2011/5/11 9:04 《現在地》
ひんやりとした洞内の空気は、この段階で既にとても土臭かった。
あとは仄かに、朽ち木の醸す甘い発酵臭もあった。
風は感じられなかった。
そして洞奥からは、雨粒が土をたたくような音が絶え間なく聞こえていた。
外が泥濘んでいたので嫌な予感はあったが、この隧道、明らかにウェットだ…。
それは目の前の泥沼に近い洞床を見ても、明らかである。
…本当に、嫌な予感がする。
しかし、一応は貫通している。
230m先にあるとみられる出口の光が、歪な形で見えていた。
なぜ、歪に見えるのか?
一番平和な理想的解答は、洞内が拝み勾配(/\)になっているために、出口の姿が洞央にあるサミットの床に遮られているというパターンだ。
しかし、ここが廃隧道である限りは、出口までのどこかに、断面を半減させるような崩落部があると考えた方が自然かも知れない。
なにせ、ほんの20mくらい先に早くも膝丈以上の崩土の山が見えている状況だ…。
今はまだ入洞直後。
振り返れば、そこに淡い緑色の朗らかな光がある。
土砂にかなり塞がれていることからも分かるとおり、こちら側からは、目に見える形で水が流れ出してはいない。
最悪のケースとしては、この土砂の山がダムとなって、洞内がいきなり深く水没している可能性もあったのだが、幸いそうはなっていなかった。
しかし、前述の通り洞内はウェットである。
それでもここに水が溜まっていないということは、洞内の勾配は拝みではなく、下り片勾配であることを示唆しているのではないか。
この時点で私はそこまで推測し、その先に予期しうる風景に、ますます嫌な予感を深めたのだった……。
それはそうと、入洞した直後の洞床に、場違いなアイテムを見つけた。
4本のバドミントンラケットである。
一体これは、何を意味しているのか。
まさか……、
栃窪隧道杯バドミントン大会が、栃窪住人と愉快な仲間たちによって夜な夜な開催されているとでも言うのだろうか。(そしてこの事実は、忘れた方が良いかもしれない)
坑口から見えていた土砂が山盛りになっている地点まで来た。
坑道が塞がるほどの崩れ方ではないが、明らかに天井が落盤しており、この隧道の地質の悪さを如実に示していた。
しかも、岩の破片という感じはなく、赤みを帯びた湿った土が崩れているのだ。
……スメクタイト……。
突然のこのワードにピンと来た人は、かなりの隧道マニアかもしれない。
スメクタイトというのは粘土鉱物の一種で、水を含むと激しく膨張して異常な地圧を生じさせる、トンネルキラーの地質である。
当サイト内でも、大昔のレポートではあるが、山形県の旧宇津トンネルでこの名前が登場している。
この栃窪隧道が本当にスメクタイト地盤かは定かでないが、あまりにウェットでマッディな状況が、久々にこの“恐怖ワード”を私に思い出させたのだ。
なお、フラッシュ撮影と手持ちライトを使ったノンフラッシュ撮影とでは、写真の色味が大きく異なる。実際の見た目は、両者の中間くらいの色合いだ。全体的に鉄分過多を感じさせる赤みがかった色なのだが、フラッシュ撮影では少し過剰に赤が出ている。
天井の崩れたところからの出水量が、半端ない!
落ちる水の量が水滴のレベルを超えており、繋がって白い線となっている。
まるで、夕立のときの雨樋だ。ジャボジャボジャボジャボと騒がしい。
この大量の出水が、天井を脆くさせ、崩壊を引き起こしたのだろう。
そんな水流の源には、鍾乳石か氷柱のように育った泥色の生成物がぶら下がっていて、気色悪いことこの上ない。
(冬場に来たら、氷柱が完全に隧道を塞ぐくらい成長していても不思議ではない。)
そしてこの天井から流れ込んだ大量の水は、私が入ってきた東口ではなく、これから向かう西口…洞奥へ向かって流れ込んでいた。
嫌な予感がする。
この隧道を目にした瞬間から、もう何回目の嫌な予感だ…。
私の中の嫌な予感が、どんどん累積している。
出口の光が見える隧道で、ここまで不安を感じたことが今まであったか……。
9:07 (入洞より3分経過)
な、なんだと?!
