2015/6/2 9:33 《現在地》
突然、立派な砂利道になった!
民有林林道多々石線を峠から2.7km、標高1130mまで下ったところで、唐突に引き継ぎとなったこの真新しい道の正体は、昭和時代に「大規模林道飯豊檜枝岐線」として計画・着工され、平成時代に「緑資源幹線林道飯豊檜枝岐線」へ改名しながら、長らく国の資金で建設が進められてきた道だ。
しかし、平成20(2008)年に事業主体の独立行政法人緑資源機構が消滅した際の工事終点が、ここだった。
途中で中断されてしまった旧緑資源幹線林道の救済の為に創設された、「山のみち地域づくり交付金事業」の適用を受けた福島県が、平成22(2010)年から晴れて事業を引き継ぎ、「林道田島舘岩I線」の名前で工事が再開されているのが現状だ。
この地点よりも峠側は、将来的に幅5mの舗装道路が整備されるが、麓側は幅7mの2車線舗装道路が建設されていた。
見たところこの先も未舗装だが、それは工事が中断されたからだ。
最新の地形図(地理院地図)では、峠から国道合流地点まで約5.5kmの林道全線が「徒歩道」として描かれており、まるで廃道状態のように見えるが、現実はこの通りで、全長の中間付近まで立派な林道が伸びている。
そして、この新たな林道(林道名は変わっているが面倒なので単に「新道」と呼ぶ)は、従来の林道多々石線(「旧道」と呼ぶ)の単純な拡幅・舗装だけではなく、別線として整備されていることを、ここで初めて知った。
上の写真をよく見ると分かるが、新旧の道路が上下に分かれて行っている。
このような新旧道の分岐を見つけた場合、大抵は旧道を選ぶ私だが、今回は敢えて新道を選んだ。
地形図に描かれていないのは新道の方なので、より興味を感じた。
眼下に旧道が並走するこの上り坂は、法面の工事が完成しておらず(奥に見える法枠工が完成形だろう)、道幅も2車線に足りていない。路肩のガードレールも未設置だ。
かつての工事末端であることを物語る、中途半端な状況である。
政界の汚職事件から、道路工事の事業主体が突然解体されるという事態は、緑資源機構の他には聞いたことがなく(こんなことが度々あったら大変だが)、事業主体の消失によって、全国に大量の未成道が一挙に出現するという事態も、前代未聞だったはず。
その後、「山のみち」というフォローがあって、これら未成区間の3分の1くらいは各県の事業に引き継がれたが、それでも両手両足の指では数え切れない数の未成道……行き止まりの立派な山岳道路……が残されることになった。
さらに、「山のみち」によって命脈を保った区間でも、原則として2車線から1車線へ縮小されたほか、トンネルのような高コストの構造物を削減するルート変更や、区間自体の短縮が行なわれることが、多くあった。
本路線も、これら全ての縮小的変更を受け入れた上での継続である。
それゆえ、峠の前後で、こんなちぐはぐな継ぎ接ぎの姿を晒す羽目になってしまった。
そのうえでなお、完成までには長い時間が掛るとみられており、途中で中止されない保証もない。
わが国の道路界における最悪の忌み子。
そんな絶望の言葉を吐きたくなるほど、大規模林道に端を発する一連の林道事業は(早くに完成できた一部の路線を除けば)、行く先々で大きな逆風と悲運に苛まれたように見える。
それはなぜだったのか。
ひとことで言えば、生まれた時代が悪かったと思う。
国内林業の拡大と、国の成長を無条件に信じた、昭和40年代生まれの「大規模林業圏」構想は、具体化して間もなく、国内林業の衰退、環境意識の高まり、経済成長の鈍化といった、世の現実との乖離を深めていった。
公共事業の強さであり、弱さでもある身の重さが、ここでは不利に作用した。
計画の変更がとても下手だった。
そのうえ、予算が削減された中でも各地方の顔を立てるように多数の路線を同時に建設したので、昭和60年代初頭だった当初の計画年限を過ぎても大半の路線は完成せず、奥地等産業開発道路と共に無駄な道路事業の代名詞のような扱いを受けることになってしまった。
世論を敵に回してしまった大規模林道は、緑資源幹線林道へと事業主体と事業名といううわべを変え、どうにか命脈を繋いだものの、最後には汚職事件……。
もはや、バッシングに耐えるだけの力が、声援が、後ろ盾が、理念が、なかった。
大本である大規模林業圏構想の中止が、国会で議決されたわけでもない、屈辱的といえる飛び火による“死”を、受け入れざるを得なかった。
もし、道に心があったなら、涙を流しているに違いない。
だからせめても、私だけは愛したいと思ってしまう判官贔屓の私がいる。
同志は少なからずいるらしく、大規模林道にはファンが多いと私は思う。
少し熱く語りすぎたか……。
目の前の景色のレポートに戻ろう。
坂を登ると、上下二段に新旧林道が並走する状態になった。
ここから先、新道の道幅は2車線分になるが、まだ舗装は完成していない。
下段の旧道に、小さな橋が架かっているのが見えた。
銘板も親柱もない、シンプルなコンクリート橋だった。
そして、旧橋が残る谷の上を悠々と横断する築堤は、思いがけない――
9:36 《現在地》
大展望台!
