六厩川橋攻略作戦 第10回

公開日 2009.12.31
探索日 2009.11.25

六厩川橋袂 “廃道銀座”


13:53

14.7kmの森茂林道を突破し(一部迂回したが)、遂に3本の廃林道が集まる六厩川橋右岸のターミナルに到着した。

状況的には当初想定していた時間を大幅に超過し、もうすぐにでも撤収を始めなければならないとも考えられたが、流石にここまで来てジタバタするのは惜しい。
せめて、私が目的としてきたこの橋とターミナルだけは、じっくりと味わうことにしよう。

もう、下山が夜道となることは覚悟の上だった。

下山路となる六厩川林道も、森茂林道とほぼ同じ長さを持つ。
そして、廃道となっている部分がかなりあることも分かっている。
ただし、このルートは2005年に情報提供者の一人、「パンダ使い」氏が通り抜けているのだ。
詳細な状況は分からないが、ともかく一人でも前例があるというのは、大変心強かった。





何度もくり返しになるが、この場所はターミナルである。
丁字路の三方へ分かれていく道は、全て別の路線である。
つまり、ここは3本の路線の終点か起点で、しかも、全てが廃道である。
そのどの道を行っても、最初の人家まで十数キロも離れている。

こんなシチュエーション、今まであっただろうか。
安っぽいが、私はこれを「廃道銀座」と自称した。

一方に架かる六厩川橋はもちろんだが、この場所自体に大きな興味を感じていた。
そして今、私はそれを独壇場で味わっている。
嬉しいことに、ここには私が期待した以上の“ターミナル臭”があったので、順に紹介していこう。




「順に紹介」といっても、どれから紹介するか迷っちゃう。

まずは、生還の為には一番重要となる所から行こうか。


これが、六厩へと抜ける「六厩川林道」の入口である。

これまで辿ってきた森茂林道同様、轍は残っておらず、踏み跡さえ見あたらない。
4年前に少なくとも一人はここを突破して来たはずだが、その痕跡が無い(当たり前か)。
聞きしに勝る廃道の状況に、身震いした。

いや、恰好を付けるのは止めよう。

正直、恐ろしかった。
この道もまた、森茂林道のような激甚なる廃道なのだろうか…。そしてそれは、どこまで続くのだろうか…。
川と林道を往復しながら前進するような器用な真似が、暗くなった後でも出来るかどうか…。




そしてこれがその反対側、

私が突破してきた、
森茂林道の入口である。


…なんか、笑える。

この…入口は……。

私はここから来たから笑えるが…
別の2ルートからここへやっとの事で辿り着いて、「さあ森茂へ抜けるぞ!」って時にこれを見せられたら、マジで卒倒しそうだ。

いろいろ標識があって道の存在をアピールしているが、これらがなければ、「こちらは道無し」で普通に終わりそうじゃないか。




それでは、実際に標識の内容を見ていくことにしよう。

その前にひと言、 「幸せすぎる!」

廃道での文字情報を、廃隧道、廃橋と並ぶ「三大好物」に数える私にとって、このターミナルは本当に宝の山。
時間が許せば、ここにテントを張って一泊したかったくらい。

まず笑えるのが、前回の最後に紹介した「落石」

これは、「落石に呑み込まれちゃった。助けて〜」 っていう心情の吐露だったことが判明した。

シュール過ぎるぞ…。




見方によっては、森茂林道の入口を “通せんぼ” しているみたいなのが、この「看板1」だ。

ここから先は 古川 営林署の専用林道です
現在    事業実行中で、危険ですので、一般
の通行を禁じます もし無断で通行されて
事故等が発生しても一切の責任は負いません

古川営林署長

とのことである。

これと同じ体裁&文言で、ただ「古川営林署」を「荘川営林署」に変えただけのものが、前回の探索において秋町隧道の南側で発見されている。(このレポの末尾参考)

