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2023/4/8 15:09 (入洞7分後)
天井まで高く積み上げられた土嚢ウォールによって、完全に密閉封鎖されてしまった柿下トンネルの本坑……
…と思いきや?
なんだこいつは?! 脇が甘過ぎだぜ! (ペロペロ)
車の通行は禁じるが、人とぬこの通行は許すとでも言うかのように、片側の脇に隙間があり、身を捩れば大人も通り抜けられそうな状態だった。
そして、ここまでの洞内でも微かに感じられていた空気の流れは、この隙間にも間違いなく流れ込んでいた。
この先に隧道が続いているに違いない!
身体を入れるより先に、カメラだけ差し込んで撮影したのが、次の写真だ。(↓)
外の光だ!
照明を入れずに撮影したので、出口の光だけが闇の空にぽっかりと写っていた。
おそらく40〜50mくらい先に光があり、【いま背を向けている長さ】と足せば、記録されている柿下トンネルの205mという全長になるかと思う。
ただ、見えている出口……南口には、何か大きな障害物が設置されているようだ。
北口には閉ざされたフェンスの扉があったが、南口にあるのはより固定的な障害物のようである。
光が通る隙間はあるが、私が通り抜けられるのかは近づいてみなければ分からない。
1本のトンネルであるが、2つある坑口の塞がれ方は、明らかに性質を異にしていた。
洞内に刻まれている新しい轍を見ても、柿下トンネルが真に廃止されている区間は、ここから先の封鎖部分だけであるようだ。
もちろん、道路法的な意味ではトンネル全体が廃止されているのだろうが、新しい轍が直前の横坑へ引き込まれており、北口からここまでの柿下トンネルは、その横坑の先にある何らかの施設へのアプローチトンネルとして利用されていることが明らかだった。
そしてこれが、轍が通じている鉄扉のある横坑だ。
この先の空間も本坑と同様、戦時中に地下工場として建設されたのだと思うが、果たしてそのような“終わった”場所に真新しい轍が多数引き込まれているというのは、いかなる事情によるものなのか。
地下空間を別の用途に転用しているなら、その看板なり表札なりが設置されていてもおかしくないと思うが、そういうものはなかった。(文字のかすれた【行き止まり】だけだ…)
まさか、口外できないような“ヤバイ工場”じゃないだろうな……。
…………静まりかえっているし、少しだけ入ってみるか…。
ここまで入洞から9分間の行動の軌跡を、マッピングした地図上に描いてみた。
本坑から逸れて横坑へ進入しようとするのは2回目であるが、最初の時のように半分封鎖されていた横坑ではない。
今から、真新しい轍が引き込まれている“鉄扉の横坑”へと進入する。
15:10 (入洞8分後)
…うへぇ……
やっぱりそうなってるよなぁ……
横坑の先には、今までのトンネル本坑と平行する別の坑が存在していた。
しかも、そこから綾織るようにさらに奥へと分岐する横坑の入口も見えている。
長さ205mの1本道であるべき道路トンネルが、秘かに接続していた広大な地下工場跡。
横坑の鉄扉を潜ったことで、そんな迷宮への導火線が、今にも点火しそうになっていることを、膚に感じる。
私はそれがとても恐ろしい!! そんな覚悟も準備も何もないのだから!
普通のトンネルの感覚だったら、洞内分岐が1つでもあれば珍しく、2つあればもはや激レア! …という感じであるのに、碁盤の目状に広がる地下工場トンネルの分岐の数を、道路トンネルのように数えだしたらおかしくなるのは当然だ。
掘削する容積を出来るだけ少なくして山を貫通させようとする道路トンネルと、地下に空間をより広く生み出そうとする地下工場のトンネルは、建設の目的からして真逆であり、相容れない!!!
「次の写真」は……
本坑の西側に平行している坑にて、南口方向を撮影した。
ここにも出口がある!
