2010/4/19 18:43 《現在地》
地図読みでは200〜250mほどの長さがあったと思われる「旧第九号隧道」であるが、閉塞はほぼ確定した状況である。
それを裏付けるようにまったく風の流れが感じられず、その代わりカビくさい臭いが鼻につく。
なにやら「資材」が置かれているほかは、特に立入禁止の表示もない坑口から、洞内へ侵入する。
その際、壁際の側溝に立つ「丙種距離標」らしき標柱を発見した。
鉄道の距離標には甲乙丙の三種があるが、丙種は通常100mごとに設置される。
デザインは鉄道会社によって違うらしいが、大井川鐵道井川線の場合はこのデザインである。
「3」とだけ書かれている。
入洞すると、まず右にカーブしていた。
最終的には坑口の直線上より左に抜け出るはずなので、存在自体が意外なカーブではあったが、おそらく(地表の)地形に合わせた線形なのだろう。
なお、このカーブの始まりには、「曲線標」が残されていた。
「R=50」というのは曲率半径が50mということで、半径50mの円形カーブということだ。
鉄道に詳しい方ならばご存じだと思うが、R50というのは“鉄道らしからぬ”きつい急カーブである。
これは道路であっても、かなり厳しい。
井川線の表定速度が15km/hと極端に低いのは、途中駅が多いことももちろんあるが、とにかくこんなカーブばかりで速度が出せないためである。
なんか、グネグネしてるよ…。
R50の右カーブが明けると、すぐにまた曲線標が現れた。
(なお、勾配標には曲率半径のほかに、カントやスラック、曲線長も書かれている)
今度は「R=65」の左カーブである。
つまり、全体でS字カーブになっている。
隧道にはいってすぐに反転カーブとはなかなか熱い展開であり、お陰で早くも入口は見えなくなってしまった。
そして、すぐ先にはまた別の、「謎の標示」が壁に描かれていた。
保線に関わる人には理解できるのだろう。
おいおい、大丈夫か?
なんか、壁の標示も混乱しているようだぞ(笑)。
×印を付けて訂正した跡がある。
む は?
これはなんだ?
R65の左カーブの途中、天井に照明がいくつか取り付けられていた。
明らかに鉄道時代のものではない。
それに、側壁には錆び付いた脚立が立て掛けられていた。
例によってこの廃隧道でも、キノコ栽培のような跡地利用が試みられたのだろうか。
R65の前方に長い直線が見えてきた。
ますますかび臭さが濃密になり、水のしたたり落ちる音が澱んだ空気を微かに揺らしていた。
照明はここで呆気なく途切れ、代わりに鉄パイプが“はさがけ”のように設置されていた。
そして、初めての待避坑が右側に口を開けていた。
洞床には、小粒の丸砂利がバラスト代わりに敷かれている。
枕木はとうの昔に撤去されたらしく、平坦に均されている。
記録に残る廃止年は1981年(昭和56年)であるから、老朽化の具合は「相応」な印象である。
や べ ぇ…
待避坑に、「奥」 がありやがった…。
こいつは、今流行の “横坑” ってやつか…
人一人がようやく納まれる程度の待避坑の奥には壁がなく、そのまま本坑と直交する方向へと横坑が伸びていた。
そのサイズは二回り大きく、ズリ出しの手押しトロッコが余裕で通れるくらいある。
ちょうどこの方向は、最短で地上に繋がっていると思われるから、これも良くあるズリ出しの横坑と思われた。
だが、この坑道も空気は澱みきっている。
おそらく、私の想定に反して、地上へは繋がっていない。
そして、ここはコウモリたちの巣窟になっていた。
本坑にも居るには居たが、やはり素堀の洞窟の方がよほど住み心地が良いのだろう。数が違う。
既に冬眠から醒めているコウモリたちは、私の顔の周りを激しく飛び回って警告してきた。
横坑の「終焉」は、意外に早く訪れた。
本坑から30mほどだろうか。
落盤…閉塞… している!
