国道291号清水峠 隧道捜索編 <最終決戦> 第1回

公開日 2012.11.18
探索日 2012.11.03


今回の計画ルートである“本谷遡行ルート”は、スタート地点である清水集落から居坪坂までの区間で、現役の車道や登山道を利用することが出来る。
具体的には、清水集落から国道分岐までの3.2kmは国道291号を、そこから檜倉沢出合までの3kmは砂防工事用道路を、さらに居坪坂までの1.4kmは登山道である居坪坂新道を利用する。ここまでの7.6kmは一般的な清水峠の登山ルートである。
そしてこの清水集落〜居坪坂間は、これまでの4度の探索で最低1度は通行したことがある。

今回は初めて日帰りでの探索を目論んでおり、必要最低限の装備品しか持ち込まないことで、探索のスピードを重視する作戦でいく。
そのぶん、イレギュラーな事態に陥った場合のリスクが高くなるので、それもあって特に単独行は避けたかった。

より具体的なプランとしては、清水集落を午前6時の夜明けと共に自転車で出発。
檜倉沢出合までは自転車で進むことが出来るはずだが、道路状況に応じて徒歩に切り替えて進む。
そして今回の探索の事実上のスタート地点となる居坪坂までは、出発から2時間での到着を目指した。

だが今回、出発前に大きな不安材料が…。




尊大なる清水峠  清水集落〜檜倉沢


2012/11/3 5:57 【現在地:清水集落】

また雨か…。

前夜遅くにいつもの駐車場へと辿りつき、車泊をしていた私は、ときおり屋根を激しく打つ雨音を苦々しく聞いていた。
やがて空が明るくなり始め、それと同時に遠路はるばる秋田から“来清”のHAMAMI氏が到着したが、雨は断続的になおも降り続いていた。

実はこの天気は、予報通りだった。
今日の新潟県中越地方の天気予報は曇り時々雨、降水確率は30%と高くはなかったが、天涯の如く雲が集まる上越国境において、この確率で雨を避けることは至難だろうと考えていた。

もっとマシな日を選べなかったの?



今期に合同調査をするためにはこの日しかなかったのだ。
そして、天候の急好転に賭けた一縷の望みが絶たれた今となっては、私とHAMAMI氏には天与の条件を受け入れて、全力で探索に挑むよりなかった。

今回は沢歩きをするとは言え、幸いにしてそれは本当に源流の部分に限られている。
よほどのことが無い限り、水量が多すぎて遡行できないような事は起きないと考えていた。
…こういうのを、希望的観測というのかも知れないが…。

午前5時57分、ほぼ予定時刻通りに清水集落の駐車場を2台の自転車は出発した。
そのときの駐車場には我々2人の姿しかなく、さらに集落を見回しても灯の見える窓はなかった。

誰にも見送られず、清水国道<最終決戦>は開戦した。



6:05 【現在地:一般車両通行止ゲート】

四度、このワイヤーゲートの前に闘志を持って立つ。
一度目と二度目は隣りにくじ氏が居て、やはりMTBに跨っていた。
三度目は番組スタッフ三名にカメラを向けられながら、このゲートをしずしずと越えた。
毎回無事に戻って来れたが、今回もそう願う。

なお、今回HAMAMI氏が乗っている自転車に見覚えがある読者さんもいるかもしれない。
この自転車は私の先代の愛車だ。
度重なる探索の無理が祟って平成23年に不調となり退役、その後は秋田(実家)滞在時の街乗り用になっていたのだが、HAMAMI氏所有の自転車が清水国道に相応しくない(ロードバイク)ということで緊急復活を遂げたのである。ちなみにこの自転車が清水峠に挑むのは、今回が初めてだ。

戦いの場所へ、ゲート・イン!




ぎゃあああ!!!



