小坂森林鉄道 濁河線 第3回

公開日 2014.8.17
探索日 2013.5.02
所在地 岐阜県下呂市

幻の上部軌道を目指して! (後編)


7:54 《現在地》

← 現地調達をした、今日の探索の“相棒”。

長距離の藪山歩き(とか廃道歩き)では、蜘蛛の巣払い兼ストック代わりになる手頃な木の棒があると良い。
既製品を持参する手もあるが、木の棒は状況に応じて(例えば両手を使いたい場面など)現地処分出来てしまえるのが気楽でいい。

気の許せる“相棒”もゲットして、いよいよお膳立ては全て整った。
ルートのデザインに始まり、チャリのデポと、車のデポ、入口と出口が全て整った。

後は、ここからもう一頑張りして上部軌道へ到達し、
そして、心ゆくまで収穫だ!



7:55 遊歩道を捨てて登攀開始。

全てが順調にいけば、おおよそ15分後には山腹を横断する軌道跡の平場に遭遇できるであろう。
また、理想的な形で探索を完了できるとすれば、今回この道を見る事はもう無い。見納めだ。




8:00 (5分経過) 《現在地》

木の棒を支えにして、ゴツゴツした浮き石の多い大変に歩きづらい地面を歩いていく。
既に四方を見回しても。あらゆる人工物が視界から消えている。
寂しさとクマの恐怖を紛らわせるべく、愛用(確かこの探索の頃から現在まで愛用中)のラジオSONY 山ラジオを最大ボリュームで流していた。

1分ごとにGPSの小さな画面を確認した。
今のところは順調に進めていると思う。
山腹を西へトラバース気味に上っている。目指しているのは、谷筋である。
最初から谷筋に入らなかったのは、歩くのが楽な遊歩道で少しでも高度を稼いでから山に入りたかったからである。
しかしこの歩きづらいトラバースだけで5分もかかっていることを考えると、遊歩道からいきなり谷筋に入っても大差なかったかも知れない。



8:11 (16分経過) 《現在地》

案の定と言ったら虫がよすぎるだろうが、やっぱり思った以上に時間がかかる。遊歩道を歩くときのようなペースではいかなかった。3倍どころでない遅速である。
地形的には左岸に較べればとても緩やかだし、足元の石に躓いて転倒する事にさえ気をつけていれば危ないわけでもないのだが、一向にペースは上がらない。

それでも10分少々歩いたところで目指す谷筋には入っていた。
谷筋といっても、実際には流れる水が見えるわけではない巨大なガレの扇状地のような場所で、その扇状に広がった緩斜面で“扇の要”を目指して上っている。
写真は16分経過地点の撮影で、扇の要に近付きつつある。最初は見えなかった向こう側の山腹が見えてきた。距離の上では半分を過ぎたようだが、標高の面ではここからが上りの本番。



8:16 (21分経過)

ガレ谷の扇頂へ辿りついた。
そこには目をみはるほど大きなカツラの木が周囲を圧するように立っていて、この谷筋の主というのがあるならば、それはこの木だろうと思わせた。
全般的に、この森は巨樹の森といって差し支えがなかった。
針葉樹と広葉樹の別なく、この谷筋には樹齢数百年を下らないだろう巨樹が十指に収まらぬ数あった。

そして私が嬉しかったのは、この谷筋を通路とすれば絶対に目に止まらぬはずがないこの“主”が、この地で林鉄と共に働いていた林業従事者の目にも止まっていたという確証が得られたことだ。
まどろっこしい表現になってしまったが、木の根元に半ば埋もれた古い林班界標柱を発見。
彼らが行動した痕跡を辿れば、その動脈的存在であった林鉄にもやがて行き当たるだろうという気がした。むろん、気休めだがな。



8:31 (36分経過) 

ガレ谷が本番を迎えております!!

