廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡 最終回

公開日 2016.12.19
探索日 2014.12.27
所在地 千葉県君津市

“片倉ダム下の隧道”の南口に、ようやく辿りつく。


2014/12/27 15:12 《現在地》

ようやく、辿りついた。

貫通した隧道の出口が見えていたにも拘わらず、水深が深いことから通行を回避し、代わりに山越えでそこを目指したという今回の判断は、出来ることなら「急がば回れ」のことわざの通りになってもらいたかったが、そう毎度上手く行くはずも無く、「急がば回れば、遅し」という残念なオチが付いてしまった。

結局、150mほどの隧道を回避するのに30分を要したという現実は、夕暮れ間近のこの状況では、探索の成否自体の致命傷を疑うレベルで失敗だった。
そもそも、替えのズボンを忘れてきたことが失敗だったと言えば、その通りだった。




まあ、グダグダいっていても仕方ないので、気持ちを切り替え、夕暮れまで出来る事を積み上げていこう。
まずは、苦労の果てにようやく手にした、目の前の成果を味わうことだ。

南側坑口の外見は、案の定素掘であった。
しかし、埋没しかかっていて全容のほとんど分からなかった北口とは違い、かなり良く原形を留めていた。
そもそも、午前中に見た“トロッコ谷奥の隧道”は、どちらの坑口もかなり荒れており、外見が分かりにくかった。
また、2年前の探索で「小坪井軌道」の隧道としては最初に見つける事が出来た“田代川の隧道”も、断面のほとんどが水面下にあるために、やはりよく見えなかった。しかも、片側の坑口は未だ発見さえできていない。

そのため、この3本目の発見となった“片倉ダム下の隧道”の南口は、「小坪井軌道」の隧道の坑口として初めて、“よく見える”ものといえた。
このことには、私は大きな喜びと達成感を感じる事が出来た。

さらに、本隧道の大きな特徴が、ようやくこの南口の写真で分かり易くなった。
それは、隧道断面の幅に対して際立って見える天井の高さである。
高さそのものの数字は目測4m程度であり、林鉄隧道としても珍しくはないと思うが、幅が2m程度しかないために、際立って縦長に見えるのだ。



この天井の高さについて、私は北口から洞内に入った最初の時点で気付いていたが、北口の内部は深く水没していたために、写真ではそれが伝わりづらかったと思う。読者の皆さまの中にも、私が言うほど水は深くないのではないかと疑った人がいると思う。
確かにここが普通の縦横比の断面を持った隧道だとすれば、“あの写真”で水深が1m以上もあるようには見えなかったはずだ。

だが、だいぶ水深が浅いこの南口で撮影した写真(→)を見ていただければ、本当に深かったのだと分かってくれると思う。(と、ちょっとだけ自己弁護)




いまさらだが、ちょっとだけ洞内に入ってみた。

隧道内は全長にわたって洞床が水没しているが、この通りに南口付近の水位は浅く、長靴でも進入が可能である。
このことは、北口で予想したとおりに、隧道全体が片勾配であることを示唆している。




長靴に頼りながら前進してみたが、5mばかり進んだ所で、あえなく“長靴の危険水位”に達してしまった。
私が“ズボンを濡らさないため”に払った代償の大きさを考えれば、ここで気軽にもう数歩進んでみることなどは、自身の正義に反することに思えたので、大人しく引き返す。

しかし、この短い内部探索によって、隧道内が極めて整然と保たれていることが改めて分かった。
水さえ溜まっていなければ、何の問題も無く通行できることだろう。
そして、“奥の隧道”で目にしたような水位の急激な変動を示す壁面の模様も見られないから、本隧道は常にこのくらいの水位を保っているのだと思われた。

廃隧道の多くに言えることだが、人里の近くにあるとは思えないほどの深闇と静寂を湛えた、時間の流れの遅さを感じさせるような秘密の空洞だった。




洞内探索を終了!

残された“最後の軌道跡”を辿るべく、未知の坑外領域へ前進を開始!