峠で林道と一緒にスタートした時にはチョロチョロの小川だった戸板川が、激しく下界へこぼれていく。
高原の突破口のような豪快な谷の傍らに、地図上の姿からはかけ離れた快走路が駆けているのが見えた。
ここには、かつて信じられていた理想の林道の姿が、半分だけ、あった。
この先に待ち受けている九十九折りの巨大な築堤が見えている。
そこは未舗装のため未完成だと分かるが、右に見えるさらに先の道は綺麗に舗装されており、完成形だ。
中でも興味深いのは、未完成築堤によって見事に切断されてしまった、哀れな旧道の姿だ。
地形図には未だ唯一の道として描かれている道が、思いがけない末路を迎えていた。
おお! 舗装路だ!!
この先にまだ未完成部分があるのを見た直後だが、先回りして舗装が現われた。
しかし、この舗装工事は、「山のみち」になってからの施工なのだろう。
2車線幅の路盤なのに、路肩に余地を残したままで1車線だけ舗装されていた。
束の間の舗装区間は200mほどで、その途中で下段の旧道を吸収して、道は1本に戻った。
直前に見下ろした“新旧の九十九折りが絡み合う工事現場”が間近に迫ると、舗装は終わり。
写真右に、幅を7mから5mへ縮小した哀しい余りが見えている。
道は工事区間に入ると急に下り始めるが、これは旧道の線形で、新道はこの高さをキープしたまま直進することになる。
分岐というよりは、上書きが行なわれることになるだろう。
9:38 《現在地》
旧道を寸断してしまった新道が未完成であるために、無理矢理な急坂で九十九折りの上下を結ぶ仮設路が使われていた。
しかし私は仮設路へ行かず、未完成の新道を目指して写真左のブル道(工事用道路)をよじ登った。
登り切ると……
なんか興奮する、作りかけの掘割と築堤が!!
しかし、この日の情景は、もう二度と見ることは出来ない。
2019年に探索したzuruzuru4氏のブログの記事によると、この九十九折りは見事に完成している。
こんな中途半端な状態で放置されていたら、オブローダー的には「美味しい」と思っただろうが、国が残ししていった巨大な未成道を引き継いだ県が、少ない財源をやりくりしながら、辛抱強く工事を続けているうちは、応援してあげよう。
ここの築堤は、「山のみち」に引き継がれてからの施工なのだろう。
道幅が最初から1車線分だけになっていた。
……旧道と変わらない1車線なら、当然設計速度も低いわけだから、こんなに巨大な築堤を造ってまで、カーブを緩やかにする必要があったのかと思ってしまうが……。
まあ、ルートを変更するのにも設計から何から、お金が掛りますからね……。
前方にプレハブ小屋と工事関係の掲示板が見えており、通常であれば通過に最も緊張を要する場面だが、この日は完全に無人だった。
そうそう! これを忘れてはいけません。
新道の築堤に切断されてしまった、旧道の九十九折りの先端部は、ここが最寄り。
地形図ではいまも生き続ける破線道であり、最新の廃道である。
切断されて僅かな時間しか経過していないので、見た感じは現役林道そのまま。
先ほどまでの廃道同然の林道と較べれば、まだこっちの方がぜんぜんマシだ。
私にこの道を教えてくれた情報提供者を含めて、多くのライダーたちに
熱い時間を提供してきた名林道の切れ端を、目に焼き付けた。
判断の理由を覚えていないのだが、敢えて立ち入らず。
9:42 《現在地》
未完成九十九折りを下りきり、プレハブの前で前出の“仮設路”と合流すると、今度こそ間違いない道に出迎えを受けた。
見慣れた2車線道路であり、センターラインも完備されている。
“緑資源時代”の終わりには完成と未完成が入り乱れていた混沌の区間を抜けて、それまでに出来上がっていた区間へ到達したのである。
峠から3.5km、標高1080m付近だった。
振り返ると、今日はじめて目にする工事看板があったが、掲げられた「新しい林道を造っています」の文字が、この日ばかりは頼りなく見えた。
掲示された工事の終期はこの年の9月末日になっていたが、それで完成するはずもなく、昭和47年には多々石林道が達成した戸板峠越えの車道が、その機能を取り戻すまで、何十年も工事が続くことになるだろう。
つくづく、遠い峠だ。
それもまさか、廃道ではなく、新道のために峠の遠さを痛感させられるとは思わなかった。
大仰な築堤だ。
しかしこの上にあるのは、いま通ってきた1車線の道だ。
アンマッチである。
そしてここから視線を右へずらすと、築堤に寸断された旧道の路肩を見上げることができた。
巨大な亀裂が刻まれた、旧道の擁壁!
【上から見ただけ】だと気付かなかったが、カーブの先端辺りの路肩は、相当無理して中空に張り出すように造ってあった。
新道が大築堤を要したこの場面、旧道も相当苦心してよじ登って行ったんだと実感できた。
超・快・走!