そういえば、この森茂林道でも伊丸沢の所で「通行止」の朽ちた看板を見ている。(「第7回」後段参照)
あそこからここまでの2km弱は、古川営林署の専用林道だったのだろうか。

ともかく、こんなに荒れているにもかかわらず「路盤崩壊」を口実にした警告が一切無いというのは、崩壊の進行が相当早かったことを感じさせる。




そして今度は、丁字路の“道のない”方向に向き直り、「看板2」と地盤に埋め込まれた六厩川橋の“巨大アンカー”を観賞する。

まずアンカーに架かっている吊り橋の生命線である「主索」だが、錆色はしているものの全て健在である。
本数は右8本、左8本の計16本。
旧鳥坂大橋」が3本ずつの計6本であったのとでは、やはり規模の歴然たる違いを感じさせる。

そして、この看板がまた奮っていた。
少し長いが、全文を掲載する。

森 茂 林道

 この林道は 名古屋 営林局 古川 営林署が管理する専用林道です
 この林道を、旅客輸送、資材運材などで定期的、または、一定期間を通じて継続的に利用しようとする方は、古川 営林署へ申し出てください。
 国有林野事業に支障のない場合は、利用出来ますので、所定の通行料金を納入のうえ●●●●●●●●
 (以下 問い合わせ先が書かれているようだが、読み取れず)

古川営林署長

専用林道だが、有料で通行ができたというのが面白い。
(これが唯一の例ではなく、同様のことが各地で行われていたが、看板自体珍しい)
こうなると、果たしてここを「旅客輸送」の用途で有料通行した前例があったのかが、気になるところだ。

…と言う具合に、森茂林道の起点としての様々な看板が、ここには並んでいた。

残る一方向は、お待ちかねの“橋”である。


覚悟は、いいか。






アンカーの巨大さや橋の長さに較べれば、いささか華奢な感じのする主塔。

元はトラスと同じく銀色の塗装をされていたようだが、半ば禿げてしまっている。

そして、この主塔周りにも3箇所ほど “文字情報” が…。

A→B→Cの順に見ていこう。




見たか国土地理院!!

橋の名前は、六厩橋ではないぞ!!

六厩川橋だ!! 


でも、もし銘板が間違っていたら、ごめんなさい…。




おおっ!
これは、有るならばぜひ見たかった物!

大型鋼橋とは切って離せない、「橋梁銘板」である。

1959年 6月
電源開発株式会社建造
建示(1955)二等橋
製作 株式会社 宮地鉄工所
材質    SS−14

ここから読み取れるのは、本橋の竣功年月(昭和34年6月)、発注者(電源開発)、昭和30年制定の建示(建設物の強度などの規定のこと)に準拠した「二等橋」であったこと、建造主(宮地鉄工所)、などである。(材質の「SS-14」をご存じの方は教えてください)

なお、「二等橋」というのは一等橋に劣る荷重設計の橋で、幹線道路ではない所に使われていた。
そりゃそうだよな、木製床板の橋が幹線道路であってたまるか。
あと、「宮地鉄工所」の橋は個人的に初見であったが、ググったところ今も大いに健在である模様。明治41年創業らしい。
ただ、残念なことに本橋施工の工法云々と言った技術的な部分は、関連する村史にも情報が無く、一切不明である。
これだけの橋だから、どこかに記録はあって然るべきだが…。 (「御母衣ダム史」的な本が出ていないものか…)



あと、これって普通だっけっか?

