隧道レポート 太郎丸隧道(仮称) 第二次探索 前編

所在地 新潟県長岡市
探索日 2021.11.18
公開日 2021.11.24

 9年ぶりの太郎丸隧道へ


2021/11/18 14:10 《現在地》

9年ぶりとなる旧小国町、太郎丸の集落風景。
消雪パイプが埋め込まれた道路と、そこから流れ出る地下水の影響で赤褐色に変色した路面が、雪国の印象を深くしている。
時期的にも冬の入口に差し掛かっていて、ちょうど先ほども近くの路上で消雪パイプの試験放水をしているのを見たばかりだ。

冬枯れが進んでいて、かつ雪はないという、探索にはもってこいの晩秋の時期である。現存の有無も、詳細な位置も分からない明治の小さな隧道を探そうとするには、妥協をせず最適の時期を選ぶ必要が高いと思っていた。 (時期は妥協しなかった一方、探索開始が午後のやや遅い時刻なのは、いつものことと見逃して欲しい)

私は既に自転車を下ろして行動を開始している。探索の準備は万端だ。これから集落を抜けて、太郎丸隧道こと、品沢隧道を目指す。そこを起点に本題である“じゅうぜんの穴”を捜索したい。

それにしても、この100戸ほどが立ち並んでいる一見何の変哲もない集落には、「山さ行がねが」に自主的に情報を送って下さる人物が、最低2人以上居るというのが面白い。SKIPE氏に、今回のH氏、その協力者のN氏など、皆、太郎丸の住人である。
私としてもこの地に愛着を感じないわけがない。いつも以上に行き交う人への会釈を深くしながら、表通りではない、見覚えある道へとハンドルを向けた。



集落の表通りである県道諏訪井太郎丸線から西へ品沢沿いの道を辿る。
入口から新隧道(品沢隧道)の西口までは約1.5kmの道のりである。
現地にそれと分かる標示物はないが、9年前の探索時に工事用の木杭から、ここが「長岡市道小国159号線」という道路であることが判明している。

入って300mほどで民家が切れるとすぐ砂利道になり、二手に分かれた。ここは右を選ぶ。
砂利道になっても、途中に通行を規制するものが全くないのは、9年前と変っていなかった。
9年も経っているので、9年前は維持されていた隧道までの道も荒廃してしまっているのではないかと心配していたが、今のところ問題はない。




途中、砂防ダムのところに急坂があるほかは全体的に緩やかな道なので、登りとはいえぐんぐん進む。僅かな時間で、これまで2世代の隧道を確認し、今回さらにもう1本の隧道を探そうとしている峠続きの稜線が見える位置に辿り着いた。

いま見えるのは、いわゆる旧隧道がある鞍部だ。
隧道は樹木に隠されていて見えないが、その上にあった【切り通し】は目視できた。9年前は6月の探索だったので、樹木が多く全く見えなかった。

今回探そうとしている“じゅうぜんの穴”は、この旧隧道があった鞍部ではなく、そこから200mばかり北側の新隧道がある鞍部に掘られたものと考えられる。
そして、新隧道のある鞍部にも古道の切り通しがあり、その規模は、旧隧道の切り通しよりも大きかったとH氏の情報にあった。
このことは、“じゅうぜんの穴”を発見するヒントになると私は考えていた。



14:26 《現在地》

入口から1.2km、私にとっては特に因縁のある場所が現れた。
4〜5本の杉の木が生えているところ…、ここは9年前の探索時、古老に教えられて初めて気付いた新旧道の分岐地点だった。
やはり、旧道は今回も深いススキの藪の中にあって、いわれなければ道があるとは気付かない状況だった。

チェンジ後の画像は、分岐地点から正面に見る新隧道がある鞍部だ。
なんとなくだけど、中央部分に凹んだ切り通しのようなところが見える気がする?
ちなみに9年前の写真は【これ】
季節が半年違うので、風景の印象もガラリと変っている。

