隧道レポート 釣師海岸の謎の穴 後編

所在地 千葉県いすみ市
探索日 2014.12.09
公開日 2014.12.16
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謎の穴。  未だかつて見たことのない、特別の穴。


2014/12/9 14:06 

お待たせしました?!

帰り間際の最後に、浜の出入口である階段の南側へも足を伸ばしてみたところ、遠目には何もないただの崖と思っていた所に、一つの横穴がぽっかりと口を開けているのを見付けてしまった。

これまでも崖の窪みを何か所か見ていたので、今回もそうだろうと思ったが、近寄ってみると奥行きのある穴だった。

その穴は、なんの目印もない崖の一画に突然口を開けており、いまもって正体は不明。
だから、本稿のタイトルは、“謎の穴”となった。



正面に回り込んでみると、なにやら不思議な形をした坑口だった。

ひとことで言えば歪としか表現できないが、もう少し詳細に観察すると(画像にカーソルオン)、赤い部分青い部分の組合せであるように見えた。
そして、赤い部分は地中から海岸へと下ってくる坑道で、青い部分はそれから分岐し、地表に沿って下る素振りを見せるも、そこで唐突に終わっていた。
青い部分は、本当にただ削られただけでどこへも通じていないが、何かの意味があったのだろうとは思う。

地表付近での方向転換は、ここへ来るのに通行した“1号隧道(仮称)”の姿と重なるものがあったが、果たしてこの穴の正体は…。
地中へ突き進む赤い部分を極めれば、正体がわかるだろうか?

入洞する。



まっすぐ地中へ向かっている坑道。

正確に言えば、まっすぐ登っている坑道だった。

今となっては、坑道の内部が傾斜していることにいちいち驚きはしないが、この狭さには驚いた。

どんな理由か甚だ見当が付かないが、坑口からほんの僅か入った所で、坑道は極端にその横幅を失った。

その先は、まさに人一人が通行するだけの幅しかなかった。
本当は高さも足りていない(立って歩けないくらい)のだが、横幅の狭さが強烈すぎるのと、坑道自体が傾斜していて自然と前屈みの体勢で通行する事になるために、こちらはそんなに気にならなかった。




ここで、私の体によって洞内に入る外光の大半が遮られることになり、

すぐさまヘッドライトを点灯する必要に迫られた。


そして、

ヘッドライトに照らし出された洞内を見た私は、思わず叫びそうになった!!!



何じゃこりゃぁああ!


シャレにならんぞ。

この岩船の地が、ことさらに傾斜した隧道へ傾倒しているのは分かっていたが、

さすがにこの傾斜のきつさは、想定していた度合いを大幅に越えている。




これまで数え切れないほどの隧道を潜ってきたし、それよりは遙かに少数ではあるが、鉱山の坑道のような隧道以外の地下通路にも潜ってきた。
だが、未だかつてこのような姿をした“隧道”は、初めて見る。

例えば、水路隧道。
まずはそれを考えた。
人が快適に通行するための要素を度外視した極めて小断面の隧道といえば、鉱山か水路であろう。

ただ、その場合であっても、概ね掘るのは人間だ。
特に古い隧道であれば間違いなく人間が立ち入って掘っている。
そして、その事を物語るかのように、洞床には微妙な凹凸がほぼ等間隔に刻まれていた。階段のステップのようにだ。

洞床に水はほとんど流れていないが、地下水で湿っていて、このステップ無しでは滑ってしまい進めなかっただろうし、そもそも入ろうとも思わなかったと思う。
正体がわからないから、入って確かめざるを得なかったのだ。



私が釣師海岸で、これまでにない異常な体験をした事実を皆さんに分かって欲しい。

登りながら、この状況をまだ十分にはかみ砕けていない私が居た。
ただ穴があるから、ちょっと確かめるくらいのつもりで侵入したのに、この洞内の有り様は何だ。
そもそも、この傾斜を安全に引き返せるのか?
うっかり滑り出したら、すぐに止まれるのか?
未経験すぎて、この穴で起きうる事態の想定が困難だ。

