ミニレポ第254回 浦山ダム工事用道路跡 前編

所在地 埼玉県秩父市
探索日 2018.04.04
公開日 2021.03.13

谷底に眠るサーキットのような高規格道路


2020/5/10 12:25 《現在地(マピオン)》

埼玉県秩父市にある浦山ダムをご存知だろうか。
水資源機構が管理している多目的ダムだが、重力式コンクリートダムとして、あの奥只見ダムに次いで国内で2番目の高さを誇っている。しかも奥只見との差はたった1mしかない。
これほど大きなダムが、東京のすぐ近くの山の中にある。

当然、その建設の意義も東京と切り離すことは出来ず、多目的ダムとしての目的を構成する利水、治水、発電の全ての面においていえるが、特に治水において意義の強調されることが多いダムである。

建設省による事業着手は昭和47(1972)年と“私”より古いが、その後に事業者の変更、水没補償の問題、ダムの型式変更など紆余曲折もあって、ダム本体は平成2(1990)年に着工され、試験湛水開始が平成8年、そして平成10(1998)年に着手から26年ぶりに完成した。

私のと関わりという点については、比較的に新しいダムではあるが着工前に訪れたことはない。
ダムの建設によって浦山川沿いのかつての県道が数キロにわたって水没しており、その跡を渇水を狙って探索したこともあったし(未執筆)、ダム上流に位置するいわゆる浦山郷は江戸時代から(都会に近い)秘境として知られていたところで、そこにある廃村を巡る古道をオープロジェクトのメンバーと歩いたこともあった(『廃道クエスト』)。

そして今回は、ダムの下流に目を付けた。
右図の左下に見える小さな水面が、浦山ダムが作る秩父さくら湖で、湖面はここから4.5kmほど上流まで続いている。
ダムの立地は典型的なV字谷で、主計線3本分の高さが際立って見えるが、その下流側は意外にもすぐに広い低地が迫っている。
低地には荒川の本流が、蛇行と河岸段丘を伴って流れており、多くの集落が連なる右岸段丘面上には、秩父地方の動脈である国道140号や秩父鉄道が伴走する。

そしてよく見ると、気になる道が1本。
ダムのすぐ下流から始まり、浦山川と荒川に沿って河川敷のような所を通って、巴川橋付近へ至っている。
途中の大部分が、「庭園路」という、例えば公園内や工場内などにあって一般に開放されていない道を示す記号で描かれていることや、浦山川を渡る部分に橋が描かれていないこと、そして、起点と終点付近に1本ずつトンネルが描かれていることなど、興味を惹く特徴が多い。

とはいえ、私ももうオブローダーとしては赤ちゃんではないので、この“地図情報”だけでも、まあ分かる部分がある。
マジで地図だけの段階なんで、正体の「予想」と書くべき所だが、「分かった」と書いても、きっと外れてはいないと思う。
こいつはよぉ、浦山ダムの工事用道路なんだろう。

立地的に、関わりがないとはいわせないぞ。
でも、周辺に道路自体はたくさんあるのに、敢えて河川敷のようなところにトンネルを2本も掘ってまで道路を新設したのはナゼかとか、そもそもトンネルが現状どうなっているのかとか、疑問はある。
解決すべき謎があるなら、行くべきだ。
(この道、もっと早くに行かなかったのは、単純に、描かれたトンネルに気付いていなかったのである。無加工の地形図だと、これが妙に目立っていない ←言い訳乙)





2018/4/4 16:15 《現在地》

ま〜た夕方からだよという苦情が聞こえてきそうだが、夕方からです。この日は朝からいくつかの林道探索をやって、終わって降りてきたらもうこんな時間になってしまった。
それはさておき、現在地は冒頭文で紹介した浦山ダムサイト付近である。下流方向を見下ろしている。

とても高いダムだと書いたが、確かに山中にある人工物からの眺めとしては稀に見る高度感だ。
これは単純な高さだけでなく、近い位置に見下ろされる荒川の低地があることも大きい。
対岸に横たわる丘陵的な奥武蔵の山並と、遙か遠くに孤峰の雄大さを見せる赤城山の対比が素晴らしい。

(チェンジ後の画像)
私がこれから探索する“問題の道”は、足元の谷底近くにあって既に見下ろされている。
諸上(もろかみ)橋という名のアーチ橋の左奥に、浦山川左岸の段丘崖を抉りながら下って行く、幅の広い舗装道路が見えるだろう。あれだ。

