2007/7/25 12:56
木製の9kmキロポストに遭遇し、計算によってここまでの距離と、残りの洞内の距離が算出された。
ここまで1575m、残りが1345mとなり、入洞から49分を要して漸く、半分を過ぎたのである。
振り返れば、ここより500mほど手前の、ちょうどサミットになっている辺りが最も変化に富んでいた。
多数の不思議な横坑が存在し、また硫酸塩結晶の瀑布や、巨大な石灰の造形物に彩られていた。
以後、霧が深くなって視界が悪化したのと引き替えに、洞内の状況は落ち着きを取り戻していた。
延々と緩やかな下りが続いており、チャリに跨っているだけで、距離を稼ぐことが出来た。
果たして、このまま無事に通り抜けられるのであろうか。
キロポストを少し過ぎると、何度目かは忘れたが、再び大きな待避坑が現れる。
コンクリートの壁がその入口を狭めており、扉は何故か存在しない。
こういう狭い入口から個室の中を覗くのは、どうにも気持ちが悪いのだが、…素通りも出来ず…やっぱり覗いてみる。
じめっとした異様に重苦しい空気が、強烈な黴臭さを伴って鼻腔から脳を直撃する。
私は即座にここを不快と判断し、退散を決意した。
内部は二畳ほどの個室で、保線作業員達が休息や打ち合わせに使うスペースだったのだろう。
得体の知れない布きれが散乱し、そこには、白い綿毛が無数に発生している。
出ようと振り返った刹那、目の前を「バササササ」と黒い影が躍って、動いた空気が鼻面にぶつかってきた。
それは、一匹の大きなコウモリであった。
ねぐらへの突然の侵入者に対し、彼の怒りは治まらない。
私は逃げ出した。
再び、内壁をすっぽり包むレールセントルが現れた。
レールセントルはこの前後に断続的に現れており、かつて補強が必要と判定された箇所なのだろう。
全体的に、湧水の目立つ箇所に補強は多かった。
なお、残り1300mほどとなったこの地点で、初めて出口の光を確認した。
その光量はごく僅かで、まだカメラで捉えることは出来ない。
夜空のどんな星よりも小さい光とはいえ、貫通を確認できたことの安堵感は、大変大きなものだった。
隧道探索において、出口を目指して歩く展開と、そこの見えない闇へと突き進んでいく展開とでは、同じ距離であったとしても、前者は遙かに容易い。
いま、私は漸く前者の特権を手にしたのである。
あとはもう、振り返ることなくこの闇を脱ぎ捨てれば、それでクリアとなるのだ。
そう思うと、気持ちにもいくらか余裕が出てくる。
しかし、隧道はなおも私に、いくつかの試練を準備していた。
その数は、三つ。
そして、一つめの試練は、既に始まりつつあった。
道床に溜まった、怪しい白濁液。
異形のものが、再び私の前に現れる。
隧道が、溶け出している…。
私の目には、そう見えた。
壁に取り付けられた碍子までもが、なにか異形の結晶物に覆われ、溶け出したローソクのような形に変貌していた。
だが、この気持ちの悪い白濁ゾーンでさえ、第一の試練の入口であった。
周囲の壁の至る所から、乳白色の半固形状の物体が発生していた。
発生物の白さは、内壁と掘削面の間に酸性を中和するため充填されたという石灰分によるのだろう。
が、コンクリート鍾乳石とは違って、成分の大半は泥のようである。
見たところ、内壁にはそう大きな隙間や亀裂はないのであるが、膨大な量の泥が、押し出されるように洞内へ流入してきている。
今でも、多くのトンネルマンに恐れられた異常地圧は、さほど衰えていないのかもしれない。
周りはどこも不愉快な異形ばかりである。
しかし、ライトさえ消してしまえば、もうそれらを目にする可能性は全くなくなる。
そして、1200mも先の微かな光が私を励ましてくれる。
…ただし、この状態ではとても進めない。
13:04 腐りきった「8.5kmポスト」到達。
洞内進入より58分を経過して、2075mを踏破。
この附近より、再び道床はバラスト敷きに戻ってしまい、進行のペースは再び遅くなった。
チャリに乗車はできないためだ。
ともかく、残りは3桁だ。
うっわ…
タシーロ…
この色… 硫酸の水溜まりか…
田代隧道の悪夢が…甦る……
先代のチャリに続いて、この9代目も硫酸の洗礼を…
まさに、血の池…。
それ以外、何とも形容のしようがない…。
溶け出したレールの錆が、濃厚なスープを形成している。
どうやっても、この中に車輪なり足なりを沈めて進むより無く…。
精神衛生上、かなり宜しくない…。
むろん、健康にも悪そうだが。
これが、“第一の試練”だった。
血の池地帯は、さして長距離ではない。
鼻をつまんで歩いていれば、やがて赤みは引いていく。
ただ、壁の様子は相変わらず、気色が悪い。
なんつーか、 痒い。
ともかく、一旦は平静を取り戻した宇佐美隧道…。
レポートの進行とは直接関係ないのだが、当時の工事記録にこんな話が載っていた。
印象深いので、ちょっとだけ紹介する。
昭和8年から13年までの5年をかけて本隧道の掘削は行われたのであるが、特に「温泉余土」という、化学的に変質した岩盤によって、大変な苦労を強いられたという話を前回までにもしている。
で、この温泉余土の二つの悪行として、「水を含むと膨張して異常地圧を生じさせる」と「水に触れると酸性を示し金属を侵す」と言うのを説明したのだが、もう一つ悪行があった。
それは、「水を含むと化学反応で熱を発生させる」というもので、実際に掘削途中には、地底深くでありながら洞内の気温が37℃に達したとう。
作業員が褌一丁のうえ、大きな氷の塊を腹に抱えながら掘削に当たっている写真が残っている。
幸い、貫通後は通風によって自然冷却され、気温は平常に戻ったという。
確かに現在の洞内には冷気が満ちていて、サウナさながらだった掘削中の姿は想像できない。
ただ、万一再閉塞することがあれば…?