主塔の基部がヒンジになっている。

多分普通なんだろう。
これだけ大きな吊橋になると、構造的にここが動かないと、主塔基礎に架かる負担が大きくなりすぎるのも分かる気がする。
ただ、いままでこんなに大きな吊橋の廃橋を見たことがなかったから、知ることがなかったのだ。
私はnagajisニャンコと違って、現役の橋だったらここまで注意して見ないしね…。





そして、「C地点」にある…というか、倒れていたこの標柱。

文字も全部かすれていて、どうでも良いものと一瞬見捨てかけたのだが、いやいや、これが大変な重要物件だった。

この場所の“ターミナル振り”を最も象徴する、ダブル起終点を示す標柱だったのである。

庄川林道  幅員四.〇 延長一四.一七三米五八〇

六厩川林道 幅員四.〇 延長一六.●●●米●●●

これは、嫌すぎる…。

これまで正式名の知れなかった残り2本の林道の名称が判明したのは嬉しいが、その延長がダブルで15キロクラス!
背後の森茂林道を足し算すれば、この一点から始まる3林道の合計延長45キロ。
しかも、そのうちの2路線10キロは、廃道が確定している状況…。

なお、ここでまとめて表示されていた2本の林道(庄川林道、六厩川林道)は、荘川営林署の管轄する林道である。
森茂林道だけが古川営林署所轄なので、区別されていたのであろう。
地理的には、六厩川対岸からが旧荘川村ということになる。(ここは旧清見村、さらに昔は森茂村)




六厩川橋を渡る




13:58

“廃道銀座”で楽しんだ後は、空の旅と洒落込もう。

落ち葉が積もり、地面との境が明瞭ではなくなった橋上へ、第一歩目を踏み出す。




岸から5mほど進むと、いよいよ本来の床板が現れ始める。

意外なことに、まったく橋は塞がれた痕跡がない。

だが、廃橋であることは誰の目にも明らかで、現に床板の一部が剥がれている。

でも、この辺りまではまだ、谷も深くはない。

ここで、靴底の感触を確かめる。

やや大きな身振りで、前後に何度か言ったり来たり。

床板の状況を念入りに確かめる。


乾いているせいもあるかも知れないが、旧鳥坂大橋に較べれば、いくらかはマシな感じはする。




見えないけれど、4本並列の梁が床板の下に存在することを思い浮かべながら、それがあると確信できる位置を探す。

さすがに、梁の上以外を歩く気にはなれない。


あ、あと、…か、か

風が結構強いです!

上流から下流へ向かって、横向きに風が当たってくる…。

陸を離れて20m…。

冷たい風に打たれながら、私の心が次第に孤立し始めた。




ちょ…

ちょっと待って、タンマだ。


あの、全然見えないんです。


梁の位置が、全然見えないんです!

どこを渡っても平気だという状況には、ちょっと…この土に変わりつつある床板では見えない。
だから梁の上だけを歩きたいのに、“鳥坂”と違って、床板に隙間が無くて下を覗けない…。

下が見えないのは高度への恐怖心を抑えてはくれるのだが、踏み抜きのリスクが読めない(=床板の厚み不明)のも、別の意味で怖い。

ちょっと…、一旦撤収しよう…。

梁の位置を確かめ直さないと…。





14:00

戻ってみた。

で、桁下をどうにか覗こうとしてみたのだが、これが容易ではない。

地形的にも構造的にも、実際に橋の下へ潜り込んでみないと覗けない。

それは不可能なことではないが、橋下のブッシュは深く、かなり大変な作業になる。


ここで梁の位置を確かめるのは諦めて、安全対策としての別の手を打つことにした。


秘密兵器の、登場である。




その名もずばり、

安 全 帯。

青いベルトの部分を腰に巻き、それとロープで結ばれたフックの部分を、橋のどこかに固定しながら進む。
これさえあれば、フックを掛け替えている最中以外なら、踏み抜いても墜落の心配はない。
まさに、(ほぼ)万全!

昔、鉄塔のペンキ塗り替えを手伝うアルバイトをしたときに、実際に鉄塔上で作業する職人達が、これのもっと良いもの(それにはフックが2本付いていて、架け替えの最中はもう1本を掛けておくことで万全となる)を使っていたのを見て、自分の渡橋にも利用できると思ってホームセンターで買ったのだが、結構重いのを敬遠して今まで使ってこなかったアイテムだった。
もちろん、フックをかけられる欄干のような場所がないと使うことが出来ないのも、これまで敬遠してきた理由である。



でも、この橋ならば欄干もあるし…

……

うふふふふ…


墜落のリスクを冒さない渡橋なんて見たくないという人は、さっさと次回に飛んでくれて結構(笑)。

これでもう、怖くない!