片倉ダム下、“最後の軌道跡”。


15:15 《現在地》

地味かもしれないが、今いる部分は「小坪井軌道」の中では貴重なワンシーンだと思う。
ここは、背後にしている隧道とセットで、軌道跡の路盤であることが強く感じられる場面だった。
(チェンジ後の画像は、振り返って坑口を撮影したもの)

この軌道の探索は2年にわたって(“分けて”と言った方が適切かもだが)やって来たが、方々の林鉄跡で見られるような普通の風景が、むしろここでは貴重なものだったのだと思った。
小坪井軌道では常識に囚われてはいけないらしい。さすがはこれまでも色々と常識に囚われない廃道風景を排出してきた“関東の魔境”。房総半島であった。

そんなやっとこ出会えた普通の軌道風景も、本当に、あっという間で終わってしまう。
この敢えなさも、千葉県唯一の森林鉄道を隠したい何者かの陰謀である訳は無く、単なる偶然であったはずだが、私の中ではとても印象的に映った。




“最後の軌道跡”の終わり。


ね? 呆気ないでしょ?

この先にもまだもう少しだけ“地面”が続いてはいる。
しかしそこはもう、軌道跡ではありえない。
150m先に迫った片倉ダムの建造に伴って造成された、人工地盤である。
軌道跡があった本来の地面は、この写真の左下に写っているところまでだ。



15:18 《現在地》

片倉ダム下での軌道跡の探索は終わったので、次の探索地へと至急向かいたいのだが、私の置かれた状況はなかなかに悩ましいものであった。

事前の私の予想としては、ダム直下には市道と川縁を結ぶ公園的な歩道があるか、それが無くても地形的に斜面の往来は可能と考えていた。
しかし、その“ダム直下”に立つことが、予想外に困難だった。

このすぐ前方に見えているコンクリートの高い壁。
まだダム本体の100mほど下流であるが、このような大きな段差を持った構造物が行く手に立ちはだかることは予想外であった。(こいつの正体は、ダム放水による岸辺の浸食を防ぐ護岸擁壁だろう)

だが、進みがたいとはいえ、今さら引き返すのも簡単ではない。
あの“自撮り”をした斜面はもってのほかだし、今さら胸まで水に浸かって隧道を戻るのも、…悲しいではないか。

どうでもいいが、片倉ダムが配付しているダムカードの写真は、この辺りから撮影した堤体だと思う。



こんな段差を、どうにかこうにか、よじ登って……



相変わらず軌道跡とは無縁で悲しい、ダム直下最後の人工地盤地帯へ到達。

ここは植樹らしき樹木があるので遠目には公園のように見えたのだが、
実際は解放された区画ではなく、おそらくダムの管理区画内である。もちろん人気も無い。
まあ、私が通ってきた場所が通ってきた場所なので、ここまで立ち入りを制限するものは何も見ていないが(苦笑)。

しかしそのまま行っても――



――当然、最後はダムに突き当たって終わり。

結論としては、先ほどの隧道南口は、私が思っていた以上に辿りつきがたい場所だったことになる。
あの深い水没を回避しながら辿りつくのは、どんなルートを選んだとしても、容易ではなかったのだ。
それを、やや遅ればせながらに知ることとなった。

……最後は、ちょっとだけワルニャして……。



15:33 《現在地》

市道とほぼ同じ高さにある片倉ダムの解放された天端に辿りついた。

写真は堤高42.7mの天端より撮影した、軌道跡のある一帯だ。

この眺めは初めてではないが、軌道の存在を意識しながら改めて眺めると、
谷底付近を通っていた軌道の苦しみ、侮れない地形の険しさが、存分に感じられる。
全長150mの隧道についても、先ほどまでは地形に不釣り合いに長いと思っていたが、撤回する。
こんな大峡谷を人知れず黙々と通っていた「小坪井軌道」は、マイナーでも格好良いぜ!



4箇所目(最後)の隧道擬定地、笹川湖へ!!


さて、ようやく向き合えるぞ、本日最後のターゲット。

これより、第三の証言者の地図に描かれていた4本の隧道のうちの最後の1本へアプローチをかける!

この隧道は、笹川湖が坪井沢方面に伸ばした湖面のほぼ中間部にあるとされ、おそらく近付けるまともな陸路は存在しない。
そして最も重大なことを予め書いてしまうと、予想している読者さまも多いだろうが、この隧道は“水没”している。
それは第三の証言者の地図にもはっきりと書かれていた。

それでも現地を見たいと思うのは、せめて地形を見て納得したいと思うからだし、万分の一の奇蹟を想うからだ。



15:36 

自転車で市道を駆ってやって来たのは、笹川湖に面した憩いの場、「宮ノ下ピクニック園地」である。

右図の「隧道擬定エリアB」にて隧道の有無を確認するためには、おそらく、この「園地」から「ヅウタ橋」を渡って行く事が出来る「星の広場」という小公園が良いだろう。
私は事前に地図を確認し、そのように考えていた。
今からそれを実行する。




