2016/3/14 14:08
突如遭遇した“謎の穴”の興奮がまだ冷めない状況だが、ここへ来た本題の旧道探索も、文字通りの山場としての峠を迎えている。
一旦仕切り直しをすべく、“謎の穴”の池之沢側坑口前に戻ってきた。
目の前には、(今一度通った)峠の切り通し。これまでの鬱蒼とした旧道にはなかった明るい日差しが、場面の転換を象徴していた。それと写真では伝わらないが、海風の強まりも忘れがたい味付けだった。
地理院地図では未だに都道の色で塗られている、この旧道。本当に都道なのかは分からないが、昭和60(1985)年に全長505mの青宝トンネル(現都道)が開通したことで、三宝港と池之沢を結ぶ路としての役割を終えたものと思われる。
三宝トンネルも、あの急勾配と狭さであるから、現代の感覚からすれば決して“良い道”ではなさそうだが、それでもこの旧道にあった峠越えを省略出来たことは大きな大きな進歩である。
池之沢からこの峠までは、約500mの距離で80mほど上った(決して緩やかではない)が、峠から青宝トンネルの三宝港側坑口までは、約750mで150m駆け下る。単純計算でその平均勾配は…… え? う
そ?? 20%っ
て、マジか!!
確かに20%くらいの坂道は車道にもたまにあるのだが、750mという長さの平均勾配というのは……、まあ、車道じゃないと考えるのが普通だと思う。現に
地形図だと破線の道
になっているし。スーパーマップルは車道表記だが……ともかく行ってみよう。それをするために、ここまできたのだからね。
なお、この峠にはちゃんと名前が付けられていたことが、後日の調査で判明した。
地形図などにはなんの表記もないけれど、ここは「 残所越」
という。
読みは、「ざんしょごえ」ではなく、絶対に予想できないと思うが……「の
こじょごえ」である(笑)。残念ながら地名の由来までは分からないが、なんとなく、平和そうな名前ではない……。
というわけ(?)で、これが “残所越” の切り通しだ。
風の通り道であり、両側の枝葉がわさわさと忙しなく揺れている。
周囲の外輪山が250m前後のピークを持っているので、ここは70mくらい低いことになる。
そのうち10mくらいは、人工的に掘り下げた切り通しの分だと思う。両側には本土の峠道でもよく見慣れた
谷積みの石垣が頑丈に守りを固めていて、なかなかの安定感である。
ただ、自動車ほどの大きさの岩塊がどっしりと道を塞ぐように転げているのは、
廃道アピールが強烈だ。絵にはなるが、恐ろしい。
お
おお! 海だ〜! そして地味に舗装が復活している模様。
池之沢の鬱蒼としたジャングルとは全く違い、路傍の木々が低いために、そして傾斜も急であるために、廃道化していて路上にもかなり緑が進入してきている状況にもかかわらず、路肩から海が見下ろせる場面が何度かあった。
この高度感が、気持ちいいけれど、恐い!
おそらくこの感覚は、ジェットコースターのスタート直後、ゆっくりと一番高い落下地点へ引っ張り上げられている時のそれに似ている。
このあと道は、どうなっちゃうのか?!
なにあれ! 三宝港、凄すぎ…!
あの見え方は、反則的だろ!
格好よすぎて、惚れちまうぜ。
あの港は、全く平らなところがない島の海岸に、本当に無理矢理に平らな陸地を造っていることがよく分かる。島の地形に対して、取って付けた感が半端ない。
来島者があの港を最初に見てしばしば「要塞」を連想するが、それは海上から見た切り立つ島を背負う姿が、島を外的から守る要塞のように見えるからだろう。私も同感だった。
だが、こうして陸上から見ても(当然ながら、この旧道からしか得られない貴重な眺めである)、やはり要塞という印象を持つ。
今度は、広大な海に向って睨みを利かせる、島の英雄的な姿がある。相手は大きいが、港の負けん気も強そうだ。島を背負う気概が感じられる。
再び灌木に身を隠すように続く道を下っていくと、今度は…
何かの機械の残骸があった。
14:10 《現在地》
峠を下り初めておおよそ3分、特に苦労することなく、最初の切り返しらしきカーブに到達した!
ここまで峠から約100mで、標高は15mくらい下がったかと思う。まだまだ、海は遠い。そして緑が濃い。
ここは山側の斜面がだいぶ深く削り取られていて、急傾斜の狭いところにカーブを入れようとした努力が伝わってくる。
それでもかなりアールのキツイカーブにはなっているが。
緑が濃いので、往事の道の姿を想像するのは案外に難しいが、今も島を席巻している軽トラが、今以上の唸りを上げつつ上り下りしていたのだろう。
切り返して、今までいた道のすぐ下に潜り込んだ。
樹木が這うように茂っているので、視界を得にくいし、自分がどんな場所にいるのかさえも、事前の知識がなければ把握が難しいだろう。
ひとことで言えば、ろくでもない場所にいる。知らぬが仏の現実だが、私は中途半端に知ってしまっているから、やはり悠長にはしていられなかった。
ここまでが“平均勾配20%”というほどは険しくなかったことが、むしろ、この先の劇的な“悪化”を予感させた。
それでも、ここまで“車道”の姿で来ている以上、最後まで車道として下るつもりだろうと思えるのことは、私にとって救いであり、楽しみでもあった。
猛烈に無理矢理な感じで、急斜面に九十九折りをねじ込んできた!
私はここから出てきたのだ。
この中に、今過ぎたばかりの切り返しのカーブが隠れている。
舗装された道路が、このふんわりとした外見の灌木藪によって、完全に外見を失っていた。
なるほど、こんなだからこそ、海上から見上げたときに、この道がまるで見えなかっ
たのかー。
合点がいったことで、ようやく人心地着いた気がした。
あれだけ壮大に“見えなくても”、道があることがあるのだと実証されたのは、とても心強かった。
(島への残り滞在時間 23:15)
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