http://yamaiga.com/road/mituno/ の公開中コメント一覧

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コメント
22,6762016-05-10 06:37:12/road/mituno/main5.html10
あの場所にある慰霊碑の存在とかつて多くの人が命を削っていたのかが
今回の探索から分かりました。
こういう発見も後世に残すためにも素晴らしい事だと思います。
無事に探索終了でき嬉しく思います。
22,6752016-05-10 05:55:01/road/mituno/main5.html8
引用の最初のだと「働いてたのは全員が朝鮮人」だったはずなのに
落盤事故では、なぜ朝鮮人労働者の3倍もの内地人が埋まったんでしょう?
また、毎日二桁の死人が出るのが普通だった現場ならば
”たった45人”で慰霊碑が建てられたのにも合点が行きません。

各地の難工事現場の「当時建てられた慰霊碑」自体には
本土の内地人とまったく並列に、〜道という朝鮮内の行政区分まで含め、普通に朝鮮半島出身労働者も記載されてる例が多数あります。
たとえ当時を生きてた人のものであっても、後世の「証言」は政治的偏向が加わってる気がしてなりません。
ほんのここ数年を除いては
戦後一貫し、それら「証言」に疑念を挟むことすら許されてこなかった
日本の特殊な社会事情も鑑みて。
22,6742016-05-10 04:04:56/road/mituno/main5.html10
GWに寸又峡に行って来ました。ここの道の駅にも寄ったので大変興味深く読ませて頂きました。
 
 千頭といえば、千頭森林鉄道で探索済みで未公開区間がありますね。
そちらの方の公開も宜しくお願いします。
22,6722016-05-10 01:03:23/road/mituno/main5.html9
踏破目標区間の千頭側の最終地点が、途中までの図(map_26)では地理院の破線に従って、千代橋への現道と交流する地点までになっていますが、実際の経路は、最終地点の100m程手前で、北に折れて、千頭集落の茶畑のなかの農道で終わっています。
そのあたりは「適当に斜面を下れば千頭駅近くに脱出出来るような状況になったが、・・・そこへ下ろうとはまるでしない。・・・道はあくまでも昔からの千頭集落を目指し、・・・」と報告されているとおりで、現状ではそのような道がつけてあり、件の導水路工事関連で、こちらが作業道の本線になったのかもしれません。下記のとおり、旧道の最終地点は階段ですから、作業道は別につけたのだろうと推測されます。
しかし、戦前の地図をみると、やはり旧道は北に折れず、そのまま川に沿って降下し、地理院の地図にあるとおりの目標最終地点で現道と直角に交わり、さらに川根大橋方面への交差点へと続いています。
この最終地点をストリートビュで見ると、お堂のような建物が石垣の上にあり、そこへの階段が道路に対して直角に切ってあるので、戦前の地形図の表現と合致しており、やはり、こちらが川根街道の旧道だったのではないでしょうか。
さらに、地理院の地図を見ると、この地点には石碑の記号がありますが、本編で触れられていないところからすると、こちらは踏破して調査されなかったようですね。この石碑がいつの時代のものなのか、碑ではなく石仏や墓石なのか、よくわかりませんが、旧街道の歴史調査としては、一度はこちらの石碑を調査して、完成するのではないか、と思います。
途中の慰霊碑も、この道について語る際に欠くべからざる重大なものには違いありませんが、「川根街道旧道(三ツ野古道)」の調査報告としては点睛を欠く感があります。もちろん、調べても特にとりたてた情報もないとか、石碑そのものがない(お堂のなかの石像だったり)とか、結果的に意味がないかもしれません。もし既に調査済みで、内容上省略ということでしたら、〆として、無駄という結果だけでもお示し戴くと、調査としても完成しますし、読む側としてもすっきりすると思います。ということで、9点。
22,6712016-05-09 23:50:56/road/mituno/main5.html5
ダム建設について、朝鮮人労働者の賃金について述べられていません。
辛い仕事であったことを殊更に強調しがちで、公平な視点に欠ける資料と感じました。
また、李氏の証言にある、毎日のように何人も死体を運搬するような職場環境で、社会的な問題にならなかったことが不自然であり、同時に暴動が起きなかったのか疑問です。
李氏の証言どおりでしたら、あらかじめ予算組みした補償金も、通常、限度を超えます。
労働者の数にも千人も離れがあり、信憑性に欠けます。
李氏の証言は後世になって「盛られた」ものではないでしょうか。
22,6702016-05-09 23:25:34/road/mituno/main5.html10
やはりそうでしたか。この手の話になりますと、朝鮮人を徴用して人間以下の扱いをしたという話になりがちですが、開けた場所を選んで慰霊碑を立てるなど、当時の責任者の心遣いは感じられます。

飯場付近に索道中継箇所がありましたが、先はオチイ沢を渡る橋から上った場所に終点があり、ここから作業用軌道で導水トンネルまでつなげていたのではないでしょうか。

一方の山麓駅は、おそらくは旧国道の裏山。ここから骨材やセメントを運搬したはずです。オチイ沢を上るのは大変そうですが、山麓駅は機会があれば探されたらどうでしょう。

その他、導水トンネルが横沢川を横断する場所に小さな池がありますが、ここには工作物の存在が航空写真から確認できます。ここにも何かあるかもしれませんね。
22,6622016-05-08 19:58:11/road/mituno/main4.html10
続き、お待ちしております。

歴史的に、とても興味深い街道です。
22,6092016-05-04 13:02:36/road/mituno/main4.html9
人が暮らした跡にしては便所が見つかっていないが
22,5942016-05-02 22:23:10/road/mituno/main4.html6
この先はまた等高線が密に・・・美味しい道はあるかなぁ?