そして重大なニュースだ。
この洞内は入って間もなくから、蒸し暑かった。
すなわち、少しも風が流れていなかった。きっと閉塞しているのだろう。
日中の温められた空気が、上り放しの洞内に溜まっている。あっという間に汗が垂れた。ここはまるでサウナだ。



カメラのレンズが速攻で曇った。

だが、レンズ(正確にはレンズ保護フィルター)を拭くためのタオルは、リュックの中だ。
そしてリュックは“ニャンコ”の邪魔になったので、1号隧道前に置き去りにして来ていた。

同時に、フラッシュ撮影を多用したせいで、カメラのバッテリー残量が黄色点灯。
だが、カメラの予備バッテリー群は、ウエストポーチの中だ。
そしてウエストポーチも“ニョロリ”の邪魔になったので、1号隧道前に置き去りにしてきていた。

今の私には、土と汗に汚れた服でレンズを擦って撮影を続けるしか術が無かった。
しかし、拭いても拭いても、1秒ごとに曇ってしまった。苛ついて、ますます汗を噴いた。



自分の背中越しに腕を回して撮影した、背後の写真。

レンズを覗いていないので向きが滅茶苦茶だが、とりあえず今はこのくらい進んで来た。

ぶっちゃけ大した距離ではないのだが、もうここは別次元だった。

そして別次元は、更なる深みへと続いていた。



…なんということだろうか。


この先は、もっと急坂だ…。

写真で見ても微妙な違いは分からないかも知れないが、歩いている人間にとっては一目瞭然で、

奥に行けばいくほど、次第に傾斜が増しているのが体に分かった。



この洞内の僅かな距離における勾配の増大は、遠からず隧道が竪坑へと変わってしまうのではないかと思われるほどだった。

そして私の中では、これまでの隧道探索中には想定したことがなかった事態への不安が、どんどんと大きくなっていった。

…この場所でスリップが始まったら、私はどうなるのか?

皆さまは大袈裟と思うかも知れない。
確かに今この場所でスリップして、そのまま洞口まで滑り落ちたとしても、擦り傷を体中に付けるくらいだろう。爪は割るかも知れないが。
しかし、これから先登っていって、そこでスリップが始まったら、狭い洞内で七転八倒して、骨折まで至るかもしれない…。

何より怖いのは、そんなスリップの発生時に、緊急回避的に手で体を支えてやることが、狭すぎる洞内では非常に困難だという事実だ。
一度滑って速度が出たら、ボブスレーのように洞口近くまで一気に墜落する可能性は、十分にあった。



上の写真の矢印の地点まで登ると、天井に小さなコウモリが3匹とまって冬眠していた。
洞内で見た生き物は、彼らだけである。
ゲジゲジもカマドウマも、ここには居なかった。


……それにしても、本当に暑い…。

…いったい、何度あるんだ………。

温度も、角度も、何度あるんだ………。

 こ こ、 無 理 じ  ゃ ねぇ…か・・・。




こ…のくらいは、 なんとか、進んで来た。

な んな んだ、この穴は。

わざわざ海岸に向かって? 或いは海岸から地上を目指して?

穴の正体が本気で ワ カラ ナイ……。そして ただただ暑い…。



14:12 《現在地》

入洞から6分。50mほど前進しましたが、
これ以上の侵入は断念です!

悔しくないと言えば嘘になる。
閉塞はしているのだと思うが、もっと奥へ行ければ、この隧道の正体の手掛かりが掴めたかも知れない。だが本当に無理だった。
この先傾斜は更に増していて、目測では45度にも達するかと見えた(実際は、まだそこまでではないのだろうが…)。

一番の無理な理由は、おそらくはこの先にあるだろう閉塞壁からの流入だろうが、洞床に泥土が堆積してしまっていた事である。
この傾斜で、この泥土。どうなるかは火を見るより明らかだし、一歩でも踏み込んで靴底に泥を付けてしまったら、
もうこの靴では安全に入口まで戻る事が出来なくなると考えた。