逃げ場を失ったコウモリの大乱舞が頬を叩くと、獣の臭いがかつて無いほど濃密に鼻を突いた。
呼吸に軽い不自由を覚えたのは錯覚と思うが、閉塞隧道の閉塞した横穴などというシチュエーションは、
救いが無さすぎる…。
閉塞という現実は常に、「この土と岩の壁の向こう側はどうなっているのだろう」という疑問を提示する。
その確実な答えを得る手段はひとつしか無く、それは土砂をどかしてみると言うことだが、実際にそれが可能である場合は多くない。
そこで次善の策となるのが、閉塞地点の状況から向こう側の状況を想像することである。
想像が上手く行けば、落盤の向こう側の“出口”を改めて発見できる事もある。
この横坑の場合、閉塞部分の断面が整っており、圧壊した様子はない。
むしろここが“出口”であり、崩れたのは“外”のように思われたのだ。
…それを確かめるには、外に廻って坑口を探す必要があるが…。
これが、想定される「現在位置」である。
おそらくこの「旧第九号隧道」は地上にかなり近い位置を通過しており、横坑は当初の予想通り、ズリ出し用のものだったと思われる。
だが、地上側に崩壊が起き、出口が埋もれてしまったのだろう。
以上の想定に満足して、撤収を開始する。
まだ、本坑は終わってないのである。
そういえばこの本坑との接続部分も、横坑側から見ると“出口”の閉塞部分と形がソックリだ。
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18:48 《現在地》
予想外の横坑発見とその閉塞という展開はあったが、まだ入洞から5分しか経っていないし、本坑は100mも歩いていない。
ここから引き続き前進を再開するのである。
横坑を過ぎて間もなく本坑は直線になった。
本来なら淡々と進む場面だが、おそらく横坑から溢れてきたコウモリたちが盛んに飛び回っており、相変わらず幽かに息苦しさを覚える。
酸欠云々ではなく、何となく空気が悪いのである。
そして本坑を50mほど進むと、再び右側に待避坑が見えてきた。
ま、まさか…。
またしても、横坑だった…!
一本の隧道に複数の横坑があることは、長い隧道ならば珍しくないかも知れないが、
わずか2〜300mの隧道にしては、意外な展開である。
しかも、まだ入口から150mも来ていない。
というか…
この横坑は、長さが5mくらいしかなかった。
5mほど横坑を歩くと…閉塞…
…ではなくて……
驚愕の展開が待ち受けていた。
盛んにコウモリが飛び回る空洞。
長さ5m足らずの横坑の先は、空洞であった。
もちろん、空洞と言うからには、横坑よりも広い空間だ。
そして、その空洞というのは……
どこか別の隧道だった。
こんな事が起きようとは、さすがに全く予想できなかった!
廃隧道を潜っていて、横坑が隣にある新隧道(現在線)に繋がっていたというような経験はある。(例:磐越西線 旧慶徳隧道)
だが、今度は全く状況が異なっている。
そもそも、現在線の隧道とは逆方向の横坑だったのだ。
今私が出会ったこの空洞は、明らかに本坑と同等の大きさを持った(廃)隧道である。
…資料には…もちろん…ない……。
しかも。
横坑が出会った空洞(廃隧道?)は、
前後の両方向へと続いていた。
いずれの方向も素堀であり、本坑が巻き立てられていたのとは異なっているが、サイズ自体は遜色ない。
ええええ!! 気持ちわりぃ展開!
日中だったら、外に通じていればあかりも見えたかも知れないが、前も後ろも真っ暗だ!
まあそれ以前に、
この場所も空気が澱みまくっている…が…。
ままま、まずは
まずは出口の存在がより期待される、右側へと歩き出してみた。
つまり、千頭側である。
そして、10mも行かないうちに、壁が巻き立てられているのに出会った。
その姿は、さっきまでの本坑の姿と瓜二つ…。
両者は横坑の長さ分の5mそこらしか離れていないはずであるから、まるで複線のように、地下で並行しているのである。
…井川線が複線なんて…、全く聞いたことがないが……。
それに、よく見ると、何かが築かれている。
洞床の一部に…。
この「謎坑(仮)」部分は、本坑以上に激しい漏水に見舞われていた。
大量の水滴が、夏の夕立のように洞床を叩いている。
それも部分的に強弱があり、特に激しく垂れている中心部分に、この写真の…謎の構造物があった。
明らかにレールを敷けば邪魔になる位置であり、これが廃線跡だとすれば、廃止後に建造したものということになる。
しかし、いったいこれはなんなのだ。
石とモルタルで固めた1m四方高さ30cmほどの台座があり、その内側はバラストと同じ川砂利が敷き詰められている。
水はそこに大量に落ちているが、水捌けがいいらしく、溜まってはいない。
外見的には、あくまでも台座。
それ以上でも以下でもないが、祭壇に見えないこともない。
得体が知れないものは、すなわち気持ちが悪いのである…。
“謎の台座”の10mほど奥で、
隧道の全断面が一気に閉塞していた。
そして今度は、天井が破れているように見受けられる。
ここは先ほどの横坑の閉塞地点から、地中の距離だが、
たぶん30mくらいしか離れていない。
だから、あの横坑の先というのも…
地上などではなくて…
この「謎坑(仮)」だったかも知れないのだ…!
