道路レポート 徳島県道254号田方穴吹線 第3回

所在地 徳島県美馬市
探索日 2023.02.12
公開日 2024.07.05

 先住県道の意地(は張らない)


2023/2/12 17:00 《現在地》

宿泊や日帰り入浴が出来る温泉施設「ブルーヴィラあなぶき」に辿り着いたことで、県道はにわかに息を吹き返した。
探索の進行状況としては、探索のスタート地点である県道終点から約4kmの前進を達成し、ゴールの県道起点までは残り約3kmと見込まれる。

なお、息を吹き返した県道ではあるが、実質的に、施設利用者のための駐車場進入路という役割においてのみ、活躍を許されている状況だ。
県道の認定を受けたからには、本来なら広域交通ネットワークの一翼を担って然るべきなのに、起点とも終点とも繋がらず、無言で民間施設の駐車場進入路に甘んじるとは……、なんともやるせない。道路管理者に代わって、ここにヘキサの1本でも立ててやりたい。何も知らない施設利用者に知らしめたい。ここは県道ですよって。(厄介系ファンかよ。もし俺がこの県道なら、そんなお節介は絶対して欲しくないがな。ひっそりでいいんだよここは)



駐車場を過ぎると間もなく、前方に穴吹川を跨ぐひときわ大きな橋が現れた。
約2km前の【天神橋】以来となる両岸間の連絡通路の登場は、私にセーブポイント到達のような安堵感を与えてくれる。これでこの先どうしても進めなくて引き返すことになっても、ここまでの区間を戻る必要はなくなった。
ラッキーラッキー♪






「ラッキー橋」。


…………ごめんなさい、名前チェンジでお願いします m(_ _)m

いや、これは単に私のセンスというか好みの話でしかないので、気を悪くする人がいたら予め謝っておくが、日本で橋として生まれてこの名前を与えられたら、「ふれあい橋」の次くらいには残念な気持ちになりそう。読みは「【らっきぃはし】」ですだなんて、わざわざ言わなくて良いから。読めるから。

そもそも何がラッキーなんだ? なんでこの場所に架けられた橋の名前がラッキー橋?
まさか、この場所の地名が「字ラッキー」だったりする?
それとも、県道を探索してきたオブローダーが、この橋に出会うとみんな「ラッキー」って思うから?


答えは―――(↓)



9777完成

しょ〜〜もな〜〜。

ラッキーと言えばスリーセブンというのは理解するが、セブンのフォントが昔のパチスロのセブン図柄みたいなのがまた無駄に力入っている。
本橋の4枚の銘板には、美馬市の恒例イベントである筏下りレースをモチーフにした版画風の凝ったレリーフが飾られているのだが、スリーセブンから香る射幸性と、スポーツの爽やかな汗はどうにもミスマッチで、なんだかシュールな絵面に。
銘板4枚中3枚が浮かれてスベっているので、最後の1枚の「【穴吹川】」だけが癒しだよ…。


探索中は、せっかくの橋になんて軽薄で罰当たりな命名をしたんだろうと思っていたが(大袈裟)、帰宅後に穴吹町のことを調べて知ったことがある。
なんと、旧穴吹町の郵便番号は、全国で唯一、「777-xxxx」というスリーセブンから始まるものだったのだ! 町ではこれにあやかって、町内にある名所や旧跡7か所に7年計画でミニ旧殿を設置するラッキー宮殿計画を実行した。 やっぱりしょ〜もないじゃないか。



国道492号の路上より、ラッキー橋とブルーヴィラあなぶきの施設全景を撮影した。
一応県道もフレームに収まっているけど、存在感は激薄だ。

wikiにある解説ページやニュースサイトの記事によると、本施設の開館は平成10(1998)年で、ラッキー橋はそのアクセスのために架けられた。
当初は第三セクター「清流の郷」が運営にあたっていたが、赤字拡大により平成29(2017)年に解散(アンラッキー…)。施設も休館となったが、同年内に市が施設のリニューアルを行い、民間経営者を指定管理者としたうえで平成30年に再オープンした経緯があるようだ。

施設の公式サイトの「アクセス」の欄にも、県道のことは少しも書いてなかったが(あたりまえ)、みんながもし泊ることがあったら、枕元に県道がいるんだってこと思い出してあげてね。



