隧道レポート 葛野川ダム仮設道路2号トンネル(再訪編) 序

所在地 山梨県大月市
探索日 2011. 9.16
公開日 2011.10.22


山梨県大月市の葛野(かずの)川ダム(松姫湖)で見る事が出来る、この不思議な廃トンネル。
上下に並んだうち、上段は林道として現役だが、下段は使われていない。

廃トンネルの正体は前回のレポートで判明したが、それはダム建設の最中に使われていた仮設道路であった。

仮設とは言っても、平成4年頃から9年頃まで国道139号として使われており、同じくダムに沈んだ旧道に較べれば、2車線舗装路という遙かに高規格な道路であった。

前回の探索で接近した廃坑口はコンクリート壁で厳重に閉塞させられていて、内部へ立ち入る術はなかったが、壁に直径10cmほどの空気穴があることから、洞内は今も空洞であることが伺えた。



詳しくは前回を見てもらいたいが、葛野川ダムの建設過程で国道は2度付け替えられた。

最初が赤いルートで、平成4年頃に青いルート(仮設道路)になり、平成9年に緑のルート(完成付替道路)に変わった。なお、ダムの湛水開始は平成11年である。
ここからは、青いルートに絞って見ていく。

仮設道路の存在目的は、ダムの本体工事に差し障る旧道の通行を止めることであり、ダム本体を迂回するように掘られた1号(仮称)および3号(仮称)トンネルが特徴的な存在である。
また、左岸側にはもう1本トンネルが掘られ(2号トンネル(仮称…以下これらトンネルの「仮称」は省略))、この松姫側坑口こそが上の写真の“下段の坑門”である。

仮設道路の3本のトンネルだが、最も長く推定延長600mの1号は、大月側坑口が塞がれており(施錠)、反対側は深い湖底に沈んでいる。2号の松姫側坑口は地上にあるが閉塞していて、大月側はやはり湖底。3号(ダムトンネル)のみ林道土室日川線およびダム管理道路として現役である。

ここで注目すべきは、2号トンネルの湖底にある大月側坑口である。

次の写真は、平成23年9月16日…つまりこの再訪の日に、図中の「慰霊碑」地点から対岸を撮影したものだ。




今日も出てるよ…。

2号トンネルの西口(大月側坑口)が……。

にしても、汚い水の色。



入りてぇッ!


「あの洞内は、どうなっているんだろう?」


それは、この景色を見てしまった誰もが、絶対に考える問。

そして、その答えを手にするためには、

実際に近付いてみるのが、一番手っ取り早い。

間違いなくその通りだが、地形がそれを許さぬこともある。



「四面楚歌」という。



改めて、2本のトンネルの位置関係を整理。

長さ約300mの2本のトンネルが、ひとつの尾根に掘られている。
上段が林道の鶴寝トンネル(現役)で、下段が仮設道路の2号トンネルだ。

2号トンネルの西口は、ダム湖水位の変動する範囲内に口を開けており、もし洞内が空洞である場合、水位の上昇によって洞内の空気がピストンのように押し出され、そのため東口閉塞壁に空気穴が空けられているのだと想像出来る。水位が下がる場合はこの逆となる。

なお、葛野川ダムの水位変動は、一般的な洪水調節用機能を持たされたダムとは異なる挙動を見せる。




葛野川ダムは東京電力が管理する「発電専用」のダムで、その発電の方式は揚水式である。
詳しくは外部リンクをご覧いただきたいが、揚水式では標高差のある2つの貯水池の間で水をやり取りしている。
一般的には、電力消費量の大きくなる日中に、上部ダムから下部ダムへ水を自然流下させ、途中の発電所のタービンをまわして発電する。
そして夜間に電力を用いて、下部ダムから上部ダムへ水をポンプアップするという動作を、一日単位で繰りかえす。

したがって、下部ダム(この場合は葛野川ダム)の水位は、日中が高く、夜間は低いということになる。


…何を言いたいか。


2号トンネル西口の探索は、早朝にやる必要がある。

それともうひとつ。
洞内でノロノロしていると、水位の上昇によって洞内に閉じ込められる危険性がある(!)ということだ。






肝心のアプローチ方法だが、

もうこれしかないでしょ。→


林道のシンケイタキ沢橋付近からシンケイタキ沢の河床に下降、湖畔に辿り着いたら、そこからは湖面上を移動する。

水上移動の方法は二つ考えられたが、まずは“穏当な方法”を計画した。

山行がでは既に何度か切り札として登場している、「ゴムボートわるにゃん」である。

だが問題があって、私は二人乗りゴムボートを所有しているが、操船が出来ないということである(爆)。
“ミ氏”←カーソルオン!を召喚するしかないッ!





