2011/1/2 6:35 《現在地》
角瀬トンネルの旧道にある高長隧道内部。
入口はコンクリート巻きだったが、呆気なく素堀になってしまった。
高長隧道は全長50mの記録があり、すでに坑口からは30m以上は入っているにもかかわらず、未だ出口の光は見えない。
白銀を頂く山脈を越えてきた凍えるほどに冷たい風が、洞内を緩やかに吹き抜けており、閉塞している様子はないんだが。
そういえば、先の方は微妙に曲がっているようだ…。
振り返ると、「坑門in隧道」の様子がよく分かった。
「道路トンネル大鑑」にある昭和43年当時の長さ50mというのは、おそらく古い方の長さだろう。
坑門延伸部分と断面のサイズがこんなに違う理由は分からないが、普通に考えれば、将来的には全体的に拡幅する構想もありつつ、とりあえず延伸部分を1.5車線(それでも2車線ない所が哀しい)で作ったが、結局は現道による抜本的改築と相成ったものと想像する。
それにしても、断面サイズが変わるだけでなく、そこを頂点に道自体がガクッと曲がっているのも、無理があって楽しい。
3〜40m続いた素堀の隧道は、またしても
異様な光景にぶち当たった。
再びコンクリートの巻き立て部分が現れたので、最初は出口だと思った。
が、それは誤りであった。
隧道はまだ終わっていなかった。
またしても微妙なカーブを挟みつつ、その先はまた素堀の坑道になっていたのである。
これを冷静に考えれば、隧道の出入り口だけじゃなく、内部にもコンクリート巻き立ての部分があったというだけにも見える。
破砕帯など地盤の悪い所を通過するときには、こうして隧道の途中に巻き立てが施されることもあるからだ。
しかし今回はそういう単純なものでは無さそうだ。
長さ10mほどの巻き立て部分の右側の側壁に、3つの小さな窓が開いていたのである。
それは小さく、日射しの向きにもよるだろうが、明かり窓としての効果もあまりなさそうに見える。
その証拠に、写真では暗い部分になっていて見えないが、ここには洞内唯一の蛍光灯がぽつんと取り付けられていた。
そしてもしこの明かり窓がなければ、この場所も普通に地中深くであろうと考えただろうが、実際には地表近くを掠め通っていたことが判明した。
そして、私は理解した。
事前に確認していた「道路トンネル大鑑」には、この早川町高住地区に「高長隧道」ともう1本、長さ30mの「切川隧道」という合計2本の隧道が記載されていたのだが、古地図にはこの1本しか載っていなかった。
しかし、それはこういうことだったのだ。
このコンクリート巻き立て部分を境にして、長さ50mの高長隧道と、長さ30mの切川隧道が、連結されていたのである。
わずか50mの隧道に似つかわしくない闇の濃さは、洞内がカーブしていることや、素堀であることだけから来たのではなく、実際にそれ以上の長さがあったのだ。
最初の延伸部分10mと、このコンクリート巻き立てによる連結部分10mを50mと30mにあわせれば、長さ100m程度の隧道になっていたのである。
そしてこんな継ぎ接ぎだらけの隧道は、
一本の隧道としてはあり得ないほど複雑なカーブに、
彩られていた!
愛すべき “変態線形” をご覧に入れよう。
ぐね
ぐね!
高長隧道を振り返ると、そのグネグネが凄まじいことに驚いた!
自転車程度の速度だと、進行中にはあまり意識されなかったが、こうして出口を見通してみると、「背向屈曲」が際立っている。
ドライバーも、この道幅では速度を出そうとは思わないだろうから、意外に危なくはないかもしれないが、それでもこの隧道が予告なく現れたら驚くだろう。
よりカーブが強調される、望遠で撮影。
お分かりだと思うが、出口のシルエットが歪な半円になっているのは
途中の壁が邪魔をしているせいに他ならない。
本当ならば、破線のような形をしているのだから。
もう一歩引いて、隧道連結部分から再び高長隧道を振り返ると…
ぐね
ぐね
ぐね!
もう、本当に割り切ってるな。
隧道として車が通れる幅と高さで1本に繋がってさえいれば、線形は不問という感じである。
どうしてこんな風になってしまったかということだが、やはり当初隧道でなかった“明かり”の区間まで無理矢理隧道に組み込んでしまった、この継ぎ接ぎが原因だろう。
高長隧道単品(橙線部)で見れば、そんなに複雑な形はしていない。
そのカーブは単に、川べりの崖から少し離して隧道を掘りたかったという、それだけの形に見える。
気になるよね、この窓。
ちょうど目線の高さにあるし、
さすがに体を出すことは出来ないけれど、
覗いてみたくなるよね。
カメラだけ窓の外に出してみた。
そして右と左を撮影してみた。
左は障害物があってよく分からなかったが、少なくとも右側、
高長隧道の外部には、道といえるモノがないことを確かめた。
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切川隧道
全長:30m 車道幅員:3.7m 限界高:4.2m 竣功年度:昭和2年 路線名:県道奈良田波高島停車場線 「道路トンネル大鑑」(隧道DB)より転載
高長隧道とひとつになる前の切川隧道のデータである。
これを見ると、2つの隧道には微妙な違いが見て取れる。
ひとつは高さで、高長が4.5mに対して、切川は4.2mである。しかしこれはまあ見た目に違いを感じないので置いておく。
もうひとつ看過できない違いは、竣工年である。
高長は大正11年だったが、こちらは昭和2年なので、5年も遅い。
わずか30mの隧道工事に5年もかかったとは考えにくいが、いったいどういうことなんだろうか?
6:44 《現在地》
約10分間。
わずか100mに沢山の驚きを秘めた隧道探索が終わった。
これは切川隧道の西口であるが、昭和2年竣工以来の坑門かどうかは分からない。
しかし笠石の意匠が見られるので、その可能性が高いとは思う。あと、扁額はやはり存在しない。
そして私はここで、旧々道らしき枝道の存在に気づいた。
坑門の上に小さな石垣を築いているそれは、昭和初年に春木川沿いに移転する前の山上にあった旧高住集落(「角川日本地名辞典」より)への道であり、この川沿いの道が開通する以前の古道でもあったようだ(明治期の地形図より)。
ちょっと、寄り道してみよう。
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