13:36 《現 在地》
やっと、“表題”の旧道探索が始まる。
もっとも、ここで「やっと」と書いたのは、主に本レポートを既に5話分も読んで下さっている皆様に向けてのことで、実際の私が島に上陸してから過ごした時
間というのは、まだほんの三十数分であったから、そのような印象は持たなかった。
直前に多少の探索の不手際や、デカリュック放出のための寄り道はあったものの、事前情報の少ない探索には付き物だと思える程度の遅延だ。ここまでは概ね問
題なしと言えるはず。
重要なのは、これからである。
ここから始まる旧道は、右の地理院地図を見ての通り、青宝トンネルに対応する峠越えである。
標高100mの現在地から上りはじめると、約500mで標高190m弱の外輪山上の峠を越え、そこから海抜約30mの青宝トンネル南口前まで、約700m
の行程を駆け下る道と読める。
この距離や高低差といった数字だけを見れば、ごく簡単な峠と思えるが、おそらくそう簡単には済まなかろう。
そして、きっと問題になるのは、峠を越えた先である。地図上の道の表記が、峠を境にして軽車道から徒歩道にグレードダウンしているし、地形図の等高線の密
度を見ても、外輪山の内側より海食崖と一体化している外側斜面の方が圧倒的に急峻だ。
実際、海上からは到底道があるように【見えなかった】か
ら、穏やかではない。
峠の先はもともと車道がなく、歩道だった可能性も小さくない。
やる気のない仮設バリケードが塞ぐ旧道へ、いざ進入。
早速始まったのは、上り坂。
それもかなりの急坂で、路面にはスリップ防止の凸凹が施されたコンクリート舗装がなされていた。
路肩には見慣れたガードレールも施工されている。
青ヶ島で体験する最初の旧道であり、おそらくは廃道であるだけに、私は特異な何かを探す熱意に溢れていたが、それが今すぐ実ることはなさそうだった。
とりあえずは、まあどこにでもありそうな旧道の景色だと言って良いだろう。
道路標識の類も、特に見当たらない。
入口から20mほど進んだ地点で、二段積みになった土嚢が道の全幅を塞いでいた。
路上を流れる水を路肩下へ(確かそこには小さな貯水池があった)誘導するような意図がありそうな気もしたが、いずれにしても、この道が車道としては使われ
ない前提の障害物だ。
ここまではバリケードをどかせば乗用車も入れたが、この先はより明確に廃道であると思う。
青ヶ島での自身初となる廃道探索のスタートだ。
ここまでは予想した展開なので、大文字で書くほどの衝撃ではなかったが。
振り返ると、まだ近くに現道が見えた。
外輪山に守られた池之沢の平穏から、わざわざ足を踏み外そうとする試みが、私を緊張させた。
今日これまでもあった緊張は、他人(船長)の判断が自分の利(青ヶ島渡島)になるかを願う類のものであったが、地に足を付けたこれからの緊張は、自ら切り
開く運命についてのものだ。
成功も失敗も自己の責任に回帰する。
その点も、守られた池之沢の平穏と、切り開く滄海の荒波と、その大きな変遷を思わせる出発となった。
なお、これはそれなりに頭を悩ましたうえでの決断だったのだが、自
転車はここに置いていくことにした。
目の前の道はかなりの急坂であり、苔の繁茂によって緑色を帯びてはいたものの、舗装があるおかげで、まだまだ自転車に乗って進めそうではあった。
だが、このまま自転車を持ち込んでも、最終的にそれを峠の“あちら側”へ運び果(おお)せる気がしなかった。
これは半分私の“敗北予告”のようになってしまっているかもしれないが、肉眼で島の外壁を先に見た私の判断だ。
峠道の途中で自転車を投げ出して私だけが突破出来た場合、後から回収するのが面倒だから置いて行くのだ。
(↑)この道を車が通らなくなってから、どれくらいの時間が経過しているのだろう。
青宝トンネルの開通と同時に“廃道”になったとしたら、昭和60(1985)年からということになる。
雪が降る場所ではないし、さほど落石があるわけでもないのに、ガードレールが妙に“落ちて”いるのが気になった。
考えられるのは塩害だが、外輪山の内側まで潮気が影響することがあるだろうか。
(←)路肩の向こうには、濃い緑陰の隙間や上から、カルデラ中央にこんもりと盛り上がった丸山が見えた。
ほとんど木が生えていない部分が目立っているが、伐採されたわけではなく、地熱の影響であるらしい。村営サウナがあの中ほどにあるとのことだ。
13:41 《現 在地》
ぬぅ わっ!来たか!
一 気に路上の緑度が濃くなった。廃道感増し増しィ!
