現地探索では西口を発見出来ず、当然接近することも出来なかったという結果であり、やや不完全燃焼に終わってしまったお詫びではないが、最後に現地探索の結果推測が可能になった、下段トンネルの正体について、述べておきたい。
葛野川ダムの建設誌や工事誌或いはそれに該当するような資料があれば、「推測」ではない確定したお話しが出来るのだが、残念ながら現在までの調査では、そのような資料に巡り会えていない。
ずばり、下段トンネルの正体は、国道139号線の“仮”付替道路だった!!可能性が激高。
「ミリオンデラックス関東200km圏道路地図帳」1986年(昭和61年)版より転載。
左図は昭和61年当時の道路地図で、まだ葛野川ダムは影も形もない(深城ダムも)。
また、ここを通って松姫峠へ上る道路も国道139号にはなっておらず、山梨県道15号大月奥多摩湖線の時代である(国道昇格は平成5年)。
当時の道路は現在と異なる経路を通っており、土室川をシンケイタキ沢出合の上流まで遡ってから、橋を渡って松姫方向へと切り返していたことが分かる。
現在の松姫湖は、この県道(後の国道)の渡河地点を含む1kmほどを水没させているのだ。
新旧地図の比較により、葛野川ダムによる道路(県道→国道)の付け替えは、右図のように行われたことが分かる。
現在の国道139号には、白草トンネルを含むループ路が存在するが、これは葛野川ダムの国道付け替えで出来たものだったのだ。
なお新道の開通は、白草トンネルの竣工年である1995年(平成7年)12月頃だったと考えて良いだろう附近にある開通記念碑により、平成9年であったことが判明している。
なお、本編とは直接関係がないが、平成13年から松姫峠を全長3066mの松姫トンネルでつらぬくバイパスの工事が始まっており、平成24年に完成する予定である。これが完成した暁には、白草トンネルなど付け替え道路の一部も旧道化し、国道としては短命に終わることになる。
だが、落ち着いて考えてみると、これは少しおかしい。
葛野川ダムの完成は平成11年で、国道の付け替えが平成9年となると、たった2年で高さ100mを超す葛野川ダムが0から生まれたというのだろうか。
そもそも、葛野川ダムの着工年は平成3年なのである。
完全に堰堤と被る位置にある旧道の通行を確保したまま、ダムの建造が終盤まで進められたとは、到底思えない。
そこで初めて必然性をもって現れてくるのが、今回探索した「下段トンネル」を含む、“仮付替道路”である!
旧道と現道の橋渡しをする存在として、ダムの建設中にのみ使われていた仮設道路(仮付替道路)が存在した可能性は、極めて高い。(右図の青いライン)
そしてこういう仮設道路は他のダムでもよく見られるが、トンネルが存在したというのは珍しいと思う。
あくまでも一時的な道路なので、出来るだけ投資を抑えたいというのが当然だから。
だが、葛野川ダムでは地形的な制約や工期的な制約があったのか、敢えて徒花の水没トンネルを建設する道を選んでいる。
しかしこれならば、隣り合う鶴寝トンネルと「ダムトンネル」で、その様相がだいぶ異なっていたことの説明も付く。
「ダムトンネル」は、鶴寝トンネルはもちろん、白草トンネルよりも早く生まれて、仮設道路の一部となり、県道から国道へと生まれ変わりゆくデリケートな時期の交通を支えたことになる。
銘板がないわ、内壁は適当だわと、散々な言われようのダムトンネルだが、実は主役(の代役)を務めたこともある、名脇役だったのである。
これは面白い。道路はやっぱり面白い。(自画自賛)
鶴寝トンネル東口から湖畔を見下ろす。
この下に見える道が、一時期国道として活躍していたのである。
まとめると、こんな感じになるだろうか。
- 平成3年
- 葛野川ダム着工。
- 平成4年
- 付替道路着工。なお、仮設道路は既に着工していて、同年内くらいには完成していた可能性が高い。
- 平成5年
- 県道大月奥多摩湖線が国道139号に昇格。(仮設道路が国道になった可能性あり)
- 平成9年
- 付替道路が開通し、国道を付け替え。仮設道路は工事用道路になったと思われる。
- 平成11年
- ダムが完成し湛水開始。旧道と仮設道路の一部が水没する。
また、林道土室日川線の建設が進み、仮設道路のトンネル上部に鶴寝トンネルが完成する。
以上の説にそれなりに自信があるものの、明確な工事資料や、実際に当時を目撃した経験がないため、大部分を憶測に因っているのは確かである。
だが、最後にご覧いただく“次の景色”は、この説の正しさを強く裏付けてくれるものだと思う。
場所はここだ。 ↓↓
説が正しければ、この場所にも、
堰堤を回避するような“仮設トンネル”があるはずなのだ。
そうでなければ、仮設道路説は成り立たない。
それは果して、存在するのか。↓↓
堰堤の下にある旧道へやってきた。
一応管理用道路として使われているので、旧道ながら廃道ではない。
谷を塞ぐ巨大なダムに前景は完全に遮蔽され、もはやこの道、風前の灯火。
ぐわっ! あった!!
実をいうと、この探索を行った2007年当時、堰堤直下にあるこのトンネルの正体が分からなかった。
本来の旧道は右にカーブして堰堤にぶつかって終点なのだが、その隣にあるトンネルは謎で、
おそらく発電所関連の施設だろうということに、頭の中で納得させていた。
だが、今回のレポートを書くために色々考えたことで、タナボタ的に、このトンネルの正体も判明した。
こいつは、仮設道路の2本目のトンネルだったのだ。
そして、このトンネルの長さまでは分からないが、反対側が深い湖底にあることも、分かった。
ダムは本当に偉大な構造物だ。
こんなにも大きく、こんなにも沢山の楽しみを、我々オブローダーに与えてくれる。
まだ西口は気になるけど、とりあえず、すっきり。
『MapFan II Power Up Edition for Macintosh』の画面より転載
(画像はかにたま氏提供)。
レポート公開後、掲示板に寄せられた情報によれば、やはり仮設道路は実在しており、ヘアピンカーブがあったためか、ドリフトスポットとして使う人もいたという。
さらに、仮設道路の姿を描いた地図画像が出て来たので、転載させていただく。
これを見ると、仮設道路は私が想像で描いていたラインよりも遙かに独自性のあるルートを通っており、水没エリア内では旧道とは完全な別ルートだったことが分かる。
特に南側の仮設トンネルは想像よりも遙かに長くて、500m以上ありそうだ。
なんかもったいない気がするのだが、国道の付け替えなので短期間といえども手を抜くことは出来なかったのだろうか。(それでも、もっと早い時期から本付替道路を建設しておけば、一本化出来たのではないかという疑念はぬぐえない。或いは下流の深城ダムの建設とも関連があるのかもしれない)
単なる水没旧道だけではなく、薄命な仮設道路を含む“多段階ルート変動”は大変に興味深いもので、今後他のダムについても、仮設道路ということを念頭に置いた探索をしたいと思う。