2014/10/28 7:18 《現在地》
島々谷北沢の眺め……
なかなか、険しさが極まってきている。
ここまでも険しいところをピンポイントでトンネルで抜いてきたが、この先は今まで以上に険しい地形であることが、一目瞭然だ。
おそらく、北沢の最上流を守る砂防ダムが、あの鋭い岩山の向こう側に建造されているのだ。
ここまでの道は、その建設を最終目的として整備され、そして仕事を終えた故に、放置状態に入ったものだろう。
上流の遠望を眺める私の後ろには、3本目のトンネルが口を開けている。
いま眺めた険阻の全てを一挙に潜り抜けるための必勝の一本!
登山道と分岐する地点から約800m、自転車同伴の所要時間約20分。ついに地図上の最後のトンネル、その入口に立った!
「ワサビ沢トンネル」の扁額が掲げられた坑門。
坑門の外観は、1〜2本目のトンネルとは明らかに異なっていた。
特徴的だった帯石状の上部突起部がなく、完全にツライチの単調な坑門である。
また、坑門は背後の地山から数メートル突出していて、かつ左右と上に“エラ”が張っていた。
背後の地山はガレ斜面であることから、こうした構造には落石を防ぐ意味があるのだろう。
また、下草のためよく見えないが、このトンネルも2本目と同様に入口を塞ぐA型バリケートが置かれていた。
いちいち各トンネルを通行止めにしていた理由は明示されていないものの、砂防工事用道路だとすれば、工事中にはどうやっても私のような部外者が訪れることは出来なかっただろう。
今だからこそ見ることが出来ているトンネルなのだと感じる。
きっと私はいま、レアなものを見ている。
やはり国の仕事だけあって生真面目というか、今回もばっちり銘板完備である。
工事用道路であったとしても、抜かりはない。
その内容は――
ワサビ沢トンネル
1997年12月
北陸地方建設局
延長 488m 巾4.0m 高4.5m
施工 (株)間組
驚いた! このトンネルだけ新しいぞ。
チェンジ後の地図には、ここにある3本のトンネルの銘板から判明した竣工年を記したが、そこそこ離れている1本目と2本目が3年違いでしかないのに、2本目から目と鼻の先にある3本目はそこから12年も遅れての竣工だった。
トンネルが難工事だったのか、そもそも建設の目的となった事業が異なっていたのか。
時間が経過したせいか、施工者も変わっていた。(事業主体と断面サイズはこれまで同様)
勿体ぶりはこのくらいにして、進入開始!
うおぉぉ…
凄い登り坂&カーブ!
これまでの2本同様、今度もトンネルに入ると登り坂がきつくなる。
なぜか全部のトンネルがこのパターンを踏襲している?! いったいなぜ?
全部が“釜トンネル”フューチャーか…?!
そして、地形図上での姿通り、中に入るとすぐに左カーブが待っているようだ。
地図上では実に90度曲がるまで続いているのだが、本当にそんな感じの曲がりの始まり方だ…。
……ん? 何か板のようなものが落ちているぞ(○印内)。
それは、裏返しになった看板で、少し歪んではいたが、文字の面が下になっていたおかげか、とても色鮮やかだった。
この先危険につき
立入禁止
松本砂防工事事務所
どこに掲げられていたとしても不思議ではない内容だった。
だが、私の中には、地図が描くこのトンネルの先の“異常な光景”が、常にチラついていた。
それを思うとき、このどこにでもありそうな看板が実は、真に迫った最後の忠告ではないかという予感もあった。
このトンネルの真実、今から確かめる。
入口の側壁には、「25」の刻字。
鈴小屋トンネルの「30」と同じく、内壁の巻き厚を記したものだが、「25」には少し驚いた。
これまで見たことがある最も小さな数字は「30」で、「30」は珍しくないのだが、それ以下を見るの初めてだと思う。少なくとも記憶にはなかった。
実は私が意識していなかったり、見たことを忘れているだけで、「25」も各地で採用されている可能性はあるが、私の中では、ここに来てはじめてこの道路の“工事用道路らしい”ものを見たような印象があった。
なんだこれ…?
トンネルの両側の壁際に、膨大な量の鉄パイプ(単管パイプ)が置かれて(放置されて?)いた。
しかもよく見ると、その多くにクランプが取り付けられたままになっていた。
つまりこれは、工事現場でよく見る仮設足場として利用した後の残骸なのだと思う。
利用が終わったら解体し、次の現場へ運び出して再利用するのが普通だと思うが、なぜかトンネル内に数百本も置き去りになっていた。
……あれ? …まさか…
未成道、入った?
