道路レポート 国道360号 飛越トンネル旧道  第3回

公開日 2014.7.19
探索日 2014.5.31
所在地 岐阜県飛騨市〜富山県富山市


♪テュリテュリテュリ (←ワープ土管をくぐる音)

レガシイの現場を終えた私は、すぐさま戻って来た。
時刻は同日の正午を少し回っているが、探索すべき残延長は、旧道全長3.1kmのちょうど半分ほどである。
今度は時間に追われる心配はないだろう。存分に、攻略してやる!

そしてこの午後からは、午前の探索で自転車同伴による突破は難しいと判断された「大決壊」を新たな目的地として、反対の富山側からアプローチすることにした。


さて、こっちはどんな感じになっているのかな?




リベンジマッチ。 今度は富山側からアタック!


2014/5/31 12:09 《現在地》

ここは富山県富山市加賀沢。
前方に見える橋の手前には右へと入る道があり、そこが新旧道の分岐地点である。

この加賀沢という場所は、朝のスタート地点だった岐阜県側の小豆沢と同じように国境の村だったのだろうが、現在は大字名だけがあり、集落らしきものは見あたらない。
ただ地図や現地にある橋やトンネルにその名を留めているだけである。

私はこの新旧分岐地点のすぐ傍にある釣り人の御用達の駐車スペースに車を収め、そこから朝と同じように自転車で出撃した。
目指すは、朝の撤退地点の向こうに見えた路盤である。




これが旧道の入口。
朝の探索の成果を用いるならば、村道加賀沢小豆沢線の起点というふうにも言える。

入口は、路面に埋め込むタイプの簡単なバリケードで車輌封鎖されていた。
だが、「通行止」の表示や標識は無く、「落石多発・崩落により 通 行 注 意  富山市」という、考えようによってはオブローディングを受け入れるような看板が立っていた。
看板の設置者が富山市となっていることからも、これは村道降格後のものだろう。

バリケードの隙間から、いざ旧道へ入る。




旧道は初めこそ下りであったが、まもなく自分のあるべき高さを見つけたように平坦路となった。
そして高山本線の鉄橋をくぐる。
今朝の前半戦では、国道と共に宮川の谷を交通路として共有している高山本線の姿はスルーされていたが(一部の写真に写っていたがコメントするほど目立ってなかった)、この後半戦では最初からその存在感を見せてきた。

鉄橋の正式名は「宮川第一橋梁」といって、架かっているのは昭和7年に飛越線が開業した当初からの桁である。
とはいえ旧道の方が古参である事は間違いない。




飛越国境を渡る橋梁の全景を振り返り楽しむ。

橋梁史年表によると、本橋の竣工年は前述の通り昭和7年で、総延長は154m、径間数は7、形式として上路プレートガーダー6連と上路ワーレントラス1連からなる、山間部の割に川幅が広い宮川を軽快に渡る典雅な橋である。
だが、下に行くほど太くなるコンクリートの橋脚は、軽快な印象を与える橋桁とは真逆の重厚な迫力があり、激流に耐え続ける強さを現している。

ここが知られた撮影地かどうかは知らないし、そもそも鉄道写真家のような審美眼を私は持っていないが、旧道端の素朴な野原を前景に見晴らす橋の姿はたいへんに収まりが良く、機能的な鉄道橋の魅力が存分に発揮していると感じた。

そして鉄道が、国道の半世紀以上も前からこんな巨大橋を連発していたという事実に、改めて鉄道の黄金時代を見た気がしたのであった。



鉄道に較べて、我ら国道が歩んできた道のりは遙かに険しいものだったのだろう。

平成12年8月という最近まで国道だったこの道が、あってはならない姿になっていることを、ここで否応無く見せつけられたのである。
前進するうえでは見逃しようがない位置に見える、あの川縁の崩壊。

午前の私を撤退させ、今は目的地になっている大崩壊とは明らかに別の場所だ。

大崩壊は一箇所だけでなかったのである!!




この道路は何か天の罰を受けるような悪事でも働いたのであろうか。

そんな馬鹿げたことを考えたくなるほど、旧道化してわずか12年目の道は壊滅的に壊れていた。
わずか3km間に少なくとも3箇所の路盤全面決壊があるというのは、ただ事ではない。

それまで数十年間を存続出来た道路が、もし一挙にここまで壊されたとすれば、そこにあった災害は数十年に一度発生するレベルの“大災害”ということになる。

このことに考えが及んでも、具体的な災害を思い出せない土地勘が悲しいが、無知を補うべく帰宅後に調べたところ、これに最も該当しそうな災害としては平成16年23号台風(wiki)が挙げられる。

ウィキペディアの当該記事によれば、同台風による集中豪雨で宮川が氾濫した結果、高山本線の高山〜猪谷間で橋が流されるなどして最大3年間近くも不通になったとあるから、川縁の旧国道が壊滅的被害を受けたとしても不自然ではない。残念ながら旧国道や現国道の被害状況は不明であるが、旧国道(村道)の壊滅は(人的被害が無い限り)大きなニュースにはならなかっただろうし、そのまま復旧されず放置されとしても驚くにはあたらない。 (事情に詳しい方のご意見を求む)