………
……

………最低。

雨だけじゃなく、雪もかよ…。

夜のうちは全然気付かなかったが、上越国境線の山並みには、既に白魔が襲来していた。
昨日の中越地方の天気は雨で、予報だと最低気温9度となっていたのを見た。
ぎりぎり大丈夫だと思っていたのだが、標高1000mを越える山上では降ってしまったか。



強がった。

私は精一杯強がった。

「これはまあ、想定の範囲内だスよ。
雪があると言っても、気温的に氷結まではしていないだろうから、多少歩きにくいと言うだけで、探索続行不能にはならないと思うスよ。
サラッとだと思うスし。」

HAMAMI氏にそう語る私の口元は、微妙に歪んでいたことだろう。
そもそも、生粋の雪国育ちであるHAMAMI氏にこんな事を言うことが、いかに虚しいか…。

HAMAMI氏も行くだけ行こうという態度に変化は無かったが、仕事を一日休んでまで清水峠に来てくれたのに、この状況は誘った人間として正直申し訳なかった。

もし過去に1度でも今回のルートを経験していれば、或いはせめて、本谷の状況についてネットなどで事前情報が得られていたのであれば、この積雪の状況を見て、それだけで進退を結することが出来たのかも知れない。
だが、我々には判断材料がない。
実際に当たって砕けるか、或いは成功させる以外、この積雪を前に「どうするか」という判断は出来なかった。

魔の山の奥へ奥へ、進んで、入っていくしかなかった。



6:28 【現在地:国道分岐地点】

ゲート・インから23分で、清水国道の探索者には象徴的地点である、国道の分岐地点に到達した。
出発から3.2km地点である。

上にさり気なく比較写真を入れたが、実は去年(平成23年8月)の探索時から今回にかけて、清水国道に大きな変化が起きていた。
それは何かと言えば、ゲートからここまでの国道は大半が未舗装であったものが、今回は簡易ながら舗装されていたのである。

この舗装が行なわれた経緯は恐らく、平成23年7月に各地で大きな被害を及ぼした新潟福島集中豪雨からの復旧事業と思われる。
去年の探索では、上の写真ように清水国道は随所で土石流で崩壊・埋没しており、予想外の苦労を強いられた。
よもや放置はあるまいと思っていたが、1年以上たって旧状に復元どころか、パワーアップして復活していたという、今回これまでの展開では唯一の“好発見”だった。

国道はこの分岐を左だが、今回もこれを無視して、右の砂防工事用道路兼登山道を行く。



分岐を過ぎると道はひとしきり下り、登川の河原まで一旦下りる。
そこで支流の東屋沢を洗い越しで越えるという部分は、平成20年の第三次探索(序1回)の通りである。

そういえば、あのときも天気は出発時から霧雨で、パッとしなかった。
しかし、実際に清水国道を探索した翌日は晴天となり、探索には成功したのだった。
今回は、今日このまま清水国道の核心部へ向かうので、ミラクルはおきないだろうなぁ…。
思えば、清水国道の探索で全く晴天のうちに全うできたのは、第一次探索(未レポート化)だけだったな。

それはそうと、この登川の河原沿いの区間は、前回(第四次)の探索時、大量の川石が土砂と共に路上に堆積し、完全に道の姿が消え去っていた。
それが今回はすっかり旧状に復していたのである。
大変な作業だったろう。




6:35 【現在地:登山道分岐地点】

この場所までは、新潟側から清水峠を目指す者のほぼ全員が目にする風景である。

東屋沢を過ぎてすぐのこの登川の河原で、道は再び2本に分れる。
右の道は登山道で、清水峠への最短路である十五里尾根の登山道はもちろん、今回向かおうとしている居坪坂新道の登山道も、本来は右の道を行くのが順路である。
だが、居坪坂新道へのアプローチは、砂防工事用道路のほうが(自転車にとっては)便利である。
これを利用することで、この先の檜倉沢出合まで自転車に乗ったまま進むことが出来るのである。

しかし、この工事用道路を“こちら側から”辿るのは、今回が初めてだった。
第一次探索では自転車で、第二次探索では徒歩で、それぞれ向こう側から通行したことはあったのだが。
しかもこの“初体験”が、予想以上にハードだった。




砂防工事用道路は、一旦降り立った登川(丸ノ沢出合以降は本谷と呼ぶ)の河原を離れ、猛烈な勢いで山腹の高い所を目指す。
その勢いたるや、かなり前に分れた清水国道の下方30m(標高差)へ一時的に追いつくほどで、恐らくこの辺りから清水国道の序盤へショートカットする近道も開発が可能だろう。

