国道291号清水峠 隧道捜索編 <最終決戦> 第4回 

公開日 2012.11.28
探索日 2012.11.03


我々は本谷遡行に大成功!!!

遡行延長1.5km、高低差300mに2時間15分を要したが、清水国道核心部への進入に要した時間としては、これでも破格の短さである。
従来、出発の初日には辿り着けなかった領域なのである。

だが、

これは前提条件をクリアしたに過ぎない。

もしもこの本谷遡行に失敗していたら、本稿は執筆されなかったろう。
せいぜい第5次探索として、続かねばならない第6次探索の肥やしとなるのが関の山であった。
ぶっちゃけ、ここまではただのアプローチなのだ。
清水国道に関する新たな知見は、まだほとんど得られていない。

(強いてここまでの新成果を2つ挙げれば、
1.本谷遡行の可能性を確認したことで、明治の新道工事時にもここが進入路として使われた可能性を感じる事が出来た。←ただし記録や明確な道跡は未発見。
2.11月上旬から積雪に阻まれる可能性があるという現地の気象条件を実感する事が出来た。)



さて、ここからは何も考える必要はない。

4年前の第3次探索の往復で2度歩いた道を、ただ350mなぞるだけでよい。
その時には、本谷から隧道擬定地点(一本松尾根)まで、44分間で辿りついた記録がある。

→【第3次探索 第5回】【第6回】

そして、今回と前回の違いは、さして多くない。
ひとつは、探索メンバーが変わったこと。
そしてもうひとつは、4年間+3週間という時が経過したことだ。

だがどうやら、3週間というのが、くせ者だったらしい…。
よもやここまで来て、擬定地に辿りつけないなどは許されるはずもないが、積雪はその唯一の不安材料といえた。
(にもかかわらず、積雪がもたらす“最悪な事態”については、未だそこに意識が辿りついていなかった……)




銀白の“廃”明治馬車道


《 10:29〜10:36 清水国道踏破開始 隧道擬定点まで残り350m 【MAP】

4年と3週間前、私に大きな幸福をもたらした“奇跡”の橋台は、氷雪の中にしっかと現存していた。
隅の方から欠損し、ほとんど前面部が失われているのも前と同じ。
その崩れかけた表面は積雪によって容易く崩されてしまいそうに見えたが、百有余年を耐えてきた矜持がそうさせるのか、未だ持ちこたえていた。




この写真が、どちらを向いて撮影されたものなのか。

それは画像にカーソルを合わせて確認して欲しい。

4年前に来たときは、まさかこの本谷を直登してここへ来る日が来るとは思っていなかった。
ここから谷越しに見る世界は、ご覧のように遙かな比高感をもって広がっており、隣にいたくじ氏ならばいざ知らず、特別な装備も技術も持たない私には永遠に太刀打ち出来ないものと信じていた。

本谷遡行が“ゆめ”ならば、こんな吹雪の中ここへ立っている自分もまた“ゆめ”だったが、見ての通りそれが現実に他ならなかった。



上州との国境峰である“地蔵の頭”は見えず。

もしも天気が良かったら、眼前に屹立する白亜の岩峰は、どれほどの美観で私を酔わせてくれただろう。

白いヴェールの向こうに隠された景色を知らないHAMAMI氏は、悔しくないと言う意味で、幸せだったと思う。

4年前が如何に恵まれた一日であったのか、改めて実感した。



橋台の周りを一通り観察することに時間をかけた憶えはないが、
強い風雪にあらゆる行動が邪魔されたためか、そこに7分という時間が流れていた。
まるで冬眠直前の亀のように、零下の世界での我々の行動は全体的に緩慢になっていたかもしれない。

ここで乾いた服に着替えられれば、どんなにか幸せだったろう。
沢で濡れた下半身で、ここからは正面きって雪山へ突っ込まねばならない。
見たところ、路面の上にも普通に20cm以上の雪が積もっていた。

