2024/3/23 11:14 《現在地》
車を動かして段丘崖の上に移動してきた。
崖下から50m近く高いところに広大な段丘面が広がっていて、その大部分は水田(魚沼産コシヒカリを生む金の田だ)として利用されている。
段丘面の山寄りには集落もあり、県道がそこを通っている。集落の名は小泉という。
これから、水田を横切って、段丘崖の縁へと向かう。
除雪されている道は限られており、残念ながら目の前の十字路(丁字路に見えると思うが…)の直進方向、段丘の縁へ向かう道は除雪対象外だった。
奥に杉の木立が集まっている場所があるが、あそこが“目印の木立”である。なのであの辺が目的地だ。
段丘崖の向こう側、遠くに広がっている雪色の街は、十日町である。
雪中行軍開始!
自転車無理〜〜〜!
自転車が無理であることを、僅か20mで思い知らされた私は、スタンドがないのに倒れることが許されないほどズッポリ雪にハマった自転車を棄て、単身、現場を目指しはじめた。
雪さえなければ、1分後には目的地だったと思うが……。
今は、300m先の目的地が、遙か彼方と思えるのであった。
まあ、実際に使った時間は大したことはないんだけど、現地では本当に長々しく感じた。
私も秋田に暮らしているから知っているが、広大な田んぼに積もった雪の深さは、狭い範囲でもなかなかに変化が大きい。風の影響で吹きだまりが出来るせいだが、ときには車が埋没するほどの深さとなることも珍しくない。さっきから降っているのは雨である。ぐっしょりと濡れた雪は、全く支持力がなく、一歩ごとに地面まで足が埋まった。部分的には太腿まで埋まった。
かんじきを持ってくれば良かったが、最近は雪中探索をしないから常備しなくなっていた。
しかし本当に注意しなければならないのは、道を踏み外さないことだ。
雪の水田で、見えない農業用水路に落ちて亡くなる人がたまにいる。
今回は地図と景色から道が直線であることがはっきりしているのであまり危険はないが、油断は禁物だ。
11:23
十字路を出て間もなく10分経過だが、やっと崖の縁が近づいた。
事前情報にもあった、崖の上の手摺り(フェンス)が確かにある。
しかも、想像以上に厳重そう。下が雪に埋れているはずなのに、あんなに高く見える。しかも、途切れている場所が全くなさそうである。
なお、いま歩いてきた道は、当初は農道だと思っていたが、帰宅後に十日町市のサイトで調べたところ、市道であったことが判明した。路線名は、十日町市道13023号線ねんど場線というようだ。
小泉集落の県道上が起点で、そこから真っ直ぐ東へ延びて前述の十字路を直進、目の前のフェンスに突き当たるところが終点という、約700mの市道である。
もしかしたら、以前はこの市道が問題の隧道を潜って、崖下の浅河原交差点まで通じていたのだろうか。田んぼで行き止まりの道が敢えて農道でなく市道である理由としては、ありそうな気がする。
11:24 《現在地》
やっと辿り着いたが……
注意!!
この先は、がけとなっています。
あぶないので、次のことを守ってください。
なんだこの構文は。
くちごたえでは、具の根もでないなこれは。
柵に興味を持つことさえ許されなさそう。
この構文、物わかりの悪いぬこに言い聞かせる感じがして好き。
「魚にちかづかないこと」「魚をくんくんしないこと」「魚をくわえないこと」「魚をもちさらないこと」みたいな注意書きが魚屋に書いてあったら面白いw
にゃ〜〜〜ん。
11:27
恐っ!☠
こいつは確かに、あぶねーぜ。
高い橋とか東○坊みたいに、普通に身投げして目的を遂げられるレベルの切り立ち方をしている。
走り幅跳びの選手なら、信濃川の対岸まで飛べそうである(いやいやいや)。
ちなみに、眼下の十日町橋は、広い河川敷のだいぶ奥の方で信濃川を渡っているが、手前側にも小さな流れがあるのが見える。
実はこれ、河川敷を共有しているが別の河川で、浅河原川という。
もう少し下流で合流するし、だからなんだという話であるが、十日町橋を利用している誰もこの川の存在を認知して無さそうで気の毒だったので書いた。
そんなことより、肝心の“道”は…?