前述の通り、この坂を自転車で登るのは今回初めてだったわけだが、まさに心臓破りの坂道とはこういうのを言うのだと思った。
数字で表わすと、最初の1.2kmで標高750mから900mまで150mものアップがあったのである。
平均勾配は余裕で10%を越えており、急坂がやや緩む写真の地点(標高900m付近)に辿りついた時には、『廃道をゆく4』の執筆もあって2ヶ月間くらい本格的な探索をしていなかった肉体は、早くも悲鳴を上げそうになっていた。

…でもこれが“入口”なんだよな……。

本当にまだ、ただのアプローチに過ぎない。




一回り以上も年上ながら、数多くのマラソン大会と自転車レースに参戦し、
私から“スーパーお父さん”として親しまれているHAMAMI氏は、本当に頼りになるオブローダー。
不慣れなはずのMTBをいとも容易く乗りこなし、この急坂をものともせず前進していった。

だが、

彼が見据える清水の峰々は、あくまでも尊大であった。

我々とて、それなりに百戦錬磨を自負している。
清水峠に関しても、敗北は経験したが、確実に解明を進めてきたつもりである。
しかし、そんな我々を五度も腹中へ通しつつ、
それでも媚びるような素振りは少しも見せていない。
いい加減観念し、晴天の元に全てをさらけ出すかと思ったのだが、そう甘くはないらしい。

これから入り込もうという本谷、いったいどれほどの“守り”で固められているのか。
対岸の雪雲に隠されている謙信尾根(十五里尾根)を切り拓いたと伝説される武将の如く、
我々は清水国道という城塞、その最奥の“天守閣”を切り崩そうと、立ち向かっていくのである。

状況は予断を全く許さなかったが、気分は沈んでおらず、むしろハイテンションだった。




登りが下りに転じる地点、標高940mのピークに到達。

すぐ行く手となる眼下には、本谷と檜倉沢の出合が見下ろされた。

すなわち、

この真っ正面の谷が本谷であり、

我々の進路は、その奥の山壁に求められねばならない。


………。

と言われても、この今日の風景では、我々だけでなく、
皆様も今ひとつ実感が湧かないことと思う。



参考までに、

もしも晴天なれば、このような風景が眼前に広がっているのである。

普通の登山目的ならば、清水峠の意外な遠さに目がいく場面かも知れないが、
我々の進路は、四角い枠の中である。

拡大しよう。



これを撮影した第一次探索の当時は、そう意識して見てはいなかったが、

実はこの位置からも、清水国道と本谷の交叉地点付近。すなわち、

今回の目的地が目視出来る。

さすがに人間の視力では、清水国道のラインまでは判然としないかも知れないが、
視野の中には確実に入っているはずである。

まさしくそこは、“山壁の一角”と見える。



いまいちど、今回の眺め。

……。

奥の方は全く見えないが、とにかく白いのが雲だけでないことは明らか。
今このときも、白いべールの中で着々と積雪を加えているのかも知れないと思うと、
焦りと恐怖と不安で、つい言葉を失いかけた。



とりあえず、アプローチ自体は計画通りに進んでいる。

ピークからわずかに下ると、そこにこの道路の終点である檜倉沢が、
これ以上相応しい表現が無い感じで“横たわって”いたのである。



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白魔遭遇  檜倉沢〜本谷遡行開始地点


7:17 【現在地:檜倉沢】

清水集落を出発して1時間20分、6.2km地点の檜倉沢に到達した。
標高は920mで、清水集落より320m高い。
それなりに登ってきたが、目的地は標高1300mオーバーの世界だ。まだ遠い。

写真は、壮大なゴーロとなっている檜倉沢の上流方向を見ている。
両岸の紅葉した山腹は目をみはるほど美しいが、雪線が思いのほか近く、ドキッとした。
挙げ句の果てに、この谷の奥も雲の中だった。

ところでこの地が砂防工事用道路の終点となって、どれくらいの月日が流れているのか。
この谷を人が治めるのは、賽の河原での石積みに似た所業と思われるが、よく見れば5年前には影も形もなかった巨大な砂防ダムが出現していた。
もっとも、それは既にゴーロの大海に沈みかけているように見えた…。



ちなみにこの檜倉沢は、清水国道の姿を外から眺める事が出来る、貴重な地点の一つである。
この谷底から右岸を見ると、スラブに灌木が茂った痩せた急斜面上に引っ掻き傷のような水平線が見えるが、それが約130m上方を通る清水国道なのである。

そして、そこが雪線の上にあることは動かし難い事実だった。
当然、これより遙か清水峠寄りにある一本松尾根も積雪しているのだろう…。
そう認めざるを得ない、これは希望的観測の限界だった。

マジ、ヤバくね?




