ミニレポ第204回 新潟県道45号佐渡一周線旧道 赤岩隧道

所在地 新潟県佐渡市
探索日 2013.5.29
公開日 2015.2.20

佐渡のはぅ、かぁいい!隧道


「県道佐渡一周線」シリーズも、かれこれ何作目になるだろうか?
今回もこれまで同様、紹介するのは、旧道に存在する隧道だ。
そして、おそらくこれが佐渡にある隧道の中で、もっとも可愛いと思う。

その名は、赤岩隧道

名前は一丁前だが、こいつがどうして…。


そして気になるネタ元は、お馴染み、「道路トンネル大鑑」だ。
道路トンネル大鑑? なにそれ? という人は、今すぐお父さんに聞いてみよう。
……嘘。 多分お父さんも知らないだろうから、こっちを見て欲しい。

で、道路トンネル大鑑の巻末リストに、この赤岩隧道の名前と簡単な緒元が記録されている。
以下のような内容だ。

 赤 岩 隧 道
路線名:一般県道両津赤泊小木線 箇所名:新潟県羽茂町三瀬 全長:10.0m 幅員:2.8m 高さ:4.0m 竣工:昭和9年

これで可愛い姿がイメージできただろうか?
小さくて、短くて、古くて、…愛おしいだろう?

もちろん最大のポイントは、たった10mという長さである。

以前紹介したこの佐渡島にある「トリさんの隧道」……もとい、「北狄隧道」でさえも、全長22mを誇っていたので、こいつはマジで短いぜぇ!! ハァハァ

そして、道路トンネル大鑑に記載されているということは、昭和40(1965)年当時にはまだ現役だったということなのだが、右図を見て欲しい。→→→

昭和28(1953)年版の地形図を見ても、その姿はどこにも描かれていない。
「赤岩」という地名は書かれているし、路線自体もしっかり描かれているのに、隧道が描かれていないということは…

短すぎて省略された。

なお、すぐ近くには以前紹介した、旧野崎隧道もある。





というワケで、探索開始。
出発前に「大鑑」を見ていたので、「赤岩の県道沿いにあるだろう」くらいには思っていた赤岩隧道であるが、それが実際に私によって発見されるシーンをご覧頂こう。

2013/5/29 12:55 《現在地》

さて、意気揚々とやって参りました。“島暮らし”も早三日目のこの日、

……凄い雨だった。
まあ、探索中の雨は今に始まったことではないし、いずれは降り止むのだろうから、少しばかり「やけっぱち」な気持ちになりはしても、探索自体は続行していた。島だけに、機会を逃すと面倒だというのもあった。

そして、ちょうどこの足もと辺りから、奥の海岸線が突起している場所(野崎鼻)までが、赤岩という地名の範囲である。
赤岩隧道という名前を頼りに隧道を探すわけだが、とりあえずここから見える範囲にあるのは、野崎鼻に穿たれた今のトンネルと、旧道のぼんやりした姿だけだった。こいつらより手前のどこかに、赤岩隧道があると思う。

とりあえず、ここから右に入る道が旧道っぽいので、地形図には描かれていないが、入ってみることにする。
長年の私の感が、隧道はともかくも、旧道はこっちだと教えていた。



入ってすぐのところに、だいぶ色褪せた案内標識が、進行方向と反対向きに立っていた。

これだけで私は(ほぼ)確信した。
やはりこれが旧県道なのだと。

佐渡島の全土が佐渡市に統一されたのはほんの数年前だが、それまではいくつかの市町村に分かれていた。
今では佐渡市の大字大杉と、佐渡市の大字羽茂三瀬(はもちさんぜ)の境でしかない、地形図には何も図示されないこの境界も、数年前までは厳然たる町村境であった。
その事を親切にも余所者の私に教えてくれた、今にも雨にかすれて消えてしまいそうな、「赤泊村 Akadomari V」には積年の哀愁があった。

現在の佐渡一周線の姿からは想像も出来ないほどの、ささやかな道。
この赤岩の旧県道に、隧道があるのか。
地形図にない道を、雨に打たれて突き進む。



なんというか、雨が激しすぎて、町が死んでいる。

それはさすがに言いすぎとしても、風景が色を失っていた。
島だからなのかも知れないが、この旧道も、集落を挟んで海岸沿いにある現県道も、どちらもほとんど車通りがなかった。
糸を垂らすような雨が、間近にある海の存在さえも遠くしてしまったように感じられた。

地図には描かれていないが荒れているわけでもない旧道を、淡々と200mばかり進むと、右から合流してくる道があった。
それは、旧道とは違って、ちゃんと地形図にも描かれている道だった。
合流地点に辿りついた時点での現在地は、【ここ】であった。

早くも、全く何事も無いまま、赤岩の旧道は終わりに近付いていたが、




終わり際に、キタ! 隧道キタ之介!