もの凄いスピードで、地形図上の破線の道を走り続けている。
森林限界が高いために、標高1300mを越えていた峠の高さを風景からは実感しにくかったが、
下れども下れどもなお下るボリューム感は、走行した人だけが実感できる峠の高さの証明だった。
これでもまだ1000mの高さを持っており、最初の集落である針生は、まだ250mも下だ。
9:45 《現在地》
2車線区間の終点から、あっという間の3分間で1.5kmほど前進し、峠から5km地点へ。標高970m付近。
この間、新道は従来の林道をほぼ忠実になぞっており、目立った旧道はなかったが、ここでおそらく最後の分岐が現われた。
結論を先に書くと、新道はここから九十九折りで一気に国道へ降りる。対して旧道――林道多々石線は、さらに700mほど山腹のトラバースを気長に続けてから国道に出る。
旧道は、今となっては無駄な迂回路になってしまっており、入口もこのように封鎖されているので、事実上の廃道状態だが、バリケードに取り付けられた看板の向きに注目だ。
立入禁止なのは、こっちの道なのである。
こっちはなんといっても「工事中」だからね。
大規模林道の(この区間の)着工は平成7(1995)年なので、かれこれ20年間工事中なのである。
この最後の分岐もどちらへ行くか迷ったが、小規模な旧道は機会を改めることとして、今回はそのまま新道を行くことにした。
9:46 《現在地》
最後の分岐から約300m、グネグネと2回切り返しながら下ると、丁字路に突き当たった。
古町で国道401号を左折して峠を目指し始めたレポート第1回のスタート直後から、おおよそ16kmの峠越えを4時間弱で走破した。いくらか寄り道しているので、走行距離はもう少し増えるだろう。
この長い行程で、はじめて進路を塞ぐバリケードに邪魔された。向こうにあるのは国道289号だ。
大規模林道および緑資源幹線林道時代の「田島舘岩工区」(全長約15km)は、ここが起点だった。
終点は古町ではなかったが、このことは机上調査編で述べたので繰り返さない。
荒れた廃道同然の林道、行き止まりの未成道と、異様に高規格な山岳道路、その全て繋いで……、いま、 完抜達成!
国道289号から振り返る戸板峠への入口。地形図には全く描かれていない入口だ。
正面の厳つい山は戸板峠ではなく、それより低い駒止峠だ。国道がトンネルで抜いている。
それはそうと、緑資源幹線林道の入口に大抵設置されている立派な路線名標識(【例】)が、ここにはない。
未開通だからかもしれないが、他の区間は未開通でも設置されているのをよく見るのだが。
そのせいで、既知の存在だったこの分岐が、悪名高い件(くだん)の林道の入口ということは、
探索を終えてここに出て来た瞬間まで確信がなかった。今回ではっきりしたぜ。
なお、写真の時系列はここで切れており、この写真は探索当日の早朝4:45の撮影だったりする。
こういうレポートの裏方的移動にまで興味がある人は多くないだろうが、
この日の私の自転車での探索は、上図のようなルートを採っており、
レポート第1回開始の約1時間前に、ここを通っていたのだ。
なんでそこにバイクが描いてあるんだよ!!(笑)
いかにもオフロード好きそうなバイクが、めっちゃウィリー決めて楽しんじゃってるし!
こんな挑発的な通行止告知、見たことねーぞ!
戸板峠が、少なくないオフロードライダーの「走りたい」に晒されていることは理解するものの、
工事現場を無断で通過されては困るという、そんな工事関係者の偽らざる気持ちが、
なぜかこんな挑発的なイラストになってしまったのだとしたら面白い…(笑)。
国道到達地点の標高は約940m。
塔の頂上からマイナス400mといったところで、古町側が800m近くあったのと較べれば、距離も高さも約半分だった。
写真は、国道を針生方向へ少し進んだ辺りだが、このような豪快な下り坂がまだまだ続く。
というのも、まだ道は戸板峠の麓にある針生集落へ達しておらず、この先は林道に代わって国道が、戸板川の谷沿いを下る役目を引き継いでいるのだ。
そもそも、この国道は昭和57(1982)年に開通した比較的新しい路線である。旧国道は、別の谷に沿って駒止峠の頂上を目指していた。
昭和47(1972)年に戸板峠越えの多々石林道が開通したことは何度も述べているが、多々石林道の並行区間は、この国道に代替された。
9:47 《現在地》
このまま行くと本題から外れていく一方なので、ここで終わりにする。
ここが、先ほど【分かれた旧道】が国道に降り立つ地点である。
大規模林道が着工する平成7(1995)年までは、ここが戸板峠の入口であり、多くの車やバイクがここから峠を目指したはずだが、現状は廃道同然である。特に封鎖はされていないが。
林道の起点は針生集落であり、そこまであと3kmほど、国道の陰に隠れるように、道は残っている。
以前探索したことがあるが、平凡なのでレポートは省略する。
ただの荒れた林道を探索しに行ったはずが、ややこしい場面が多く現われてしまって執筆には随分手こずらされた。探索から5年越し、ようやく完結である!