そして、この景色の中に、まだ見ぬ隧道が眠っている……?
願わくは、完全に地中で眠っているのではなく、少しでも地上と繋がってくれていて欲しいが…。昭和30年代には既に閉塞していたらしいから、……不安である。



分岐を過ぎると、勾配が一段増す。
ここからは、昭和30年代に村営工事で新設された新道となる。
その後もいくらか拡幅されたのか分からないが、自動車も問題なく通れる道幅となっている。

路傍に見覚えのある、酷く押しつぶされた廃車体が残っていた。
意外にも塗装の色は褪せてない感じだが(【9年前の状況】)、車体の圧縮度合いはさらに増していた。今年も間もなく圧迫のシーズンがくるぜ。


最終盤、道はいっとき杉林へ入る。
私はここの雰囲気が特に好きだ。
現代の車道とは思えないような土と木の道路が、ちゃんと手を加えて維持されているのが、楽しい。

前回も好きだと感じた場面だが、9年経っても手は抜かれていなかった。
技術的な話をすると、側溝をちゃんと維持しているのが偉いんだと思う。
側溝を維持するのは手間が架かる大変な仕事だが、それを怠らないから、道路が綺麗に維持されている。
たぶんこれは、太郎丸集落の仕事だ。



キタキタキタ。

強く見覚えのある場面。

もうこのすぐ先が、新隧道だ。

確かに見えるぞ!切り通し!

これは9年前には気付かなかった要素だ。
あってもおかしくない存在ではあったが、前は見えなかったし、意識を向けることがなかった。
そしてこの切り通しという新たな要素が、今回探すべき“じゅうぜんの穴”へのファストパスとなるのかどうか。
確かめる時が、迫ってきた。

実はさっきから新旧道の分岐がありやしないかと探していたが、今のところは見つからない。
そんな簡単に見つかるなら、前回だって気付いていたとも思うしな。
とりあえず、この切り通しへ行ってみることが、当分の目標にはなるかと思う。


そして…




14:31 《現在地》

入口から約20分、新隧道の西口へ、9年ぶりに戻ってきた。

とりあえず、目の前の隧道は開口している。

視界占有率は低いのにインパクト大なコルゲートパイプの坑門は、健在そうだ。




9年違う + 季節が真逆

それだけに、画像を比較するとずいぶん印象が違うわけだが、

当然な植生の変化以外にも、大きな変化があるのに気付く。

廃隧道お馴染みのアイテムが、増えている!



トンネル内危険のため

『通行止』 『立入禁止』

異常を発見した場合は、下記の連絡先までお知らせください



えっ?! 今すぐ連絡しないと。

だって、この隧道の状態は明らかに「異常」だよね?


……まあ、冗談だけどね。

あと、ちゃんと貫通はしているようです(とても嬉しい)。

9年前は、向こう側の東口で、「あと1度崩れたら閉塞しそうだ」ということを書いたが、意外に保っているな(笑)。




とりあえず、これは本題ではないが、品沢隧道が健在ということが確認できた。

あと、ついに市役所が動いて立入禁止の処置を採ったのも、大きな変化であった。

次はいよいよ、“じゅうぜんの穴”探しだ。




 “じゅうぜんの穴”の捜索を開始!


2021/11/18 14:33

再訪した目的はただ一つ。
“じゅうぜんの穴”の発見にある。
これからその捜索をスタートする。

“じゅうぜんの穴”の位置についての具体的な手掛かりは乏しい。
ただし情報提供の内容から、旧隧道よりも新隧道の近くにあったのは間違いない。
かつ、全長22間(=約40m)といわれていたそうだから、峠の稜線をそのくらいの長さで抜きうる高さに存在したと思われる。
新隧道の全長は約100mであるから、間違いなくこれよりも上だろう。