ちょっと記憶が曖昧なんだが、確かこの辺で一休止して朝飯を食べたような…食べないような。
今になって写真とタイムスタンプを見返してみて、思いのほか時間を費やしていたことに気づかされている。
現場では相当夢中になっていたせいで、そんなに時間がかかっているとは思ってなかった。

このガレ谷を上る作業は、行者の岳参りを連想させた。
いわゆる、苦行ッス……。




8:39 (44分経過)

GPSで見る限り、私が今いる場所は標高900mを優に超え、上部軌道を擬定した950mの計曲線も間近である。
無論、計測値にも擬定線にも誤差があるだろうが、そろそろ出てきておかしくない位置である。

…というか
出てきてもらわなきゃ困る! マジ困るから…

不気味におっかないのは、私が今いるガレ谷である。
こいつは谷底だけがガレてるわけでなく、両側の山腹も等しくガレガレだ。
このガレの山に路盤が飲み込まれていたとしたら、見過ごして、踏み越えて、更に上部の不毛エリアに突入する危険があるかもしれない。



私の中に灯った、不安の火。

黙々とガレ場を歩くことの危険を、突如として認識する。 迂闊だったか!

もしかしたら、もう手遅れ?! しばらく下ばかり見て歩いていたのを後悔しても後の祭。

慌てて周囲を見回してみても、当然のように人工物なんて見えはしない。

自分がどれだけ歩いてきたのかさえ、記録がなければ定かでないほどの純然たる山野の跋渉だった。

きっと最後に見覚えがあると思える場所は、20分以上も前に通り過ぎたカツラの巨木だ…。


私は急遽谷底から離れて、向かって左の急な山腹に取り付くことにした。

とにかくガレ場から出ないと、そこにある路盤を見過ごす可能性が高い。

あてがあるわけではないが、この山肌をよじ登ってみよう。

決断が、遅過ぎていない事を祈る。



それから、わずか1分後だった。

林立する細かい立ち木達の中に、一際白く直立する1本を見出したのは。

それが電信柱という名の人工物であることを理解するのに、時間はいらなかった。

しかし、無人の山野に電信柱が突如現れるなどというのは、おかしな事で…




電信柱の背後には、

世の中の幸せをかき集めて作ったような平場が!!!

これはマジ嬉しかった。とりあえず最初に出会ったこの平場が、間違いなく軌道跡であることを願う。

祈りながら、電信柱になんて目もくれず平場へ向けて急斜面を最後の登攀する!! 

さあ、どうだった?




↑笑↑

恥ずかしげもなく、このガッツポーズですよ(笑)。

うざいと思った人は、小魚でも食べて落ち着いてね。

うざがられてもいい。これはガッツポーズ上等だった。

直前までだいぶ追い詰められた心境になっていたのに、すっかり忘れて笑ってるw




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上部軌道登頂直後から20分間の状況


8:40 (45分経過) 《現在地》

これが濁河線上部軌道の路盤。

昭和46年まで使われていたというから、これまで私が探索した林鉄の中でもイチニを争う“鮮度”。

とりあえず、灌木で藪っぽくはなっているが、路盤自体はよく見えていた。

この道を辿るのが楽しい事は、ここに辿りついて数秒で確信した。
そしてその確信が、ガッツポーズになったのだ。あのうざいガッツポーズ(&自画撮り)に。

対岸に見えた索道の停車場を見に行くのが楽しみというのもあったが、もっと予想外の喜びがここにはあったのだ。

この落ち葉に隠された路盤に……!




敷かれたままのレールが!!!

もはや確信があるので、勿体ぶって掘り返してのチェックはしないが、これは反対側のレールもきっとある。
だって、露出しているレールが枕木や犬釘に固定された状態で残ってるんだもん。
これはもう、廃止後の軌条撤去が行われていないことを意味している!!

