国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編> 序の2

公開日 2009. 2.18
探索日 2008.10.11-12

スタートラインへの登攀


16:35

JRの送電線鉄塔に遭遇。
地図を見ると現在地の標高は1080m付近だ。
峠まではまだ400m近くも登らねばならない。

依然雨も降り止まず、しかも辺り一帯は深い霧に覆われている。

まもなく日没の時刻だから、今日はこのまま夜になるらしい。

なんだか、明日への希望を全く感じさせない昼の終わりだ。




本当に天気予報は当たるのか。
明日は晴れてくれるのか。
このまま大雨にでもなったら、遭難しやしないだろうか。
最初に渡った沢がもう渡れなくなりやしないだろうか。

くじ氏の背中を追う私の心は、空と歩調を合わせるように暗くなっていった。
しかし、すぐにもの凄い急坂が再開して、私のツマラナイ考え事も打ち切られた。




道はべったりと尾根にへばり付いているのだが、その尾根が急なので楽ではない。
ときおり雷光型に身を震わせて、尾根から振り落とされまいと頑張っている。

頑張っていると言えば鉄塔もそうで、最初の鉄塔が現れてからはほぼ一定のペースで現れた。

2本目の鉄塔のすぐ先のあたりで、道に覆い被さるようにヤマブドウのツタが伸びていた。
見上げると、手の届きそうなところにも沢山の実をぶら下げている。
ひと房もいで口に含むと、野性の甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。
ひとり暮らしをするようになってから、果物の甘さにはとくに幸せを感じるが、これはまた格別だ。

忘れなければ帰りに沢山食べようと、先を歩くくじ氏に大声で伝える。




足元の方から、じわりじわりと夜が這い上がってきた。

そして、遂に追いつかれた。


これは、そのときの景色。


明日はほんと、頼むぞ。



<初日、おわり>




自然な景色写真が撮れない明るさになった時点で、私にとっての「初日の探索」は終わった。
だから、この4本目(5本目かも?)の鉄塔の撮影を最後にカメラを懐に仕舞った。

しかし、登らねばならない坂道は、まだ続いている。


雨の降り方が弱まると同時に、今度は風が強くなってきた。
しかも去年とは違う、身を切るように冷たい風だ。
そして、すぐ近くの空中から、機械音のような不思議な音が聞こえてきた。


   …うおーん   …うおーん 


音は前から後ろから、或いは遠くから近くから、間断をつけて聞こえてくる。

それは、頭上の撓んだ電線が弦となって風に奏でる音だった。




非常に密な矮小木のなかに“掘られた”ような尾根道を、ヘッドライトの明かりを頼りに上り詰めていく。
ときおり脚を持ち上げるのが億劫になるほどの段差や急坂もあるが、序盤に比べればいくらかマシだ。

しばらくぶりに鉄塔が現れた。
そこは特別に風が強い場所だった。
相変わらず電線の音も聞こえるが、それよりも遙かに、耳の中で渦巻く風がうるさかった。
自分が喋っている声さえ遠い。

 →【尾根の強風レポート動画】

既に、標高1350mを越えている。
高度的には峠も近い。




18:07

本谷沢を渡って本格的な登りが始まってから、まもなく2時間半が経過する。
少し前から登りはほとんど無くなって、道は尾根から左側に逸れている。
地形図を確かめると、現在地はこの辺りのようだ。

私とくじ氏はそれぞれのペースで歩いており、次第に二人の間隔も離れていたと思われるが、前方にこちらへと向けられた灯りを見付けた。

…何かあったのか?




峠までの残りの500mは、地形図にはほとんど水平な道として描かれているが、実際には小刻みなアップダウンが何か所もあった。

それは表土ごと道が崩れた跡の岩場で、暗がりの中で慣れない大荷物と一緒に上り下り(せいぜい10m程度だが)するのは、とても気を遣う作業だった。

くじ氏は、この状況の変化を私に伝えるために、待っていてくれたようだった。
確かに不安を感じる道だ。
底の見えない滑落と、枝一本隔てられていない。


すでに峠が見えてもよい場所まで来ているのだが、闇と霧と風のなかで気配すら感じられない。
それどころか、2m先に突如岩場が現れる有様だった。
ちょっとでも気を許したら、自分の存在などたちまち風に散ってしまうのではないかという。そんな心細さがあった。




18:27 《現在地》

分岐地点を示す道標が現れた。

登り初めて3時間弱。
ついに清水峠の“肩”まで来た。
ここは峠よりも高く、1480mの標高がある。
目的地である山小屋は、もう目と鼻の先にあるはずだ。

立て札をよく確かめ、「朝日岳」という方に進む。
清水峠の真上にあたるこの場所も県境には違いなく、登山道的には分岐地点を兼ねるここが「峠」という扱いなのかもしれない。
「清水峠」へ下る道の行き先表示が、峠を挟んだ向かいの山の名前なので、少し戸惑った。