右図の緑色の円の範囲が、地形図から最も疑いの濃いと思われた隧道の擬定エリアである。おおよそ直径40mの円を描いてある。

今いるのは西口側で、まずは西口の発見を目指すつもりだ。
隧道内部は昭和30年代には既に閉塞していたらしく、西口と東口を別々に探さなければならなくなると思うが、片方を見つけられれば自ずと他方の位置は限定されることになる。



新隧道の坑口の少し手前に立って、まずは山肌の全体をつぶさに観察した。

おそらく今は、地上に空いた小さな坑口を発見するのに、最も適した季節である。
樹木の葉が落ちていて視界が妨げられていないし、雪や、雪の重みで倒れた枯れ草によって、地表の凹凸が隠されてもいない。
9年前にも山肌を一瞥はしたはずだが、左上方30mほどにある切り通しらしき鞍部は全く見えていなかった。この一点からも、今が発見に適していることがよく分かる。

そのうえで、期待を込めて、じっくりと観察した。

じっくり……

じっくり…………

見えないな。
そんな簡単にはいかないか。
仮に開口していないなら、もちろん穴は見えないだろうが、そこへ通じていた道形の一端は見えるかと思ったんだが、雑草が多く繁っているのでそう簡単ではない。
道形に関していえば、薄い積雪時の方が際立って見えるのだが、思いのままに積雪を変化させたりはできない。


とりあえず、切り通しが見えている左上方へ向かって、矢印の位置から、斜面を登り始めることにした。
早くも、地べたを這いずって探すより手がなくなってしまったことが理解され、少し恐くなった。
大丈夫なのか? 狭い範囲だから大丈夫だと思ってきたが…、道が見えない限り、だいぶ大変だぞ……。



前の写真の矢印の先端まで来た。【振り返れば】、すぐ足元に新隧道西口がある。

こうして自ら大きな斜面に取り付いて、改めて仰瞰で見回すと、これがまたなんとも悩ましかった。
一瞬にして、いろんなところが怪しく見え出したのである。

具体的には、斜面が周りよりも少し急で、粘土質っぽい岩場が露出している部分が、皆怪しい。
その下に埋れかけた坑口が口を開けていそうな気がしてくる。
もともと、“じゅうぜんの穴”の断面はとても小さく、幅も高さも2mほどしかなかったらしいから、坑口も相当小さいはずなのだ。

それが土に埋れてしまうのは、いかにも簡単そう……。

…………。

ヤバいな。
こいつは本格的に道の跡を探して見つけないと、ポンと坑口に巡り会うというのは、望みが薄い気がするぞ。
このまま切り通しまで登っていっても、道がないなら、無駄足になる気がする…。
今からは、道探しを優先した方が良さそうな気がするぞ。


そんな方針を考えていた私だが、切り通しが見える左上方から目を離して右の方向を見てみると……。(↓)


一段高い位置から奥へ伸びていく 平場 が、見える気がした。

平場というのは、道を求めるオブローダーが常に頼りにするものであるが、正体が真に人工的なもの(=道、あるいは造成された土地)であるのか、紛らわしいだけの自然地形であるのか、そもそも目の錯覚であるのかという判断は、すぐには下せないことが多い。大抵は、実際に足を下ろして辿ってみる以外に調べる方法がないものだ。

方角的には、この平場らしきものは切り通しから離れていく。
しかし、トラバース気味に登った先で、左に折れたところに尾根を抜く隧道があるというのは、地形的に不自然ではない。或いは切り返してこちらへまた戻ってくる可能性もある。
とりあえず今は平場にすがりたい心境なので、これを辿ってみるところから、捜索を始めることにした。
なお、この平場らしきものの位置を、先ほどの写真に重ねて表示すると、【このようになる】



これはありかもしれん!

これは目の錯覚ではなく、確かに道の跡ではないかと思う。
しかも、明らかに自動車の時代の道ではない幅だ。
比較的に緩やかな勾配を維持したままトラバース気味に南方へ続いている。
その先は……、

どうなってるんだこれ?