これはもう、トンデモナイ事なんである。
「いや、別にたいしたことないでしょ」なんて宣う輩は、きっと恵まれすぎている。
少なくとも私というオブローダーにとって、林鉄に敷かれたままのレールを見つける事は最高の褒美であり、その嬉しさは橋や隧道など歯牙にもかけず、林鉄で見つけたいものの堂々たる第1位に輝く(あくまでも私の中でね)。




なぜそんなにレールを見つけると嬉しいかといえば、それはまず、林鉄跡で見つける敷かれたままの(←ここ重要!)レールが大変レアだからだ。

私がこれまで探索した本支線を合わせれば百を優に超す林鉄路線の中で、300m以上にわたって敷かれたレールが残っていた記憶があるのは… 何本だ? 10本あるか?
まずそのくらいだ。いくつか挙げてみよう。
300m以上レールが敷かれている探索済みの“主な”林鉄リスト。

  1. 大畑森林鉄道 (青森県)
  2. 追良瀬森林鉄道 (青森県) 廃線跡の記録 3」に執筆。
  3. 森吉森林鉄道 粒様線 (秋田県)
  4. 河内川森林鉄道 (福島県) 廃線跡の記録 3」に執筆。
  5. 入川森林鉄道 (埼玉県)
  6. 西沢森林鉄道 (山梨県)
  7. 土室森林鉄道 (山梨県) 廃線跡の記録 2」に執筆。
  8. 小坂森林鉄道 濁河線 (岐阜県) ←イマココ
※今後の楽しみを取っておくために、いくつかリストから除外したものがあるが、リストにないレール現存林鉄をご存じの方は、念のためご一報くださいませ! 情報求む! 


同じ産業用軽便鉄道というジャンルに括られる鉱山軌道と較べて、林鉄のレール回収傾向が著しく強いのは、その多くが税金を投入した公営の事業であったからだろう。
レールは林鉄の代表的な再利用可能資源であり高額財産であったうえ、高度に規格化されていたから、同じ営林署管内のAという現場で使わなくなったレールをBという別の現場で再利用するようなことが通常だった。対して鉱山の場合、中小は個人経営だったりして規格がまちまちだったり、鉱山同士の横の繋がりも弱いなど、レールの回収傾向が弱い。

なお、このように珍しくレールが残る林鉄にも、いくつかの類型(レールが残った理由)がある。
大畑や西沢は、観光目的でレールを残したと伝えられている。
入川や土室は、路盤保全用(レールや枕木が路盤の強度を高める)で残されたらしい。
そして森吉粒様や河内川は、災害のためにレールの撤去列車を走らせる事が出来なかった為、やむを得ず放置したといわれる。
追良瀬については情報が無いが、今回の濁河線については、これら3つの類型には当てはまらないかもしれない。

軌道廃止時点では、現在の終点側の車道(県道441号)は通じていなかったので、撤去したレールを運び出すためには濁河索道を利用する必要があったはずだが、膨大な撤去レールという重量物を索道で運び出す手間は、レールの売却益と比較して割に合わなかったのではないかと想像する。
特に昭和46年といえば、管内の林鉄が既に全廃されていた時期なので、他路線への転用という用途もなかった筈である。



そしてもし、

索道が原因で上部軌道ではレール撤去が行われなかったとすれば……!



私の前後には上部軌道全て、おおよそ8.7kmものレールが敷かれているというのか!!



こっ…こっこッ

↓↓


ここは天国ですか!!

アハ! アハハハハハハハハハハ

…ハァハァ…




9:00 《現在地》

レールに導かれ… というか、その熱に当てられて狂騒し、気づいたら20分近く歩いていた。
もと居た場所からは、だいぶ風景が変わってきている。さっきまでいた濁河川の見晴らしが素晴らしい。
まずはゴールとは反対の濁河索道の方へと向かっている。だから今歩いている部分は往復する。

この20分の歩行により500mを前進していたが、確信を得た。

上部軌道には完全にレールが残っている!! 埋もれている部分が多いが、確かにそれはある。

もう大変な事になった。知っていたなら、なぜ教えてくれなかった。知ってる人いたんでしょ。(でもいい、こういうのもいい)




この幸せは、
果てしなく続く。