こうして出口が複数あることを実際に見せつけられると、柿下トンネルに拘っている自分がアホみたいに思えてくるな。
しかも、はっきり言って本来の柿下トンネルの南口より与しやすそうだ。
何やら土嚢で塞がれているのは見えるが、隙間が大きい。
いざとなったらここから出て、本来のトンネルの南口へ迂回できる可能性がある。
あと、やっぱり少し狭いな。南口に通じる坑道は、どれも少しだけ狭く掘られているのかもしれない。理由は分からないが。
はいはいはい、やっぱりね、
反対側も、外へ繋がってるんだね…。
遠いが…、見覚えのあるような入口が見える。 実際は私が潜ったことのない入口だが。
ようするに、柿下トンネルと全く同じく南北に貫通している直線の坑道が、トンネルの20mほど西側に平行して存在していたのである。
まるで柿下トンネルのクローンのように。
そして、このどちらが“本坑”であったのかも、地下工場側の視点からは不明であり、どちらもそれほど重要な坑道ではなかった可能性もある。
だから、このどちらが柿下トンネルとして転生していたとしても、不思議はなかったように思う。
洞内だけに目を向けるならどちらでも条件は変わらなそうなのだ。あとは外の都合だろうか。
柿下トンネルとして建設されなかったものが、柿下トンネルの正体であったことを知ってしまい、私は複雑な気持ちになった。
長さ205mのトンネルなら205m分あるはずのトンネルとしての誇り。それをこのトンネルは何メートル分持って過ごしてきたのか。
そんなことを考えてしまった。
15:11 (入洞9分後)
迷宮の導火線に火が点いてしまったようだ。
これはもう、私の中ではトンネル探索というオブローディングの範疇ではない。
別の世界に来てしまった。
それを自覚してもなお直ちに歩みを止めなかったのは、この地下工場跡がなぜ真新しい轍を誘引しているのかという謎があったからだ。
その部分には確かに、柿下トンネルの最後の利用目的を知るという、私の興味に直結する意義があった。
……以後、各坑道の逐次記録は止め、遭難防止のためのマッピングを行いながら、しばしのあいだ遊動的な探索を続けた。
15:12 (入洞10分後)
洞内には多数の電線が張り巡らされていたが、トンネル本坑にあったような照明は見当らず、代わりにコンセントが所々に設置されていた。
また、様々分岐する坑道の所々には、空気の流れをコントロールし、ひいては湿度や温度をコントロールするためのセパレートが設置されていた。
素材は現代的なものであり、コンセントの存在と合わせて、戦時中の地下工場跡がそのまま放棄されているわけではないことは明らかだった。
15:13 (入洞11分後)
最近まで車で人が出入りしていた痕跡がある区画だが、全体的にはどこを見ても廃墟でしかなく、現役で利用されている、あるいは日常的に人が出入りしていると思われるような区画や施設と遭遇することは遂になかった。
最近に車の出入りがあったとしても、それは廃止された施設からの資材の搬出など事後処理的な目的であったのかもしれない。
15:14 (入洞12分後)
そして肝心な施設の正体だが、大量のセパレートによる湿度と温度管理の形跡や、僅かに残されていた什器・容器の類から推測するに、キノコ栽培施設の可能性が高いと感じた。
疑問への一応の答案を得た私は、速やかに柿下トンネルへ帰還することにした。
この帰還の移動の様子を動画で撮影したので、4分と少し長い内容だが、興味のある人は見て欲しい。(↓)
15:18〜15:22 (入洞16分後〜20分後)
無造作に歩き回れば間違いなく迷いそうな広大な地下空間が広がっていた。
動画の開始地点(私が引き返し始めた地点)から、動画の終わりの地点(柿下トンネル復帰)まで4分間、どこをどんな風に歩いたのか。
現場でのフリーハンドのマッピングから大まかなルートが分かるので、それを書き起こしてみたのが次の地図だ。(↓)
地図は不正確ですので、これを参考に入洞するのはおやめ下さい。
在りし日の柿下トンネルは、トンネル内で遭難できる唯一のトンネルであったかもしれない。
というのは冗談としても、トンネル内にある扉の向こうに、地下キノコ栽培施設があるトンネルというだけでも唯一無二だろう。
状況的に、柿下トンネルが廃止された後に、施設の稼働が始まったようには見えなかった。
日本各地に戦時中建設された地下工場はあったようだが、道路トンネルとして転用されたものは極端に少ない。
そこには先人たちの道路に対する妙な潔癖さが感じられるが、ここに柿下トンネルを“開通”させ、それを市道とする決断を下した人たちは、自分たちがとても珍しい選択をしたという自覚は持っていたのだろうか。それが地味に気になっている。
関係者のご降臨を待っています。