先日発売されたばかりの『新・鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』は、前作『鉄道廃線跡を歩く8』にも収録があった「大井川鐵道井川線」に関わる廃線区間を再び取り上げている。
写真はもちろん撮り直されているが、文章の方はあまり変わっていないと油断していたら、密かに前作にはなかった情報が仕込まれてあった。
川根小山〜奥泉間の第九号トンネルは長島ダム建設のための道路拡張により山側に新しく掘り直されており(昭和56年(1981)3月竣功)、入口側に旧トンネルの坑門が残され廃線跡が存在する
今回(平成22年4月)私は、初めてこの大井川鐵道が走っている大井川の中流から上流にかけての「川根」と呼ばれる地域を訪れたのだが、大井川鐵道井川線の旧線跡のいくつかを探ることは、大きな目的であった。
そして、全体的に険しい山岳地帯にある井川線関連廃線の中でも、最も小規模で、かつ軽易に訪問できそうな物件として、この数行の記述に目を付けていた。
数日間を一定の地域で過ごす連泊探索の中では、夕暮れまでの空き時間というのが、どうしても発生することがある。
本格的な探索をするには時間的に心許ないが、ただ車の中で夜を待つのも惜しいのである。
近くに図書館でもあると良いのだが、田舎の図書館は夏場でも午後5時には早々と閉館するし、実際に夏場は午後6時過ぎまで明るいというのに…。
そんなとき、こういう「小ネタ」はオイシイ存在なので、出来るだけ多くメモってから出かけるのが通例である。
そして、そのうちのいくつかは使われ、いくつかは無視され、さらにいくつかは「本探索」の興奮の中で、存在さえ忘れられてしまうのである。
…少々脱線した。
同書には新旧の坑門が並ぶ写真が1枚掲載されているほかは地図もなく、洞内の状況にも触れていなかったので、なおさら気になったのが、この「旧第九号隧道」とでも呼ぶべきミニ廃線である。
合計4日間に及んだ「第一次川根探索」の2日目夕方、早速にしてこの「伝家の宝刀」を抜く機会が訪れた。
ネット上にもまだ情報は無いらしい、この「旧第九号隧道」。
「流石は“鉄道廃線跡を歩く”シリーズである」と頼もしく思いつつも、お気楽ムードで現地へ向かった私を待ち受けていたのは、
完全に想定外の光景であった!
2010/4/19 17:10 【位置(マピオン)】
訪問の前提として最初に問題になったのが、「第九号隧道」というのがどこにあるのかということだった。
前出の資料には「川根小山〜奥泉間の第九号トンネル」としか書かれていないし、地図上で起点の千頭(せんず)駅からの丹念に隧道を数えていっても、この駅間にあるのは5,6,7本目だけである。
地図に描かれないほど短い隧道があるのか、ほかにも廃隧道があるのか(!)は分からないが、結局この駅間にある3本の隧道を全て確かめれば良かろうと言うことになった。
幸いこの駅間は、大井川鐵道井川線の例に漏れず距離が短く(約1.6km)、しかも例外的に県道の近くを並走していてアクセスが容易であったのだ。
その状況は、右の地図を見て確かめて欲しい。
まるで魔法にかかったみたいに迷走する大井川と、これとは対照的に険しい等高線の連なり、両者の狭間に点在する小さな集落群の姿を観察することが出来るが、これぞ「川根地方」の特徴的な地図風景といえるものだ。
川霧が頻繁に覆うこの風景の中で、日本一とも評される「川根茶」は日夜作られている。
上の地図に「現在地」として示した地点で、北を向いて撮影したのが左の写真である。
大小2本の道路用トラス橋が並んで架かっていて、これが上下線を分担しているのが面白いのだが、この橋は「渡谷(とや)橋」という。
左の小さい上り線用の橋が「旧」であり、これは元は県道のために架けられた橋ではない。
とまあ、その辺のややこしい話は別頁に譲るとして、今は左に見えている坑門だ。
この坑門をよく見ると…。
ん?
なんか、小さくね?
