2014/12/9 14:01 《現在地》
自分が今居る場所が、だいたい分かった。
隧道を抜けた先が「釣師海岸」と呼ばれている海岸と思ったのは当たっていたが、海面の高さからはまだだいぶ離れていた。
今居る場所を遠くから眺めたならば、きっと巨大な海蝕崖の中腹であろう。
ここから海岸線へ降りるためには、隣り合う“もう一つの出口”の方が正解だったようだ。
確かに路面のコンクリート鋪装に目をやれば、機首をそちらへ向けた状態で、土砂に埋もれていた。
なお、ここにこのような二つの坑口が存在する理由だが、これは本隧道の掘削方法に由来すると考えられる。おそらくこの隧道は、市道側の坑口からぶっ込み(下りの片勾配)で掘進が行われ、そのまま海岸の崖の中腹に貫通。その後、貫通点の直前から横坑を掘り、そちらを道として選んだのだろう。
この線形、もしクルマが往来する道路にあったとしたら、忌むべき危険カーブであり死のトンネルであったろうな。
なかなか、酷い崩れ方だ。
入口に、「落石事故により負傷者続出!」とか書いてあったが、あれが脅しでないとしたら、この落石というか土砂崩れに、人が巻き込まれたのだろうか?
そんなピンポイントで巻き込まれるかねぇ?という気はしたが、今この瞬間に新たな落石が起きれば、私も無事ではないかも知れない。油断禁物。
とりあえず、この土砂の山をよじ登るようにして、外へ出てみる。
隧道は抜けたが…
道が無い(涙)。
おそらくこの土砂の山に埋もれてしまったのだろうが…
落石防止ネットの成れの果てが、沢山の崩土を包んだまま膨らみに膨らんでいて、逆に道を妨害してしまっていた。
廃道探索をしていると、このように落石防止ネットと地山の間に入り込む事がよくあるが、絶対に注意しなければならないのは、落石防止ネットには出来る限り触れない、衝撃を与えない事である。
左の写真を見れば分かると思うが、こういうところでネットを揺らすと、新たな崩土が落ちてくる事が多い。
それも衝撃を与えた場所に直接落ちてくる→自分に直撃という可能性が高いのだ。要注意である。
足元を見れば、誰もいないビーチに波が打ち寄せていた。
どうやってこの落差を攻略しようか。
とりあえず、この落石防止ネットの内側にいたのでは、どうにもならないだろう。一旦、坑口に引き返す。
ということで、私に残された “可能性のあるルート” は、もうこの僅かな隙間だけになってしまった。
隧道の出口の壁と、膨らみきった落石防止ネットの隙間は、人一人ようやく通れるくらいしかない。
それはどんな確率で発生しうるのか。さほど高い確率ではないに違いないが、ここを通っている最中にネットが破れて中身が「ドバァ」となったりしたら、即行で生き埋めになる。
くれぐれも、くれぐれもネットに余計な刺激を与えないように注意しながら、この探索で2度目の“にゃんこ”になった。
うん…、なかなか苦労をしている。
果たしてこの苦労は、報われるのだろうか。続く道の出現を祈った。
危険な隙間を潜り抜け、今度こそ本当の意味での“野外”へ。
しかしまだ、地上に解放されたという実感はない。
頭上には垂直のネット壁が峙(そばだ)ち、足元の草むらも幅は狭く、片側は高い崖に接している。
自由に動き回れる余地はほとんど無いが、そのお陰で進路を見失うこともなかった。
視界を遮るほどに生い茂ったススキを、両腕で押し払うようにして進む。
そして、ほんの僅かな時間の後で、私は再び足を止めることになった。
14:04
2本目の隧道があったッ!!
ほとんど絶壁に近い斜面を、斜めに横切るようにして下る道の途中にも、ごく短い隧道が存在した!
これまた、先ほどの隧道と同じように、洞内が急坂になっている“坂道の隧道”である。
興奮しながら、洞内へ。
先ほどの隧道同様に人道用の小断面であるが、洞内は素掘のままではなく、坑口同様にコンクリートの吹き付けが施されているほか、壁そのものにも支保工が埋め込まれているようだ。
こうした施工の状況を見ても、この隧道が最初に掘られた時期は不明ながら、現在の姿へ変わった時期は、そんなに昔ではないと断言出来る。
しっかりした路面の鋪装や落石防止ネットの施工も然りであり、この道は元来、一般人(おそらくは観光客)の通行を想定して整備された、(遊)歩道ではないかと感じた。
市道を離れてから、いつ如何なる時も、この道は下り続けてきた。
第一隧道の中でも、第二隧道の中でも、全くお構いなく!
そして遂に、その下り坂の絶対的な終点が見えてきた。
14:05 《現在地》
釣師海岸に到着!
