道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 平成流し坂トンネル旧道 中編

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.04
公開日 2023.05.06

 流し坂の旧道は、私を興奮させるためにここにあるのか!


2016/3/4 15:07 《現在地》

現道でも1.5車線の急坂道なのだから、旧道は当然それより劣る規格の道だった。
まず道幅が狭い。ちょうど1車線しかなく、乗用車のすれ違いも不可能だ。しかも待避所が見当らない。
加えて、15%〜20%はあろうかという激の付くレベルの急坂が続く。一応コンクリートで舗装されているので、MTBの変速を最大に軽くして自走は出来たが、内地でも稀な急坂であり、事情を知ったドライバーでなければ、この先に島唯一の集落があるなどとはまず考えない道だろう。

こんな過酷な旧道だが、ここを自動車が通れるようになったのは昭和58年で、その後まもなく昭和60年に青宝トンネルが開通したことで、三宝港〜青宝トンネル〜池之沢〜流し坂旧道〜村落という一連のコースは、島内の拠点を結ぶメインルートとなった。その後、平成4年に流し坂の現道が整備されるまでは、毎日たくさんの車がこの隘路を行き来したはずである。



うおおぉー!!
キッツい道だけど、かっけぇな〜!

これは惚れてしまう山岳道路風景だ。
わずか4km四方の範囲にすっぽりと収まってしまうような小さな陸地とはとても思えない、高度感に満ちた鋭い山容が、激戦に草臥れきった路面と、ヘロヘロのガードレールの向こうに、聳えている!
地形が人に牙を剥く場面が、この島にはあまりにも多いのに、そこから大きく離れて行き来することも許されない、狭い世界だ。人の営為と自然の猛威が、がっぷりよつに組み合う世界。

この場所からは、外輪山が最も高く聳える北側山陵、島内の最高峰でもある標高423m大凸部(おおとんぶ)付近が、遮るものなく見渡せた。
そしてちょうど山の裏側、標高250m前後の高台が、目指す村役場および村落の在処である。ここまでの沿道には一軒の住居も見せなかった島民たちは、あの山の向こうに挙って暮らしている。
あんな所に人が住んでいるものか、なんて書いたら怒られそうだが、それが実際に辿り着くまで抱き続けた私の率直な感想だ。



これはなんだ。

まさか、唆されているのか。

ここまで来れたアナタなら、飛べるかもしれないと。

……バカを言ってはいけない。
わざわざ、この飛び込み台のようになっている部分だけ、路肩のガードレールが存在しないワケは知らない。
唆しではないと思うので、何かの事故の痕? 車が突き破ってしまったか?
全く事情は知らないが、足が竦むほどの高度感がある。




逆方向より振り返って見ると、ますます突き破って車が落ちた痕じゃないかという怖さを感じる、そこはちょうど急坂の急なブラインドカーブの外側だった。よく見ると両側のガードレールの端部は、もともと端だった造りになっているので、壊れてこうなったのではないと思うが。

また、同じ場所の山側法面にある岩場の凹みに、金属製や木製の小さな鳥居と幣がいくつも安置されているのを発見した。
どうやらこの見晴らしに恵まれた地点は、島民が祀る聖域の一つなのだろう。もしかしてガードレールが意図的に途切れている理由も、信仰と関係があるのかも。



一連の旧道は九十九折りになっており、450mの間に7回の切り返しがある。
1回目が麓側の入口で、7回目が峠側の出口にある。
いま前方に見えてきたのは、2回目の切り返しだ。

青ヶ島らしい、最小限度の空間に強引に押し込まれたような切り返し。
下段の山側法面が、そのまま上段の谷側擁壁を兼ねている。
ちょうど水平のラインでこの“壁”の素材が変化しているために、道の勾配が分かり易い。




15:11 《現在地》

切り返しの部分だけは道幅が広くなっており、ここなら車のすれ違いが出来るだろう。
勾配も緩やかなので、一息つくにはちょうどいい。
だが、安全な場所かと言われれば、分からない。路面を見ると白い傷がいくつも付いているが、これは散らばった落石を重機か何かで押し出した痕だろう。
ここまでの路上にも、一抱え以上もある岩がいくつも散らばっていた。小規模の落石は日常茶飯事に起きていそうだ。




切り返して、2段目へ突入した。
早くも次の切り返しが見えている。次は近い。
だが、強烈な勾配のおかげで、短距離でも大きな比高を稼ぐ。

私は、この1枚の写真の道路風景としての完成度に感激した。
撮影の技量うんぬんの話ではない。この場所の景色の見え方が良かった。

いま私は、外輪山という、カルデラを取り囲む壁のような山陵を九十九折りでよじ登っている。
そんな大きなスケールの中にある道の位置を、路上に居ながら眺めることが出来ている。
道と山という近景と遠景、前景と背景、主観と客観とが、この一枚の写真に同居している。



展望台でもなんでもないこの旧道の路上からは、青ヶ島の最も巧みな部分の眺めを見放題だ。
九十九折りをまわる度に少しずつ見え方が高くなる、壮大なカルデラの俯瞰が思う存分堪能できる。

現在地の標高が約200mなので、中央火口丘である丸山の山頂が、ほぼ目線の高さにある。
そしてちょうどその背後の位置に凹んでいるのが、標高190mの残所越(のこじょごえ)である。
青宝トンネル以前に池之沢と三宝港を結んでいた峠だが、昭和56年に大崩壊を起こして放棄された。
流し坂と残所越は、池之沢の南北をそれぞれ越える対称位置の峠であり、同じ都道を構成していたが、
それぞれ整備された時期や放棄された時期が噛み合わず、同時に自動車が通れたことはないようだ。