この景色自体は以前も視界に入れたことがあったが、その時は気に留めなかった。
“問題の道”は、意識して見ればちょっとだけ草っぽいような気もするし、いつまで経っても車は通らないのだが、造り自体は普通で真面目な道路に見えた。



16:24 《現在地》

問題の道の入り口、諸上橋左岸橋頭の十字路にやってきた。
2車線道路同士の交差点だが、信号機や青看はない。
また、古い地形図を見る限り、ここに集まる全ての道が、ダム工事以前は存在しなかったようである。

問題の道は、ダムを背に交差点を直進(画像の赤矢印)の方向だが、さっそく封鎖されているのが見えた。




2車線の道幅の半分をガードレールで塞ぎ、半分をチェーンで塞ぐという、よく見る塞ぎ方だった。
チェーンを外せば通行できる状況を残しているわけで、廃道ではなさそう。
それに、封鎖の奥に続く道がよく見えるが、やはり立派な舗装道路である。
使われていないのが惜しいと思えるな。

何やら看板があるので読んでみよう。




ここは道路ではありません
河川管理用通路です
事故等発生した場合
一切の責任を負えません
   水資源開発公団 浦山ダム管理所

この道の正体についての事前の予想は、やはり外れてはいないようだ。
管理者が浦山ダム管理所となっているのを見て、そう思った。
だが、工事が終わったいまは、工事用道路ではなく、“河川管理通路”という新たな使命を与えられているのだろう。

工事用道路とひとことで言っても、工事が終わった後の余生は様々である。
大きく分ければ、そのまま公道として活躍を続けるケースと、廃止されて更地化したり、ダム湖に水没してしまうケースがあると思うが、ここでは公道ではない河川管理通路として存続することになったようだ。

率直に言って、河川管理通路というものにはさほど興味を惹かれなかったが、立派な造りなのに公道として解放されていないというルックスが、未成道のようで魅力的だったので、予定通り自転車で突入することにした。




ダム周辺の環境整備で植えられた桜の花びらが、路上のそこかしこに散らばっていた。

手入れされた木の花びらが、雑草が忍び寄る路上を飾るのは、少しだけ残酷な景色だと思った。

慰めのようであり、手向けのようであり、その実全くの無意識であることが残酷だ。




100mほど進んだところで振り返って撮影した。
まだ奥には入口の半分だけのガードレールが見える。
道は結構な勢いで下っているが、まだ谷底までは結構な比高を持っている。
右に見える大きな桟橋は市道で、もちろんこれもダム関連の生まれだ。

大型ダンプがひっきりなしに行き交っていた時代があるのだろうから、この2車線よりもさらに広そうな道幅は頷ける。
しかし、区画する白線や歩道のようなものが全くないので、余計に持て余している感が強い。
もしもこれが未成道だったら、それなりに通行量が多い国道のバイパスとかだろう。ザコい広域農道なんかはこんなに広くないからな。(そうやって隙あらばジェネリック未成道的な妄想を楽しむ私であった)

で、頭上に橋を見送った直後――




16:28 《現在地》

この道にも橋がキタ!

これまでの道に相応しい、飾り気は全くないが、かなり大きな橋だ!
橋の上も入口から続く直線の下り坂の続きだが、渡った先は右に曲がっているので見通せない。

なお、橋の規模の割りに、下を流れる小さな谷には水がなく、ほとんど桟橋のようなものだった。
敢えて盛り土で谷を埋めなかったのは、おそらく昨今の風潮によるもので、動植物の環境を分断しないための配慮ではないか。(直前に見上げた桟橋も同様)

飾り気のなさを象徴するように、この橋には親柱がなく、橋名を記した銘板もないものと諦めかけたが――



向かって左側の橋端の地覆上に、ちゃんとした銘板があった!

「そくどうはし」

橋のこちら側にある銘板は、この仮名書きの1枚きりだった。

そくどう……そくどう……
やっぱりこれは 「側道橋」 なのか? 思い当たる字はこれしかないが。
側道というよりかは工事用道路だと思っていたのだが、ハテナ? いったいどういう意味の名付けなんだろう。

というかそれよりも、ちゃんとした名付けがあって、銘板があったということに、驚いている。
やはりこんなに立派な道だ、工事用道路のままで廃止される予定ではなかったということなのか。
“河川管理用通路”にも銘板なんかなさそうなイメージはあるが、そういう決めつけは良くないな。



言い忘れてたが、最初見た瞬間からあった違和感――

どうして左右の欄干が違うんだ?