その原因は、足の感触が明瞭に教えてくれた。
舗装がなくなってしまったのである。
入口からおおよそ200m、峠までの5分の2ほどを来たところでの急展開だ。
果たしてこの道に都道として活躍した時期があったのか、明確なことは机上調査を行わないと分からないが(地理院地図は都道の色を塗っている)、もしそう
だったとしたら、やはり青ヶ島の都道の整備は伊豆諸島の多くの島より遅れていたと感じる。
なにせ、これまで経験した他の島(大島、利島、新島、神津島、八丈島)には、都道の旧道であっても未舗装の箇所はなかったから。
そのくらい、道路整備において舗装というのは“最初の一歩”であり、それがないのは明らかに後進的と思える。
そ の直後、ガードレールまで消えた!
これは、まずいぞ!
こうなるといよいよ、南国の旺盛な樹勢から道を守る術は皆無となる。
実際のところは、舗装と違ってガードレールの有無など、路上の緑化にさほどの影響はないが、印象としての道の頼りがいがまるで違う。
たちまち不安になってくる。
ましてや、峠を越えた先においては、これよりもさらに悪い状況が、ほとんど確定的に予想されているのである……!
ふと気付けば、路肩越しに見る丸山の姿も、随分と印象を変化させていた。
赤茶けた焼山の印象から、同じ山とは思えないほど緑豊かな森へ。
この変化は、私が外輪山の内側斜面を同じ方向へ回りながら進んできたために、カルデラ中央にある丸山の見える面が変わったために起きている。
丸山は小さな山だが、見る方向によってまるで印象が違う。
また、丸山がかなり低くなった気もするが、これは言うまでもなく、自分が高いところへ来たことによる相対的変化である。
今登っている峠の頂上の高さは、丸山の山頂(211m)よりも20mほど低いだけだ。
南国ジャングルのイメージから、そこに巻き込まれた未舗装の廃道がどれほど嫌らしい状況になっているかを恐れたわけだが、現在のとこ ろ、それは杞憂で済んでいだ。
むしろ、高い樹幹の下は日照不足のせいか、本土ではよく面倒な藪の主役になる笹やススキが見当たらず、路上にはぽよぽよとした頼りない シダが密生しているだけで、未舗装とは思えないほどに歩きやすかった。
さすがに元来のジャングルである路外については、右にも左にも背丈ほどありそうな馬鹿でかいシダ(オオタニワタリ)がにょきにょきして いて、踏み込んだらそれなりに大変そうだったが…。
意外にスイスイと廃道を歩くシーンを、動画で。
なお、動画内で私が言っているように、丸山と背を較べるような高さになったこの辺りから、
池之沢に入ってから完全に途絶えていた風が甦り、3月らしからぬ周囲の熱気を払ってくれた。
それもあって余計に足取りは軽かったのである。(この海風は庇護の外からくる不安
の先触れでもあったが…)
13:49 《現 在地》
ぬぅ おぉっ!荒れてきた!!
ここまでとても順調で、わずか10分少々の間で400m近くを進んでいた。
すなわち、峠までは残り100mに過ぎないと、GPS上の現在地はそう教えてくれていた。
だ がここで初めて、道路が大きく崩れている現場に遭遇!
山側の法面がかなり大きく崩れたようで、大量の岩石が折角復活したガードレールのある路肩まで、道の全幅を塞いでいた。
そしてこの崩壊はかなり古いようで、落石にもしっかりと樹木が根付いていた。
もし自転車を持ち込んでいたとしたら、ここの突破は面倒だっただろうが、身軽さを活かして樹木の隙間をかいくぐり、薄暗い崩壊地を乗り
越えたのだった。
越えはしたけれど、ますます先行きが不安になる展開だ。
案の定、道は荒廃の度を強めた。
今突破した崩壊地が、この道の生死を分けるほどのものだったとは思わないが、そこを境に路上の荒廃の度合いが増したとすれば、少なから
ず影響はあったのだろうと思う。
元来の道の作り自体はこれまでと変わっていないと思うが、路上の障害物が、樹木と落石が、一気に増えてきたのである。
ただし、そんな物理的な視距(見通し)の悪化とは裏腹に、風の方はますます勢いを増してきている。
葉を揺らす風が鬱蒼とした森を隅々まで駆け抜けて、足元の小さなシダまで漏れなく揺らしているのである。
強風ではないけれど緩急のほとんどない常風は、大きな空気の流れへの接近を強く予感させるものだった。
端的に言って、海に開けた峠が近いのだと思った。
その1分後、さらに強まる向かい風の先に目を向けると、これまでずっと緑の法面が続いていた場所が、にわかに明るく見えた。
着いたらしい。
外 輪山の峠のてっぺんへ。
もともと深い鞍部(【遠 望でもくっきり】)なのだが、さらにそこに人為的な掘り込み、いわゆる切 り通しがあるように予感する。
……見(まみ)えるのが、楽しみだ!