なお、 これは言わない方が格好がいいかも知れないが…、

この場面の直前で実は一度だけスリップして、1mばかり、腹ばいの姿勢で滑り落ちていた。カメラも泥で汚れた。
そのことで私は本当にギリギリのところだったのに、この泥の斜面は完全に心を折った。






閉塞地点で1本、そして戻りでも1本動画を撮ったので、ご覧頂きたい。

なお、2本目の動画では落ちていく小石に注目。傾斜の程が分かるでしょう…。






案の定、帰りも一筋縄ではいかなかった。
どんな姿勢で下ったらよいかを考えあぐねている間に、二度ほど小スリップ。
立って降りることは無理だと判断し、尻を濡らしながら滑り降りる羽目になった。

しかし、10分ぶりに味わう外気の美味いことに、心底、感動した!



この先に謎解きがあると期待して下さった皆さま、ごめんなさい。

この謎の穴の行き先も分からなければ、使用の用途も分かりません。

でも、誰かが掘ったものである事は間違いなく、知っている人もまだ存命であるはず。

他力本願でスミマセンが、こうしてレポートを公開したのは、誰かが教えてくれることを期待してのことです。




封鎖された海岸での強烈な体験だった。
身体の芯の熱が全く抜けないまま、浜を後にした。
この後はもう一度苦しいニョロリが待っているが、
無事クリア出来たので、これを書けているワケである。

また、地上に戻った後で“謎の穴”の出口をしばらく探したのだが、
一切成果がなかったので、レポートは省略する。
もう目に見える形では残っていないのか、探す場所が悪かったのか。



異常に急傾斜である“謎の穴”の正体にまつわる “2つの説” 

釣師海岸の探索中に偶然発見した“異常に急傾斜である謎の穴”の正体については、本編公開後コメント欄に多数のコメントをいただいたほか、実際に穴を訪れて私が到達しなかった最奥部を目指した方のレポートもネット上に現れている。しかし、未だ完全に極めたレポートは無いようである。

今回は、読者様から寄せられたコメントの中から、隧道の正体として有力ではないかと私が考えた説を2つ取り上げて紹介したい。
いたって他力本願な追記となるが、2つの説とも非常に興味深い内容なので、読んで損はないはずだ。


第1の有力説 “第二次大戦戦跡(トーチカ)”説 

この説については、複数の方がコメントで指摘しておられる。
たとえば、以下に引用するコメントNo.21261は非常に具体的で示唆に溢れている。

はじめまして。BOSHと申します。仕事柄、旧日本軍の陣地について研究する機会があり、感じたことを書きます。
この急斜面の穴の構造と、急拵えで作った感じから、釣師海岸には旧日本軍のトーチカが存在していたのではないかと考えます。

房総半島から九十九里浜にかけては、米軍も本土上陸のためのコロネット作戦を準備しておりましたが、旧日本軍の大本営も戦術的妥当性上の見積りから、この海岸地帯一帯の要塞化を考えていました。また、一般的戦史では、沖縄戦において米軍が地形縦深を活用した内陸防御への対策を採ってきたことから、日本軍の防御方針も、水際防御に回帰したと考えられています。
すなわち、近隣の海岸等への米軍の上陸に備えた補助陣地としての築城だったのではないか、と考えます。海岸にあった穴の入口は、戦後撤去されたであろうトーチカの出入口に当たる部分で、穴の手前にある瓦礫はトーチカの基礎ではないでしょうか?

写真に青でハッチングして頂いた横穴は恐らくトーチカの死角を補完するものか、別の海岸に接近する敵への側射のための固定銃の銃眼用の通路ではと思います。斜面の急な穴は恐らく上の道のどこかに通じていたはずですが、非常に狭いため重火器を搬送するには向かなかったと思われます。良くて携行火器、手投弾、弾薬、地雷や食糧がせいぜいと言ったところでしょう。

トーチカの建設に併せて外側の隧道から重機関銃や速射砲等の重火器を予め降ろしておき、設置し偽装して敵の上陸に備えるとともに、兵員を実際に配置する時は米軍の戦艦や攻撃機からの上陸前打撃と呼ばれる砲爆撃に晒されることから、隠掩蔽された穴を使ったのではないかと考えます。