と、その前に、ここだけは確認しておこうと思う。

上の地図でも分かるとおり、この「園地」から湖を挟んだ真南の方向に、“田代川の隧道”の北口があるはずなのだ。
この坑口は未だに発見されていない。
2年前の探索で無理矢理に湖岸をへつって近付こうとしたものの(レポ)、下半身をびしょ濡れにしただけで終わってしまった敗北の現場である。

今日も2年前のあの日と同じくらいの水位だと思うが、果たして坑口が見えたりするだろうか。
見るだけならば時間もほとんどかからないので、ちょっとだけ寄り道してみる。
さあ、どうだ?



なんだ、あれは? →→

左図の「矢印」の位置に、なにかの人工物が見える。

正体は分からないが、船体? それとも水門と建物か?
隧道の坑口では無いだろうが、はっきりさせるためには、一度訪れてみなければならなそうだ。
(ダムが出来る以前、この場所に片倉用水という水路の導水隧道があったという記録がある。)

ちなみに、第三の証言者の地図が隧道の北口を示している位置は、この対岸からはどうやっても見通せない場所だった。残念!

(夢のない話だが、北口がより低位であろう隧道の勾配を考えれば、そこが水面上に露出することは相当難しいとは思う)




15:39 《現在地》

これが、「ヅウタ橋」である。

変な橋だと思った人も多いと思う。私もそう思った一人だ。
路面はアスファルトで舗装されているのに、吊橋のように大きく撓んだ床版を持っている。
しかもそれが2径間の連続橋になっている。さらにいえば、奥の径間は手前の径間の倍くらいの長さがある。だから吊橋のくせに前後非対称である。

この橋は、PC2径間連続吊床版橋という珍しい形式の橋で、ダムの周辺整備の一環として建設された。
吊床版橋というのは、山行が屈指の不人気低評価レポである大貫海浜橋と同じ、床版が吊橋のメインケーブルを内包した橋の形式である。
このように撓んでいるために車両の交通には適さず、本橋も遊歩道の一環として使われている。

この珍しい橋を渡って、最後の隧道擬定地を展望できそうな“星の広場”へ向かう。




ヅウタ橋の2径間目は、笹川湖の湖面を一気に跨いでいる。
もとは坪井沢であった流れが、この底に眠っている。おそらくは、軌道跡と共に。

写真は橋上から上流方向を眺めたものだ。
向かって左側の岸に軌道は通じていたものとみられるが、水面より上に見えている山腹は急峻で、路盤らしい部分は見えない。
小坪井沢での軌道の振る舞い(谷底に追従する)からして予想がついていたことだが、軌道跡の位置は水面下になっているようだ。




15:44 《現在地》

もしこれがゲームならばエンディングの舞台にこそ相応しかろうネーミング、ここは“星の広場”である。
私のリアルの探索も、日没というタイムオーバーの30分前というギリギリで、このステージへ辿り着いた。
泣いても笑っても、ここでエンディングを迎えるだろう。

芝が張られた明るい広場は、三方が水域に囲まれている。
そしてそのうちの一方向が、第三の証言者の地図に隧道が描かれている湖上の“半島”へ向いている。


さあ、どうなんだ!!




終了〜〜〜!!


お疲れ様でしたッ!


これは仕方のないことだ。

ダムが湛水を完了させる平成12(2000)年よりも前に、この隧道を知り得なかった時点で、勝負は決していたのだ。
堤高40mを越える片倉ダム湖の水深は、おそらく最も深いところでは30mくらいあるだろう。
その湖の全長の中間にあたるこの辺りの水深は、10〜20m程度だろうか。
路盤が河床より遙かに高い位置にあれば、もしかしたらの希望もあったが、
本日は完全に水面下という決着であった。

おとなしく、湖の水位が下がる日を待ちたいと思う。
千葉県内のダムの貯水量をモニタし公表しているサイトをときおりチェックしよう。
読者諸兄がボート釣りにでも行ったついでに湖面上から報告して下さるのも楽しみにしている。




長かった現地調査“結”の巻も、これにてひとまず「完」である。

今回の軌道跡は、全長にわたって目に見える遺構の密度は過去に例が無いほど少ない。
だが、この地にはまだ、林鉄の記憶を継承する住人が意外なほど多く存在していることが分かった。
このことも一連の探索の大きな成果といえる。まだまだ、解き明かせる余地はあると思える、そんな希望のエンドである。