また、残所越から少し離れた所にも外輪山の大きな凹部が見えており、そこが外輪山が最も低い地点である。



外輪山の最も低まった海抜140mの鞍部を望遠で撮影した。

高さ的には最も越えやすそうだが、歴代の地形図を見ても、ここを越える道が描かれている版はない。
だが、あの鞍部の向こう側の(行く道のない)海岸線には「金太」という名前が付いており、これは最新の地理院地図にも表記がある。

本編から少し話が脱線するが、現在の港がある三宝の築港が始まる前の大正時代中頃に、金太の浜辺で築港が企てられたことがあった。
多少の工事が行われたが、すぐに外洋の大波に押し流されて長くは保たなかったらしい。
工事途中で放棄されたという点で、後の大千代港の前例となっている幻の港である。(より詳細な話はこちらで触れている)

なお、この金太築港計画と関連して、当時既に外輪山を貫く隧道の計画もあり、東京府の許可を得て測量まで行われた記録がある。
後の三宝港と青宝トンネルのコンビを半世紀以上前に構想していたことになり、もしも一連の築港が上手く行っていたら、青ヶ島の道路地図の重心は今よりもっと南に偏ったものになっていただろう。



15:14

まもなく3回目の切り返し。

ここまで多少の落石があるくらいで、青ヶ島の他の旧道や廃道のように荒れてはいない。
入口も封鎖されていなかったし、一応は現役と考えて良さそうだ。
行き交う車の騒音から少し離れて島の自然と気軽にふれあえる旧道が維持されているのは、グッドサービスだ。(遊歩道整備のような余計な手が入っていないのも個人的に◎)




3回目の切り返しから先を見ると、次の4回目がまたすぐ近くに見えた。

折り重なるという表現が、これほど似合う道路風景も、なかなかあるまい。
各段の間に、道に関係のない余分な空き地がほとんどなく、道の上にも下にも道が接している。
福沢諭吉の有名な文句ではないが、「人は道の上にも下にも道を造った」だ。

そしてこんなに道によって蹂躙された大地なのに、路面を一歩外れればどこもかしこも緑に覆われているのが、植物の生命力に満ちた南島らしいとも思う。




15:16 《現在地》

青ヶ島名物「 道路.zip 」はますます盛んに、早くも4回目の切り返し。
旧道の終わりまで残す切り返しはあと3回。見上げる前方には現道のトンネルも見え始めた。

先ほどから目まぐるしい連続ヘアピンカーブであり、ドライバーにとっては忙しく繊細なハンドル捌きを要求される難所に違いないが、勾配は最初ほどはキツくなくなり、自転車の私にとっては景色を堪能する余裕が大きくなってくる。対向車の心配がないのも嬉しいところ。

この直後、再び私の興奮度がメーターを振り切れる素敵すぎる道路風景が待っていた。





脚を驚かす、この高度感!

青ヶ島といえば、空撮によって得られた、壮大かつ標本的に美しい二重カルデラの印象が強いと思うが、

その地上に自ら降り立ち、険しき旧道の埃となって、初めて実感する、

圧倒的迫真力だ!




15:17

眺めの興奮に打ち震えながら、数の上でも、景色の上でも、そろそろ終わりを意識する、5回目の切り返しへ。

カルデラの内と外を隔てる外輪山の稜線が近づいてきた。
ギザギザのスカイラインが、南洋の青白い空を画している。
人との関わりなどありそうもない眺めだが、よくよく見れば、尾根の上には見慣れた電信柱や……

都道の証しが!

……惚れた。


峠の空をバックに聳え立つヘキサ、かっこよしゅぎ………。




6回目の切り返しも、すぐ近くに待っていた。
上に行くほど段が短く、勾配は緩やかになる傾向があった。
地形は逆で、上の方が急傾斜だが、堅牢な石垣の連発と折り重なる九十九折りで、道はどうにかこうにか突破口を開いている。

なんというかこの道を見ていると、キツく噛み合う歯車を連想する。
人も車も、そして道も、ギギギギギギと軋む音を立てながら、互いに支え合って大地の試練に立ち向かっている。
ここでは人類側の勝利が今も確保されているが、同じ山の裏側反対側では敗北し、道はもうなくなってしまった。



そして最後7回目の切り返しも、ひと駆け上がりの近場に待っていた。
左の垂直な壁の上に待っているのは、旧道の次の段ではなく、現道だ。

ここに来て、周りの樹木が目に見えて低くなった。明らかに緑の中身が池之沢のジャングルとは違っている。標高の差は200mにも満たないが、変化が凄い。
そしてこの先の峠に行けば、島の内側と外側(海側)という、さらに決定的な環境の変化が待ち受けている。

流し坂によって、私は島の底から、屋根の一角まで、運ばれた。
池之沢から見上げていた丸山も、今はもう完全に私の下にある。




15:20 《現在地》

旧道突入から15分後、7回目の最後の切り返しへ到達。
ここで再び現都道と合流して、300m先にある外輪山の峠を目指す。

麓側の入口は開放されていたと思うが、こちらの出口には、「車輌進入禁止 青ヶ島村」と書かれた、簡単に動かせる障害物が設置されていた。
これが村としての正式な旧道に対する態度なのだろう。廃道ではないし、立入禁止でもないけれど、現道がある限り車で通るメリットのない旧道だ。だから車輌進入禁止にしてあるのだと思う。
え? 自転車も禁止だろうって? 下に表示がなかったから許して!



平成流し坂トンネルの旧道としてはこれで探索完了だが、この先にも共有したい道路風景が待っている。 次回もお楽しみに!