写真からの分析だけなので間違ってるかもしれませんが、沖縄や硫黄島にある複郭陣地との共通点が見られましたので書き込ませて頂きました。
釣師海岸の近くには、かの有名な風船爆弾の発射台跡もあるので、一度訪れてみたいと思っておりました。

読者コメントNo.21261より抜粋

また、次に挙げるコメントNo.26747およびNo.26766もトーチカ説を採っておられた。

YouTubeで釣師海岸のドローン空撮映像を見ました。コメント欄に崖にたくさん開いている穴の説明がありましたが、その中に、約40メートルと思われるトーチカ急行用の垂直トンネル、という説明文があり、中で枝分かれしている、垂直トンネルなので出口(崖上)まで登った人は居ないと思われる、とありました。ヨッキさんの挑んだ穴の正体はこれでは?釣師海岸のトーチカ、で検索するとヒットします。

トーチカ急行用のトンネルというのは、戦争中に、米軍が上陸した時に、崖の上の宿営地より、ロープなどを使って急行する用途です。

読者コメントNo.26747およびNO.26766より抜粋

このコメントから、該当すると思われるyoutubeの動画を発見した。
それはおそらく、福本国明氏が2016年5月にアップロードされたこちらの動画であろう。
ご指摘の通り、投稿者のコメントに上記に近い内容が含まれているので、ご確認いただければと思う。
動画自体はドローン映像であり、穴の内部のものではないが、非常に美しく見応えがある。

ここまでに紹介したコメントは、釣師海岸には大戦末期に本土決戦を覚悟した日本軍が用意した迎撃用トーチカ施設があり、“謎の穴”はその一部(兵員が海岸へ急速に到達するための通路)ではないかという説である。

『大原町史 通史編』を読むと、旧大原町内には確かに太平洋戦争中の旧軍施設が存在したことが明らかになった。

同書「第6章 戦争と大原」の「第6節 回天基地」によると、大原漁港の南側に突出する八幡岬(位置は右図を参照のこと)には、大戦末期に海軍の特攻兵器である人間魚雷「回天」の基地があり、小浜基地と呼ばれていたそうだ。町史編纂当時(平成5年刊行)には、回天格納用の地下壕施設が八幡崎に現存していたとのことである。
また、海軍だけでなく、八幡岬を含む丹ヶ浦一帯は、陸軍も米軍上陸に備えて壕を掘っており、防諜のため立入禁止となっていたが、この施設も遺構が現存しているという。

このように、米軍上陸に備えた陸海軍の施設が大原町内に作設されていたことは間違いないものの、これら以外の施設についての記述は見られず、釣師海岸についても触れられてはいない。

また、旧軍資料が充実している「アジア歴史資料センター」や、全国の要塞地帯について詳解する『日本築城史』(原書房)も読んでみたが、情報は見つけられなかった。
航空写真も終戦後のものしかなく、また解像度的にもいまひとつなので、この付近にトーチカがあったかを判別する手掛かりは得られなかったし、そもそも空からはよほど見えづらい構造になっていただろう。


以上が、本編公開後に寄せられた、“謎の穴”に関する有力とみられる説の一つである。
続いてもう一つの説を紹介しよう。




第2の有力説 “砂鉄運び出し用の隧道”説 

この説は2021年10月にやはりコメント欄に寄せられた。今のところ、これに近い説を挙げている他のコメントはないが、個人的には非常に興味を引かれる内容であった。

謎の穴は、昔あの穴を使って「砂鉄」を運びあげていた穴です。海岸の砂に砂鉄が混じっていてそれを運びあげた穴です。急な坂を重いものを引っ張ってあげたのです。壁に手をかけるためのくぼみが掘ってあります(写真で確認出来ます)。出口は上の道路までつながっていましたが、今はふさがっていますので確認できませんよ。塞いである石などがいつ落下してくるのかわからないので、絶対に中に入らないほうが良いですよ。
それ以前に最初の入口は立ち入り禁止ですよ。

