっていた。
青ヶ島から見ることが出来る陸地は約80km離れた八丈島だけで、他は小島一つ見えないのだという。

280mも下にある海面は、とても穏やかに見えており、微かなさざめきも聞こえないが、
実際に波打ち際へ近寄れば、大洋の荒波が絶え間なく打ち寄せていることは間違いない。



流し坂から完全に離れ、都道を村落のある岡部地区へ向けて走行していく。
道は相変わらず1.5車線だが、海抜250m前後の高原的な山腹をトラバースしていく道には緩やかなアップダウンがあるくらいで、見通しが良く、自転車にも優しい道だ。気分はウィニングランである。

ここまでの道のりを思い返せば、距離のうえでは5kmにも満たないものの、本当にもの凄い変化の連続だった。海上要塞の如し三宝港へ上陸した直後の私を待ち受けていた、“釜トン”級の強烈な急坂を持つ青宝トンネル。そこを抜けたら、ムンムンと熱気が籠もる池之沢のジャングル地帯だった。そして再び激甚な坂道で外輪山の登頂に挑んだ流れ坂を経由して、ようやく島の屋根にほど近い高度領域にある、この穏やかな村落に迫りつつある。




やがて民家が現れ始めると、そこが岡部地区の東側にある休戸郷(やすんどごう)と呼ばれる村落だった。寄り道が多かったせいもあるが、島に上陸してから約3時間ぶりにしてようやく人家に辿り着いた。寄り道をしなければ約5kmの道のりで、徒歩でも1時間半ほどで来られるだろう。

この場所も引き続き海抜250mを越える高所であり、これは伊豆諸島で最も高所に現存する集落だと思う。休戸郷には、青ヶ島村の多くの行政サービス施設、すなわち役場、学校、駐在所などが集中しているが、この西側に隣接する西郷地区にも人家が点在しており、休戸郷と合わせて青ヶ島村の唯一の居住エリアとなっている。島の人口は約170人で、もうだいぶ長い間、日本の自治体における人口最小の座を守っている。



これは青ヶ島駐在所。
正式には警視庁八丈島警察署青ヶ島駐在所といい、東京都内なので当然ではあるのだが、駐められている「警視庁」と車体に書かれたミニパトが勇ましい。
もちろん「品川」ナンバーだ。伊豆諸島だけでなく、品川から1000kmも離れた小笠原諸島にまで、品川ナンバーの生存圏は広がっている。


15:40 《現在地》

駐在所を過ぎるとすぐに、上陸後初めて目にする信号機が見えてきた。島ではここにしかない信号機である。
押しボタン式の横断歩道信号機で、ボタンが押されない限りは常に車道(都道)側が青になっている。

幅4mほどの1車線道路を横断するのに、この施設が真に必要かと言われれば疑問もあるが、島の子供に信号機の意味を教えるために設置されているなんて話を聞いた気がする。でももしかしたらこの島のことではなかったかも知れない。(離島に一つだけ信号機があるのは、実はそれほど珍しくない)
そしてこの信号機のすぐ隣に、青ヶ島村役場があった。



信号機の脇の植え込み、すなわち役場前にある植え込みなわけだが、そこになんとも衝撃的な案内板が掲示されていた。

これ、都道に面する側がおそらく表面で、【こんな】普通の内容の案内板なんだけど、何気なく裏側に回り込んでみたのが右の画像でして……。

東京都青ヶ島村無番地 Tokyo-to Aogashima-mura mubanchi 」という、公的にはこの島にこれ一つしか存在しない「住所表記」の文字列が書かれており(番地がないので、郵便物は「青ヶ島村 ○○様」で届くようだ)、その下には絶海に囲まれた日本列島をイメージさせる青地の日本地図の中のゴマ粒の如し小さな青ヶ島の位置に、ポツンと「 現在地 You are Here 」と書かれていたのである。

私にはこれが、シュールな笑いを狙ったネタなのか、はたまた大真面目な意図で用意されたものなのか分からず、とにかく地図と「現在地」の強烈なインパクトに面食らうばかりであった。絶海にある孤島をこれほど端的に表現した地図はなく、全くセンスありすぎだ。ぶっちゃけ、これを紹介したいがためにここまでレポートを引き延ばしてきたまである(笑)。(あと、なぜか私は「バイオハザード」でゲームオーバーになった時に表示される「YOU ARE DEAD」を思い出してしまった)



15:45 

青ヶ島村役場の小さな庁舎に掲げられた、極めて幾何学的な村章のエンブレムが、なんとも異世界感を醸し出している。
有名な「トライフォース」のデザインにそっくりだが、村公式サイトの説明によると、「紋章の外円は青ヶ島の島形と無限永遠性、大きな▽≠ヘ火口カルデラ、小さな△≠ヘ内輪山を示しています。」とのことで、本当に異世界感があった。笑。

ともかく、私は上陸から約3時間をかけてこの役場へ到着。
ここで無事に予約していた池之沢のキャンプ場の使用許可を得たことで、今夜の宿の不安を払拭したのであった。
その後は、時間が許すだけ村落の近辺を探索して――




17:17 《現在地》

――約1時間半後、今度は池之沢へ下るべく、再び流し坂へ帰ってきた。

まだ日没はしていないはずだが、海面に近づいた夕日が外輪山に隠されて、池之沢は一足先に夜の帳に覆われ始めていた。
真っ暗になる前には寝床にキャンプを設営したい。
これから流し坂を余計な寄り道をせず下るつもりだ。
当然、旧道なんて相手にせず、現道の平成流し坂トンネルを使うぞ!