なお、清水国道はこの檜倉沢を横断することに延々と山腹をトラバースし、約3kmもの路程を要している。(第一次探索で約半日かけて踏破した) これが谷底を素直に横断する居坪坂新道の場合、たった70mで済むのである。

清水国道の荒廃を受けて、それに代わる道としてこの居坪坂新道が開発されたのは、明治22年である。
新道は急勾配のため車両(馬車や人力車)は通行できなかったが、清水国道に較べて一里半も距離が短縮され、開通から明治40年までは有料道路として経営されるなど、それなりに繁盛した時期もあった。
だが、結局は清水国道の荒廃に足を引っ張られ、さらに上越線が開通した以降は、近年の登山ブームがおきるまでの長い間、山仕事などで細々利用されていたに過ぎなかったのである。

我々は居坪坂新道(登山道)に入った。




登山道である居坪坂新道に、我々が敢えて自転車を押し進めたのは、復路で少し楽が出来るのではないかと私が唆したためであったが、ほんの200mほど進んだ所で、復路で楽をする以前に、往路で余計な体力を消耗する事の愚に気づき、乗り捨てることになった。(数時間後には無事帰ってくるからな!)

ここから先は、歩行で前進する。

確か、第二次探索の敗走時(2日目)に清水国道から強引に山腹を突っ切って下山した際、辿りついたのもこの辺りだった。
居坪坂新道が盛んであった当時には兎平という地名もあって、3軒の宿屋が営業していたそうだが、現在は緩斜面の登山道を中心にJRの送電線や痩せた杉の植林地が点在しているだけの無人境である。
また、すぐ傍らに本谷が深い谷を削っており、渓声が常に木霊している。

今回、初めて手の届く所に積雪を見たのは、この場所だった。



自転車を残して再出発したのは午前7時36分。
そこから歩行に良く馴染む居坪坂新道を黙々と往くこと27分、午前8時03分にナル水沢出合を通過した。

写真の沢がナル水沢で、この沢名にはトラウマにも近い印象がある。
すなわち、第二次探索の敗走を決定づけた“越えられない土壁”は、ここから直線距離にしてわずか900mの至近にあるのである。
挙げ句の果てに、敗走路としてこの沢の下降を実行しかけた際には、すぐに連続する瀑布に行く手を遮られてしっぽを巻いて撤退したという、いわく付きの“敗北地”である。

このナル水沢の険悪な印象が強すぎたせいで、少なくとも名前の上でそれよりも容易だという感じを全く受けない“本谷”を遡行しようとは、思いつかなかった。
だが、冷静に地形図を眺めれば、ナル水沢が900mで240mもの比高を詰めるのに較べ、本谷は1500mで300mである。
単純計算でも3割程度は緩やかな谷だと考えられるわけだ。

小さくとも瀑布を門戸として登山道から隔てられているナル水沢(今後もこの谷を遡行しようとは思わないだろう)と較べ、この後まもなく接近する本谷がどんな表情を見せているのか。
居坪坂新道は第一次探索で逆から通行したルートながら、その印象がほとんど無かっただけに、本谷の第一印象は今回の大きな注目点だった。




8:08 【現在地:本谷遡行開始地点】

計画より8分遅れたが、ほぼ予定通りのペースで本谷遡行開始地点に到着した。

ここは居坪坂新道が徒渡りで本谷を越える地点で、
これを渡ると本格的な峠への九十九折りの登りが始まる。
だが、今回我々が居坪坂新道のお世話になるのはここまでである。

ここからは、少なくとも地図の上には描かれていないルートを採る。
乃ち、ナル水沢に較べればいくらか穏やかそうな渓相を見せるこの本谷を、
地形図の水線が尽きるさらにその先まで、遡行する!



気付けば周囲は既に銀世界の端くれである。

果して我々は、この未知の谷を1.5kmも遡行することが出来るだろうか。

そしてこの悪天候の中、清水国道の核心部は、

どれくらいの絶対的な孤独に耐えているのか。

そして……、隧道は現存するのか。


全てを見届けたい我々は、真のスタートラインに立った。