むかし、最初のトンネルの途中でTV映画の撮影したことがありますよ。素浪人 月影兵庫。三船敏郎主演。

読者コメントNo.39292より抜粋

立入禁止を破ったことへのお叱りを頂戴してしまったが、これまで私が考えなかった「砂鉄運搬」というキーワードが現れた。
前述の通り、この説を挙げておられるコメントは今のところ1件だけだが、地元の方っぽい語り口に、この方面からも机上調査してみる価値があると思わせる説得力を感じた。(匿名のコメント欄でなければ、返信して詳しく伺いたいところだった)

“謎の穴”は本編で述べたとおり非常に急勾配だが、私が引き返した辺りには木製階段が設えられていた形跡(→)があった。
もとはトンネル全体に階段が設置されていた可能性が高く、つまりは滑り台としてではなく、昇降両方が可能な地下通路だった可能性が高いと私は思っている。階段の存在や坑口部の構造から、水路でもなかったと思う。

もちろん、現在も貫通している【近くのトンネル】を利用すれば(封鎖されているが)、海岸と道路の間はより容易く行き来できるのであり、わざわざこれほど狭く険しく急な階段通路を利用して砂鉄輸送をする必要性は薄いように思うが、両者が同時に整備された証拠はないので、最初はこの急な地下通路しかなかった可能性もある。(それにしても人間の通行を想定するには驚くほど急な地下通路だが…)

また上記のコメントは、“謎の穴”の用途に関する新説だけでなく、かつてトンネルの先は地上の道路に通じていたが、現在その出口は土砂で塞いでいるという、廃止後の措置に関する新情報も含んでいた。
現在も到達しうる最奥部付近には、洞床に(木製階段によって支えられた)土砂があって、これがまた登攀を難しくしているのだが、この土砂は地上側の出口を封鎖した土砂が流れ出した一部である可能性が高いようだ。

なお、穴の正体とは少し話がずれるが、もう一つ紹介したい貴重なコメントがある。
かつてこの穴を“貫通したことがある”という、驚くべきコメントである。

40年ほど前にこの場所で波乗りをしたことがあります。
当時は立ち入り禁止もなく、少し急ですが階段状の通路で砂浜に降りることができました。
もう一つの穴も当時は上に貫通していました。試しに皆でウエットスーツ姿で登って行ったら上の道路に出られました。(体中泥だらけになってしまいましたが)

読者コメントNo.37993より抜粋

昭和末頃まで“謎の穴”の出口は塞がれていなかったらしく、穴が地上の市道付近に繋がっていたことは間違いないようだ。(これは今回紹介した2つの説の両方を肯定する内容だ)

グーグルストリートビューで申し訳ないが、おそらくこの辺りに地上側の出口があったと思われるが、この場所と海岸の高低差は30mくらいある。
そして水平延長も地図読みで30m前後であり……、
これらを組み合わせると……、

平均勾配45度(100%)、傾斜長42mという、
非常識トンネル・スペックが導き出される。

あくまでも概算だが……。


話が脱線したが、私が第2の有力説と考えている“砂鉄運搬トンネル説”についても、文献調査をやってみた。
まずはこちらも『大原町史』から。

大正期には日在の渡辺峯松氏により、伊能滝地区境目の海岸に小規模の炉が築かれ、流水式により採集された砂鉄を膠(にかわ)で固め、レンガ状の粗鋼として東京方面に出荷されたが、その後は放置されたようである。
太平洋戦争中は、東亜特殊製鋼株式会社が軍需に応じ大規模な工場を建設し、海軍の管理工場となった。最盛期の従業員数は約700人といわれる。砂鉄を採集する海浜部を八幡鉱山と呼び、その面積は塩田川河口より夷隅川河口まで及んだ。最盛期の事務所及び精錬工場は、現国道をはさんで三門駅周辺の広大な敷地にあり、三門工場と称した。 そのころには、砂浜に乾式や湿式の選鉱工場が建ち、海岸線に沿って延々とトロッコの線路が続き、海岸から梅屋邸前を経て駅に至るまでの道路には、小規模ながら鉄道線路が敷設され、薪を焚いて走る小型の蒸気機関車が走っていた。
海岸には、これらの作業者が蟻のごとく散って、木製の掻き寄せ棒で砂鉄分の多い砂を集め、塵(ちり)取り状のものに入れて運び、足踏み式の選別機にかけ、それを50キログラムか100キログラム入る箱に入れ、二人がかりで天秤棒でかつぎ集積場に運んだ。そして、それをトロッコに乗せ、選鉱場まで延々と押していった。
終戦と共に軍需はなくなり、採算のとれない砂鉄は見放され会社は解散した。 その後地元の人が鉱区を譲り受け、細々と採集を続けたが、防風林を破壊するとして反対運動が起こり、更にまた採算がとれないこともあって、昭和22年ごろこれも閉鎖され、この地方の砂鉄採集の歴史は終わった。

