国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編> 第5回

公開日 2009. 3. 3
探索日 2008.10.12


本谷徒渉


2008/10/12 9:19

2時間40分におよぶ藪との格闘の末、ようやく辿り着いた本谷徒渉地点。
そこで我々は「女神」に出会った。

廃の女神は、その麗しく神聖な裸体を横たえて、汗と草露に濡れた我々を悦楽へと招き入れたのである。

渡河の成否さえ危ぶまれていた本谷には、橋台が現存していた!
なんと甲斐甲斐しい橋台だろう。
橋台(正確にはその前後の築堤部分)が残っていてくれたおかげで、我々は危険な崖の上り下りをすることなく、全行程中最大の難所と目されていた本谷を悠々と越える事が出来るのだ!

それは、オブローダーの本懐遂ぐべきという好展開だった。




現在地は、今回踏査目標である3.8kmのちょうど中間、1.9kmの地点である。
要した時間は前述の通り2時間40分。
このままのペースで最後まで進むと仮定すれば、目的達成はちょうど正午頃ということになる。

これって、計画よりかなり遅れている。
正直、やばいかも…。

今回の計画では、目的を達成出来たとしてもその後、峠に戻らねばならないのだ。
そこには大切な寝床と荷物が我々の帰還を待っている。

私はこれまで、出来るだけそのこと(往復だということ)を意識しないように注意しながら歩いていた。
そうしないと、決して楽ではない一歩一歩に迷いが生じることになる。それはつまり、現状への集中力を欠くという危険をも意味している。

だが、このまま進めば折り返しが昼を過ぎる可能性があるというのは、探索自体の成否とも関係する重大な現実だ。

残りの体力と相談しながらも、出来る限りペースを上げて進む。
それを「後半戦」における「我々の方針」としなければならなかった。


はっきり言って、死人に鞭打つような酷い方針だと思った。


私は、反省した。

朝の出発を、もう1時間早めることは、物理的に可能だった。
そうすれば良かった。

前回1日で歩いた距離(約9km)の半分より遙かに短い3.8kmという数字に騙されていた。
もちろん往復だから距離が倍になることは分かっていたが、帰りは行きよりも楽だろうというような前提が、なんとなく意識のなかにあった。
だがその前提は、行きに帰りの道を“作っている”場合にのみ成り立つのである。たとえば藪を払うとか…。
今回そのような事が全く出来てないうえ、帰りは(問題になるほどではないが)登りになるという条件だ。
さらに、一番肝心な体力の消耗を考えていなかった。

おそらく、帰りに要する時間は、行きの20%増しくらいを見るべきだったのだろう。


こんなに嬉しいはずの場面なのに、私は顔に出さないように気をつけながら、重い反省を繰り広げていた。
靴を脱いで確かめてみた右足土踏まずの痛みの原因が分からなかったこと(ズキズキではなくヒリヒリなので致命的な関節系のダメージでは無さそうだったが)も、気持ちを下げる一因だったと思う。

誤解しないで欲しい。
探索は失敗したなんて、私は書いていない。
成否の結論はまだ先だ。
タイムリミットが来るにしても3時間近くも先だし、まあ少々無理をして延長すること(=帰りは夜になるリスクを背負う)もあり得ない事じゃない(つうか我々ならヤルだろう)。
いまはまだそれを心配しすぎるべきではない。
それよりも、道の状態だ。


心は揺れたが、結論はそこに行き着いた。
この間、食事を兼ねた8分間の休憩であった。




9:27

さて、脳内終了。探索再開。

120年の歳月を(おそらく)耐えて我々の前に姿を現した橋台の石垣だが、実際にはどの程度の現存度合いなのだろうか。
ぱっと見で「良く残っている」ようには見えたが、しかし肝心の胸壁(橋台の川に面する側の壁)が崩壊しているため、どの程度破壊されているのかが分からなかった。

いや。
よく見ると「○」で囲んだ部分に胸壁の一部が残っている。
これによって、対岸の橋台の位置を特定することが出来た。
あとはこちら岸の状況次第で、橋長が判明する。