このパターンって普通、理由は一つしかない。
将来的な4車線化を予定している橋を、暫定的に片側2車線分だけ架けた場合、左右の欄干デザインが異なることが多い。歩道が作られる側と、中央分離帯になる側で、欄干の高さが違ったりする。

……のだが、もしこの橋にも4車線化計画があったとしたら、それはマジで驚きだ。
そして、ちょっと先回りした話をしてしまうが、探索後の机上調査でも、4車線化の話なんて全く出てこなかった。
つまり……、この橋の欄干非対称の理由は不明である。

フツーに謎なんだけど。 まさか気まぐれ?



で、橋を渡った下流側の橋端にも銘板が1枚あってくれた。

欄干のデザインが違うので取り付け方がさっきと違っているが、それは良いとして(不自然だけどな)、驚いたのは文字の内容だ。

道橋」

そっちの字だったのかッ!
でも、どういう意味なんだこれ?
「側道」ならまだしも、「即道」なんて聞いたことがないし、でも「即」なんて字を地名で使っているのも見たことないぞ。

私の想像はあっという間に膨らんでいった。
「インスタントラーメン」のことを「即席麺」ともいうが、まさか、即席で作った工事用道路橋みたいなニュアンスで「即道橋」って付けていたのだったりして!


こんな具合に現地では勝手な楽しい想像を膨らませたが、答えは別の所にあった。
秩父市が策定を進めている「秩父市文化財保存活用地域計画」の資料の中に、次のような文言があるのを見つけたのである。

「薬師如来坐像は、秩父市荒川上田野糀屋区の薬師堂に安置されているもので、元禄期(1688〜1704)に秩父市荒川贄川の常明寺住職であった即道の作といわれている。」

即道は、地元の高名な僧侶だったのである。(各地に未成橋伝説を持つ“弘法橋”の仲間だったわけだが、未成に終わっていないのは偉いなぁ)
橋の名前に採用された経緯までは確かめられなかったが、とりあえず文字の由来は納得だ。




橋を渡った所で振り返って撮影した。

巨大な谷を、まるで空の高さで堰き止めているような浦山ダムが格好よい。
それに、ダムの正面通路はこの道であろうというような、道と目的地が整合した美しさもあった。
現在使われている県道を始めとして、他の道は手前から蛇行しながらダムの上を目指すので、
こういう正面アプローチならではの正々堂々とした車窓は、持っていないような気がする。
それに、ダムへ行く道ではこれが一番広くて立派だ。




こちらから見ると、ずいぶんな上り坂の橋だ。
そして、本当に頑丈そう。

様々な工事用道路がある中でも、ダム工事といえばやはり、重ダンプ走路と呼ばれるような、公道での利用を一部制限される大型重機の道がイメージされる。
尋常でない重さに耐えながら働いた橋の末路が、廃道にまでは堕ちずとも、空気だけを乗せて静まりかえっているというギャップは、グッとくる。




またここには、橋とは少し不釣り合いだが、小さなスギ林を背に祠が建っていた。
「不動尊」の木札を付けられた解放的な覆堂の中に、木製の祠が安置されていた。
ひょうたんが幾つも奉納されているのは、どういう由来だろうか。
間違いなく道より前からあったお堂だと思うが、工事中に沿道へ移転させられたのか。
だとしたら、道が封鎖されているという状況は気の毒だ。オブローダー以外、参拝しがたい。
(即道橋の名付けと関係があるお堂なのだろうか)




台地を潜り、街を潜り、国道と鉄道を潜る、(仮称)第一トンネル


16:30 《現在地》

入り口から170mの位置にある即道橋を渡った先は、不動堂がある右カーブ。
曲がるとご覧の景色。正面に非常な高度感を持って、表土を全く有さない灰色の武甲山が聳える。
引き続き浦山川の谷に沿って下り込んでいくわけだが、ここから先の道は――



めっちゃサーキット味ある!