竣工年を刻んだ銘板が存在しており、トンネル自体は未完成ではないと思うが、路上に工事用足場が大量に置き去りになっている状況は、近くにある何かの“未成”を強烈に意識させるものだった。
そもそも、もしここが供用中の公道であれば、路上にこういうものを置いておくことは法律違反になるのだが、ここは公道ではなさそうである…。
いまはまだ、振り返ればすぐ近くに外の明りがある。
しかし、もうすぐカーブのために見えなくなるだろう。
チェンジ後の画像では、明るさを変えて勾配の変化を分かり易くしてみた。
屋外にこういう勾配変化があっても、周囲の風景に溶け込んでしまって、それだけを見るということは難しいが、トンネル内だと雑音がないから、凄く目立つ。
しかしそのことを差し引いても、こんなウォータースライダーの出口みたいに勾配が変化するトンネルは、やはり珍しい。
さて、足場残骸が怪しく彩るトンネルの行方だが、さらに進むと今度は、高所作業用の仮設通路パーツが大量に……。
これは私の妄想だが、古墳に安置された兵馬俑を見るような気持ち悪さがあった。こういう根っからの無機物でも、どこかの残骸だと思うと、有機的な気持ち悪さが生まれてくる気がする。
どこかで一度組み立てて使った後で解体し、そのまま余所へ運び出さず、雨風を防ぎうるトンネル内で一時保管しようとしたことが想像される状況だが、ここまでの道路状況を見るに、最後の工事関係者が立ち去ってから10年ではきかない気がする。錆びやすいパーツにはすっかり錆が浮いており、もう再利用は難しい気がする。
入口からおおよそ100mの地点で、敢えなく未舗装化!
これまでの2本のトンネルはいずれも舗装を完備していたが、ついに未舗装トンネルが出現してしまった。
銘板に竣工年が書かれていた以上、これで完成なのだとは思うが……、途中から未舗装に変わるというのは、いかにも未成トンネルにありがちな風景…。
未成といえば、もう一つ未成を思わせるアイテムがあった。
壁面に掲げられた、工事関係のプレート類だ。
おそらく工区や測量関係の標示物だと思われるが、仮設物なので粘着テープとかで仮止めされているだけ。だから剥がれ掛けたものや落ちたものが多数。普通、開通したら取り外します…。
地形図が正しければ、トンネル自体は貫通し、完成していると思うが、なんでこんなに未成っぽいの?!
だが、このトンネルの異様な光景は、これで終わらなかった!
7:25(入洞4分経過) 《現在地》
あれは、待避所?!
入口からおおよそ120〜130m進んだと思われる辺りで、唐突に、ポケット状の拡幅部が現われた。
なお、一定の曲率で何十メートルか続いていた左カーブは、ここでやっと終わるらしい。
自分が地中のどこにいるのかを客観的に知る手立てはないが、地図通りならば、
既に坑口から90度左へ向きを変えているのだろう。振り返っても出口は見えず、曲がり方を疑う余地はなかった。
すげぇええ(笑)
待避所だけ水平で、その先はさらに勢いを付けて登っている!!
地図上でもそれなりにインパクトはあったが、実際それ以上の変態トンネルじゃないか!
待避所、全景。
1車線のトンネル内で、車のすれ違いを実現するために待避所を設ける。
それ自体が道路としての不完全を象徴する珍しい風景だが、平成生まれのトンネルでこうした待避所を見ることは、初めてではないか。
平成時代になって、こんな針穴を突くような奇妙なトンネルが新設されていようとは……。
ただ、新しいだけあって、本当にきちっとした外観をしている。
この手のトンネルにありがちなボロさとは無縁で、水濡れも全くない。
思えば、島々谷北沢の地中などという得体の知れないところに、誰かが図面に起こした全くその通りのものを、こんなにきっちりと正確に建設して立ち去ったその手腕、今さらながら、凄いと思う。
ただし、
これだけのトンネルを作るだけ作って、それをちゃんと砂防工事という目的のために利用したのかという最も肝心な部分が、実はとても怪しい。
怪しいといわざるを得ない!
画像は路面の様子であるが、これを見て何を感じるだろうか?
車両通行の使用感が、全くない!
砂利敷きになったことではっきりしたのだが、このトンネル内にはたった1台分の轍さえ刻まれていなかった。自転車もバイクもだ。
チェンジ後の画像を見れば分かると思うが、自転車程度でも通行すればこんなにくっきり轍が残るほど、路面の砂利は転圧が甘く、ヤワい。
だから、この砂利が敷かれてからについては、私の前に自転車を含め車両は1台も入っていないのではないかと思うのだ。
……ということは…?