平成生まれのラッキー橋や温泉施設に対して、我らが県道は厳然たる先住者であった。

本県道の認定は昭和34(1959)年だから、ここに掲載した昭和44(1969)年の地形図に描かれている右岸の点線道は既に県道だったはず。
ラッキー橋が架かるまで、ここは川に囲まれたとても不便な場所だったように見えるが、それでも県道から丸山集落へ登っていく坂道が描かれており、当時は住人の日常的な行き来があったのかと思う。

ラッキー橋のインパクトで少し脱線してしまったが、そろそろ探索中の県道上(地図の「現在地」の位置)に視点を戻そう。



17:01

ラッキー橋の袂で県道と市道が平面交差している。
この国道並に立派な2車線規格の市道は穴吹478号線といい、施設正面へのアクセスルートである。
我らが県道は、信号はおろか横断歩道や停止線もない、どちらが優先道路なのかを考えると鬱になりそうな交差点で、市道を跨ぐ。



今来た道を振り返り。
左の細いのが県道。完全にトイレと駐車場への進入路扱いだよ。



ここ、県道が横断しているからね!
市道よりも格上だからね!!



で、これから進むのが、この道。

もう入口を見ただけで、普通に通れる道じゃないんだろうなという悪ーら(オーラ)が出てしまっている。

だが、傍らで睨みを利かせる厳つい【ドラゴンのモニュメント】(これが噂のラッキー御殿関連らしい)は、県道に出入りするオブローダーには少しも興味が無さそうだった。
県道と市道、縦糸と横糸、交わりしも関わらず。そんな感じが凄い。
県道が先住者だったのに、現状では施設の役に立つ部分以外の存在感が最小に抑えられていて、やるせない。ここにもヘキサを(以下略)



県道入口のアップ写真。
発信されている情報量が細切れで地味に多く、それらを整合して一つの結論を得る論理ゲームの様相を呈している。
私の得た結論はこうだ(↓)。

ここは「路肩注意」でお馴染みの「徳島県」が管理する道(県道)で、本当は「通行止」にしたいんだけど、「散策道入口」だから、「車両通行止」ではあるけど、歩行者なら通っても良いよ。
自転車? いいよいいよ。通りなよ。

超地味ながら、「徳島県」のデリニエータが県道を主張をしている。
そして、この先は 散策路 らしい。 ほんとうか? なんか死臭しないか? 看板の色褪せ方もヤバくないか?

ハイリマース。

let's、next stage.




 「散策路」となった県道だけど…… 散策=オブローディングだっけ?


2023/2/12 17:03 《現在地》

ラッキー橋の袂から、「散策路」という控え目な案内に導かれて、いや、導かれなくても入るんだが、とにかく県道の続きへ。
地理院地図だと、ここから約1km先に架かる「丸山橋」まで、県道色で塗られた軽車道として表現されており、この表記だけを見れば普通に自動車で通り抜けられそうだが、実際にはこの入口の段階で、車止め代わりに置かれた三角コーンや「車両通行止」の張り紙によって出鼻を挫かれる。

道は最初、下り坂になっている。
舗装はされているが、幅は狭く、見通しも激悪だ。
沿道の草もおそらく刈払いされず伸び放題で、夕方だから仕方ない部分もあるが、「散策路」という言葉の持つライトなイメージとは初っ端からかけ離れた雰囲気である。



すぐに平坦路になったが、そこではガードレールを乗せた路肩が大規模に崩壊していた。
残った道幅的に早くも四輪車は(ほぼ)通行不能だが、普通なら「散策路」としても解放が憚られるような崩れ方だ。
路面も、今のところ一応舗装があるが、何年分かも分からない大量の落葉の堆積で路面はほとんど見えない。

人一倍廃道を見てきた私の率直な感想だが、どうやらこの区間も、前の区間に引き続いて、ほぼ廃道状態っぽいです。



17:05

全く逃げ場のない、回廊状ぐねぐね狭路地帯だ。

ラッキー橋より150mほど進むと、荒廃した竹林に差し掛かる。
谷に沿って激しく蛇行する、見通し激悪、待避所皆無の狭路上に、倒木(倒竹?)が多くあり、落石も散らばっていた。
それでも前の区間と違って舗装されているお陰で、概ね自転車に乗って進めるのはとても有り難かった。
恐る恐るの動きではなく、大胆かつ豪放にMTBの走破力を発揮する。

明るい時間がもう残り僅かなので、私はとても急いでいる。
本来もっと時間に余裕を持って探索を行うべきということは理解しているが、現実問題として今、自転車の力に最大限頼らなければ、この県道の攻略を今日で終えることが出来ない。今夜はまた車で大移動し、明日早朝から別エリアでの探索予定が立て込んでいる。私の遠征中の探索は、過密スケジュールのビジネスマン並にずっと時間に追われていると思う。相手は廃道だから計画通りならないことはざらだが、とにかくいつも忙しなく動き回っている。そうしていないと落ち着かないのは、もはや強迫観念の一種かとも思う。



17:06

優しげなお地蔵さま出現!