猛烈な北風に左から煽られながら、なだらかな尾根を下る。
まず現れたのは、3階建ての立派な三角屋根。
去年散々見せつけられた、峠と未到のシンボルである。

しかし、目的地はここではない。
この建物に入れればどんなに幸せかと思ったが、これはJRの鉄塔管理施設だ。(普段は無人)

われわれ一般の登山者にJRの好意で開放されている「白崩避難小屋」は、さらに30mほど尾根を下った場所にある。
母屋に対する物置くらいの控えめな大きさだが、その作りは頑丈そのもの。
2度目の訪問だが、宿泊するのは初めてである。
窓に薄いオレンジが灯っていた。
三連休だけに、先客がいるようだ。

何でも良いから早くこの大荷物を放り出したい!




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眠れない 峠の夜


18:32

小さな扉をあけ、小屋へ入る。
もワッ。 ムサッ。

土間を埋める靴・クツ・くつ。
登山靴売り場と見まがうばかりの大量の靴。
扉の周りにも、リュックやらシャツやらジャンバーやらストックやらが、所狭しと陳列されている。
ここはアウトドアショップか?!
まったく足の踏み場がないじゃないか。

これで人気が無ければホラーだが、当然その数に合わせて人がいた。
10人も入れば一杯になってしまうと思っていた小屋に、おそらく15人くらい横たわっている。
全員が、無言で横になっていた。まだ7時前だが、寝ているようだ。
予想外すぎる展開だ。
清水峠って、こんなに人気がある場所だったの?

それより問題は、我々二人の寝る場所がこの小屋にあるのかということだ。
扉を潜っても中に一歩も入れず狼狽えていると、先客の一人が気付いて、周りの人と詰め合って一人分の寝床を捻出してくれた。
ありがたい!


しかし、 我々はふたり だ。


とはいえ、もうひとり分何とかなりませんか…とは言いにくい混雑具合。

しかも、小屋のなかは依然眠りの空気に包まれている。
ここでガヤガヤと“寝かた”の相談をするのは気が引けた。

とりあえずこの(重大な)問題は後回しにて、夕食を摂ることにした。




小屋の中には我々がコンロを囲むスペースはなかった…。

やむなく小屋を出る。
そして、入口前に3段ある階段でコンロを広げた。出入りの邪魔になると思ったが、そのときは移動させよう。
小屋を風よけに使わないと、猛烈な風のためまったくコンロに着火出来ないのである!

鍋に水を注ぎ、中にレトルトのご飯とカレールーのパックを入れる。
しかし、たびたび突風が巻き込んできて火を消され、なかなか沸騰しない。
一体いつになったら食べれるようになるのか。

それにしても寒い。持ってきた服を全て重ね着してもなお寒い。
これは絶対に外では眠れない。つうか、寝たら死ぬ。







……




そろそろ良いかと思ってご飯を紙皿によそる。ルーをかける。缶詰のヤキトリを開ける。
食べる。おいしくない。なんだこりゃ。くじ氏も苦笑。ご飯が全然炊けて無くて芯がすごい。でももう戻れない。食べるしかない。
ヤキトリはおいしい。カレーのルーもおいしい。寒すぎてスプーンを持つ手が痛くなってきた。
もう一度お湯を温めて、コーンポタージュを飲む。
夕餉終わり。
パッと片して小屋へと逃げ込む。

だが、そこに安眠の場所は無い。




19:00

結局どう頑張っても寝床はひとり分しかない。


今思えば、くじ氏と時間で交代して寝床を使えば良かったわけだが、私はそんな提案をするのも何か申し訳なくて、くじ氏に譲った。
しかも、強がってこう言った。
「ああ、このくらい楽勝だよ。立ったままでも俺は眠れるから。チャリに乗りながら寝る男をナメるなよ…(笑)」。

登山靴の山を寄せて、土間に寝るか。
しかしそこでは踏まれかねないし、人の靴を勝手に動かすのも気が引ける。
トイレが奥にあるが、そこで寝ていては邪魔だろうし、流石に“フルオープン”のトイレなのでキツい。
お前らリュックどかせやコラ… なんて、眠っている人を起こしてまでお願いすることじゃない。

やべー。
これは自分が思っていた以上にピンチだ。
一晩くらい眠らなくても、人間死にはしないが…。




白崩小屋の見取り図(テキトー)。

建物の外壁は二重になっていて、寒さを凌げるようになっている。
出入り口の前後には3段の急なコンクリートの階段があり、そこを通って屋内に入る。
内側の建物の広さは8畳くらいだろうか。1m幅の土間を挟んで両側に高くなった床張りの寝台がある。
また、そこは二段ベッドのような構造になっていて、全部で10人は余裕で収容できる。
しかし、そこに今日は15人くらいいたと思う。
内壁と外壁の隙間は物置やトイレになっていて、JRの管理施設らしくなぜか枕木も沢山置かれている。
残念ながら横になれるスペースは無い。

え?