4車線分を取れそうなほどの広い道幅(橋の先から一段と広くなった)に、
路肩に設置された見たことがないゴツいコンクリートの転落防止壁。
そしてセンターラインや歩道が全くないという公道らしからぬ状況の全てが、
私のイメージの中にあるサーキットのようであった。

レイアウト的にも、ここの下りストレートの先にS字の高速コーナーが
繋がっているのなんて、けっこういい感じじゃないの。走りたい人いるでしょ?
いやこれ、本当にサーキットとして再利用したら良かったんじゃないの。



この下りストレートの途中が、浦山ダムを眺めるベストポジションだった。

浦山川の狭いV字谷が始まる所を狙い澄まして、谷を完全に塞ぐダムがそそり立っている。
ダムが持つ地形と協調した合目的の美を強く感じさせる、ダム冥利に尽きる素晴らしい眺めだと思う。
大きさの比較対象物となるような橋や家並みなんかが、前景に点在しているのもいい。



16:31 《現在地》

私の自転車も下りストレートを爆走しまして、あっという間に次のS字カーブの入り口へ。

2枚前の写真の奥の方に写っているが、S字カーブの入り口にはログハウス風の建物がポツンと一軒建っている。
これはダム下流の水位観測所であり、放流時に警報を鳴らすサイレンも設置されている。
いずれも現役なので、“河川管理用通路”としての利用目的地になっているに違いないが、普段は当然無人である。

サイレンの説明をしているお馴染みの看板が、とてもカラフルで今風だった。
「立入禁止」の道には似つかわしくない感じもしたが、同じ看板を各所に設置しているのだろう。




この浮世離れした道幅!

S字カーブの入り口は極端に広くなっていて、ますますサーキット然としているのだが、実際には工事用道路としての待避所だったのだと思う。
見れば見るほどサーキット。
脇道とか全くないのもそれっぽい。他の公道との接続が全然ないのである。

そうこうしているうちに、いよいよ地形図にもはっきり描かれていた1本目のトンネルの在処が近づいてきた。
トンネルはこのS字カーブの先にある。
一足先に、トンネルによって越えられる山並みというか段丘崖が見えてきた。




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あくまでも、「今となっては」という注釈付きだが、

本当に無駄に広々としている。

全天球画像だと、私を取り巻く空間の広がりが、より伝わると思う。




見えてきた、トンネルが!

入り口からおおよそ550m。
交通量の少なさを物語る枯葉を纏ったカーブの向こうに、道幅を2車線分に絞ったアーチが見えてきた。
いきなり坑門ではなく、直前にスノーシェルターのような形をした覆道を備えていた。
落石や雪崩のある地形ではなさそうなので、おそらくは飛来物防止用だと思う。ゴルフ場の近くにあるのと同じ目的だ。

写真にも写っているが、坑門直上の高い崖っぺりを、別の道が通っている。そこからの飛来物を警戒しているのだろう。




崖の上の道というのは、天下の国道140号のことだ。

縁に橋が架かっているのが見えたと思うが、あれは国道の歩道部分である。
わざわざ歩道だけが橋になっていて、車道部分は崖の縁に接地している。
このような造りになった経緯は、地形の問題で歩道を作る余地がなかったからだろうが、おかげでこの視界を遮るものがない歩道は、浦山ダムを遠望する格好の展望地になっている。

私も以前この歩道を通ったことはあったが、ダムを見ただけで、真下を見下ろすということはなかったようだ。
もし見下ろしていれば、今いる道が見えた。
【このようにね】 (←この日の探索後に撮影したので、すっかり暗くなってしまった)




16:32 《現在地》

やべぇ! 格好いい!

下り坂のまま、真っ暗な地下へと突き進んでいく、車線を持たない2車線幅の道路。

視線を中央に集中させる覆道の効用もあって、より増した闇の存在感が半端ない。
現代のトンネルを前に、ここまでドキドキを感じることも、そうそうない気がする。
まるでゲームに登場するサーキットみたいに、ドライバーを目で楽しませる術を心得ていやがる。



逸る気持ちを抑えて、地形の観察を先に。
トンネルの傍らには浦山川の蛇行した流れがある。
河川勾配以上に下り続けてきたおかげで、水面との落差はかなり小さくなったが、これで同川はほぼ見納めとなる。 「ほぼ」としたのは、後ほどもう一度だけ交渉するからだが、とりあえず並走はこれで終わりだ。

最新の地理院地図によると、このトンネルは長さ250mほどのものとして描かれている。
内部は直線であり、抜けた先は浦山川ではなく、荒川の河川敷となる。
トンネルが潜っているのは、山や尾根というよりも、荒川と浦山川の合流地点に突出した先細りの段丘台地だ。
そのためトンネル直上にも狭い平地があり、国道などの道路と秩父鉄道の鉄路、それに家屋や農地がある。
トンネルの立地状況としてはあまり見ない、珍しいものと言えるだろう。



さっきから見えていたが、覆道を越えたトンネル入り口にフェンスゲートが設置されている。このゲートは規格品だから、トンネルのサイズ感を測る目安になる。
すなわち、道路用のトンネルとしては十分すぎる大きさがある。これより大断面のトンネルは、一般道では滅多に見ない。高速道路トンネルのサイズ感だ。

だが、そんな巨大な坑口には、ただ一点の光も見えない。
地図だと直線トンネルとして描かれているのに、全く出口が見えないのはどういうことだろう。
まさか、閉塞しているとでもいうのか?!