って、 な んだこれ!(↓)
峠 の切り通しの直前に穴。
え? えぇっ?!!
ま、 まさか…… 隧 道?!
血 肉のように赤い穴だ……。
事前情報のない存在。
こいつは、いったい……。
2016/3/4 13:51
オブローダーにとって問答模様の強烈ワードである“謎 の穴”の出現をもって、青ヶ島における旧道探索は、早くも最初の頂を迎えた感があった。
私の脳裏に浮かんだのは、この小さな穴の正体は、左に見える切り通しが作られる以前の峠越えの“隧道”で
はないかという考えだった。
胸の高鳴りの赴くままに、私はアタックザックに忍ばせていたヘッドランプを装着・点灯させると、足早に穴の前へ。
凄 く赤い穴…。
べんがらのような色は、赤鉄鉱とかの成分が強いんだろうか。かつて伊豆大島でもこんな真っ赤な土地を見たことがあるが、これもやはり火
山に由来するものなのか。むしろ、この島には火山に由来しない岩石があるのかどう
か。
人によっては血、あるいは火の赤さを連想するだろう、正直言って不気味な感じの坑口だ。
素性を物語るような飾り付けもなく、完全な素掘り。
そのうえ出口の明りが見えないときたもんだ。
出口の代わりに、少し奥には岩の壁面が見えた。どうやら内部は激しく曲がっているらしい。
坑口の左側には切り通しに続くモルタル石積みの土留め擁壁が来ているが、坑口がそれより古いものなのかどうか、判断はつかない。
しかし、至る所にジャングルっぽいツタが這っているせいで、だいぶ古そうには見える。
いざ、入洞!
お
わっ、分岐してる!
しかも、何
かの装置がある!
ものの見事に丁字路だ。
直角左右に道が分かれていて、正面は壁があるばかり。
この線形の時点で、普通の道路トンネルだった可能性は激減したと言わざるを得まい。
とはいえ、坑口のサイズからして自動車の通行を想定したものではないようだから、このように曲がりもないとは言い切れないが…。
それよりも、まずはこの右に見える装置の正体だ。
廃道の奥の、いかにも使われてなさそうな素掘の穴の中で見つかるものとしては、なんだかミスマッチに現代風な雰囲気を感じる…。
丁字路の右側の坑道を支配する、謎の装置。
この右側の坑道は奥行きが3mもないから、この装置を設置するためだけに掘られたものなのかも知れない。
装置は、コンクリートブロックで仕切られた奥行き2m×横幅1m×高さ60cmほどの箱状の部分と、それと複数のケーブルで接続された
操作ボックスらしき部分によって構成されている。
大きな箱状の部分は重い鉄の蓋がなされていて、中を窺うことは出来ない。
地下という安定した環境なので、経年を感じづらい部分はあると思うが、なんとなく、ここ20年以内のものではないかという感じがする。
正体についてだが、個人的には見覚えのない装置である。この装置に心当たりのある人は、いるだろうか?
装置の正体が書かれていないか周囲を探したが、唯一発見できたのは、操作ボックス状の部分に貼られた「明星電気株式会社」という会社名の入ったシールだけだった。こ のシールには他にも文字が書かれていた気配があるが、かすれていて読み取れなかった。
と、現場での調べはここまでだったのだが、帰宅後に会社名で調べてみたところ、同名の会社が存在した。
wikiによると、明星電気株式会社は、日本の気象観測機器、衛星観測機
器、計測機器等のメーカーだということだ。
さらに調べを進めると、「全国47火山への火山観測施設の整備(pdf)」という資料が見つかり、それによると、平成21年に気象庁は
青ヶ島に新規の火山観測装置を設置していることや、青ヶ島に限らないが、装置の発注先に明星電気が含まれていることなどが判明した。
私がこの旧道の峠の“謎の穴”の中で見つけた装置が、“それ”であるとの確定は得られていないが、青ヶ島の火山島としての特殊な環境を 考えれば、可能性は十分に高いと思われる。
とまれ、現場の私はそこまで考えを進めることは出来ず、単に“謎の装置”であるとの認識に終わったのであり、興味の中心はこの妙に新し
げな装置の設置が、そもそも“謎の穴”を掘った目的であったのかどうかということに移っていった。
そして答えを得るべく、丁字路の左の坑道へ進入した。
こっ
ちは奥へ続いているぞ!
し
かも、丁字路から5mも進まぬうちに、今度は右
へ直角に折れている!