それにしても、良くこれだけ残っていたと思う。
本来の谷幅に対して築堤が3mくらいも張り出しているが、空積みの石垣では流水の打撃にあまり耐えられないはず。
それが残っているというのは、そこまで水かさが増すことはほとんど無いという証拠だろう。
大きな本谷だが、ここは源流に近く、洪水が発生する余地は少ないのかも知れない。




これがそんな本谷の上流。

そこには、天に櫛比する新潟群馬の国境稜線がある。

いままで段階を踏んで徐々に近づいてきたがゆえ、この“巨大な景色”を前にしても私は平静でいることが出来た。(人は巨大なものを前にすると妙に興奮するものだ)
しかし、普段から沢の源流を詰めてピークへ立つことを生業とするくじ氏にとっては、心を奪われるほどに魅惑的な眺めであったようだ。
問わず語りで(彼の場合珍しい)、「きつそうッすねー」とかゴロニャン。
目が逝っているランランとしている。
いや…、確かにキツそう(つうか俺は無理)だが、我々が目指す方向はそっちじゃないぞ。
帰ってきてくれ。

私は、「今度は沢の仲間と一緒に来てみればいい」と言った。
彼はなぜか即座に拒否した。



渡河地点のすぐ上で本谷は2つの同じくらいの谷に分かれている。
そして、左の谷はさらに上でまた2つに分かれている。
この3つの谷を(清水国道とは直接関係ないが)説明上南から順にA谷,B谷,C谷と呼ぶことにする。

なお、清水国道がここを本谷渡河の地点としたのは、3つの谷を渡る必要がなく、かつ山腹に対する本谷の掘り込みが一番浅いところという事だったのかも知れない。
まあ、地図を見る限り前後の道路勾配はほぼ一定なので、そこに深い作為は無いのかも知れないが。
ぶっちゃけ当時の技術とこの地形では、実際に工事を始める前に詳細な測量が出来たはずはない。
前人未踏の山中に3年がかりでにルートを見いだした技師(宮之原誠蔵という人)は、マジで天狗じゃねーかと思う。
もしも彼が三島通庸の部下になっていたらと考えると恐ろしい。山形から東京まで奥羽山脈の稜線を辿ってくる道とか設計しそうだ(笑)。




近くの草むら斜面を伝って谷底のゴーロへ難なく降りる。
そして純度100%のミネラルウォーターで軽く喉を潤す。

流れだけを見ていれば、その辺の里山の小川と何も変わらない穏やかさだ。
しかし、そこから見渡す景色の広がりは半端無い。
谷底とは思えない景色だ。
そしてこの強い風も、我を忘れることを赦してくれそうにない。

しかし、去年もっと上手く行っていれば、ここで夜を迎えた可能性もあった。
両岸にある橋台の上の草むらなんて、風さえ上手くしのげればどんなに寝心地が良かっただろう。
夜の星は、町の灯りは、どんなだっただろう。




そして、進路を見定める。

先ほどまで傍観していた「対岸のライン」が、間もなく我が元となる。



 …なんか、 薄れてきてねーか…?






太陽を背負った「地蔵ノ頭」。


あんなノコギリ頭が地蔵だと?
パンクロックヘッドの方がいいんじゃないか。


地蔵ノ頭という名は(現地では)知らなかったけれど…



思わずその影に向かって頭を垂れ、


「無事の再会」を祈った。


後半戦、始まる。




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右岸踏破の始まり


9:29

 オイオイ…。

道はどこに行った。


空は近いが…。

道はどこへ行ったんだ。

対岸にいたときにはあんなに鮮明に見えた(証拠写真)道が、なんなんだこの有様…。

初手からこれでは、全く先行きが危ぶまれる…。




ちなみにこれが左岸の橋台。

残念ながら現存しない。
しかし、そこへ繋がっていた築堤が10mほど残っている。

これは廃道経験上での新しい法則の発見だったが、藪が薄い場所の地下には砕石の築堤があると言うことなのだろう。
100年経とうが、石の築堤は木の進入を完璧に防ぎ続けているのだ。
逆に言えば、それ以外の激藪には築堤は無かったと言うことだな…。