スギが植えられた一角が見えてきたが、平場はその手前の凹んだところへ入っていくように見える。




道形らしきものは依然として続いている。
手入れされているとは思えない小さな杉林の一角を右に見ながら、次第に勾配を増し、越えるべき稜線へ向き合うように伸びていく。
最初に隧道擬定地と考えたエリアからは離れていっているが、展開としては期待が持てそうな感じを受ける。
何よりも、道形を辿っているという期待感が大きいのだ。

そして、この画像に付した補助線の末端付近まで進んだところに、それはあった。




14:38 《現在地》

これは掘割りか?

辿ってきた道形らしきものはここに至った。本当に道の跡なら、隧道はこの先にあった可能性がグッと高まる。
なにせこの奥は、新旧の隧道が並立している稜線である。
直線距離で約200m離れた新旧隧道の中間にあたる位置だ。
“じゅうぜんの穴”は、このような場所にあったのだろうか。

が、掘割りらしきものの先の奥に見える地形には嫌な予感がした。
崩れた土がなだらかに傾斜しているような地形が見える。仮に隧道があったとしても、それが開口しているかどうかは、大いに不安だ。



うぬぅ…

うぬうぅぅー…

ココダッタノダロウカ。

ココダッタノナラ、ザンネンナガラ、ズイドウハモウナイ。

それっぽい雰囲気はあるといえばあるが、あまりにも風化している。
主稜線の一角が、大きなスプーンで深く抉ったような凹んだ地形をしていて、それは典型的な地すべり地形を思わせた。強く水気を含んだ地表の土がまとまって地すべりを起こした跡だろう。
その証拠に、稜線直下は粘土質の岩が一部露出した急崖になっているところがある。

“じゅうぜんの穴”の西側坑口は、地すべりによって跡形もなく埋められてしまったのだろうか。

ここまでの観察内容から判断するのは、まだ早い気がする。
先ほどまで道形だと思っていたものも、それが隧道に通じる道だった確証はない。
それに、やはりここは当初考えていた隧道擬定エリアからは離れすぎていて、H氏の情報にあった、「新隧道の工事では東側への工事用通路としても貢献している」という話には合致しづらい気がする。



掘割りと思われた場所を振り返っている。
これとて真に掘割りかといわれれば疑わしいものがある。
地形的に、今いるすり鉢状の窪地から水が流れ出る通路はここしかないので、ただの侵食の結果かも知れない。

……

…………分かっている。
これは足掻きなのかも知れない。
隧道が跡形もなくなってしまっているという現実をすぐに受け入れたくはないという気持ちが作り出した、足掻き。
でも、実際にまだしてみるべき領域の20%もまだ探し終えてはいない。
まだ終わってはいない。



私は次に、来た道を引き返すのではなく、上記地点から稜線へ直登することにした。
最終的には西側だけでなく東側も探すべきだし、改めて俯瞰的な視座から探してみたいと思ったのもある。

写真は灌木や笹に捕まりながら急斜面をよじ登っている最中に撮影したもので、右側に主稜線が伸びている。写真奥が北側で、先ほど下から見上げていた切り通しがあったのもこの範囲内だ。角度的に見えてはいないが。




14:51 《現在地》

捜索開始から約20分後、初めて稜線へ到達。
海抜は200m内外で、太郎丸集落がある渋海川沿いの低地より見て100m少々の高さだ。
稜線は思いのほか狭い痩せ尾根になっているほか、両側には鼠返しのようにひねた樹木が林立していて、登頂の障害になっていた。
また、縦走路のような明らかな道形はないが、ケモノ道と思しき微かな踏み分けは存在した。

地理的には、この稜線は太郎丸と小国沢という大字の境であり、明治22(1889)年までは太郎丸村と小国沢村の村の境であったが、その後は結城野村、上小国村、小国町、そして現在の長岡市と変遷した自治体の大字境である。