…という感想は、最初にこの井川線の隧道を見た誰もが懐くものだと思う。
私もその一人であったが、今日はもう何本も見てきたので、今さらそれでは驚かない。
(ご存じの方も多いと思うが、井川線は軌間1067mmと標準的ながら、車両の建築限界は軽便鉄道以下というか、林鉄レベルに近い。もちろん歴史的経緯があってのことだが、後ほど簡単に触れたい)
いま見て欲しいのは、そこじゃなくて…。
これ。
「10」って書いてありますな。
井川線では、これがトンネルに付けられた共通の「名札」である。
今日はこれよりだいぶ数の大きなモノも見ている。
そして、これが「第十号隧道」であるということは、この次(起点である千頭側)が、目指す「第九号隧道」であるはずだと分かる。
そこで、“南” へ振り返ってみると…。
ありましたよ。
次の隧道が。
平然と。
しかも、その坑門には…
「9」の表示があった。
さらにそれとは別に、この路線の他の隧道ではあまり見ない、「工事銘板」まで取り付けられていた。
そしてそこにははっきりと「第九号トンネル」という味気ない「正式名」と、「1981年1月」という資料通りの竣功年が刻まれていた。
首尾良く「第九号トンネル」は発見された。
だが、待って欲しい。
これはちょっと、“おかしい”。
最新の地形図も道路地図帳も、この今から30年近くも前に行われた路線変更を、正しく反映させることが出来ていない。
こんなに堂々と廃線(旧線)の存在を示しておきながら、今まで修正される機会がなかったことに驚かされる。
関わっているとは、いずれも現役の鉄道と県道なのに…。
説明が後になってしまったが、言わんとしていることはこの地図でお分かりいただけるだろう。
地形図では9号隧道と10号隧道は約200mほど離れた位置にあるが、実際の9号隧道は10号隧道のすぐそばに口を開けている。
これでは新旧坑口が並んで口を開けている風景はあり得ないので、資料の写真は千頭側の坑口であることがほぼ特定された。
次に向かうべきは小山集落内にある南坑口であるが、全く別件の探索(「渡谷橋」とは関係する)を間に挟んでしまったため、ここから先は時系列がめちゃくちゃになる。
よってここでは翌日の成果も組み合わせて、“地形図に堂々と描かれている旧線部分”(地図中の緑の部分)の探索を先にお伝えしよう。
ちなみに、“雨の風景”が翌日の写真である(笑)。
とは言っても、これといったモノの残っていない旧線である。
そこは綺麗に、県道77号「川根寸又峡線」の山側の一車線へと形を変えてしまっている。
今まで気がつかれなかったのも納得の平凡な道路の景色で、当然“廃坑口”が口を開けていたりもしない。
それでも、資料的には面白い廃線である。
というのも、道路を拡張する目的で鉄道を移設したという例はあまり聞かないからだ。
しかも、元は大井川の電源開発(井川ダム建設)のために作った井川線が、同じ大井川の多目的ダムである長島ダム建設のために居場所を追われるというのは、皮肉である。
なお、同ダムによっては別に大規模な水没区間も生じているが、現存唯一の「アプト式」鉄道への転身の末に復活を果たしたというのは、今や井川線を語る上での代名詞的エピソードにもなっている。
ともかく、井川ダム(昭和27年着工、32年完成)と長島ダム(昭和47年着工、平成14年完成)の時代間で、道路と鉄道の主従が交代したことは言えるだろう。
隧道北側旧線における唯一の“痕跡”と思われるものは、県道を静かに守る、この苔生した丸石の擁壁である。
もっともこのような丸石練積擁壁は、大井川の河原から幾らでも丸石を採取できる川根地方においては最も良く見られる擁壁であり、道路にも鉄道にも使われている。
だが位置関係から言っても、この擁壁は鉄道時代からのものと思えてならない。
しかもこの擁壁の中には、通信線の架線柱の土台と思われるコンクリートの遺物が存在していた(右写真)。
そして、この擁壁をつぶさに追いかけていけば、知られざる坑口跡に出会えるかもと、そう期待したのだが…。