ほんと、大丈夫かこれ…。

10分間藪の外にいただけで、もう探道ルートファインディング眼が衰え、身体が植物に対して拒絶反応をしめしやがる…。


…いや。
これはそうじゃない。
そもそもの道が無くなっている。

右にある一枚岩は、法面の代わりに違いない。
ならば、その下に道がなければおかしい。
だが、明らかに平場は無い。

イコール、早速埋もれている…。




しかし、選択の余地はない。

少しでも足を踏み入れると、午前8時台の京王線特急新宿行きの車内なみに私を押し戻してくる。
普段は押される一方で押し返せないというコンプレックスを持つ(だから満員電車は大嫌い)私も、相手が藪となれば話は別だ。
親の敵とばかりにグイグイ行く。
踏んで捻って引っ張って押し分けて、とにかく自分の身体が藪に対して相対的に前進出来るよう、小魚のような活発な動きを見せる。

一体ここはどうなっているんだろう。
藪が凄まじすぎて全然地面のありかが掴めない。
まさか空中に浮いて進んでいるわけではないのだが、道がどこへ消え、私がどこへ向かえばよいのかという情報を、視覚から得ることが出来ない。
ただ、掻き分けているうちに下の方がかなり急斜面で切れ込んでいることが感覚的に分かってきたので(まだ谷底は遠くないのだから当然だ)、上へ上へを合い言葉にトラバースを続けた。




本来の道の高さからは、たちまち10m近くも登ってしまった。
あまりに斜面が急なため、トラバースとはいっても横成分を大きく取れず、進むためには登らざるを得なかった。

そして、ブハッと藪から頭がでると、頭上にはままま、魔王が。

どこが目鼻口だと説明を求められても苦しいが、とにかくこの存在感。
紛れもなく、魔王である。
見下ろす王者の威圧感と、私に向かって転げてきそうな圧迫感があった。

物理的に無理がありそうな形をした大岩がこうして人知れず立ち尽くしている姿を見ると、私は水木しげるが描くある妖怪(というか怪異)を思い出す。
それは確か南米のほうに伝えられている話で、重力を無視したような不思議な地形を見せるのだ。
だから何だったのか、名前は何か、そう言う肝心なところは全然覚えていないのに、独特の線画で描かれた不思議な大岩の景色だけは忘れられない。

目前の藪に沸騰していた私もここで我に返り、今度は下りながら道の続きを求めることになった。




9:37

あーー
道だ〜…。

ここまで、道を全く見失った状態が3分ほども続いた。
「対岸からは道が見えていてもこの有様か」と、先行きに対してもの凄い不安を感じさせる右岸戦の始まりだった。

しかしともかく、第一の難所は突破した。

スカイラインを見せる遠景も前半戦からは総取っ替えとなって、ピョコンと頭ひとつ出した特徴的な高峰が見え始めた。
前回も我々の挑戦を遠くから見守りつつけた、お馴染み上越のマッターホルンこと大源太山だ。




ちょっとだけいまの場面を振り返ってみたい。

この写真は、激藪に突入する前に橋台のところで撮影したものだ。

こうやって見ると、30〜50m近くにわたって大々的に路盤が斜面に消失している様子がうかがえる。
埋もれた部分もあれば、崩れて流れた部分もあるのだろう。
はっきり言って、ここは風化しすぎていてよく分からない。
また、対岸から道が見えたと思っても、それは前後の直線を無意識に延長してしまう錯覚もあるかも知れない。




現在は、こんな感じで対岸(さっきまで歩いていたところ)が見えている。

こうやって見る限りでは、こちらの険しさと大差がないように見える。

あまり意味がないとは知りながら、そんなことを励みにしながら先へ進んだ。




今度は岩場の道が続いている。
これはあまり左岸には無かった風景だ。

岩場は灌木の藪よりもペースは稼げるが、どちらが安心して歩けるかと言えば藪の方だ。
岩場は滑落や落石の危険が藪の中より大きいし、それよりも何よりも、いつ「進めないほどの崩壊」が現れやしないかと、ひやひやしっぱなしなのだ。
精神衛生上よろしくない。
それも左岸にいた頃ならば、仮に進めなくなっても対岸に迂回して…なんて考える余地はあったが(現実性はともかく)、今やこの“一本道”が尽きてしまえば打つ手無し。
時間的にも、今回の探索はそれで打ち切りとせざるを得ない状況だ。

