2011/1/2 6:27 《現在地》
山梨と静岡を結ぶ幹線である富士川沿いの国道52号から県道37号ははじまる。
その全長57kmは、富士川支流の早川とその上流名である野呂川に沿っており、先へ進むほど地形は急峻で、現れる集落の大きさや頻度自体も減じていく。
現在地はその起点から9.5kmのところで、早川町に入って4km進んだところである。
まだまだこの辺りは“山奥”ではないが、蛇行する早川はすでに渓谷的な様相を呈しはじめており、所々切り立った岸辺を見せている。
そして、この早川の右岸に身延山から下ってきた一筋の尾根がぶつかる地点に、現県道は昭和55年開通の角瀬(すみせ)トンネル(全長256m)を穿っている。
今回の旧道のはじまりである。
旧道の入口には車止め代わりの庭石のようなものが二つ三つ置かれており、旧道敷きが一段低くなっているせいもあって、車窓からは目立たない存在だ。
しかし、それ以外には特に「通行止め」を告知するものはない。
余談だが、早川町は何年も前から「南アルプス邑(むら)」を標榜して観光客誘致に努めている。
自治体としては「町」の格を持ちながら、イメージ戦略的には「村」を愛することの哀しい矛盾を感じさせる、邑と村の字違いだ。
かつてはそれなりに人口が多い時期もあったのかと思うが、敢えて調べていない。
旧道に入ると、入口のイメージに反して意外に道幅は広く、また舗装も施されていた。
さすがは、早川町としての生命線である。
昭和55年までは、この川べりの道がその任を帯びていた。
しかし路面にはかなりの量の落葉と、薄暗くて目立たないが小さな瓦礫も沢山落ちており、廃道であることに疑義はない。
右側は早川に面しており、対岸斜面には薬袋(みない)の集落が見える。
また正面の背景は今年2度目の朝日に燃え上がるのを待つ、白根山脈は海抜2584mの千挺木(せんちょうぎ)山だ。
あの山の向こう側は静岡県の旧井川村(現:静岡市)だが、直に越える道はない。
ところでこの道、以前はどこかの石屋の倉庫として使われていたのだろうか。
道の両脇に雑多な石材が大量に置かれていた。
中には落石なのか、製品としての庭石なのか、区別のつかないものもあったが…。
そして、真っ直ぐ続く道は黒の一点で終わっている。
それが意味するところは…。
緩やかなカーブの先に現れた、“黒の正体”。
それは、黒ずんだ廃隧道だった。
坑口前の道はこれまで以上に瓦礫と落ち葉の堆積が進み、山側は路端がどこかはっきりしないくらいになってしまっている。
6:31 《現在地》
この隧道の名を知る手掛かりは、現地になかった。
黒緑の苔やら地衣やらに覆われたコンクリートの坑門には、扁額を含む一切の意匠が見られなかったからだ。
高長隧道
全長:50m 車道幅員:3.7m 限界高:4.5m 竣功年度:大正11年 路線名:県道奈良田波高島停車場線 「道路トンネル大鑑」(隧道DB)より転載
しかし上記の通り、「道路トンネル大鑑」がデータを教えてくれた。
隧道は意外にも古く、大正生まれだったようだ。
しかしこの坑門は、当初からのものではないはず。
なぜなら、ぎりぎり目の届く洞内に 異様な光景 が見えたから。
坑門 in 洞内。
年明け早々(つうか一発目)から、変態的隧道!
隧道の中に、隧道がもう一本。
これが単なる断面の縮小に見えないのは、前後の断面の違いが大きすぎる(特に高さ)ということと、坑道の雰囲気も全然違うからだ。
手前はアーチ部分が波形の鋼板に覆われているが、奥はそのままコンクリートである。
明らかに手前の坑道は付け足しで、本来は奥の坑門から先だけの隧道だったのだろう。
この狭まり方は、やばい…笑。
この先が、先ほど緒元を掲げた「車道幅員:3.7m 限界高:4.5m」という状態かと思うが…
本当に高さ4.5mもあるか?
どう見ても標識の高さ+50cmくらい(3mくらい?)しかないように見えるんだが…。
もしこれが目の錯覚だとしたら、俺は自分の目を疑うぞ。
そしてこの変態的狭まりポイントに、珍しい「ビックリマーク」(その他の危険)の標識が置かれている。
補助標識には「自転車 歩行者」と、これまた舌足らずというか、何を伝えたいのかは状況的に分かるけど…、なんか投げ遣りだ。
ようは、「隧道が狭いけど、自転車や歩行者も通るから気をつけろ」ってことだ。
前述したとおりここは早川町の幹線であり、しかもこれを出た先の角瀬地区には早川南小学校もある。
トンネルより下流に住む生徒にとって、この道の他に通学路はなかった。
それと隣にあるもう一枚の標識は、土埃がべったりで全く光に反射しなくなっているが、「左カーブ」の警戒標識だった。
狭いだけじゃなく、もしかして隧道内に急カーブが……?
ちなみにこの「ビックリマーク」標識は、昭和46年11月に制定されたものだ。
現道の開通が昭和55年なので、現役時代にはあまり長く活躍していないはず。
やはり一切の飾りを持たない“二度目の坑門”から、洞奥を覗く。
これが、わずか50mの隧道が持ち得る “闇” か。
出口の見えない、濃厚なる闇。
照明を身に付けてもなお暗いと感じるのは、
目が馴れていないせいだけだろうか。
そうか…。
その理由は明らかだった。
“二度目の坑門”でさえ仮初めで、すぐ奥は光を吸収してしまう岩盤が露出しているからだ。
―素堀 なのだ。
どこまで堕ちる… この隧道……。