ところで “害獣捕獲ゲージ” ですけど、
[ゲージ(gauge)] じゃなくて [ケージ(cage)] ですよね?
22,5902016-05-02 14:33:58/road/mituno/main4.html10
植林地の杉は枝打ちはされているみたいですが、間伐されていないからなのか鬱蒼としていますね。薄暗い杉の植林地は憂鬱です。
22,5892016-05-02 14:23:26/road/mituno/main4.html9
ネタバレでまずい、と思われたら公開しないでください。

青部の大井川発電所に、同時期に建立された殉難者慰霊碑があります。これに関連したものではないでしょうか。

二つ碑があることが謎ではありますが、寸又川ダムからの導水路がこのあたりを通っておりますので、これに関わるものかも、、、
22,3812016-04-04 17:02:53/road/mituno/main3.html9
ヨッキさん、お願いですから崖地を登るときはヘルメット被ってください。
22,3692016-04-04 00:01:41/road/mituno/main3.html8
黙祷!
もしかしたら、ヨッキさんがここに来なかったら、この慰霊塔は半永久的に日の目を見る事はなかったかもしれませんね…

川根本町は吊橋のあたりまでは私もよくハイキングがてら行きます。最近はヤマビルが出るので行ってませんが…
新東名が出来て行きやすくなったから、ふれあいの里の温泉目当てにまた行こうかな?
22,3632016-04-01 22:08:04/road/mituno/main3.html10
続き早くみたいみたい。

22,3592016-03-31 23:56:04/road/mituno/main3.html10
古来より、数え切れないほどの名も無き旅人が遭難していた難所だったのではないでしょうか?
具体的に何時誰が何で亡くなったことを悼むのではなく、この場所で命を落とした全ての人に向けて建てられてたのかもしれません(建立自体は何かの事件が原因だとは思いますが)。
22,3552016-03-31 22:48:31/road/mituno/main3.html10
無事でなによりでした
22,3532016-03-31 22:05:54/road/mituno/main3.html8
慰霊塔が建っている所が路盤なんですか?
なんかド真ん中を塞いでしまっていますが、道の廃止が決まってから建てたのでしょうかねえ。
だとしたら、この碑が、この場所で、慰めようとしたのは、この道の誕生から廃止までに召された人の霊なのでしょうか。
22,3522016-03-31 21:52:03/road/mituno/main3.html5
またたいそうな…
22,3512016-03-31 21:25:12/road/mituno/main3.html7
思いの外 薄い碑でした
それでも重そうですけどね
大きさはどれくらいかな
22,3482016-03-31 13:43:12/road/mituno/main3.html10
続きが楽しみです。
22,3472016-03-31 12:57:33/road/mituno/main3.html8
100円(非課税)の御利益で石碑に到達できたならコストパフォーマンス抜群
22,3462016-03-31 12:42:30/road/mituno/main3.html9
写真に書かれた黄色い線には、石垣の上に書かれたものと、下に書かれたものがあります。実際のところ、道は、石垣の上なのでしょうか、下なのでしょうか。

見る場所によって異なって見えた、ということなのかもしれませんが、、、
22,3452016-03-31 11:38:42/road/mituno/main3.html8
※業務連絡※ ページ先頭の各回へのリンクのうち、第1回が序と同じになっています。

第3回の後半ですが、この慰霊碑のところ、どこが路盤なのか、よくわかりませんでした。乞図示解説。
22,3432016-03-31 09:37:16/road/mituno/main3.html10
戦前にこの地を荷馬車や大八車が通っている姿が想像できる。
相当に危険な場所だったんだろうな。
22,3422016-03-31 08:53:30/road/mituno/main3.html10
おォ・・・合掌。
22,3402016-03-30 22:25:21/road/mituno/main3.html10
崖さ行かねが(←サスペンスの香りしかしない台詞)
22,3352016-03-30 11:24:30/road/mituno/main3.html4
こんなちっさい岩、走り幅跳びでこえられるっしょ
22,3332016-03-29 22:07:59/road/mituno/main3.html10
ヨッキれんさん、頑張って!!
22,3322016-03-29 21:29:39/road/mituno/main3.html3
必要な装備を持たずに連瀑帯を下降する・・・此れ身動き取れなくなって遭難する危険性MAXなんで次回似たような場所が有れば絶対避けてください。
22,3312016-03-29 20:50:36/road/mituno/main3.html10
ガンバ大阪

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