右の写真は、法面の岩場を撮してみた。
この様に自然石の岩盤は酷く風化している場所もある。触れただけで崩れそうだ。




隣の芝生は青いではないが、やっぱり気になる対岸。
廃道は歩いてももちろん楽しいけれど、こうやって見通せると味わいは何倍も増す。
それが未踏の場所であれば挑戦心を駆り立てられるし、既踏であれば征服欲が満たされる。
また単純に、道の置かれた風景(環境)を道と同時に眺められるというのは、その道を理解する上での大きなヒントになる。

そんなわけで、やっぱりあった。
気付かず踏んだ石垣が。
それほど大きなものではないし、おそらく帰りも気付かず過ぎるだろうけれど。
ともかく、路上に炭焼きの窯が無いと石垣が残っているというのは、新しい法則性として理解しておこう。




9:41

右岸に移って12分経過。

もの凄い藪に囲まれていて周囲の状況はよく分からないが、道を横断する小さな凹みがあり、そこを音もなく少しの水が流れている。
唯一見通せる山側には、城壁のような岩山が直立している。

そんな特徴の少ない場所だ。




しかしこの現在位置、来る途中に対岸から撮影した写真を見れば、それなりに特徴的な場所であった。

標高1820mもある高烏帽子山の山頂付近から、まるで背骨のように連なる顕著な岩尾根。
そのうちの大なる2つに挟まれた沢というか、全体が滝のようになった谷筋に、我々はいたのである。

広い日本。
おそらくこんな谷でも登った人はいるんだろうな…。




藪から出られたと思ったら、冷たい岩場がこんにちわ。

うわ…。


 ちょっと…。


はじめて、ちょっと 怖かった。

進めなくなるんじゃないかという恐怖を、はじめて感じた。

この俎板のような岩場の下に、へばり付くようにして進むのだろう。
なんとか大丈夫そうだ…。




(←)
通れる余地はぎりぎり1m足らず。
下を見れば、妙にスッキリしております。
まるで鳥になったかのような浮遊感さえ感じます。

(→)
狭いところで壁を見るのは好きじゃない。
なんか押し返されそうな感じがするからだ。
こんな堅そうな岩盤に穿たれた確固たる道であっても、崩壊することはある。
そして、そんな道が失われたときにこそ、本当にヤバい場面が現出する…。

ここはそんなオブローディングの法則を思い出させる、気付きの場であった。
我々が一番恐れているアノ現場は、一体どうなっているのだろう…。




9:46

第二の難所を突破して、再び雌伏の時来たる。

お馴染みの灌木激藪帯に突入。
一度足元の薄い恐怖を感じた後だけに、妙にこの藪が心地よい。
山に(ここで言う山とは、私の古巣、秋田の里山だ)抱かれた心地がする。
今すぐ岩場に突き出すような冷たい真似は決してしない、それが私の心の中の里山だ。

この「負けられない」場面では、退屈だけど安心だった里山が愛おしい…。




進むほどに谷は遠く深くなり、危険の度合いを増してゆく。

しかし、何も好きこのんでこんなに身を乗り出すほど路肩へ寄ったのではない。
檻のような灌木がみな谷側へ傾斜しているため、やむなく路肩へ押しやられたのだ。
そして一度押しやられると、これに反抗して進路を正すのは難儀である。

気付いたときには、路肩が石垣に変わっていた。
まず大丈夫だと思うが、何十年も踏まれていない石垣に体重を預けるのはやはり怖い。
局所的な加重で、突然崩れないとは限らない。




そんなわけで、石垣はやっぱり対岸から眺めるに限るのである。
先ほどあれだけ大騒ぎして、美人がどうのメーテルがどうのとまで騒いだ石垣、大石垣だが、上から見るとこんなもん。
左にちょこっと写っているでしょう。

とにかく、谷の険しさだけは感じていただけると思う。
もう、二度と降りられないだろう。

そしてまた、この石垣の発見によって現在位置を特定することが出来た。




石垣の上が現在地。
地図と照合すると、本谷からだいたい300m来た地点だ。
この間、25分を要している。

問題の尾根(高烏帽子尾根)までの残距離は、約200m。

もうすぐ…。






早くも佳境を迎えた清水国道リベンジ戦。

その成否は、次回で決まる?!