2012/6/1 15:13 《現在地》
“裸”の橋を渡って約40分。
私は今回の重要な目的地であり、同時に通過地点とも考えていた、太郎丸隧道に到達した。
意外に時間がかかっていないように思われるかも知れないが、それもこれも、強引なショートカットのなせる業であった。
自転車同伴で攻略するにはこれ以外に無かったとは思うが、諸手を挙げて「東口を走破」とは言えないのも事実である。
しかし、そんなことは今、この場面にあっては、些細なことである。
確かに坑口は存在していた。
まずはホッとした。 だが、
もしもこれが貫通していなかった場合は…
逸る心をまずは抑えて、坑口の外観を点検する。
当初の計画であれば、この隧道が本日隧道探索の第1号となる予定だったので、また別の感想を持ったであろうが、既にこのレポートの冒頭でも紹介しているとおり、ほんの1時間前にこれとよく似た隧道を目撃&通行していた。
明治中期に法末集落の篤農家・大橋丑松が、自費で人夫を雇って完成させたという、全長139mの素掘隧道「丑松洞門」がそれである。
丑松洞門の一方の坑口(北口)は、後補ではあろうけれど製作時期不明のコルゲートパイプで覆われて(延伸されて)いた。
そしていま、ここにある太郎丸隧道の東口も、全く同じサイズに見えるコルゲートパイプにより構成されていたのである。
これはたまたま、似たような環境ゆえに似通っただけなのか。
それとも、一連の道路として同時期に施工されたのであろうか。
そのような疑問を感じつつ、やはり心はここにあらず。
逸る心を抑えておけたのはほんの一瞬であって、どう考えてもコルゲートパイプが無ければ一殺されていたであろう、崩土の中にある坑道の貫通を確かめるべく、私は駆けよった!!
これ、絶対やばかったろ…。
閉塞していなかった事が既に、奇跡的じゃないか?
次、もしもう一度同じような土砂崩れが起きたら、今度こそ終わりだと思われる。
まあ、コルゲートパイプが無事であり続ければ、まだ人力作業で再発掘しうる余地は残ると思うが…。
意外に侮れない、コルゲートパイプの有り難み。
さすがは鋼鉄、さすがはアーチ構造といったところか。
強い!
運命の―
洞内状況は――
光明 アリ!
されど泥没も、アリ…
コルゲートパイプの水上に見えている断面の形から逆算すると、
水没している高さ(水深)は、4〜50cmくらいありそうだ。
しかも、まだ攪拌していないのに、既に濁っている。
これって、東口を埋めかけている大崩落が、
ごく最近に起きたことかも知れないって事だよな…。
…つか、
何この木柱は?!
でも、これはいけるぞ!
汚れること、濡れること、
そしてチャリが泥にまみれ寿命が縮むこと。
それらを甘んじて受ければ、
太郎丸隧道を攻略出来そうだ!
チャリちゃん、にゅるーんと入洞!
泥沼〜。
気持ち悪いよ〜。
でも、これに耐えれなければ、あのクソ藪へ逆戻りだからな。
それを思えば、このくらいは全然耐えられるレベル。
…じゅぽじゅぽ。
じゃぶじゃぶ…。
思ったよりは、水深は浅かった。
外から洞内に流れ込んだ土砂が多く、水の底には分厚い泥の堆積があった。
そのため本来の洞床には足が付いていない感じがしたが、ぬかるんで歩けないという事にならなかったのは、幸運だった。
実は水深よりも、その事の方が一番心配だったので。
坑口から10mほど進むと、水は澄んできた。
水深も、浅くなる方向に向かっている。
ホッとひと息だ。
ようやく、落ち着いた気持ちでこの太郎丸隧道に向き合える環境になってきた気がする。
さっき土砂で埋もれかけている東口を見た瞬間には、それがそのまま洞内水のダムになっていたらどうしようかと内心びくびくしていたが、意外と水は溜まってはいなかったのである。
或いはもう少し早い時期に訪れていたら、道中の藪は浅かったかも知れないが、雪解け水で洞内の水位が高くて通り抜けが出来なかった可能性もあるだろう。
やはりオブローディングの適期は単純ではないと思う。
気付けば、コルゲート・ゾーンの終わりが、すぐそこまで近付いていた。
ここまでは丑松洞門とそっくりだったが(ただし“木柱”はこちらのオリジナル)、ここからは大きな違いがあった。
依然として一面に水を湛えた坑道が、
“円”から“四角”へ遷移する、奇妙な光景。
ただでさえ広くはなかった断面は、これでまた2割は減縮。
多少の改造を施した軽トラであっても、この先へ進むことは無理ではないだろうか。
まあ、百戦錬磨の軽トラドライバーの技は、不可能を可能にする時があるけれど…。
そもそも“木柱”が邪魔をしていて、やっぱりこの隧道は四輪車両通行不可能だ。
コイツは、なんか
すげぇえ!!