仕出原の16:31頃以来となる久々の石仏の登場である。
前見たものと外観の印象やサイズ感が似通っているが、両者は立地的にも見通しの悪い崖地という共通点がある。
これは通行人が自然と神仏の加護を願ったり、あるいは気の毒な事故が起ったりした、そんな難所の証しといえそうだ。

そしてこの石仏には、「明治卅年三月廿四日」という造立年とみられる文字が刻まれていた。
本県道の認定年とされる昭和34(1959)年より半世紀以上遡った明治30(1897)年には、既にこの道(あるいはその前身となる道)が通じていた可能性を示唆している。ここは案外と歴史の長い道なのかも知れない。

なおまた一般論として、道の自動車道としての利用が繁くなると、生身の通行人が手を合わせることが目的である石仏全般は扱いが悪くなりがちで、かつ拡幅の障害になることも多かった。とはいえ誰しも石仏を廃棄するのは心苦しいので、結局はきりの良い場所にまとめて移転し安置するようなことが良く行われた。逆に言えば、そういう移転や集積が行われていない場合、車道としての利用や拡幅改修があまり行われていないことの示唆となる。
この県道の場合がまさにそれで、間隔を置いてポツンポツンと石仏が現れた。



17:07 《現在地》

ラッキー橋から300mほど進んだところで、唐突に、藪から棒に、ミニ公園的なものが現れた。

どんなものかというと、県道の山側にある短い階段を登ったところに、ベンチ付きの東屋が設置されていた。
また、少しだけ広くなった川側の路肩には4人掛けの木製ベンチテーブルがあったようだが、既に崩壊していた。
特にこの場所が「なに」という案内板はなく、ただ無名のミニ公園があるだけの場所だが、おそらく区間の入口に掲示されていた「散策路」というのは、ここを目指して来る設定だと思う。
だって、もしそうでなければ、これは散策という名のオブローローディングになってしまう(笑)。
そしてオブローディングの場合、散策ではなく「探索」ということに、私の中ではなっている。

まあ当然のように、人が訪れている気配は、ぜんっぜんありませんでした……。



が!

確かにここの景色は見どころ有り!

前の区間にもたびたび綺麗な渓流風景と感じる場面はあったが、ここはさらに強い特色を帯びた景色で印象的だ。
恐ろしく深い碧の瀞と屹する白い岩盤の対照する風景は、同じ四国エリアの景勝地として非常に有名な三好の大歩危(おおぼけ)に雰囲気がよく似ていると思う。おそらく岩質とか成因自体、近いものがあるんじゃないか。
しかし、地形図や道路地図を見ても、この景観に名所として名前を与えているものは見当たらない。

また、件の大歩危は単に景勝が優れるだけでなく、交通上の大難所としても非常に有名だったが、ここもそうだったのではないか。
この県道からしか見ることができない、対岸の国道の現代版“木曽の桟(かけはし)”的に頑張る姿が、とても格好よかった。
そして、相変わらず国道は県道よりだいぶ高い位置に陣取っていた。もう長らくずっと国道の方が高い所にあると思う。たぶんわざとそうしている。洪水対策だろうな。こんなところからも、どちらが進歩した道なのか分かる気がする。

……ということは、もしかしてこの県道の由来って、今の国道の旧道的な立ち位置だったりするのか…?
なんかそんな気がするのは私だけでしょうか……?



これは別時に国道側より撮影した写真。
対岸に見える細い道が、「いまいる」辺りの県道だ。ミニ公園は森に隠れて見えない。
この県道を車が通っている所を目撃した人とか最近いるんだろうかね。ここだと通れそうに見えるけど、実際は前後がずいぶん荒れているからな…。

それにしても、こうして高みから見下ろすアングルだと、同じ谷でも景観の印象がだいぶ変わり、険しさよりも雄大さが強調される。
なんだか同じ谷の眺めでも、国道と県道それぞれから見た時で、その道自体の印象(雄大さ、険しさ)が代弁されているみたいで面白い。