そしてまた、この閉塞地点が相当に地表に近い、土被りが浅い場所であることも分かった。
というのも、天井の素堀の岩盤から赤い木の根が「モサモサ」と生えだして、洞内に垂れていたのである。
……モウヤメテ。
はっきり言って、キモチワルイカラ〜。
夜じゃなくたって、気弱になる展開。
しかもとても言い訳がましいが、今回はいつものヘッドライトを紛失してしまい、だいぶ頼りのないサブのLEDライトだった。
写真はフラッシュで撮影しているから普通に明るいが、肉眼だと、赤い髪が天井から垂れているように見えたり…した。
したんだよ…。
さて、一方の閉塞が確認された。
残るはこちらだ。
…すごい。
もの凄い数の、コウモリだ。
よく見ると2種類いて、大きいのと小さいの。
大きいのは黒い翼にくるまるように眠っていてほとんど動かないが、さっきから大騒ぎを演じているのは、白っぽくて小さくて、そして沢山いるヤツの方だ。
彼らが壁にぶら下がったまま、フニフニと気ままに動いている様子は可愛らしくて、少しだけ癒された。
ただこの数だけに、獣臭がもの凄かったが。
こちら側も10mほど行くとコンクリートで巻き立てられていた。
また右側の壁には、待避坑が設けられていた。
“ちゃんと閉じた”待避坑である。
そして、その先だが…
これって、まさか…。
坑(こう)来たか!
ダジャレじゃなくて、マジで坑道が来た。
洞内分岐があったのである!
現在は壁で仕切られていて相互の行き来は出来ないが、「謎坑」の進路上には「旧第九号隧道」の本坑が接続していたことが、これで確定した。
もう、頭の中が半分パニック。
資料にはない廃隧道がここにはあり、しかもそれは旧隧道と接続していたが、その痕跡は(今のところ)地下にしか確認できていないという状況なのだ。
これに興奮せざるを得ない!!
地底に残る「謎坑」の確認された全長は、横坑から千頭側に20m井川側に20mの、合計40m程度である。
或いはもう少し短かったかも知れない。
そして、千頭側は落盤によって閉塞し、井川側はコンクリートの壁によって斜めに遮断されていた。
この壁は位置的に本坑(旧第九号隧道)の外壁に間違いない。
この「謎坑」の正体は、なんだろう。
…白々しい。
明らかにその寸法は本坑と酷似しており、「旧旧隧道」に違いないのである。
ただ、それをより確実にイメージするためには、次のような模式図が必要だろう。
最初の横坑の閉塞した先も、この「謎坑」だったと仮定している。
あとは“ハテナマーク”の地点に坑口でも発見されれば、これが旧旧隧道であったと確定しても良いと思う。(ぶっちゃけ「記録」はまだ見つかっていない)
それにしても、大井川鐵道井川線の謎めき方は、恐るべしである。
偶然に“廃線”を見つけるなんて僥倖に出会えるとは、ちょっと思わなかった。嬉しい。
嬉しいが、しかしなかなかに恐ろしいシチュエーションでもある。
閉塞した隧道から分岐(横坑)があって、それがさらに分岐(旧旧隧道)していて、その全てが閉塞しているなんて言うのは、隧道と言うよりも鉱山の複雑さだ。
もちろん、当初からそうするつもりではなかったところが、面白いのだが…。
次回「最終回」では、一連の発見の総括を試みます。
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