写真は北方を向いており、このまま稜線を歩いて、新隧道上の切り通しまで移動しようと思う。それは7〜80m先にあると思う。


これは稜線登頂地点から見た東側の風景。

大字小国沢を流れる外沢の谷を眼下に見つつ、その向こうに大字法末(ほっすえ)地区の峠山(海抜280m)などがある山陵が広がっている。この山域は、信濃川と渋海川の分水嶺である。
9年前に探索した明治28年竣工の丑松洞門があるのもあの山の中で、この品沢の新旧隧道とは道が繋がっていた。

これらの隧道を串刺しに通り抜けて太郎丸と法末の交流、或いはさらに広い信濃川流域と渋海川流域の広域的な交流があったかについては、未だに情報がない。
とはいえ、県道以上の格付けを与えられた道になったことはないので、ローカルな生活道路としての活躍が主であったことは確かだろう。




他方こちらは、いま上ってきた西側の遠望だ。

おおよそ1.5km先に渋海川の肥沃な谷底平野が横たわっており、太郎丸からは川向かいにある森光か小栗山あたりの集落が見えていた。 かなり遠くに三角錐の美しい尖りを見せる米山(993m)が霞んで見えた。

冷たい風と美しい眺めに、額の汗と逸る心を、しばし落ち着かせた。
成果を得なければならないという過剰な使命感に苛まれていた。

オブローダーにおける探索の成功とは、対象の現存を前提とするものではない。
現存しないことを確かめることも、成功の一様態である。
逆に失敗は、自力で生還しなかった場合と、真実の見極めに失敗した場合である。




数分後、行動を再開。
稜線伝いに北へ向けて歩き始めた。
だいぶ歩きづらいところだが、短距離なので我慢できる。

歩きながら、主に西側の斜面を見下ろしまくった。
上から見て、ぽっかりと口を開けた坑口が見つかる可能性は低いが、坑口に通じる掘割りや道形があれば、見つけられる可能性がある。

だが、今のところ成果はない。
褐色の林床が、見えなくなるところまで広がっているばかりである。




切り通しが見えてきた!

立体感のない静止画像では非常に見分けづらいだろうが、実際には、20mほど先の稜線に切れたところがあって、その向こう側の稜線と不連続であることが、はっきりと見て取れた。

新隧道上の切り通しと、“じゅうぜんの穴”の位置関係については、直接的な証言があるわけではないのだが、“峠道の変遷の一般的傾向”から見て、切り通し → “じゅうぜんの穴” → 新隧道が、この順序で更新されてきた新旧関係にあるならば、それぞれへの経路を途中まで共有していた関係上、互いに近接している可能性が高い。



もっとも今回の探索自体が、“一般的傾向”から見いだせなかったイレギュラーの先にあったものなので、こういう常識に頼り切るのは危険なのだろうが…。
とにかく今度はこの切り通しを起点に、隧道探しをリスタートしたい。

しかし、切り通しに稜線上から近づいていくと、その両側の険しさに驚いた!
周りにないくらいの角度で切れ落ちていて、切り通しの前後に道などなさそうに思える。
特に西側は本当に険しく見えていて、崖に近い。

痩せ尾根をギリギリまで辿り、切り通しの法肩へ迫った。




15:03 《現在地》

切り通しを見下ろす法肩に到達。
それほど深いものではなく、稜線と切り通しの底の最大落差は3m程度である。
9年前に辿り着いた【旧隧道上の切り通し】の方が大きいように思う。
しかし、間違いなく人工的に切り下げられた切り通しだ。

しかも、こんなところに誰も来ていないだろうと思ったのだが、よく見る樹脂製の用地杭が1本、法肩に突き刺さっていた。
文字はなく意図は不明だが、そう古くない時期にも人が来ている。




明治27年の“更生図”(公図)に書かれていたという峠に、初めて到達した。

ここが、“じゅうぜんの穴”の原点なのではないか。

重左エ門こと小林由太郎氏が隧道掘りを志した日も、この景色を見たのではないか。




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