ここにきて突然、内壁がコンクリートに変わった。
表面のひび割れなどもあまり見られず、程度としては悪くない。
今までの鉱山の坑道染みた状況からは一転して、本来の道路トンネルらしい姿になった。
ただ、断面の小ささが、これまで以上に目立つようになった。
素掘の坑道の内側にアーチ型のコンクリートを巻き建てているために、これまでよりもさらに小断面になっていて、高さ幅とも目測でぎりぎり2m――行政の資料にあった断面サイズの通り――くらいだ。
コンクリート巻き立てが始まった地点で、入口を振り返って撮影した。
坑口からここまでは、約50mといったところか。まだ半分も来ていない。
外との温度差からだろう、坑口付近の洞内に、うっすらと霧が立ちこめていた。
入洞時には気付かなかったが、ここから見ると、光を透かした白いヴェールが幻想的だった。
もっとも、近くで見る真実の風景は、赤茶けた泥と朽ちた支保工によるグロテスクなものなのだが…。
それにしても、今までの状況が酷すぎてすっかり思考から脱落していたが、これは自動車も通る隧道だったのだろうか。
サイズ的には乗用車までは通れそうだが、今までの支保工が林立する隙間を自動車が通っていた風景は、ちょっと衝撃的すぎて想像が難しい。
…ともかく、この変化には正直かなりホッとした。洞床の状態も、水たまりやぬかるみはあるが、今までよりはだいぶマシになったのである。
あとは、この状態がどこまで続いてくれているかだが…。
すぐ素掘に堕ちた。
コンクリート巻き立て区間は、わずか20mくらいしかなかった。
その先はまた元の、朽ちた支保工が合掌する死人の葬列を思わせるような、怪奇な状況へ逆戻りだった。
長靴を履いていても、浸水を心配しなければならないほど、洞床の水気が満ちてきた。そして、相変わらず洞奥方向への水流が続いている。
なお、この隧道の構造上の大きな特徴が、大量に存在する木造の支保工であると思う。
これまでも素掘の廃隧道で木造支保工を見たことは何度もあるが、地質の悪い坑口付近だけにあるようなパターンが多く、こんなに奥まで支保工があるのは珍しい。
ようするに、どこまで行っても地盤が悪いということなんだろうが。
支保工の存在を前提にしていると思われる四角い台形型の断面も、道路トンネルとしてはやや珍しく、鉱山の坑道的だ。それも堅牢な岩盤にある金属鉱山ではなく、脆弱地盤にある炭鉱っぽい。
それはそうと、私は昔から疑問に思っているのだが、こういう木の支保工は、どの程度役に立つものだったのだろう。
普通に考えれば、岩盤を支えて落盤を防ぐ役割があるのだと思うが、金属製であったり、もっと隙間なく設置されているならまだしも、この程度では大した抵抗力は期待できまい。
もしかしたら、通行人に「守られている」という苟且(かりそめ)の安心感を与えることが、重要な設置目的だったのではないか。
素掘隧道への支保工設置は、長年受け継がれてきた先人たちの知恵であり、総合的に無駄なものではなかったと思うし、こんなことを考えていること自体、頑張り抜いた支保工に失礼だとも思うが…。
そう、支保工には照明や電線を敷設する役割はあったようだ。
ここに来てはじめて気付いたが、この隧道には、照明設備があったようだ。
照明器具そのものは見当たらなかったが(おそらく電球)、電線や碍子や取り付け金具らしいものが、いずれも洞床に落ちた状態で発見された。
全長230mの狭い隧道は、さすがに無灯火では暗すぎて歩けないので、一応戦後の昭和31年生まれ(とされる)隧道としては、当然の設備だろう。
顔をしかめながら、ぐっちゃぐちゃの泥濘エリアを越えると、おそらくはじめて、本来の泥に覆われていない洞床が現れた。
写真はそこで振り返って撮影した。
坑口から100mほどの地点ではないかと思われる。
ここは支保工も途切れており、地盤が少し良いようだ。
洞床には、泥水ですっかり茶色く変色してしまっているが、小粒の黒っぽい玉砂利が敷き詰められていて、おそらく転圧も受けている。かなり硬い感触である。
また、これまでは埋没していて気付かなかったが、両側に水が流れる側溝があったことも判明した。
手前への勾配が結構大きいことが、水の流れ方からもよく分かると思う。
また、泥沼……
長靴よりも水深が浅いことを、祈るしかない。
そしてその先には、二度目のコンクリート巻き立て区間が見える。
だが、二度目のコンクリート巻き立ても長くはない。前回よりも短い、わずか10mくらいだけだ。
このように一部分だけ覆工しているのは、そこが特に劣悪な地盤だったからだと思うが、
ケチらず全体をちゃんと覆工していたら、隧道はもっと長く存続したかもしれない。
この隧道、覆工をケチっても大丈夫といえるほど、堅牢な地盤には掘られていない。
そしてここに至り、 落盤 と 泥沼 と 朽ちた支保工 に続く、
“第4の不快要素”が、遂に本格化した。
↓↓↓
コウモリ★大乱舞!
これまでもぼちぼち“いるにはいた”のだが、遂にここで彼らのコロニー的集団と遭遇し、
隧道の通行権主張代わりにライトを当てたところ、そこにいた数百匹が
残らず狭い洞内への乱舞飛行を開始した。これにより、洞内は恐慌状態へ!!