だが、このトンネルは老朽化による崩壊を心配されるような時代のものではない。平成生まれだし、造り自体も極めて念入りで上等に見える。
だからこそ、工事用道路の役目を終えても、河川管理用通路として使うことにしたのではなかったのか。
こんな立派な新しいトンネルをむざむざ棄ててしまうのは惜しいと、誰もが思うはずだ。




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巨大な檻の中を思わせる坑口前。

坑門自体の構造は、最近あまり見ない突出型で、飾り気は全くない。

期待した扁額も見当たらず、工事用銘板の類もないので、トンネル名不明。

即道橋には、銘板があったのに、残念だ。



16:33

にゃーん。

からの…



人為的閉塞!

マジか?!

マジである。なんと、トンネルは内部で埋め戻されていた。
私は中に入ったが、実は坑口からも目が慣れれば十分見える。

平成生まれの長さ250mあるトンネルが、平成のうちに呆気なく閉じられていたのである。
おそらくは、河川管理用通路としても不要なので、将来的に老朽化して管理費が嵩む前に処分したという感じか。
現地の風景を見なければ、この対応に違和感を持たないと思うが、見てしまうと、どうしても勿体ない気持ちは出る。

…トンネル内だけだけど、歩道もちゃんと作られているのに……。
トンネルを建設した時点で、この廃止が既定路線だったのかは、気になるところだ。



16:34 《現在地》

閉塞壁の全容はこのようになっている。
外から運び込まれた砂利が、高さを増しながらやがて積み上がり、最後は天井に接して塞ぐ。
閉塞は入り口から20mほどから始まり、さらに20mほどの斜面を伸ばして塞いでいる。
ようするに、こちら側の坑口から入られる限界は40mほどであり、これは推定全長の6分の1程度しかない。

で、この美しさの欠片もない閉塞壁には、目に見える嫌なものがある。



それが、水抜き用に開けられているらしき二つの穴だ。

穴は、左の壁際の洞床近くと、中央天井付近の2箇所にあり、いずれも同径のポリエチレンパイプだ。
一応、人体を収納可能な断面であり、かつ、出口の光が見えた!が、マジで勘弁してくれ。

貫通しているのは分かっていても、もし出口までずっとこの断面なら200mくらいもあるわけで、ミミズみたいに這うだけの姿勢で200mも潜ったら、途中で発狂するか、筋肉疲労のため全身の痙攣が起こって死にそうである。表面がボコボコしているのも、水が流れているのも、気に触る。というか、こんなの潜らなくても反対側の坑口を見つけるのはきっと容易い。潜っていくほどのものじゃない!!

……なぜこんなにも自分をなだめるのに言い訳をしないといけないのかが分からない。 とにかくこれは入りたくない!



もう一つの天井近くの穴も、同様である。

こちらは出口の光も見通せなかったが、水抜き用なのは間違いないと思うので、貫通自体はしているはず。
塞がれているトンネルは下り坂なので、どこかに水抜きを残さないと、巨大なプールになってしまうのだろう。


天井付近に隙間があったので、奥を覗いてみたが、貫通はしていないようだ。
奥の方まで砂利で埋めているわけではなく、そこは固まったセメントの海になっていた。
これで、一時的に塞いでいるわけでないということがはっきりした。
完全廃止に伴う永久的閉塞である。

余談だが、閉塞壁付近の内壁に金属製の遮水板が取り付けられていた。最近これを付けたトンネルもあまり見なくなってきた。




地理院地図にも描かれているトンネルが封鎖されているとは、予想外の展開であった。
おそらく最近になって封鎖されたのだろうが、とにかくこのトンネルはもうダメ。通れない。
大人しく一旦退いて、反対側の坑口へ回り込むことにしよう。

活躍こそ短かったが、ダム建設を支えた無名トンネルに敬礼。
俺たちが平和に暮らす台地の下で、ずっと眠ってくれ。




続く


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