また、この坑道の洞床には、いろいろなゴミが散乱していた。
この雰囲気は、まさに“見慣れた廃隧道”そのものであり、あんな新しげな装置を設置するために掘ったトンネルとするのには、いささか不自然だ。
やはりこの穴……、隧道であるかはさておくとしても、外の旧道に人通りがあった時期から存在していたものだという考えが一気に強くなった。
しかも、ここで右に折れ曲がっているのも、願ったり叶ったりな展開だ。
なにせ、最初の丁字路で左折し、次に右折をしたことで、坑道の進行方向は再び峠を貫く可能性を帯びたのだから。
私は超絶わくわくしながら、狭苦しい直角カーブを回ったのだった。
でっ 出口だ!
貫 通してやがった!!
ま、マジか……。
内部がクランク状に曲がっていたけれど、旧隧道だったという可能性も復活か?
しかし、ほとんど埋もれている!
どうりで、風の通りがほとんどなかったわけだ。
見上げれば外の植物が見えるのだが、見え方が完全にモグラの体験だ。トンネルのそれではない。
島の【ぬこ】な
らいざ知らず、人間がこれを出入りするには、正直キツイものがある!
この天井の小孔から外へ出る行為は、単純に難しい運動だというだけでなく、
万が一の落盤による生き埋めのリスクという意味でも、私を逡巡させるものだった。
敢えて通り抜けなくとも、反対側の坑口を探し当てさえすれば済むのではないかという気もするし…。
Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA
奇妙な“謎の穴”の内部構造をワンショットで撮影した全天球写真を掲載する。グリングリンして確認してね!
脱 出!
結局はこれ(笑)。 地面からヨッキ生えた。にょっきにょき。
で、外へ出てみて分かったが、坑
口なんて存在しない。
辺りは土と草に埋もれていて、何が何やらもうまるで(苦笑)。
おそらく、場所を分かっていて探しても、外からは簡単に見つけられないと思う。
そのくらい、外から見ると坑口および開口部の存在は分かりづらい。
あ と、風が強い!
はっきり分かる。自分のいる場所の変化。ここはもう守られていない。外輪山の外だ。
14:02
とりあえず、外輪山をトンネルで潜り抜けて外へ出たことは確からしいが、見える範囲には、まるで道がなかった?!
そのため、いったい何から撮影して良いのか、迷った。
とりあえず、抜けてきた足元の孔を撮影したあとは、その上にある(つまり、潜った)外輪山の峰を見上げて撮影した。それがこの写真。
わずか15mほどの隧道で抜けただけあって、攀(よ)じればすぐにでも乗り越えられそうな手近な稜線なのだが、耳鳴りのするほどの強烈な風が、まずそんな
気にはさせない。
【反対側の坑口
の景色】と
見比べて欲しい、まるで植生が違う。15mの隧道が見せる変化としては、異常な大変化だった。
世界が、違う。
“謎の穴”の概念図を自作してみた。
なんなんだろう、この穴は。
正体について、現地でもいろいろな説を考えた。
机上調査は最終回後に行うが、結論から言うと、現時点でこの穴の正体は未解明である。
本当に、“謎
の穴”…。
正体は分からずとも、とにかく私はそれを“トンネル”として利用し、山を越えた。
だが、私の前に道はない。
あるのは、このような(←)、救いようのない低木の檻と化した斜面である。
崖でないから、過去に道があった可能性もあるが、現状は全く道形をもっていない。
それでも、東に移動すればすぐ近くに峠を越えた旧道の続きがあると信じ、堅い枝葉と戦った。
そして、5mごとに推定1分を費やした、5分後――
14:07
それらしい道へ、脱出した。
すぐさま振り返ると――
ここは、切り通しを抜けた先の旧道で、間違いなかった。
掻き分けてきた藪は既に閉じており、二度と人を通す気配がなかったし、
確かに私が這い出した穴も、もはやどこにあったか目視ではまるで分からない。
ただ、前に撮影した写真との比較から、あの辺だったはずと思うのみだ。
いやはや、わけが分からん!
通らなかった切り通しも気になる(これから一度戻って確認する)が、何より気になる、
いや、気
がかりなのは、外輪山の外側の山腹を下っていく、この道の行く末の方だ。
しつこいようだが、私は【海上からこの場所を眺め】て、車
道は存在しないと判断している。
また、地理院地図も、峠から先は破線(=徒歩道)で道を描いている。
そうした状況があったからこそ、苦労して島に持ち込んだ自転車を、ここには持ち込まない判断を下したのだ。
だが、目の前の景色はどうだろうか。
はっきりと、峠を下っていく車道があるように見える。
こ の先が、恐い知りたい。
(島 への残り滞在時間 23:23)
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