だが、ガツガツ動いていないと寒くてかなわん!
というわけで、隧道擬定地点への最後の歩行を始めることに。



帰路は小さなショートカットを行なったので、我々がこの日、この地へと戻ることはなかった。



ゾクッ…

この写真は、我々が清水国道を歩き始めて1〜2分後に、
ほんの数十秒だけ視界が晴れた時に撮影した。

その数瞬だけ、4年前に歩いた本谷左岸の清水国道が、かなり遠くまで見通せた。
これ以降はほとんど対岸さえ見えなくなるので、貴重な眺めであった。

従来の印象は鮮やかな紅葉のみであっただけに、今回の
真に色のない世界
は、そのギャップにおいて衝撃的なものがあった。


そして、

明治以来、長らく時が止まった“国道”には、

これこそがもっとも、相応しい眺めであるような気がした。



清水国道初体験であるHAMAMI氏への、
清水国道が見せた唯一のデレ(ツンデレのね)が、
先の数瞬の眺めであったと思う。

見終えた後は、雲霧が生き物のように激しく蠢き、見る間に対岸を閉鎖した。
そして後の目前に残されたのは、一面の樹氷原となった灌木地帯であり、
その足元に平らな場所が存在しない苦難の場面。いわゆる難所。



だが、安心して欲しい。

20cmごときの雪があっても、既に一往復はした行程である。
勝手は十分に把握している。
難所は数あれど、踏破自体を危うくするような場面は無かったはずだ。
それは自信がある。

私は徐々に本格的な傷みへと変わってきた左足の甲を気にしながらも、先導して雪中に歩みを刻んでいった。

その最中、尖った岩場が頭上に霞んで見えていた。
おそらくは、これこそが古老の語る“ロウソクのように尖った大岩”であり、4年前に“魔王”と呼んだ奇岩であったと思う。
見る角度の違いか、だいぶ形が違って見えた…




微かな覚えのある光景が、ときおり現れた。
それらは全て岩の形が目印で、樹木は参考にもならなかった。
例えばこの場所には、右の谷側にポツンと切り残された3m四方ほどの岩が立っていて、道は小さな切り通しのようになっていた。

見覚えのある景色を過ぎるほど、私の中の目的達成への確信は深くなり、心の高揚も増していった。
決して肉体的には楽ではなかった(足の甲の痛み、手の猛烈な冷たさが主な苦痛であった)が、再訪であることや1人でない安心感は大きく、楽しいと言っても差し支えがない“雪中行軍”となった。

予め断っておくが、隧道擬定地でどのような結末を目にするかについて、多くの皆様さまが想像するだろう頓着を、私は全く持っていなかった。
その理由は単純で、この再訪の動機と目的が単に「そこに見えた影を確かめなかった4年前の手落ちを雪(そそ)ぎたい」一心にあったからだ。
そしてその目的は、擬定地に辿り着いた時点で、ほとんど自動的に果されるものと楽観していた。



全く使い物にならないような写真で申し訳ないが、これは路肩にあった石垣だ。

もちろん、4年前にも目にしていたものだ。

よく使う表現だが、風雪に耐える石垣の実例を目にしていた。



今回の350m区間内に何か所かある、路盤が斜面化している難所のひとつ。

しかし、こうした灌木茂る斜面にあって、積雪は我々の味方であったと思う。

それは、雪の重みで全体的に枝が下がって越しやすくなっていたからであり、
落葉によって視界が確保されやすいからであった。




が、ここにきて想定外の…



トラブル発生…!