(冬眠中だと、このくらいでは動じないんだが、彼らはもう活発だった。)
9:15 (入洞より11分経過) 《現在地》
コウモリのコロニーになっていた2回目のコンクリート巻き立て区間が、おそらく全長の中間地点付近である。
ここで、
相変わらず出口の光が歪に見えるのが、気になるが…。
ともかく…
やっと後半戦だ。
後半戦すぐに現れたのは、第3、第4のコンクリート覆工区間であった。
それぞれの区間の長さは5mずつほどしかなく、まさしくピンポイントで、手間とコストが素掘よりも遙かに掛かる覆工が行われている。
さすがにここまで徹底されていると、コスト削減が非常に重視されたトンネル工事だったのだと考えざるを得ない。
おそらく後年の改修でもなく、建設当初からこのように、まだらな補強が行われていたと思う。
なにせこの隧道は、大切な「顔」であるところの坑門を、完全な素掘で済ませた貧乏普請だ。
当然、内部も完全な素掘で済ませてしまいたかっただろうが、それが許されないほどに、巻き立て部分の地質が劣悪だったのだろう。
そしてその巻き立ては、期待通り、立派に仕事をしている。
素掘部分が至る所で小崩落しているのに対し、巻き立て部分は全く崩れがない。
トンネルにおいて、覆工を行うことで如何に寿命を延ばせるかを証明しているかのようだ。
廃隧道の四重苦に満ちた洞内探索の模様を、また少し動画でご覧いただこう。
音にも注目していただきたい。
↓↓↓
これが、(グチョ)栃窪隧道だ!(グチャ)
こんな隧道が、平成29年発行の最新版道路地図に普通に描かれているという現実に唖然とする。
そして、少なくとも平成16年までは、行政が現役の道路トンネル施設として把握している存在でもあった。
どう考えても、ここ10年程度で急激に荒れ果てたという感じではないのだが。
天網恢恢疎にして漏らさずというが、やはり人間には見逃しが多いようだ…。
9:18 (入洞より14分経過)
第4の覆工区間から、進行方向上にある出口を望む。
出口の光は、入洞直後に見たときと同じ形のまま、大きさだけが変わり続けている。だいぶ大きく育ってきた……。
出口までの残距離は100mを切っているはずで、この残りの洞内に、天井近くまで土砂が堆積しているような大きな崩落がない限り、ずっと変わらない歪な出口の光は、出口自体の形だということになる。
それだけなら別に大して心配はしない。
私が入ってきた東口だって、高さの半分くらいは土砂に埋没していたし、これだけ光が通っていれば、人がすり抜けられないほどの狭さではないはずだ。
だが、最初にこの独特な“光の形”と“下り勾配”を感知したときから、ずっと解消されていなかった“嫌な予感”が、いよいよ確信――
それも、 絶望 という名の確信に、王手をかけている。
それが、いまの私の心の中だった。
9:21 (入洞から17分経過)
ああ…
……これは、だめだ…。
本当に、駄目っぽい……。
出口まで、残り50mを切っているが、
天井まで土砂が溜まっているような場面はない。
淡々と四角い断面の隧道が続いている……。
最後まで、歪な出口へ向かって。
この、出口は……
出口は
出られない
出口だ!涙
落盤 、 泥沼 、 朽ちた支保工 、 コウモリ群 では終わらず、
最後に、水没という真打ちが伏兵として待っていた。
こんなのってあるかよぉ!!
コウモリしか通れないよ、この出口は……(涙)
天井すれすれまで水没しているってことは、水深は約2m。足は付かない。
そのうえ水底には大量の泥が堆積していて、ハマったら溺れそうだ。
水面上にロープを流し、それをたどって泳げば通れるかも知れないが、
そもそもどうやってロープを出口まで通すのだ! 浮き輪も嫌だしなぁ…
やっぱり、無理だよ…(涙)
罠だったんだ……
最初に見えた【出口の光】は、
罠だった!
…まんまと、ひっかかってやったぜ。
はい……、戻ります……
ここまで探索できたことを、オブローダーならば喜べと言うのだろう。
ああ、喜んでやるよ! 入れないよりはマシ。隧道が“貫通”していたことも理解した。
でも、ここまで洞内が不快すぎて、ペースが上がらず入洞から17分もかかったのに、
やっと出口だ!あと50mだ!ってところでのこの仕打ちは、なかなかに堪えた。
最初から見えていた出口がここまで盛大に裏切ってきたのは、初体験かもしれない。
調子に乗って自転車を持ち込まなかったことだけは、自分を褒めてあげたい。
栃窪隧道、恐るべし。道路地図も、行政の資料も、共犯恐るべし…。
帰路もいつも以上に長く感じた。たった200m弱を戻るだけなのに、往路と大差ない15分もかかった。
泥沼の上り坂で、相変わらず暴乱するコウモリたちに罵りと嘲りを受けながら、額に汗を滲ませて帰ったのだ。
9:43 (入洞から39分後)
ワルクードォ……、ルーキィ号(←自転車)……、俺は帰ってきたぞ〜。慰めてくれぇ。
(ワル&ルーキィ: 「うわっ、臭せぇ! 泥と糞まみれじゃねぇか!近寄んなよ!!」)
(ヨッキ: 「しくしくしく…… くそぉ、栃窪隧道めぇ! 絶対に反対側を暴いてやる……!)
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