氏との交渉は順調にまとまり、今年9月4日(日曜日)の早朝に合調を行う手筈が整った。
彼は前日に「船の科学館」観覧+αを目的に東京を訪問する予定であり、そのまま彼を私の車で拉致して探索へと雪崩れ込む計画である。

だが、直前になって問題が発生!
日本列島に上陸し、全国各地に甚大な大雨の被害をもたらした、台風12号の関東地方接近である。
大雨でダム湖の水位が上昇する可能性がまずあったし、暴風の中で湖面にボートを浮かべるような死策は、流石に避けなければならなかった。

残念無念の計画中止であった…。

氏は普段秋田に住んでおり、そう頻繁に東京ヘ来ているわけではない。計画は「無期延期」せざるを得なかった。






しかしそれからときおり、夜になると 出る ようになった。


夢の中に。


早く来い、マッテルゾ    …と。



なるほど、そんなに私は気にしているのか。

ならば、応えねばならない。

延期を決めてから2週間も経たない9月16日(金曜日)。

私は暁の湖畔を目指し、ひとり、車を走らせていた。



水面移動には、“第二の方法” を用いる事にした。

誰もが始めに思いつく、最も原始的な方法である。

ただ、大人はあまりそれをしたがらないだけである。

特に、ダムでは。


知りたいをカタチに、見たいをゲンジツに。
私のカラダとアタマは、そのためにある。




シンケイタキ沢へのアプローチ



2011/9/16 5:18 《現在地》

葛野川ダムの入口となる、大月市七保町瀬戸にある「天望橋」の丁字路にやってきた。
ここへ来るのは、約1年半ぶりだ。

まだ太陽は山の端に現れず、暁雲の合間に月がひときわ白く、名残惜しそうに輝いていた。

今日は文句なく快晴で、日中は厳しい残暑に見舞われることだろう。
当然、首都圏の電力需要はうなぎ登りで、追々松姫湖の水位も上がってくるはず。
この探索は、普段以上に迅速であることを要求された。




最初の目的地は、シンケイタキ沢に架かる橋だ。
スタート地点「天望橋」(国道139号)からそこまでは、林道土室日川線を道なりに1000m進めばよい。
勝手知ったるルートであるが、ご存じの通り、その途中には難儀な障害物がある。

これがその障害物を持つ「3号トンネル」(前のレポでは「ダムトンネル」と呼称。いずれも仮称。)である。
国道からも見える至近の位置にあるが、早くもこの道中に、異変があった。
法面の一部が崩れ、大量の瓦礫が落石防止ネットを突き破って、路上半分を埋めていた。さらに、トンネル坑口付近には相当量の泥土が堆積していた。

以上の異変は、9月4日前後の台風豪雨の影響だろう。
やはり当日の探索は不可能だった可能性が高い。




3号トンネルの中央付近、ダムサイトへの丁字路の先で本線を塞ぐ高いゲートは、1年半前と同様に健在で、相変わらず施錠も完璧だった。
しかし、あのグリスがべったり塗られていた柵の上部には、新たに黒いビニールシートが掛けられていた。
これは柵を乗り越えんとした人々が、グリスで汚れることを嫌って、“イタチごっこ”的に対策をしたものであろう。

書き忘れたが、私は今回も自転車である。
天望橋までは車で来たが、そこで自転車を下ろして乗ってきた。
自転車と私と、ダブルで背丈より高い柵を攻略するのは大変なのだが、こんなところで躓いているわけにはいかない。

特大のワルニャンで対処した。




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5:28 《現在地》

3号トンネルと鶴寝トンネルの間のわずかな明り区間。
トンネルを出た瞬間が、松姫湖とのご対面である。
不測の事態で水位が高かったら、この時点で「探索終了」となってしまうところだが、第一の関門は突破!