地形図のこの先に描かれている最上流の砂防ダムって、このトンネルを通って作ったんじゃないのか…?
トンネルから立ち上る“未成臭”、いよいよもって隠しようがなくなってきてる……。
これが……
ワサビ沢の地下ストレート!
地図上だと、トンネル中間部はおおよそ180mにわたって直線線形。
だが、地図上からはどうやっても読み取れない地下勾配が、実際はこんなに。
手元のライトが届く範囲は、ずっと一本調子の登り坂が続いていて、
使用感のなさと相待ったその姿は、はっきり言って異様そのもの。
長い地下ストレート…。
だが、ただのまっすぐなトンネルではない。
ずっと一本調子に登っているからだ。
勾配の変化がないと、写真では平坦な道と区別が付かないと思うが……。
このトンネル内の勾配、普通はトンネル内で目にしない急さがある。
目測だが8%と推測した。道路におけるいわゆる「急坂」は、このくらいの数字から
上を言うので、トンネル内の急坂というのは決して大袈裟ではない表現になる。
7:28(入洞7分経過) 《現在地》
久々に、左カーブが出現。
地図上の線形は正しいようで、入口から約300m地点にあるトンネル内2度目の左カーブへ差し掛かったようだ。
おそらくこのカーブは45度の曲線で、抜ければ正面に出口が見えて来そうである。
全長の上では残り3分の1に差し掛かるところ。
ちなみに、上り勾配の方は待避所以外ずっと一定ペースで続いていて、カーブ中も変化は感じない。
なんと!
2箇所目の待避所があった!
今度はカーブの途中っぽいが、やはり待避所は平坦になっている。
確かに平坦な方が何かと都合が良さそうだが、キリッ、キリッと、待避所の度に勾配が変わるのが、道路トンネルというよりも工業製品ぽい。
本当にコンピュータの3D CADソフトで描いた通りの構造物を実際に作ったって感じだ。地中に何でも思うがままに作れてしまう現代土木技術のエゴを感じる。
昔の手掘りトンネルマンたちが見たら泣きそう。
7:29(入洞8分経過) 《現在地》
そしてやっぱり、待避所が終わると坂道が復活する!
今度はカーブも待避所後に再開するようだ。
なお、この直前の壁面に「33」と描かれたプラスチックのプレートが取り付けられており、一つ目の待避所手前で見た「10」の仲間だと思う。
おそらくだが、これは入口からの距離を示していて、現在地は330m地点ではないかと推測した。
それにしても、長さ488mのトンネル内に待避所が二つもあるとは驚きだ。
もし直線だったら一つで十分だったと思うが、内部に先を見通せないカーブが二つあるので、待避所も二つ必要だったのだろう。理論は分かるが、変態だ。
しかも、実際に待避所として使われた形跡がない悲しさよ。
このトンネルを抜けても、もう道は長くないのだろうという予感が、凄く強くなっている。
やはり、“唐突の終点”を描いた地形図は正解だったか……。
この待避所に居ても、本当に何も始まらない。
何も見るものがない空っぽの空洞を、早々と後にする。
もうこの先は、いつ出口が見えてきても不思議ではないし……というかそろそろ見えてこなければおかしい。ちゃんと貫通しているならば!
なお、このこともしっかり書いておきたい。
このトンネルを自転車で登ることは、地味に重労働だったということを。
全体が急な登り坂だからというのはもちろんだが、とにかく車輪の轍が深く刻まれてしまうほど路面の転圧が緩かったことが一番の理由だ。
車輪が埋没する砂利道の走りにくさは、サイクリストならば誰もが頷いてくれるだろう。
未成道にありがちな初雪のような路面状況が、このトンネル内の大半であった。
自転車での通行には不向きであり、全くおすすめしない。
この未使用感についての一考察。
もしかしたら、トンネル完成後に砂防ダム工事でトンネルを散々使い倒したけど、最後に路面を綺麗に補修してから誰か別の管理者、たとえば国有林林道に移管されたとか、そういうストーリーもあるかも知れない。ただ、壁面の泥はねひとつないからなぁ…、どうなんだろう。
(興奮のせいでの手ぶれ & 手持ち照明での肉眼風景の頼りなさを見てもらいつつ…)
キター!出口!!!
そして、この写真の見え方からも、異様な登り方がヒシヒシと感じられるだろう!
(比較対象物がないトンネル内での勾配表現は永遠の課題です!(笑))
さあ、出るぞ。
どうなっている?!
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