図にある “にんじんの切れ端” みたいなものは何かって?



それ、私だ。

結局寝床が無いので、階段に横になった。
自分の荷物で段差を埋めたりして無理矢理。

いくらがさつな私でも、ここで眠るのは大変。
すきま風が入ってきて寒いし、干してあるものから水が滴ってくるし、数人かがタバコを吸いに外へ出るたび立ち上がってどかなければならないし、「そんなところで眠れますか」って聞かれる度に“コンビニ譲り”の笑顔を返してしまうし…。

たぶん死ぬまで愛想だけは良いだろう自分が、ちょっとだけ嫌になった。











夜が長すぎる。

午後7時過ぎから、朝になるまで“それ”は続いた。

周りがすやすやと寝息を立てるなか、冷たい石とすきま風を枕に、ただ丸まっているしかなかった。


…コンビニ行きたいよ。 コンビニ。






本当に一睡すら出来なかったのは自分でも意外で、私の身体は思うほど疲れてなかったのかも知れない。














待ちわびた朝


2008/10/12 5:37

目覚ましのアラームが方々の寝袋から同時に響く。
ハッとして時計を見ると、午前4時。
最後に時計を見たのは午前3時45分だったから、15分だけ意識を失うことが出来たらしい。

それを合図に、多くの山男山女たちが活動を開始した。
こいつらみんな…健全すぎんぞ。聖職者か?
こうなると、9時間かけてやっと重くなった目蓋ももう閉じられない。
それどころか、ほとんどずっと立っていなければならなくなった。
小屋の中は右に左に人の動きが出てきて、そんななか入口に人が寝っ転がっていては邪魔だと思われるに違いないからだ。
相応に愛想も振りまかねばならなくなった。
同情するなら寝床が欲しかった。


小屋の居心地があまり悪いので、外へ出てみる。



風はまだ少し強いが雨は完全に止んでおり、扉の面する関東平野の方向は遠くの雲が切れていた。

これならば大丈夫そうだ…。

一度、二度、三度と深呼吸する。



この眺め、たしかに清水峠だ…。


来たんだな。 またここに。




もう…、こうなったら仕方がない。 




前夜の “苦行” を無駄にしないためには…

なんとしても 今日!


清水国道を仕留めて帰るぞ。





私はひとり、目的とは反対にある上州の山に向かって、コブシを握りしめた。




朝の明るい山、旅立ちの山。

それは、全てを前向きに変えてくれる。

悶々とした自己嫌悪も、役に立たない眠気も、清冽な風が一瞬で流し去った。


1年待った今日が、いま始まる。


<2日目、スタート>





気持ちよさそうにまだ眠っているくじ氏に、何度も嫌がらせのちょっかいを出しながら、目覚めるのを待った。

くじさん、ほんとうに気持ちよさそうな寝袋にくるまってるなー。
私が中学生の時に4千円で購入した、デカイだけで何も暖かくないうえに、チャリ馬鹿トリオの汗がカビとなって染みついた寝袋とは、根本的に違う。
私のは“ねぶくろ”だが、彼のは“ Schlaf ”だというくらいに違う。


午前5時過ぎにくじ氏も目覚め(目覚めさせ)、手早く朝食を摂る。
インスタントのパスタにレトルトのソースを絡めて食べた。
小屋の中だとちゃんとコンロも炊けるし、柔らかくて温かくて美味しい。

この頃になると、一人二人とそれぞれの山へ旅立ち、最後は我々だけが小屋に残った。




我々はもう一晩この宿を借りる予定なので、前夜の轍を踏まぬように、あらかじめ良さげなスペースを寝袋で確保しておくことにした。
大がかりな荷物もここへ置いていくのだ。

 ウフッ  今夜は幸せな夜になりそうだ。

 …踏破出来ればだけど…。


食事後は速やかに荷物の仕分けを行い、旅装を調える。

攻略への橋頭堡は、無事に帰るべき仮初めの家となった。









午前6時24分、 出発。

目指すは清水国道、未到の領域

サンテンハチキロメートル。