途中、様々な障害に阻まれながらも、
2本の隧道をアクロバティックに組み合わせた歩道は、
私を見事、この無人の砂浜へと送り届けてくれた。
その第一印象は、
“ ゴミが無くて綺麗だな。 ”
このことは、この海岸を訪れる人が少ない事は無論であるが、
海流が早い太平洋の外洋に直接触れている事が大きいのだろう。
巨大な内海である日本海岸では、どんなに無垢の海岸線だと思っても、大概は大陸や他の日本海岸の都市からの漂着物が見られる。
この海岸線の風景を、
どこか遠い秘島の浜辺だと言ったとしても、
きっと誰も疑うまいな。
おそらくは、ここへ至る道の崩壊が封鎖の最大の理由なのだろうが、
そのお陰でここは関東では屈指の独り占めビーチになっている。
苦労は十分に報われた。 そう感じた。
辿ってきた道をおさらいしよう。
勾配のある2本の隧道のおかげで、こちらからは全く存在を伺えない市道から、
僅か100mほどの道のりで、見事海岸まで達することが出来ている。
なんか、出来のよい手品を見せられたような感動があった。
何となくだが、この道が出来たのは、元来から隧道に親しみ、掘り慣れた房総の人々ゆえという気がする。
同じように険しい崖に囲まれた孤高の砂浜は日本各地にあると思うが、そこへ辿り着くために、
崖の上の地表から崖の中腹へと抜ける斜坑を通そうなどというのは、他の地域の人は考えないと思う。
(もちろん、房総の比較的容易く人為を受け付ける地質があってのことだが)
ひとことで言えば、房総の魅力をここにも見た!
ところでこの釣師海岸だが、本当にいま通ってきた道以外で訪れる事が出来ないのだろうか。
このことは、ここにいる私にとっても重大な関心事だった。
さすがに、今あの入口の扉を施錠されて、ここに私が閉じ込められる可能性は皆無だとしても、あの“にょろり”の隙間を通れない人が陸路で訪れる事は出来ないのか。
野外にもそんな密室的空間があるということに、素朴な興味を感じた。
そして、結論からいって、たぶんそういう事になると思う。
まず、釣師海岸の周辺にある岸壁を上り下りする事は、ほとんど不可能だろう。
となると海岸伝いに隣の浜まで移動できるかどうかだが、それもおそらく無理。
元もと道があった形跡もないし、実際に試してみたが、途中で歩ける余地が無くなってしまった。
時系列から外れるが、この写真は探索が終わった直後に、釣師海岸の北側に隣接する三十根(みそね)地区の【この辺】から見た海岸の景色である。
切り立った海崖が外洋に臨む男性的な海岸美は、房総半島の一名勝たるに十分な風景だと思うが、俗化している様子はない。近くで眺めるための道が圧倒的に不足している。
で、この写真の海岸線には全部で3つの陸の突出部である「岬」が見られるが、このうち一番手前の岬と次の岬までが、釣師海岸である。その先の一番奥の岬までが長浜海岸だ(これらの地名はいずれも手元の地図による)。
私が探索した釣師海岸の前後を画する岬は、とても崖伝いに人が歩けるような地形ではないことが分かるだろう。
釣師海岸は一種の陸の孤島であり、入口の閉じた鉄格子になぞらえるなら、“地上の監獄”のようである。
ちなみに、隣の長浜海岸もまた、陸路で訪れるには小さな素堀隧道と崖を歩かねばならない秘境である。道は塞がれていないが。
また、長浜海岸と(本編でいう)釣師海岸をあわせて釣師海岸とも呼ぶようだ。
このように隔絶された釣師海岸ではあるが、人間との関わりは最近に始まったものではないようだ。
岩船村の鎮守として今も祀られている岩船地蔵尊の御神体は、鎌倉時代にとある貴人と共に釣師海岸へ漂着したものだという。
これは釣師海岸の神々しい美しさに由来した単なる伝説であるのかも知れないが、海岸の崖や地面に何か人工物が据え付けられていた基礎の形跡がある。
そう大規模なものではないが、ここへ至る道が件の隧道しかない事を思えば、隧道も案外と古いものなのかも知れない。
隧道内に防空壕然とした横穴があったが、あれが実際に防空壕であったならば、隧道も戦前からあったとみるべきだろう。
戦争末期の外房海岸は、連合軍の本土上陸の有力な候補地と見なされ、日本軍の迎撃陣地や警戒施設が多く設けられていたらしい。この海岸の建造物跡についての情報を求む。
崖に囲まれた海岸には、早くも日没の時刻がきてしまったようだ。
なんか、急に冷えてきた。
そろそろ、私も帰ろうかな…。
あれ? なんか穴があるぞ。
ついに “謎の穴” が。
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