雪道を歩くアイテムではない沢靴を過信したツケ。
さっきから違和感のあった左足から、靴底のフェルトが剥がれ落ちてしまった。

実は途中から剥がれかけていたようで、余計に沢山の雪を蹴り上げていた。
その結果が、この左足の甲の傷みなのだと、今さら気付く迂闊さだった。

幸いだったのは、沢靴の構造上このフェルトが剥がれても、
靴としての機能をさほど失わなかったことだ。
もし靴底全体が履がれていたら、死なないまでも凍傷になっていたかも…。

…探索は続行である。



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《 11:06 隧道擬定点まで残り100m 【MAP】

本谷を出発してちょうど30分。
GPSが教える現在地は、隧道擬定点の100m手前であった。
つまり、30分で250m進んだということになる。
鈍足だった。
だが、わずか100mの先に最終目的地が接近している。

次の岩場を回り込めば、則ちゴールであるはずだ。

この前後の路盤は猛烈な樹氷灌木に閉ざされており、特に前進のペースは鈍った。
樹氷の中の廃道は美しく幻想的であるが、通常なら登山の対象となるような山奥である。
今回の探索に限った事ではないが、油断すれば生還不可能となる場面なのは間違いない。

やっぱり、ドキドキしてきた。



振り返ればもう見えない、先ほどのミニ切り通し。

対岸の山容など、見えようはずもなかった。

だが、この辺りは谷底まで灌木帯が連なっており、
帰路においては谷底への有効なショートカットが出来たのだった。
逆に登攀することも恐らく可能であろう。



さて、ここまで敢えてスルーしてきたが、一応道路ファンの1人として書いておこうと思う。
冬の一般国道291号清水峠の交通事情についてだ(笑)。

この探索が行なわれた平成24年11月3日時点で、国道291号の清水峠区間はまだ冬期閉鎖にはなっていなかった。
というか、この時点では(例年通りであれば)新潟県にも群馬県にも冬期閉鎖された道は無かったはずだ。

なんで突然国道291号の話を始めたのかと思った読者は、前作を読んでいないね?(笑)
表題にもちゃっかりあるとおり、いま辿っているこの“清水国道”は、明治の国道であり、平成の国道でもあるのだ。
ここは政令によって定められた国道291号の現道(供用済みの路線であり、法的には廃道でない)なのである。

今さらだが、私は第2次探索においてこの国道の路上で幕営をしたこともある。
そして今は、冬期閉鎖になる前から余裕綽々で積雪をかましてやがるのである。
やっぱり清水国道は道路特異点過ぎて面白い!

ちなみに、例年の清水峠区間の冬期閉鎖は、新潟側は清水集落〜封鎖ゲート0.4kmが11月15日頃から翌年5月下旬まで続き、群馬側は谷川岳ロープウェーから一の倉沢まで3.4kmが11月19日頃から6月中旬まで続くことになる。で、これらに挟まれた区間(一の倉沢〜清水峠〜現在地〜清水集落の封鎖ゲート)は、年間を通じて冬期閉鎖されると言うことがない(前後が冬期閉鎖されるので実質的には閉鎖されるが)。冬期閉鎖区間は通常一般者立入禁止であるが、清水峠にそれは適応されないのである。
その代り、この区間は全て自動車交通不能区間に指定されており、冬期閉鎖をする以前に、年中自動車交通が許可されていないのである。
だが、こんなごちゃごちゃした事情を全て含んで、歴とした1本の国道なのである。

…現役国道で未発見の隧道の有無について語ることが出来るとか、思わず胸が熱くなる…。




この岩場を回り終えた先に…。



谷底ではシカっぽい足跡を見たが、

隧道擬定地点直前の最終カーブでは、道なりに付けられたトリさんの足跡が、我々を先導した。

姿は見せないが、やはり生き物が近くにいるらしい…。



!!!

見えてきたッ!

尾根筋が見えてきたッ!!

藪越しに、ゴールが見えた!!!




遂に決着の時が来た。

私は文字通り、躍り出た。







私の自己満足に、とことんまで付き合ってくれて、

皆さん、HAMAMIさん、

本当にありがとうございました!




これが“清水隧道”擬定地点の現形だ。

↓↓↓

“影”は、“”く、塗りつぶされていた。