こういうのも、一応は覆工有りの隧道と言えるのか?
どう見ても、この作りは鉱山の坑道である。
道路用のトンネルでこの作りを見たのは、本当に数えるほどしかない。
当サイトで取り上げた中では、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
つい支保工と呼びたくなるが、トンネル用語としての支保工は仮の構造物という意味を含んでいる。
永久構造としてトンネルの落盤を防止する構造物は、支保構造物と呼ばれ、一般的にはコンクリートによる巻き立てや、或いはコンクリートを吹き付けたりすることを言う。
この支保工に見えるコンクリートの柱や板も、ここでは支保構造物として働いているのである。
ちなみに、道路や鉄道にこのような支保構造物が用いられる事が少ない理由は、アーチ構造より遙かに土圧に対して脆いこの構造では、大きな断面を実現することが難しいからであろう。
なんか壁を押さえている板の枚数も、柱の傾きも場所によりまちまちだし、手作り感が満載だなぁ…。
天井をおさえている、細長いコンクリート板の列。
微妙に形や風合いが異なるものも混ざっていたが、いずれもコンクリートには違いがないようだった。
中には鉄骨が仕込まれているかと思われるが、それも不明である。
特にひび割れなどは見られず、柱も板も支保構造物は全般的に良好な保存状態だった。
コルゲートパイプといい、この支保構造物といい、隧道自体はこれらの構造物がよく保たせていた。
問題は、やはり坑口の維持と言うことなのか。
そんな感じで、隧道は中間のエリアに差し掛かる。
水はやっと引き、濡れた砂利の路盤が現れた。
そして内壁にも、再びの大きな変化があった。
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スボりった〜!
しかも、“コウモリの館”出現ダー!
丑松洞門には見られなかったコウモリが、この正真正銘の廃隧道である太郎丸隧道にはいた。
2本の隧道は直線距離で1.5kmも離れていないのだが、彼らは太郎丸を選んだようだ。
なぜだろうか。
同じ素掘でも、露出している岩盤の手触りは、全く異なっていた。
丑松はツルツルで、太郎丸はゴツゴツだった。
廃隧道であるなし以前に、やはり凹凸が適度にある方が、彼らとしては過しやすいのだろうと思う。
まあ、私が来てしまえば、どこでも蜂の巣を突いたような大騒ぎになるわけだが…。
丑松隧道とは、入口の構造こそ同類であったが、洞内の雰囲気はだいぶ違っていた。
しかしそれは、建設された時期や手段の違いに因るものとは思われない。
両者のイメージの違いは、隧道が存在する地盤の性質の違いであろう。
素掘部分の断面のサイズなどは、ぴったり一致するような感じを受けた。
―農耕のための往来―
同じ目的のために、同じ時期に掘られた隧道だったのではないか。
…そんなふうに考えた。
隧道の長さは、丑松よりはやや短いか。
おそらく100m程度であろう。
それでも、この極小断面であるから、それなりに歩いたという実感があった。
なにより、峠を無事自転車ごと貫通できたと言うことだけで、十分満足した。
ラストの十数メートルは、これまでの縮図のような展開であった。
素掘から、一瞬だけの支保構造物区間を経て、再びコルゲートパイプのゾーンが出口まで続いていた。
そして今度も“木柱”は、あった。
素掘、支保構造物、コルゲートパイプと“木柱”。
これらの要素は、どのような順序でこの隧道に添加されてきたのであろう。
それを推測するには、情報が足りなさすぎた。
この“木柱”は役立たずでは?
…そう思ったが、
邪魔さから考えて、間違いなく後補だと思われるこの“木柱”は、
老朽化した隧道を支える、本来の「支保工」と呼ぶべき存在なのだろう。
これを最初から必要としていたとしたら、欠陥隧道と言うことになってしまう。
しかしそれでも、鋼鉄のコルゲートパイプが変形するような外圧があったら、
こんな適当に立てた木柱が受けきれるとは思えないし、事実、
無傷のコルゲートパイプに対して、“木柱”だけが勝手に腐食して倒れつつあるという
そんな、体たらくな状態になっていた。
心なしか自転車が「ぐったり」しているものの…
太郎丸の貫通に成功だッ!