12:13 《現在地》

出発から4分経過。300mほど入った所で、1本の橋が現れた。
午前中に見た橋よりは長く、また幅も広い。センターラインは敷かれていないが2車線分ありそうだ。
そして橋を渡った先が草地のように見えているが、そのすぐ先からは、いよいよ“大決壊”の現場のようだった。

先の事が非常に気掛かりだが、逸る気持ちをどうにか抑えつつ、廃橋の素性を開始する。
午前の橋とは違って、しっかりとした欄干と親柱を備えていたから、調べ甲斐もある。




まず橋の名前だが、「万才橋」と書いて、読みは「まんざいはし」というようだ。
「才」の字が少し変わった書き方をされていたので、読みを知るまでは「戈」や「丈」である可能性も疑ったが、万才橋で間違いないだろう。

万才橋。
佳い名である。
地名を取ったのでなければ、明治以前の古橋にありがちな嘉名(縁起のよい名)を思わせる名だ。
特に土木構造物においては、「万世」「万代」「万亀」など、その悠久性を象徴するような名前がとても好まれたのである。



だが、別の親柱に掲げられていた竣工年を見ると、意外に新しい橋であったことが判明。
「昭和42年3月竣功」であるという。

肉厚なコンクリート欄干など、雰囲気的には昭和初期の橋を思わせる所があったが、欄干の格子材に鉄管を利用している辺りは、確かにやや現代的といえる。

ここからは推測でしかないが、この橋名は明治17年の飛騨往還開通当時に名付けられ、継承されてきたのではないだろうか。
ここまで古色を瞭然とする名が、昭和42年になってからの命名とは思えなかった。



橋下を流れる小川は、ほとんど滝同然の急さを持っており、しかも水量が豊富であった。
ひとたび増水すれば、迸った水が路上に溢れ出るのではないかと疑われるほどだ。

こうした立地であるため、橋上には微かに水分を含んだ風が常に吹いている感じがあって、耳も目も心地がよかった。




橋上より振り返る高山本線の鉄橋と、その背後にぴったり重なって見える現国道橋。
この対岸は富山県である。

と、ここまで眺めたことで本橋に満足してしまったのは、午前中の学習を活かせていない迂闊な行動だったかもしれない。
だがこの時の私は、直後に待ち受けているだろう“大決壊”との遭遇に気持ちをだいぶ持っていかれていたので、観察力の低下はやむを得なかったと自己弁護してみる。




万才橋を渡りきると、そこには突然の終点が…。


もしかしてトンネルでもあってくれるのではないかという淡い期待は敢えなく潰れ、
まもなくの地点から目測200mにもわたって道がすっかり失われていることが見て取れた。


だが、実はまだこの段階では、

徒歩であれば突破出来るだろう

と、考えていた。なぜならここは水面との比高が大きくないから。




12:15 《現在地》

だが私のそんな温い思惑は、冷酷な現実により無惨に覆された。

この上の画像から、皆さんなりの突破ルートをファインディングしてみてほしい。

私も同じことを現場で試み、そして数分間うんうんと唸ってから、最終的に撤退を決した場面である。


多くの皆さんが私と同じ結論に至るのではないだろうか……。




←ここが戦犯。

その一言に尽きる。

なんという嫌らしい障害物。

この場所に出来上がった巨大なプールが憎たらしい。

半分くらいは間違いなく、かつて道路とその擁壁によって埋め立てられていた部分である。
それが今再び太古の昔と同じような天然の淵へ戻ってしまっていた。

私がこの大崩壊を突破しようにも、淵の右側の絶壁をへつる事が(見て分かるとおり明らかに)出来ない以上、藍色に深まった淵を泳ぎ越えるより無いのである。




改めて全景を俯瞰するも、やはり私には水に浸かる以外の突破ルートが見出せない。

腰や胸まで水に浸かることは我慢してもいいが、今日は水陸両用探索装置(WFK)と水没に耐えるカメラの準備がないのだ…。


だが、この撤退はもの凄く悔しい。
なにせこの撤退によって、朝の撤退地点とこの撤退地点との間に、約1kmもの未踏エリアが生じる。

地図に今も描かれていて、かつ旧国道という格式と整備状況を有した道に、完全なる未踏エリアを1km余りも残すのは、私にとって耐え難い“敗北”だ。

これは最終手段として、水泳も検討する余地があるかもしれない…。
絶対に、この先を探索しないのは我慢ならない。




“大決壊”の先に連なる、未踏の旧道。

まだ、あそこへ行くための手段が“水泳だけ”というわけではない。

未踏区間の中間部を、現国道と高山本線が橋で跨いでいるのだ。

次の手段としては、あの橋から旧道へ降りられないかを点検しよう。

橋をスノーシェッドが覆っているのがもの凄く憎たらしいが、

一応出口らしき扉は見える…。