山梨県大月市の葛野(かずの)川ダム(松姫湖)で見る事が出来る、この不思議な廃トンネル。
上下に並んだうち、上段は林道として現役だが、下段は使われていない。
廃トンネルの正体は前回のレポートで判明したが、それはダム建設の最中に使われていた仮設道路であった。
仮設とは言っても、平成4年頃から9年頃まで国道139号として使われており、同じくダムに沈んだ旧道に較べれば、2車線舗装路という遙かに高規格な道路であった。
前回の探索で接近した廃坑口はコンクリート壁で厳重に閉塞させられていて、内部へ立ち入る術はなかったが、壁に直径10cmほどの空気穴があることから、洞内は今も空洞であることが伺えた。
詳しくは前回を見てもらいたいが、葛野川ダムの建設過程で国道は2度付け替えられた。
最初が赤いルートで、平成4年頃に青いルート(仮設道路)になり、平成9年に緑のルート(完成付替道路)に変わった。なお、ダムの湛水開始は平成11年である。
ここからは、青いルートに絞って見ていく。
仮設道路の存在目的は、ダムの本体工事に差し障る旧道の通行を止めることであり、ダム本体を迂回するように掘られた1号(仮称)および3号(仮称)トンネルが特徴的な存在である。
また、左岸側にはもう1本トンネルが掘られ(2号トンネル(仮称…以下これらトンネルの「仮称」は省略))、この松姫側坑口こそが上の写真の“下段の坑門”である。
仮設道路の3本のトンネルだが、最も長く推定延長600mの1号は、大月側坑口が塞がれており(施錠)、反対側は深い湖底に沈んでいる。2号の松姫側坑口は地上にあるが閉塞していて、大月側はやはり湖底。3号(ダムトンネル)のみ林道土室日川線およびダム管理道路として現役である。
ここで注目すべきは、2号トンネルの湖底にある大月側坑口である。
次の写真は、平成23年9月16日…つまりこの再訪の日に、図中の「慰霊碑」地点から対岸を撮影したものだ。
今日も出てるよ…。
2号トンネルの西口(大月側坑口)が……。
にしても、汚い水の色。
入りてぇええええッ!
「あの洞内は、どうなっているんだろう?」
それは、この景色を見てしまった誰もが、絶対に考える問。
そして、その答えを手にするためには、
実際に近付いてみるのが、一番手っ取り早い。
間違いなくその通りだが、地形がそれを許さぬこともある。
「四面楚歌」という。
改めて、2本のトンネルの位置関係を整理。
長さ約300mの2本のトンネルが、ひとつの尾根に掘られている。
上段が林道の鶴寝トンネル(現役)で、下段が仮設道路の2号トンネルだ。
2号トンネルの西口は、ダム湖水位の変動する範囲内に口を開けており、もし洞内が空洞である場合、水位の上昇によって洞内の空気がピストンのように押し出され、そのため東口閉塞壁に空気穴が空けられているのだと想像出来る。水位が下がる場合はこの逆となる。
なお、葛野川ダムの水位変動は、一般的な洪水調節用機能を持たされたダムとは異なる挙動を見せる。
葛野川ダムは東京電力が管理する「発電専用」のダムで、その発電の方式は揚水式である。
詳しくは外部リンクをご覧いただきたいが、揚水式では標高差のある2つの貯水池の間で水をやり取りしている。
一般的には、電力消費量の大きくなる日中に、上部ダムから下部ダムへ水を自然流下させ、途中の発電所のタービンをまわして発電する。
そして夜間に電力を用いて、下部ダムから上部ダムへ水をポンプアップするという動作を、一日単位で繰りかえす。
したがって、下部ダム(この場合は葛野川ダム)の水位は、日中が高く、夜間は低いということになる。
…何を言いたいか。
2号トンネル西口の探索は、早朝にやる必要がある。
それともうひとつ。
洞内でノロノロしていると、水位の上昇によって洞内に閉じ込められる危険性がある(!)ということだ。
肝心のアプローチ方法だが、
もうこれしかないでしょ。→
林道のシンケイタキ沢橋付近からシンケイタキ沢の河床に下降、湖畔に辿り着いたら、そこからは湖面上を移動する。
水上移動の方法は二つ考えられたが、まずは“穏当な方法”を計画した。
山行がでは既に何度か切り札として登場している、「ゴムボートわるにゃん」である。
だが問題があって、私は二人乗りゴムボートを所有しているが、操船が出来ないということである(爆)。
“ミ氏”←カーソルオン!を召喚するしかないッ!
氏との交渉は順調にまとまり、今年9月4日(日曜日)の早朝に合調を行う手筈が整った。
彼は前日に「船の科学館」観覧+αを目的に東京を訪問する予定であり、そのまま彼を私の車で拉致して探索へと雪崩れ込む計画である。
だが、直前になって問題が発生!
日本列島に上陸し、全国各地に甚大な大雨の被害をもたらした、台風12号の関東地方接近である。
大雨でダム湖の水位が上昇する可能性がまずあったし、暴風の中で湖面にボートを浮かべるような死策は、流石に避けなければならなかった。
残念無念の計画中止であった…。
氏は普段秋田に住んでおり、そう頻繁に東京ヘ来ているわけではない。計画は「無期延期」せざるを得なかった。
しかしそれからときおり、夜になると 出る ようになった。
夢の中に。
早く来い、マッテルゾ …と。
なるほど、そんなに私は気にしているのか。
ならば、応えねばならない。
延期を決めてから2週間も経たない9月16日(金曜日)。
私は暁の湖畔を目指し、ひとり、車を走らせていた。
水面移動には、“第二の方法” を用いる事にした。
誰もが始めに思いつく、最も原始的な方法である。
ただ、大人はあまりそれをしたがらないだけである。
特に、ダムでは。
知りたいをカタチに、見たいをゲンジツに。
私のカラダとアタマは、そのためにある。