こいつは、大鑑が言うとおりの、短さ。

か、 かぁいい。

雨に打たれている姿は、それなりに悲壮感というか、水墨画のような真剣さを纏わせてはいるが、
快晴の日にこれを見たら、抱きしめたくなるほどに可愛いと思う。
あまり小さすぎて人道レベルだと少しばかり物足りないし、大きければ可愛いなどとは思わない。
このトンネルとしての説得力の下限すれすれでバランスを取っている(ように私には見える)サイズが、
私の心を捕らえた。飾らなくていい。本当に、陸に上がった海蝕洞さながらに、それはあった。



こいつを陸に上がった海蝕洞みたいだと形容したが、本当にそんな立地だ。

赤岩という集落は、はじめ気付かなかったけれど、ひとつの弓なりに連なった浜を、中央で二つに分けて暮らしている。
その東西を、地図にも載らないほどにささやかに分けているのが、この隧道が穿たれた尾根…というか、小さな出っぱりだった。

でも、それがかつては“真剣”な障害物であったことを、疑わない。
今の県道は、海の形を無理矢理に定めるように、高い防波堤をもって1本の弓なりにしているけれど、本当はこの出っぱりが少しばかり海に突起していたに違いないのだ。
そこは、どうにかしなければ道を通せないから、隧道を掘った。面倒くさくても掘った。

このストーリーで決まりだ。
今ならほんの数十歩左を歩けば迂回できる隧道が、大海の波濤に突き立てられた人類の楔(くさび)であった時代が、長くあったのだ。



全長10mの赤岩隧道。

その短いとしか言いようのない洞内には、しかし想像以上の恵みがあった。安堵があった。
この洞内は、乾いていた。
私は今さら雨宿りをする必要も無い身体になっていたが、それでも前日までの温かく乾いた空気を保管してくれていた洞内に、少し元気を貰った気がした。
今日いっぱいでこの島を離れることにはなるのだけれど、時間ギリギリまで雨に負けずに味わい尽くそうという、そんな元気だ。(そしてそれは現実になる)

そして、全く唐突に予告も無く、この隧道は封鎖されていた。
理由も明記されず、立て看板ひとつ無く、ただやる気のないコーンとポールバーで封鎖されていた。

まあ、理由は上の写真を見れば一目瞭然で…、

最後まで完全なる純粋の素掘を貫いた隧道は、自然の岩山がそうするのと同じように、緩やかに風化して崩れはじめていた。
そんな崩れたものが何年分なのか、何ヶ月分なのか、路上に堆積していたけど、敢えてポールを退かしてまで通ろうとするクルマはいないらしかった。
まあ、私の“もの”も、クルマではあったが…。



そして、屋根のあるところでの雨宿りに身を置くものは、私ばかりではなかった。

洞内の壁に居並ぶこれらは、ろくじぞう?

六地蔵だろうな。どれもこれもヒト型を失っていたけれど、旅人が備える箕笠よりもっと確かな屋根に守られて、左側の2体くらいが辛うじて現在の県道の往来に目を向けていた。

六地蔵というと、往来に並んでいるとしても、だいたいはお墓とセットなイメージがあったが、ここに墓所は見あたらない。
考えてみれば、隧道内で六地蔵を見るなどと言うのも、実は初めてな体験だ。珍しい。
でも、設置者には隧道内だからという深い意図はない気がする。
ここは私にとっては隧道内だが、土地の人間にとっては集落の路傍に過ぎないだろうと思う。
そのくらいにこの隧道は、分け隔てなく、地上と接していた。



地名になった赤岩っていうのは、案外この岩のことなのかも知れないと思わせた、西口の景色。
隧道が掘られたのは、紛れもなく大きな一枚岩であり、山を刳り抜くと言うよりも、本当に岩を刳り抜いているだけ。
その岩にほとんど草木が育っていないから、手に取るように全体の造形を見る事が出来た。
なんか、等身大の盆栽を眺めているような気分だ。あるいは、等身大のジオラマとか? そんな気分。

かぁいい。



13:00 《現在地》

現代の地形図にも道は描かれているのに、そこにある隧道は省略されているのであった。
それが、地図上で隧道を見つけられないことの真相であった。

余りにも短く、県道から一瞥だけで全貌を把握し尽くすことが可能と感じられるために、敢えて立ち寄って探索しようという人も少ないかも知れない隧道。
でも、ちゃんと立ち寄った人にだけ気づけるものもあった。
それが何かは、読者諸兄はもうお分かりだろうから。

私はこの隧道に元気を貰って、次へ進んだ。
野崎の隧道へ。
赤岩隧道を含むこの県道の歴史も、野崎隧道のレポートの最終回にまとめてあるので、そちらに譲る。



今の県道から見る赤岩隧道がある、大岩。(ますますこれが“赤岩”っぽい色合い)

岩の両隣ギリギリまで民家があり、まるで肩を並べて暮らす住民の一員だった。(六地蔵住まい)

「大鑑」によれば、隧道の完成は昭和9(1934)年だったけれど、それが本当に最初かは分からない。
明治39(1906)年には、この海岸沿いに一応の車道らしいものが開通した記録があるから、その頃に赤岩は貫かれていた可能性もある。
しかしいかんせん、明治も昭和も平成も、いずれの地形図にも決して現れない隧道である。
短すぎる隧道の罠だろうな。

そして、廃止された時期というのも、はっきりしない。
とりあえず、昭和51(1976)年の空中写真では、隧道も現役で、狭い県道が精一杯頑張っている姿が確認出来た。




なんか、振り返りたくなる隧道だったので、もう一度振り返って、

ありがとう。




完結。



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