これだ〜!!
めっちゃ鮮明にある。
あるけど、さすがにこれはドキドキしちゃうな〜。
ここを歩いている姿は、多分その気になれば十日町市役所とかからも見えるよね。双眼鏡とか使えばw
見晴らしと風通し、良すぎである。 こんなに明るい廃道、なかなかねーぞ。
幸い、ここにはそれほど雪は積もっていないし、何より安心したのが、今日の気温的に、凍結の心配がないことだ。
もともとちゃんと道だった当時なら、さすがに手摺りくらいあったと思いたいが、現状ここは法枠工で固められたただの崖の一角でしかない。
ただ昔の道形が化石のように崖面に浮き出ているだけである。道とは認知されていないから、路面も手摺りも、ない。
もしこの状況で、雪面が凍結していたり、もっと恐いのは雪の下の地面に溶けた水が凍結した状態で張り付いていたりしたら、坂道を下りはじめたが最後、死の滑り台に直行という畏れがある地形だ。
今ばかりは、うっとうしい雨も愛おしく感じられたよ。
というわけで、いよいよ隧道現存の最終ジャッジを下すべく、禁断の坂道を下っていこう。
先に下からこの道形を見ているので知っているが、結末はすぐに来る。
というか下りはじめて間もないタイミングで、終わりが見えていた。
明確な道形が、ぶっつり唐突に終わっているのが見えた。
確かめるべきは、その最後の部分に、穴があるかだ。
きっとそこに隧道が口を開けていたはずだ。だから道がそこまである。
なお、進むにつれて下りの勾配が強くなっていく。
度を超した急さではないが、濡れた雪で滑らないよう、足元を一歩一歩確かめながら進む慎重さを要した。
さあ、もう逃げ場がないぞ!
あと10メートル!
11:30 《現在地》
くっ! 駄目ッ!!
残念ながら、高橋少年が探検した隧道は、上の口も現存せず。
隧道の喪失をここに確認。 R.I.P
道も完全にここで終わっていて、もしこの先に道があったなら、それは地中か空中より考えられない状況だった。
ただし、痕跡はあったと、私は言いたい。
こんなものを“痕跡”と表現するのは、普通なら無理があるのかも知れないが、私はこの行き止まりの山側の法枠工の隙から、土嚢と塩ビ管が露出しているのを発見した。
これはきっと、隧道を埋め殺した痕跡に違いない……。
ただ、土嚢の上には金網が敷かれており、更にその表面にコンクリートが吹付けられているので、とても穴を再開通させることは不可能だろう。そもそも、型枠工という巨大な蓋がされてしまっている。
残念ながら、隧道を拝むことは出来なかったが、証言及び地形の状況から判断して、確かにここに隧道があったことは信じられる。
しかし、相当奇抜な隧道だったのではないだろうか。
「九十九折りにあった」という証言や、全国地価マップの地図の様子から判断して、切り返しのカーブの頂点部分が隧道になっていたと考えている。
チェンジ後の画像に、想像を描いてみた。
書いていて、その突飛さに、ちょっと笑ってしまった。(^_^)
このような隧道は、非常に珍しい。
当サイトで取り扱ったものとしては、熱海市の野中山隧道くらいであろうか。人道用としてはますます稀であろう。
いかなる経緯で、いつ頃建設されたものなのか、とても気になるのである。
重ね重ね、これほどの珍品が知らぬ間に失われてしまっていたことは残念だが、もし証言者が現れなければ永久に私が知ることのない隧道であったと思われ、深く感謝している。
撤収しよう。正直、あまり長居したいような場所ではない。
11:33 撤収。
( あ〜〜。この隧道のこと、もっと知りたいなぁ…… )
( !そうだ! )
( あそこに行けば、何か証言が得られるのでは……? )
こっ!! これはーーーッ!!!
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