あははははは!!
 俺が、最強だぁ〜!!



14:02

二度目のチャレンジ。

万全であるはずの、チャレンジ。


されど、足はさほど進まず…。



…考えてみたまえよ。

仮に安全帯のおかげで墜落しなくても、「ズボッ」って踏み抜いたら、失禁するんじゃね?

それにもし完全に橋の下にぶら下がっちゃったら、腕力だけでよじ登れるかっての。




やっぱり怖いよ。




ついに出て来た…。

床板の抜けたところが…。


ベリーマッチ高い。

欄干に添えた手が、気を緩めるとプルプルし始めそうだ。

しかも欄干が異常に冷え切っていて、触ると痛いよ…。


でも、とりあえずこの割れ目のおかげで、一応 梁のあるラインが分かった。
これからはそのラインの上だけを踏んで歩くことが出来る。





また、抜けてるし……。

しかも、今度は橋の真ん中あたりまで割れている…。



この辺りまで来ると、もう谷底までの高さは安定している。

実際何メートル有るのか知らないが…。

少なくとも地形図で読み取れる湖面までの高さ(30m)

プラス

減水した分の水深(15mくらい?)はある。


写真は、下流の御母衣湖上を撮影。
まるで安い入浴剤のような色。





つうか お前…

さっきから、
安全帯 遊んでね?


バレたか…。

せっかく重い思いをして持ってきた安全帯なのに、フックのサイズが欄干に引っ掛かるほど大きくなかったんだよね…。

だから、知らんぷりして ぷらぷら させてました。

まあ、もとから無かったと思って、探索中。




基本的に、「怖くない」といえば嘘になるが、大丈夫になってきた。

一番良かったのは、梁の上に足を置いて渡っている最中にも、常に欄干を片手で掴んでいられた点だ。
“鳥坂”も“柴崎”も、これが出来なかった。
ここはそのお陰で三点支持が確保され、床板がそっくり抜けていても、意外に怖くはなかった。

まあ、時間的にもここはスタスタ渡ってしまわないといけなかったわけで、気の持ちようというのもあったかも。
恐怖だって気分次第… なのか?





ここから先、橋の中央部分を渡る模様は、次の動画でご覧下さい。

写真を撮る代わりに、しばらく動画を回していました。

→【渡橋動画】




14:06

仕切り直しの渡橋開始から5分経過。

いよいよ残りはこれだけとなった。

あと、30mくらいである。

いくらか広場になっていた左岸と較べ、これから入る右岸の袂は、まさに岩とコンクリートだけの不毛の土地なようである。

橋を風の影響から守るために桁下にも頑丈なワイヤーが張ってあるが、それを繋いでおくアンカーなどは、一体どうやって施工したのか分からないような絶壁の中腹に埋め込まれていた。





ほぼ渡り終えたところで、来た道を振り返る。

かれこれ1時間以上にわたって、この見える範囲内をウロウロしていたことになる。

ウロウロとは言っても、必死だった。


それにしても、我ながら良くあの斜面をチャリと一緒によじ登ったものである。

人間、やれば出来るんだな。

ちなみに今回、橋の上には少しもチャリを持ち込まなかった。
意外にチャリは荷重が分散して渡りやすかったかも知れないが、時間的に無駄な事をしたくなかった。






何人も楽に辿り着くことは出来ぬ、

おぞましき廃道たちの邂逅地。

これだけ痛い目を見ても、なんかまた来ることになりそうな悪寒…。




そして…、

私の唯一の生還路。


…う

うぁ!





ちっ、地図にねぇ 廃隧道!!


そして、なんという六厩川の険しい絶壁…。




大丈夫なのか… これは……。