17:08

ミニ公園のすぐ先に、道が岩場に迫り出すような所があって、そこからは対岸の国道や、その上の高台に立つ中学校だった建物(旧口山中学校、平成16(2004)年廃校)が【よく見えた】
また、ここも難所であった証しか、石仏を安置していたと思しき石祠があったが、中はもぬけの殻だった。



17:09 《現在地》

ラッキー橋(本当はこう何度も書きたくはない橋名だ)から約600m進むと、道が一段と狭くなった。
ミニ公園から先も舗装はしてあったが、道幅が縮小し、ガチで幅2mあるかないか。そのうえ待避所もガードレールもない、全く逃げ場のない狭路がウネウネと。仮に荒れてなかったとしても、ここを通れる車とドライバーは相当限られてくると思う。
とはいえ、一度は車道として開通していたのは確かなんだろう。初めから遊歩道として整備された道ではないと思う。
こういう道に慣れている私でも言いたくなる。恐るべし、徳島県道254号田方穴吹線と。

特に、この写真の所の狭さは強烈で、小さな谷を県道が跨ぐのだが、そこにガードレールとか転落を防ぐものがないだけでなく、左側の道幅が変な狭まり方をしているため、夜に通ったら普通に落っこちそうな造り。せめてポールくらい立ててくれぇ。



で、まるで落とし穴みたいに超絶狭く薄暗い谷底をライトで照らしてみると……

(チェンジ後の画像) 石積みの小さな暗渠を水が流れていた。

石垣は隙間が多くある空積みで、垂直に積まれている。
原始的な構造だが、これでも現役の県道を支える道路構造物である。
せめて道幅が一定なら良かったが、アーチ状に中細りしているのがヤベぇ…。



“最狭部分”を自転車と比較してみた。

狭いという言葉しか出てこない。

徳島県県土防災情報で、県管理道路の道路台帳が閲覧できるので、この部分を確認してみたが、道幅は2.0mとなっていた。
でも、道の狭まり方から錯覚的にそう見えるのかも知れないが、どうにも2mある気がしない…。

で、この異常なほどの狭さ関係があるのか分からないが、ここに「通行止」の工事看板が、私の進行方向と反対向きに置かれ? 転がされて? いた。



その看板には「西部総合県民局(美馬)」というシールが貼ってあり、これは平成18(2006)年に脇町土木事務所から改称された現行の道路管理者である。
前の区間にあった【看板】では、脇町土木事務所のままで改名が反映されていなかったが、ここには反映されている。
ここが県道であることを、道路管理者だけは、まだ忘れていないようだ。

それと、看板に重ねるように、「折り返し」という札が取り付けられていた。
これは、ラッキー橋にあった【散策路入口】に対応しているものと見る。
ようは、こんなところまで来てしまった好奇心旺盛な“散策者”に向かって、「ひきかえせ!」「ひきかえしたほうがいいぞ!」って、言っているのだ。
言い換えれば……(↓)



この地図に示した約600m区間の県道が、現状での「散策路」ということだろう。

しかし普通に考えて、こんなところで突然「折り返し」って言われても、困惑するだろうよ……。
つうか、こんな表示があるってことは、この先は道が悪いのか…?
もうほとんど時間がないし、自転車もあるんで、この局面からの道の荒れには普段以上に神経質にならざるを得ない。



17:11

あ〜〜ん、やっぱり荒れてる〜(涙)

荒れてるというか、もともとの道路の整備状況がショボくなったというのが正解か。
まず、分かり易く舗装がなくなってしまった。
それに、路肩のしっかりとしたコンクリート擁壁も消え、さっきの暗渠みたいな空積みの石垣になった。
ラッキー橋から結構頑張って整備した雰囲気があったのに、なんか急に力尽きた感じが……。



17:12 《現在地》

ラッキー橋から約700m前進して、この区間も終盤へ。
前方の視界が開け、区間のゴールまで見えそうなアングルになったが、まだ「丸山橋」は見えず、代わりに別の橋が見えた。
それは、この県道に架かる橋の姿だった。

廃道同然の未整備区間に入って以来、初めて遭遇する、それなりに規模が大きそうな橋である。
地味な橋っぽいが、橋に付き物の銘板などから、県道の来歴に繋がるヒントを得られるかも知れない。これはちょっと楽しみだ。



この辺りまでで、県道約5kmを攻略済み。残りあと2kmほどだ。
いよいよ終盤を残すだけだが、そこには地理院地図に全く道が描かれていない2つ目の区間が待ち受けている。






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