あっ。
こ、この焼け爛れた梯子と、その上に取り付けられた細長い物体は…。
もしや…。
かなりワクワクしながら正面に回り込んでみると…。
私の中では、レールと並んで鉄道遺構を象徴する物体
信号機
出たよ…。
ハァハァ…
またしても、ハァハァしてしまった。
けっして、酸欠ではないから安心して欲しい。
物言わぬ信号機に、萌えただけである。
…なんだか、ゾクゾクする。
この3000メートル近い闇の中、黙々と機械的な原色を明滅させていたであろう信号機自体にも興奮するし、今や全くの屑鉄に変わっているにもかかわらず、なお4つの瞳だけは瑪瑙のような深い光沢を残しているのがまた、イイ!
信号機の出現で、廃線跡を歩いていると言う本来的な興奮を思い出した私だが、その反対側にある待避坑は、もはや待避坑ではなかった。
大量の電設が所狭しと置かれており、こんな場所へ腰にスパナでもぶら下げた状態で待避したら、間違いなく感電しそうだ。
これだけ錆び付いた現状では、感電の心配の代わりに、崩れてくるのではないかという怖さがある。
…複線化を推進し、或いは期待していた伊東線沿線市民が、こんな景色を見てしまったらガッカリするだろうな…。
JRは、国鉄から引き継いだこの旧隧道の前後地上区間にて、一応架線柱やレールをそのまま残していたから、市民の目には復活の期待ありと、そう見えていたかも知れないが…。
誰も立ち入らない内部は、もうすっかり廃墟でした〜。 というオチ…。
うげー。
また出てきたよ…。
今度のは… 黄金様 だよ…。
仙台愛宕山名物、黄金様…。
結晶の滝、観音様(コンクリート鍾乳石)、血の池地獄ときて、今度は黄金様…。
なんて御利益のありそうな隧道なんだ。
それにしても上の写真の隧道断面。
随分とまんまるとしている。
上手く写真が撮れてなかったので記憶に頼るしかないのだが、一本の洞内で何度も断面形が変わっていた。一部は、単純に後年補強のため巻厚を増やしただけかも知れないが。
工事図面を見てもなぜか二つの断面が書かれているし、特に地質の悪い部分には、より地圧に対抗しやすい正円に近い断面が採用されているようだった。
壁が酷く汚れているとか、レールが酷く錆び付いているとか、周囲の壁が怪しいとか、その程度のことならば良いんですよ。
しかしね、こうやってチャリを現実に運んでいくためにはですね、どうしても地面に足を着けなければならないわけでして。
だがね、足の踏み場もないとはこのことを言うわけですよ。
ぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃらぐっちゃら……
バランスを崩し、手を付けた壁は、右のご様子。
鼻が悪くて、本当に良かったと思う自分。
お食事中の方、失礼いたしました。
大変見事な、黄金様です。
13:15 8kmポスト到達。
遂に入洞から2575mを進み、自身最長廃隧道記録更新。別に嬉しく感じた覚えがないのは、早く出たくなってきてたからだろう(笑)。
ようやく出口が、はっきりとした「カタチ」を持って見えるようになった。
長らくは闇の中の「点」だったわけだが、残り500mを切って、ようやくだ。
懐かしささえ覚える夏草の色が、内壁にも反射して見えている。
どうやら、外は平和な藪のようだ…。
少し安心した。
地図を見る限り、網代駅の構内みたいなところに出るんじゃないかと… そんな不安があったものだから。
右側に写っているのは信号機。
今度は上り用の、おそらく網代駅の場内信号機だろう。
ラスト100m!
この隧道の中に、もはや敵はないだろう。
しかし、それでもなお、その行く手には、私の攻略達成を阻害するものが2つあった。
以下次回。 最終回!
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