何度見ても(まだ2度目だけど)、ひでぇ線形だなぁ、この坑口前は(苦笑)。
直進すれば旧道なのを無理矢理左折して地山へ突っ込んでいく感じ。しかも全体が急な下り坂というね。車線上からは進行方向のトンネル内が全然見えないぞ。
だからカーブミラーがあるんだろうけど…。

突入開始!




先に銘板を紹介しているが、このトンネルの全長は237mである。
短くも長くもないといったところだが、その内部は例によって離島ならでは、あるいは青ヶ島ならではと思える無理矢理感が漂う構造が散見される。

まず、道路地図や地理院地図の直線表記に反して、実際の内部には、見通せない強烈なカーブが存在する。
加えて、両側の坑口の間に20〜30mもの高度差がある。正確な数字は分からないが、仮に20mだとしても8%以上の勾配、30mだったら12%以上の強烈な平均勾配となり、実際の感覚は明らかに後者に近いものがある。すなわち離島版“釜トン”、いや、青宝トンネルの再来なのである。この島にあるトンネルは、平坦ではいられない呪いを受けているようだ。

さらに加えて、トンネル内の幅が一定ではない。
実は最初に出会った峠側の入口は、銘板表記の幅4.0mよりも広い。多分見通しの悪いカーブ上にあるから拡幅してくれたのだろう。しかし中へ入るとこれがすぐに本来の4.0mに縮小する。写真はその縮小の場面から、激しくカーブして見通せない奥を見“下ろして”いる。
その奥の方にも、入口同様に拡幅されている部分が見えていて……。



そこには待避所があった。入口からまだ50mくらいしか来ていないところだ。
青宝トンネルにも同じ設備はあったが、カーブしていて先がほとんど見通せない分、こちらの方が有効度、必要度ともに高そうだ。

惜しむらくは、トンネル全体が傾斜しているために、このトンネルにおけるカーブと双璧をなす強烈な特徴である勾配の強さが写真からは伝わりづらいと思ったのだが……

ブオーー!!!!

!! 突如もの凄いエンジン音が、まだ見えないトンネルの行く手から吹き上がってきた!
突然の大ボリュームに気圧されたが、何が起きたかはすぐに理解した。
対向車が、来ている。
この超絶に勾配しているトンネルを、エンジン全開でよじ登ってきている車がいるッ!
レポートにおけるカユウマなところに手が届く渡りに船とは、このことだ。久々の登場となる、山行がを陰から応援してくださる車輌さま、いらっしゃいませ!
スタンバイOKですよ!




ブオーーーー!!!!

キタキタキターーー!

大きいのがすげー吹かして来てるッッ!!




大地を揺さぶる大迫力!

働く道がそうであるのと同じくらい、働く車もかっこいい!!

待避所に居る私への遠慮があったわけではなく、素で
このくらいの速度でしか走行できないほどの激坂と、
そしてカーブして見通しのないトンネルの窮屈さなのであった。



トンネル内の勾配は途中に変化がなく入口から出口まで一定だが、カーブはもう少し複雑で、最初に強めに右カーブをした後はしばらく直進が続き、そして外へ出るところでもう一度強く右へカーブしている。
写真はこの出口部分の右カーブだ。夕日が入り込んで独特のムードを醸し出していたが、いつまた爆音浴が始まらないとも限らないので、待避所ではないところはさっさと通過するに限るだろう。
ちなみに待避所は洞内に全部で2箇所あったほか、出入口部分はどちらも拡幅されていた。




17:20 《現在地》

ぶはっ!

しっ、失礼!
また笑いが吹き出してしまったよ。
これ、出口がそのままヘアピンカーブじゃねーか!

もうこれほんと何でもありだな。
地図だとこのヘアピンカーブはトンネルの外にあることになっていたが、実際はその3分の1くらいはトンネル内が受け持っていた。
確かに技術的には現代的で高度な施工なのだろうが、平成生まれの新道とは思えぬアグレッシブすぎる道路形状である。



トンネルを抜けた所で都道は進行方向を切り返すので、後はそのまま外輪山の急斜面を斜めに横切りながら急坂を下って行けば、250mほどで【旧道分岐地点】である。

トンネルを後に下ろうとしたところで、キタキタ! もう一台上がってきたぞ〜! 凄く頑張ってるのが伝わってくる甲高いエンジン音が、カーブの向こうから近づいてきた。

……す、 

すごい“模様”だな。




でも、無理もないことかも知れない。

青ヶ島という場所は、自動車が活躍するにはとても過酷な環境なのだろう。
嵐の度に塩水を多分に含んだ雨が降り、風だって潮気を帯びない日はない。
そして島内全域30km制限という自動車の性能をフルに発揮させることが決して出来ない狭い道に、多すぎる急坂、短距離走行ばかりの毎日だ……。

青ヶ島は、おそらく自動車メーカーすら想定していない過酷な耐久テスト環境といえるのではないだろうか。
ますます甲高い音を響かせながらトンネルへ消えていった車の後ろ姿を心中の敬礼で見送った私は、今度こそ今日の探索を終えるべく池之沢へ向かった。




17:35

最後に池之沢から見上げた、流し坂のある外輪山の壁。

この壁の高度差を、港と村落の行き来で毎日克服し続けている、そんな暮らしがある。

青ヶ島上陸当日の探索は以上である。そして翌朝は、日が昇る前に再びここを登ることになった。

(次回作もお楽しみに…)


(島への残り滞在時間 19:55)