前回探索時と同じか、ややそれよりも低いくらいの水位である。
ヨッシ! これは行けるぞ!
探索の条件としては、水位は低ければ低いほどよい。
それだけ水上移動の距離を短く出来うるし、水上移動自体を避けられる可能性も増える(はず)。
また、さっきも書いたように、洞内探索中に水位が上昇してきた場合、閉じ込められるまでのマージンは大きければ大きい程よい。
馬鹿げているかも知れないが、私は真剣に水位変動による洞内閉じ込めを心配していた。
1日単位で最大15mも水位が変動しているという未確認情報もあって、それはとても脅威だった。



同じ地点から、道路上を見る。

上下に並んだ2つの坑門の風景は前回と変わっていないが、路上の様子に大きな変化あり。
廃道の方ではなく、現役であるはずの林道の路面に、大量の砂利や木屑が帯状に堆積していた。
言うまでもなく、路上に大量の水が流れた痕跡である。

また、これ時期的な変化だと思うが、夏場の2号トンネル東口には簾のようにツタが垂れていて、いよいよ廃墟の雰囲気を深めていた。
冬場であった前回はさておき、最初の探索(平成18年8月)とは季節が同じなのに、坑門の“汚れ方”が全然違うことも思い出される。
5年前は、こんなに綺麗だった。




予想以上に“災害”を受けていた、土室日川林道。

しかし、台風12号の襲来から12日を経過して、この間にいくらか車の通行があったようだ。
トラックのような大きなタイヤの轍が、土砂の山の上に幾筋が作られていた。
一般車は当然は入れないので、林道を林道として利用する車であろう。
行き止まりの道ではあるが、廃道ではないらしい。

そして、鶴寝トンネルへ入る。

このトンネルを抜ければ、第一目的地のシンケイタキ沢だ。




おやっ!

話の流れ的には、前回のレポートで紹介しておくべき内容だが、どういう訳か過去2回ここを通ったときには、気付かなかったらしい(不自然だが、無照明トンネルなのであり得る)。
全長321mの鶴寝トンネルの中央付近には、本坑の半分程度の断面をもった横坑が、1本存在していたのである。

しかしこの横坑、地上ではなく、反対の山の方へと伸びている。
そして、奥行きは5m程度しかない。
横坑と言うよりは、古い長大トンネルの方向転換所のようでもあるが、わずか321mのトンネルに必要なものではない。

この周囲の天井や壁面からは、大量の地下水が絶え間なく湧出しており、おそらくこの横坑の正体は、地下水位低下のための水抜きボーリング室ではないだろうか。
(なお、このとなりの山口トンネルにも、同様の横坑が1箇所存在している。)




5:33 《現在地》

第一の目的地。
シンケイタキ沢に架かる、深渓滝沢橋に到着した。
本橋は林道用としてはかなり大型の方杖鋼ラーメン橋である。
その先には山口トンネルが見える。

前回の探索時には、橋の上から湖上を眺めることをうっかり忘れていて、まともな写真が撮れていなかった。
この計画が机上の空論で終わらないためには、本地点から2ステップの飛躍が必要である。

第一は、橋から谷底の湖畔へ降りること。
第二は、湖上の坑口(最終目的地)への水上移動である。

そしてこれらを成功させるためにまず必要なのが、橋の上からのルート選定だ。




シンケイタキ沢は、ダムの満水位以下については護岸工事が完備されており、あまり藪も深くない。
下に降りられさえすれば、楽に湖畔までたどり着けそうだ。
また、降りるルートも当然近くにあるだろうと予想出来た。
これだけ護岸工事が行われているのだから。

さらに奥へズーム。




見えたっ!

最終目的地の一端が見えた!





しかし、

改めて見ると、改めて分かるな…。


こいつは本当に、湖上を往く以外に近づく術の無い場所だと。

水位の減少により、何らかの地続きルートの出現を期待していたが、
そんな物は全くなかった。

甘くはねーか。

やるしか、ねーよーだな…。