『大原町史』より抜粋

夷隅川から塩田川の間に広がる広大な和泉浜の砂丘地帯で、大正期から終戦当時まで砂鉄採取が行われており、特に戦時中には八幡鉱山と呼ばれる大規模な砂鉄鉱山に発展して、三門駅を中心にトロッコが敷設されていたというのである。
町内に砂鉄産業が存在したことは明らかだが、残念ながら釣師海岸については触れられていなかった。


また、千葉県内での砂鉄採取については、千葉県立現代産業科学館研究報告第18号(2012年3月)「明治以降の千葉県における砂鉄採取について」(上野英夫著)が、全貌を把握するうえで非常に役に立った。


『千葉県地下資源概要1962』掲載の図を
「千葉県立現代産業科学館研究報告第18号」より転載

同研究報告書によると、千葉県の砂鉄産業は京浜工業地帯に近い立地の有利を活かして明治末頃から勃興し、大戦中にピークを迎えた後、昭和40年頃まで衰微しながら継続したという。
主な産地は右図の通りで、大原地区、富津地区、岡地区、佐原地区などが大規模であったようだ。

右図は砂鉄産業の末期にあたる昭和37(1962)年に、千葉県商工労働部商工観光課が作成した『千葉県地下資源概要』に掲載された図で、元資料未見であるため詳細な解説はできないが、旧大原町内の南部、ちょうど釣師海岸がある辺りにも、産出地を示すとみられる網掛がなされている!

残念ながら、現時点で釣師海岸で砂鉄産業が営まれていたという具体的な文献は未発見であり、“謎の穴”がその搬出に用いられていたという証言も先の読者コメント1件だけである。

この追記記事を公開直後、さっそく本説を補強する情報が読者のしりょマイ @_half__way_)氏より寄せられた。
土木工学者として著名な本間仁氏の追悼文集である『本間先生思い出集』に寄せられた安川浩氏の文「本間先生に捧ぐ」の中に、終戦間もない時期に安川氏が暮らした千葉県夷隅郡浪花村を述懐した次のような内容があることが分かった。

浪花村は東と西を低い山地で仕切られ、駅周辺には店ひとつ無い質素な村で、東の波触台で産する砂鉄とアワビ・伊勢エビなどに加え、初夏には周辺に自生する山百合も切り出し出荷していました。

『本間先生思い出集』より

浪花村(なみはなむら)は、明治期から昭和30(1955)年まで現在のいすみ市南部から御宿町北部(岩和田地区)に跨がって存在していた村であり(外房線に浪花駅の名前が残る)、釣師海岸も同村の一部であった。文中の「東の波蝕台で産する砂鉄」というのは、当時大原町に属していた前述の八幡鉱山のことではないはずである。この文は、戦後間もない時期に釣師海岸を含む海岸一帯で砂鉄の採掘が行われていたことを教えている。



少しずつ進展している考察の現状をお伝えする追記は以上である。

果たしてこの穴の正体はなんだったのか。
今回紹介した2つの説は並立する可能性もある。両方とも正しいのかもしれない。
引き続き、皆様からの考察、情報提供、お待ちしております。
決して人口が希薄なエリアではないので、詳しい事情をご存知の方は生存しておられると思う。
地元が近いという読者さんがおられれば、ぜひ調査に協力していただきたい。




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