いやーなところで、真新しい治山工事の擁壁に入れかわっちまいました…。
そして、その前方には井川線のモノとは比べものにならないほど大きな断面の県道のトンネルが現れた。
そして左の谷底は大井川だが、この川が5km近い大蛇行の末に辿り着くのは、正面の小山トンネルの向こう側である。
さぞ長いトンネルだと思うかも知れないが、小山トンネルは全長わずかに91.5mしかない。
明治時代に大井川で最初の発電計画が構想されたのがこの通称「牛の頸」であり、水路式発電所としての小山発電所が日英水電の手で稼働したのは、大井川で2番目に古い大正元年である。(この発電所は廃止されて久しく、水も元のように悠々と蛇行して流れている)
《現在地》
地形図の記述を最大限に信用するならば、この「小山トンネル」北口前の高いコンクリート擁壁付近に、井川線「旧第九号隧道」の北口があったはずである。
…完全に地下に塗り込められてしまったのか、一切それらしい痕跡はない…。
まあ、想定の範囲内といえば、その通りだが… 残念。
しかし、ここで新たなキャラクターが現れた。
地形図には描かれていない「旧道」である。
小山トンネルの旧道らしき細い道が、左に分岐しているのを発見した。
お目当てのモノとは直接関係ないだろうが、簡単そうなので行ってみよう。
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全長91.5mの小山トンネルに対応する旧道だけに、長さも100mほどである。
現道との合流地点は、かつて発電用水路が開鑿されていた(らしい)「牛の頸」だ。
先ほど目撃していた小山トンネルの銘板(写真)は、その竣功年を「1982年」(昭和57年)としていた。
これは井川線移設の翌年であり、それ以前はこの桟橋状の狭隘な旧道を使っていたのだろう。
そしてこれは、仮に「長島ダム」計画が無くても、さすがに幹線道路としてはどうだろうかというレベルの道だ。
まして、上川根町の北半分は、この県道がなければアクセスできない地域ばかりである。
《現在地》
この2枚の写真は、「牛の頸」の変則的十字路を別々のアングルから撮影したものである。
このごく短い堀割を介して、大井川の蛇行の表裏が接している。
旧道と現道もここで合流する。
私はここで県道を外れ、「旧第九号隧道」の南口があるという小山集落へと向かった。
小山集落へ続く町道に入る。
直前に走った「旧道」とよく似た1車線の狭路だが、左の大井川は一気に河床を下げている。
堀割(ないしはトンネル)ひとつで、5kmもの“川旅”をショートカットしたのだから、無理もない。
風情ある吊り橋の向こうの集落は、細尾と言うそうだ。
なお、当然のことながら、この道にはまだ鉄道廃線を感じさせるものは何も現れない。
県道分岐から小山集落内の第九号隧道南口までは、250mほどである。
一旦下り始めた後、すぐ右に登り返す道を選ぶと、辿り着ける。
18:42 《現在地》
…ということで、色々寄り道した結果、お目当ての坑口前に辿り着いたときには、もうこんなに薄暗くなってしまいました。
でもまあ、それでも良いと思っていたのも事実。
だって、あとはもうこの「旧第九号隧道」の、どうせ閉塞しているに違いない、せいぜい200mほどの洞内を確かめたら終わりだもの。
洞内探索に昼夜は関係ないのである。
写真だと大変分かりにくいのだが、右の一角には、確かにレールの引き込まれていない坑口が口を開けていた。
ニャニャ〜ン!
で、出た〜〜。
小さい割には、なかなかの「コワモテ」だ。
迫力というか、鬼気迫るものがあるような…。
…よ、夜だからかな……。
もっと明るい時間に来なかったことを、少し後悔したが、後の祭りであった。
そして、当然の如く光も風もない坑口から、
すえた臭いの充満する坑内を覗き込むと、
さっさと閉塞点を確認して帰ろうという気分になった。
まだワタシは、この隧道の真の恐ろしさを、全く理解していなかった。