今回は、当サイトにおける離島探索シリーズ“島さ行がねが”の中でも特に人気が高い2本のレポートを輩出した、日本屈指の到達難度を誇る絶海の孤島“青ヶ島”から、短い探索を一つ紹介しよう。
なお、この飛び抜けて個性的な島のプロフィールについては、道路レポート「東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道」の導入回を、島内の道路網の整備史については、同レポート解説編を、それぞれご覧いただきたい。また、島内にある“未成港”である大千代港探索の模様は、道路レポート「青ヶ島大千代港攻略作戦」としてまとめてある。
しかし、どちらも本作の予備知識として読んでもらうには長いので、まずは今回の短編を気軽にお読みいただき、それでもし島への興味や前後に行った探索に興味が湧いたら、これらの長編にチャレンジするのが良いかもしれない。
今回の探索も、上記2編と同じく2016年3月の初訪島時(残念ながら再訪島はまだ果たしていない)に行ったものである。
東京都心から約360km南の太平洋上に浮かぶ、外周約9kmの小島である青ヶ島には、自動車が通行可能な東京都道の区間としては、おそらく最も過酷な道路状況と地形環境を有する、都道236号青ヶ島循環線(東京都公式の道路愛称“青ヶ島本道”)が、島内を三日月型に周回する形で存在しており、島の玄関口である三宝港(青ヶ島港)と、島の唯一の村落であり青ヶ島村役場がある岡部地区を結んでいる。
前述した通り、この都道は周回路線なので、港と村落を結ぶルートは二通り選べるのだが、最短距離となる時計回りのルート(上手回り)は、極めて険悪な海崖を通過するため道路状況が特に悪く、災害に脆弱であるため、2016年の探索時も大規模な災害復旧工事が行われていて封鎖中だった。
島の生活道路として今日多く利用されているのは、少し遠回りだが地形的に穏やかな池之沢を経路とする反時計回りのルート(池之沢回り)である。
そして、今回紹介する都道の旧道は、この池之沢ルート上の難所“流し坂”にある。
チェンジ後の地図は、流し坂の周辺を描いた最新の地理院地図だ。
非常に密に描かれている等高線を縫うように、激しく九十九折りを描く“軽車道”の記号が見えるが、これが今回紹介する都道の旧道区間となる。そそるでしょう?
この旧道の歴史も既に調査済みで、簡単にまとめると、昭和30〜31年に村が村落と池之沢を結ぶ目的で整備した後、昭和44年頃に東京都の農道となったが、その後都道へ組み込まれ、昭和58年頃に初めて自動車が通れるように整備された。そして昭和60年に三宝港から池之沢へ直通する青宝トンネルが開通したことで、池之沢と村落を結ぶ流し坂が、従来の上手回りに代わる島の最重要道路となったことで、流し坂の難所の一部をバイパスする道路の整備が行われ、平成4(1992)年5月に平成流し坂トンネルを含む新道が開通して現在に至る。
本編の前に、もう1枚だけ画像を見て欲しい。
右の画像は、島を黒い線の位置で輪切りにした断面図だ。
この島の極めて特徴的な地形の起伏が、この断面に現れている。
青ヶ島は、世界的に見ても珍しい、二重カルデラの有人火山島である。
絶海に面するこの島の険しい外周は、海面下約1000mから起立する巨大な火山のおおよそ7合目より上であり、その頂上(海抜423m)を含む外輪山の内側に、大きなカルデラが形成されている。
カルデラの底(海抜約100m)は池之沢と呼ばれており、その中央に天明5(1785)年の大噴火で形成された中央火口丘の丸山(海抜211m)がある。丸山は二重カルデラの内輪山であり、その内側に海抜約140mの噴火口を持っている。
右図の起伏は、この二重カルデラの特徴的な姿を示している。
そんな個性的すぎる地形を、我らが都道“青ヶ島本道”は、この地に根付いている人の暮らしを最優先とばかりに、とても刺激的な経路で攻略している。
まず、昭和60年に開通した青宝トンネルが島の外輪山を豪快にぶち抜いている。長さ505mのトンネルの両坑口には60mもの落差があって、見るからに普通じゃない。
そんなトンネルでカルデラに入った都道は、丸山を迂回してカルデラの北面へ進み、そこから一気に200mの落差を持つ外輪山をよじ登る。そこにあるのが、流し坂だ。
右図の起伏を見ても分かるとおり、外輪山はとても真っ直ぐに車が上れるような傾斜ではないので、道は九十九折りやトラバースで高度を稼ぐのであるが、最終的には海抜300mの位置で外輪山を乗り越えて、その北側に広がる海抜250m前後の緩傾斜地上に立地する村落に達する。
港へ降り立った旅行者のほとんどが、滞島中に一度はこの村落へ向かうと思うが、この際には上記した青宝トンネル→流し坂→村落という、片道約300mの高度差を克服する必要がある。(島には公共交通機関はない。ただしレンタカーが1社あり、また民宿などによる予約客の送迎運転も行われている)
それでは、島の暮らしの根本を支えてきた都道の難所“流し坂”の風景を、ご覧いただこう。